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月刊ボデイビルディングが届きました。今月号で僕の書いた記事は、ボデイビルダーと膝。膝は、”意外に”自由に動く”はず”の股関節(堅い人も多いけど)と、これまた痛めやすいけど自由に動く足首関節に挟まれた、頑なに曲げ伸ばししかできない”中間管理職”のようなストレスフルな場所です。シンプルな動きしかできないのに、より強い負荷が”かかってしまう”場所。流線型の脚が欲しいと願ってスクワットをレッグプレスをやり込んで、痛めてしまう。脚の裏、ハムストリングを鍛えようとしてこれまた不愉快に痛めつけてしま
月刊ボデイビルディング最新号が届きました。今月は2編書きました。一つは、女子フィジーク(ボデイビル)で、潜在能力ピカイチの藤原選手インタビュー続編。もう一つは、筋膜とボデイビルについてです。特に、筋膜連鎖、筋膜リリースという言葉が、いつの間にか、”流行って”きて、自分が”触って”学んできた事との”乖離”など書いてみました。人は、全ての事象を直接触って、感じて、経験することなどできません。多くの”伝え聞き”を自分の頭で咀嚼し解釈するのです。この筋膜に関しても、多くの人が、伝え聞きで
11年前、僕は”乗っていました”。全国学会主催の準備。年間20ヶ所を超える病院での手術。毎月開催されるセミナー。食べ物として、生き物を”支配”しようとヒトが知恵を絞って植物や動物を集団飼育してきました。集団、それは目に見えない生き物にとって美味しい対象。その攻撃に気づいたヒトの対応。今よりもまだ知識に乏しい僕が一般向けに書いた記事です。生意気な記事ですが読んでみてください。ワクチンが身体と筋肉を弱くする|フィジーク・オンライン病気で苦しまないようにと、現代人は生まれてから何
僕は、昔から体力、しかも持久力が、”人一倍”なくて、体育で思い切り走ったり運動したりした翌日など寝込んでいたものです。運動会など、二、三日は学校に出ていくことができませんでした。そんな僕が、ボデイビルを始めた時、多くの友人たちは心配してくれました、”死ぬなよ”と。死ぬ前に辞めてよかった、のかもしれません。この豆タンクと榎田くんのがちんこ対決を取材しながら、そのことを思い出しました。3時間近く、脚を強烈にトレーニングした後、休憩は、チキン南蛮の食べ放題バトル。おえっとなるほど、脂っこい
今回、訪ねた呉、音戸の川崎さんは、現役時代お互いに知りませんでした。僕が月ボ(月刊ボデイビルディング)に書いた連載を読んで、”ファン”になってくれたそうです。呉から僕の勤務先まで車で会いに来てくれて以来の縁です。今回、ジムで、一昨年までの雑誌がきちんと並べられていたので、昨年からのは?とお聞きすると、、、。”最近は写真集みたいで、読み甲斐がない””先生の記事も載っとらんし””昔のB5版は小さいけど、読み応え満点じゃったけどな”僕が、今年から連載再開させたのは、別のジムで置いてあった
先日、編集長を宮崎パワーハウスまで案内した時、受付の女性が親切に応対してくれました。可愛らしく、大変気がきく、配慮深いお使いなどしてくれました。好感が持てました。しばらくしてから、オーナーが、実は医学生であると紹介してくれました。編集長が、”主役”と懇談している合間、彼女と色々話をすることができました。僕の大学の42年!後輩でした。大学を離れ(追われ)、15-6年経つので、後輩と会うのは久しぶりです。間近に迫った国家試験のこと、その後の進路、短時間ですが、いろいろ話すことができまし
今月発売の月刊ボデイビルディング。なんと4編書きました。メインは、医学的見地からの”水抜きという愚行”ですが、西日本大会レポート(褒めたり、辛口だったり)、レポート書いたけど、写真だけに終わったり残念だった南九州鹿児島選手権、そして、あの絶対女王の”シルエット”を脅かすほどのライジングスター藤島選手のインタビュー。全て気合入れまくって書きました。過去、二つ、というのはありましたが、4つ一気には初めてでした。活字として残す時、誤字脱字は避けたい基本的なマナーですが、文章というのは、書く
