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こんにちは✨😃❗\(^_^)/今日の東京都心の最低気温は18.0℃で、最高気温は25.3℃と朝方は曇っていましたが、10時くらいから晴れてきて、晴れたり曇ったり蒸し暑い日になっています😱☀️本当にここ数日間は7月初めの気候から一気に4月中旬に戻ったかと思ったら、また7月上旬の暑さになって、その時に結構歩いてしまって、体調がしんどくなっています‼️😅そんな時は、お気に入りの歌でも聴きましょう🎵今日の「ミュージックはにゃ」は、昨日の続きで私が小学生時代のお気に入りの歌特集です🎶\(^_^)/
1973年の一時期、オヤジの末妹が我が家に居候していた。僕からすれば叔母になるのだが、この叔母は1955年生まれで僕とは比較的に歳が近かったので弟のように可愛がってくれた。彼女は「ジュリー」こと、沢田研二の熱烈なファンで部屋にはポスターを貼り明治のチョコレート(当時沢田研二がCMに出てた)をニキビが出来るほど食いまくり芸能雑誌の「月刊明星」や「月刊平凡」をよく読んでいた。文字好きの僕は、よくその「明星」や「平凡」を勝手に読ませてもらっていた。アイドルのグラビアから少しエッチ
山口百恵ちゃんのベストアルバムCDが出てきて車に乗った時に聴きましたちびまる子ちゃんやお姉ちゃんみたいに熱狂的なファンじゃなかったけど百恵ちゃん・淳子ちゃん・昌子ちゃん花の中3トリオは大人気でしたヒデキ・ひろみ・ゴロー新御三家と一緒に月刊明星や平凡の表紙になっていました子供の頃に聴いた歌はイントロだけでクイズドレミファドンで早押しで勝負できますひと夏の経験とおよげ!たいやきくんイントロが似ています気をつけてね車の中で♫ちょっと待ってプレイバック手もプ
7日に森本タローさんがブログを更新なさいました❣️この23日金曜日に森本タローとスーパースターが銀座タクトでクリスマスライブを行います🤗毎年、恒例で、サンタさん衣装のスーパースターからプレゼント✨🎁✨があります🎵今年はタローさんは、お母様がお買い求めていた雑誌、月刊平凡や月刊明星、近代映画なども、出品されるとのこと❣️お母様の遺品は、申し訳ない気持ちもあります…抽選なので、運のある方、うらやましい🤤🤭
前回の聖子ちゃんに続き福岡繋がりになってしまいました小柳ルミ子ちゃん曲は吉田拓郎の全盛期に作った名曲❗蛍の河です小柳ルミ子ちゃん唯一のフォークアルバムです(≧▽≦)1974年5月25日通算8枚目アルバムA面神田川•心もよう•あなた•夢の中へ等フォークカバー曲B面オリジナル曲吉田拓郎•長谷川きよし提供曲にシングルひとり囃子それでは聴いて下さいね❗小柳ルミ子とネコちゃん🐱との写真珍しいですね😸下駄の音カタコトひびかせ子供みたいにあなたは追いかける蛍の河に子供の声蛍
今日は写真を見ながら想像していただくクイズです〜✌️😊この写真はほんとうはカラーです問題にするのでモノクロにしてあります月刊平凡(多分?)の付録のポスターで何故か私の資料の山に挟まっていましたさてここで問題ですこの写真で私が着ている服には何色が使われているでしょうか❓3択で答えを選んでください①ブルーとイエローとオレンジ②ブラウンとイエローとネイビー③グリーンとイエローとピンクこの付録ポスターをお持ちの方はすぐおわかりですねってそんな方そうはいないかアハ
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9月29日水曜日〜その2第20話「三十男とおふくろと男の泣顔」も鑑賞。(写真)S52年3月号『月刊平凡』第1付録「HEIBONSONG」には、松崎しげるさんが歌う『俺たちの朝』の主題歌が載っています。
9月25日土曜日〜その2第12話「おんぶと冬の風と姉ちゃんの恋人」も鑑賞。(写真)S52年1月号『月刊平凡』の付録「HeibonSong」に、松崎しげるさんが歌う『俺たちの朝』の主題歌が載っています。
9月24日金曜日〜その2第10話「別離とイヤリングと友達の女」も鑑賞。(写真)松崎しげるさんが歌う「俺たちの朝」主題歌が掲載された、S51年12月号『月刊平凡』の付録「HEIBONSONG」。『Gメン'75』のエンディングテーマ「追想」とミス花子さんの「河内のオッサンの唄」と同じページと云うのが嬉しい。表紙がキャンディーズ。
ちと昔の雑誌、整理していて、今回は「月刊平凡」1979.8月号この時期は、百恵ちゃんが他人の物となり、キャンディーズが引退して、ピンクレディーもやや失脚。トップアイドルは、榊原郁恵、大場久美子、石野真子あたりで、ややキワモノ感(^^)松田聖子登場前夜の時期だったわけです。で、この号の水着を飾ったのが荒木由美子。湯原昌幸と、年の差婚をしたわけですが、周りでそれほど落ち込んでた人はいなかった気する。最近BS日テレで2人そろって出演したの見た。幸せそうでなによりフィ
