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山形県の観光のお話⚔️パチンコ🎰で花の慶二が好きで(特に相方が)よく打ちますキセルがでると興奮しますね~でも新しい台は本当に辛いそんな花の慶二の主人公、前田慶次人気のある武将さんです前田慶次こと前田利益は愛知県名古屋市中川区の荒子で産まれました。母の再婚により尾張荒子城主・前田利久の養子となりました。(前田利久の弟が前田利家。)上の写真は荒子城跡🏯織田信長の死後、豊臣政権時代に前田利家が加賀藩に任命され、その時に慶二は利家を頼り、利家より阿尾城代に任命されましたが、父親の利久死
月見平への道その中腹にご覧のような分岐点があって左へ行けば志駄義秀墓所謙信公に仕え上杉二十五将に数えられ直江兼続の義理の甥(お船の方の姉の子)でもある武将このすぐ上にあるのが過去何度か登場してる慶の字と最高位である院殿号の戒名を持った前田慶次のだったらいいなのお墓隣の万年塔は崩れてしまってるけど有事の際はバリケード&洪水の際は土を詰めて土嚢となる直江兼続考案の米沢藩独特のお墓それが万年塔
小野川温泉をあとにして朝9時には堂森善光寺へ昨日の賑やかさがウソのようにだーれもいませんちょうどお出掛け前の副住職に会えたあとは昨日登れなかった月見平へ(画像奥の山)それほど高くないけど何回登っても息が上がります途中で大きなアリやクマバチそれに画像はないけどオオスズメバチに遭遇頂上ではクマバチが10匹くらいブンブン飛んでましたがホバリングしてるのはメスを待つオスハチはメスしか針を持ってないからこ
米澤前田慶次瓦版第19号6月4日の前田慶次407回忌供養祭が一面に(※クリックで大きくなります)法要のことだけでなく兜むくりモニュメント除幕式、角田信朗さん&大西洋平さんのライブについても書かれています供養祭後にガイドの竹田さんにお願いして勇進舘(居合)のみなさんを月見平まで案内してもらいました(頂上では詩吟まで披露してくださいました)その竹田さんが送ってきてくれました竹田さんの手記と合わせてその時記念撮影した写真ま
兜むくりモニュメントは前田慶次供養塔横にしっかり設置されました!!みんなで月見平に登って慶次清水の湧き水飲んで田んぼアート見て最後に小野川温泉で温泉入ってお宿へ〜ご飯食べて朝方5時までアツい語らいが(^▽^;)最終日、わたし達は夕方飛行機先生や妹達は750kmの車旅それはまた明日(*^▽^*)ノ愛と義のかねたんずLINEクリエイターズスタンプ50コイン(¥120)にて販売中とっても使いやすいLINEスタンプです遠吠えケンさん
前田慶次の供養塔がある堂森善光寺この後ろの山が直江兼続と月見酒したと言われてる月見平その中腹にこんなお墓があるんですかなり古そうなお墓です横には崩れてしまってる万年堂ちょっと全部は読み取れませんが梵字の下に大きく慶の文字その下に正院殿〜と最高位といわれる院殿号の戒名がそれに左側に小さく没年月日が伝わってるのと一日違いの六月三日と刻まれてるようなこのお墓がある場所も興味深く
405回忌供養祭から一週間(早っ!!)こちらが堂森善光寺の前田慶次供養塔大阪で石材店を営んでられる櫻井さんが405回忌を記念してご覧の立派な【前田慶次郎公供養塔碑】を寄贈左側には"遥山並み城下を眺め酒を酌み交わした月見平"それに瓢箪&盃も供養塔すぐ横には月見平への道標が直江兼続の義理の甥(お船の方の姉の子)で上杉二十五将でもある志駄(修理)義秀のお墓へもこれで迷わずお参りできます朱槍の道標は親切に何カ所も設置されてますが残り五十米となった最後の急坂を前に「あと少しだ!