ちと古い平凡スキャンすることがありましてこの号ですが。1972年7月号、古い!!もうお若い方は、当時の大スターこの2人もわからないかもですな。こういう時、いつも当時の女性アイドルの話したのですが、今回は男性アイドル??の話をしませふ!まず、最初のカラーページにいきなり出てくるのが村野武範!わはは、アイドルか!?いや、でも当時「飛び出せ!青春」は大人気だったのよ、レッツビギンだっけ。紗弥加ちゃんファンは「どん兵衛」のCMで共演した人っていえばわかるかなぁ?石橋正次。わはは、な
私のタブレットの待ち受け画面は、当時19歳の舟木一夫である。学生服を着て八重歯のある、舟木一夫がアイドルとして人気絶頂期だった頃、我が家には、テレビが無かった。月刊平凡、明星どちらかの本で見て、人生初の一目惚れをした。この年になっても、当時の舟木一夫以上の人は現れていない!私の中の舟木一夫は19歳のままである。中学生になり、音楽の時間に、校舎に隣接する音楽教室に移動中、大きめの音楽教室から聞こえて来たのは、舟木一夫のヒット曲、ああ青春の胸の血は、だった。フランス生
昨日レッツゴー3匹全員の美容院の日でした。楽しいお出かけが解るから出かける前から大騒ぎでした。この店はキー坊、スーポンの実家です。キー坊の喜びは恐ろしいくらいです。私との別れがツライセイちゃんは後退りしてこの世の別れのような顔をします。が、キー坊は店に入ったら私を見る目は他人を見るような目です。おばちゃん誰だじょ?って。スーポンは特にこだわり無し。スーポンの影のようなキー坊。俺っちもいるじょ。一枚目の写真を大きくしました。まるで昔の平凡とか明星の表
1、日本語放送の現実1170kHzKBC20:00-21:00(ソウル)1044kHzBeijing19:00-22:00,22:00-25:00(北京)などのように中波で聞いています。さすがに短波が聞ける受信機がありません。Koreaの放送では、読者の声が読まれるのですが、SINPOcodeもよく出てくる話題です。各地の受信状況がわかりますが、Beijingに比べれば瀬戸内海沿岸では状態が良い時でも33333程度です。2、日本語放送の内容放送内容は40
アクセスいただきありがとうございます🤗💕今年は『子年🐭』十二支のはじまりの年昨年5月から新元号と成って『令和』初めての新しいお正月を迎えて色んな事が新しく成る年です今までは過去へ…今はもう未来へ…時代の流れにのって新しい世界へ進んじゃいましょ~この時期は新しい春に向け環境や人間関係、体調も含め色々変化が起こりますが新しい世界へのお引越しの為リセットチャンス!だと思って新しい春に向けてリニューアルしちゃってくださいね私も新しい今年を益々エンジョイ
昨日、「傷だらけの天使」ロケ地の話題をアップした直後に駆け巡った萩原健一氏の訃報スゴいタイミングでしたいろいろな方から、「訃報を知っとったと」との質問有り全くの偶然です(キッパリ)で、「きぬちゃん食堂」の次は、昭和タイムスリップ酒場「代々木ミルクホール」へ・・・・小生、以前に恵比寿店に行った事があり、気に入っていた店です入口には、懐かしい月刊明星や平凡の表紙が飾ってあります。涅槃で待っている人やモジャモジャの写真家と結婚したアイドル等々の顔が並びます(笑)店内は、
最近はまた松本典子ちゃんにハマってま〜す♫デビュー1年目に出されたシングル&アルバムの世界観好きでしたわ〜。派手さはないけどじんわりきますわ〜♡松田聖子が海とかなら松本典子は高原とかなイメージ?もう少しクセとかインパクトあったら歌手として違う展開出来たのでは?そんでもってデビュー曲の「春色のエアメール」よりB面の「秘密の17才」のほ~が好きな私で~す♡そんでもって「月刊明星」「月刊平凡」断然明星派でございました!付録の歌本は最強だと思いますの!と言うわけで今宵は井上陽水様の1985年に
先程は貼り付けできなくなり失礼しました😅コンサートのご報告は終わってしまいましたが.....さっきの続きですVTR終了後、昌子さんが秀樹さんとの思い出を語ってくださってます😂アイドルの頃は忙し過ぎました~夜中まで歌番組や撮影が続いた時にあと少し、みんな頑張ろう❗って言ってくれたのが秀樹さんだった.....。二人が表紙を飾った月刊平凡📕私も毎月平凡、明星の発売日が待ち遠しかったなぁ~あと、近代映画も秀樹さんは常連でしたね秀樹さんがご病気後、お二人の対談も叶いました昌子さんご自身
NHKホールでのジュリーのコンサートに行って参りました。70YEARSLIVEOLDGUYROCK沢田研二の古希お祝いツアーです。ホールいっぱいに集結した私を含めた元乙女の面々。ジュリーは私の永遠のアイドルです。そもそもマスコミに就職したのもジュリーに会いたい一心から。マガジンハウス(当時は平凡出版でした)入社1年目に配属になったクロワッサン編集部。ジュリーとは縁もゆかりもないのに会議で毎回彼の企画を出しました。熱意が通じたのか
新米の芸能記者だったころ、体験したその後の自分を決定づけるような仕事をした記憶がある。それが、堺正章さんの取材だった。★★★★★★★★★★そのころのオレは自分でも出版界に就職したのか、芸能界に就職したのか、わからなくなっているようなところがあった。毎月原稿書きをしているのだから、出版の世界の人間であることに間違いはなかったが仕事相手は芸能界の人たちなのである。取材して書く原稿自体は他愛のないものだったが、芸能界は全く知らない世界で、恐いもの知らずなのだが、芸能記者という身分がイヤというわけで
フォーリーブスとは本当にいろいろなことがあった。右から江木俊夫、青山孝、北公次、おりも政夫の4人組フォーリーブスのことを書くのは駆け出し、新米の編集記者だったころ、未熟だったころの自分を思い出す作業でもあり、ちょっと恐いのだが、あの時代を語るのであれば、どうしても彼らのことを書いておかなければならないと思う。フォーリーブスこそ、じつは、オレにとっての雑誌の芸能記者としての出発点だったのだ。大学を卒業して、平凡出版(現・マガジンハウス)に入社して月刊平凡で編集部員として仕事をし始めたとき
暑中お見舞い申し上げます🎐🐧🐚🌻🍉m(__)m博多祇園山笠も終わり夏本番です(=^ェ^=)皆さん暑さを乗り越えたりやり過ごしたり拒否して爽やかな🍂秋を待ちましょうね(>_<)いつの頃か夏大嫌いになりました子供の頃や十代の頃までの…あののどかな日本の夏は…日本情緒たっぷりの日本の夏は…太陽カンカンでも日陰に入るとヒンヤリとした風が肌に…もはや無いですね熱波!その物ですね温暖化により熱帯の夏に…なってしまいました(・・;)今回は久しぶりに南沙織ちゃん四回目です(=^ェ^=)19
無事入手\(^^)/35周年アルバムの時も思ったけど80年代アイドルと言われる優ちゃんが2018年の今、写真集出せるってことは本当にすごいこと!ファンもこうして未発表の可愛い優ちゃんに出会えるのは幸せだー!
1945年の春4月、大学を卒業して、大衆娯楽雑誌の編集者になった。いまはもうないが月刊『平凡』という。当時、百万部に近い発行部数を持つ、芸能界の若い人気ものたちを集めてつくる雑誌だった。ここで、いろんな取材テーマを割り振られ、担当させられた。タレントは分担制になっていて、オレはフォーリーブス、森ケン(森田健作さん)、ピーター、吉沢京子ちゃんの担当になった。取材ジャンルでいうと、日本映画、テレビ、旅行などである。そのほかに男女の問題、セックスの話なども担当させられた。このときのオレは、何でも「
皆さんおはようございます!フラメンコ歌い手の山田あかりAkariYamadaです。最近、自分の過去をルーツを見つめてみたりしてます。今フラメンコを歌っている私。私の聴いてきた音楽は今、思えば、フラメンコを歌うためだったのかもしれない。名曲って呼ばれる曲、影響を大きく受けた曲の中の一つThenkyouforthemusic小学校6年の時、私、読めない英語を必死に追いかけて、歌っていました。
この話はオレがどういうことがあって、大学を卒業したあと芸能雑誌の月刊『平凡』の編集をやることになってしまったか、また、『平凡』という雑誌で、最初、どんな取材をやっていたかの思い出話である。学生時代、一度は[日本にはいまこそ革命が必要だ]などと考えた学生のひとりだったオレが、それがどうして、就職活動のすえ、大手出版社のひとつだった[平凡出版]に就職してしまったのか。学生だったころのオレというのは、革命に憧れているくせに基本的にナンパで、可愛い女のコだったら誰とでもデートしたいという、全方
昨日の話のつづきである。ジュリーとはどういう歌手なのか。わたしが編集していた月刊の『平凡』はいわゆるティーンエイジャー向けの芸能雑誌だったが、当時、100万部を越える発行部数を持つ有力な雑誌だった。だから、そこで行われた1973年の夏休み発売の9月号で行った人気投票もある程度、客観性のある現実の数字であると思う。前回も掲載したが、この人気投票の上位五人はこういうメンバーだった。第一位郷ひろみ(17歳)90158票★第二位西城秀樹(18歳)52320票第三位野口五郎(17歳