コンテストシーズンが始まり、僕の医学的見地シリーズはお休みが続いています。”その代わり”コンテストレポートを載せてもらっています、が、これ基本的に、全選手を観察していないと”物語”にならないのと、つい、強烈な主観で見てしまうので、気をつけていないと審査員との結果との乖離に驚いてしまいます。でも、思い切り書かさせてもらっているので、それも良し。さて、コンテストにはたくさんの選手が、てっぺんを目指した出場します。ギラギラしてくる人、何気なく、あるいは、緊張してガクガクの人。作り笑いが見え見
週末を利用して、北九州黒崎に行ってきました。半分、お仕事、半分、”ミーハー”気分です。僕が、ボデイビルコンテストに初めて出場したのが、1984年。予選落ちでした(^^;)。その翌年も、また次も、表彰台は遠いこと。まだファックスも、ネットもない時代、コンテストはもちろん”有名”選手の情報は、全て月刊ボデイビルディングからでした。アメリカから、ヨーロッパから、関連の雑誌を定期購入していましたが、もっぱら写真のみ。そうしているうちに、KOZOSUDOという名前がやたら出てくるのに気がつ
今年の大会レポートやインタビュー、全て書き終え、あとは、来週末の”とある”会合のみになりました(まだ内緒です)。なかでも、大分別府市であったジャパンオープン、編集長が来れなくなったため、ただの観客で良し、が、仕事せねば、でアドレナリン全開でした。男子優勝の白井くんの勇姿を見ることができ、彼の人となり、もわかり、一種の感動物語でしたが(今月末発売号に書いてあります)、担当はしませんでしたが、最後の最後、女性フィジーク優勝の荻島選手を生で拝見することができたのが、今年一番の”収穫”だったと思いま
日本の南には発売日から数日してからやっとこさ届きました、今月の月刊ボデイビルディング。大会、真っ盛り。本来、僕は、”大会という賑やかな場所とは少し違う別の世界”のお話を書く予定でしたが、今回は、最前線のレポートを書くことになってしまいました。ちなみに、僕の大会レポート、10年前、当時行われていたJPCNationls以来です。そしてこのレポートが最後の執筆でもありました。今回の別府で開催されたジャパンオープン、本来は編集長の”サブ”で、気楽に観戦する予定でした。しかし、台風の影響
5週連続で、マッスルコンテストの取材に行ったのは生まれて初めてで、もう2度とないと思います。今回、結構真剣に(いつもですけど)、選手やその振る舞い、審査結果など、自分の感想と照らし合わせて、クラシック、という身体の参加基準は書かれているので、参加はできるが、実際はその審査基準どうなのか?クラシックフィジークと、クラシックボデイビルの違いは?いろいろ書いて見ました。ま、海水パンツを履いて上半身ほぼリラックスポーズだけで審査が始まった男性フィジークを大阪で見た10年前。明らかに逞しくてマッ
このヒゲ爺、7月に入ってから、毎週マッスル系コンテストに出没して取材、写真撮りまくっております。昨日は、別府への弾丸移動、66歳じいじに、会場でも、某B氏からのリアルタイム、遠隔操作、要求を飲みながら、恨みつらみも言わず最終列車内で大会レポート原稿を書き(書かされ)頑張りました。さてその大会で、受付業務をしていた女性に見覚えが、、。そう、この選手でした。昔Hヒゲのペンネームで”活躍”していた僕も、大病後、不能者ですので、女性には無縁(^^;)無毒(@@)。でも、感動を伝えることはできる
福岡で開催された2023年九州沖縄選手権(ミスター九州)取材に行ってきました。福岡、と言っても、ヒゲ爺の暮らす所からは、”とんでもなく”遠い場所、市電、新幹線、在来線、市営バス乗り継いで会場に着いた時は、結構疲れていました。さて、大会が始まった途端、そう、並んだ瞬間、今回の選手権優勝は決まりました。もっと観たい、ポーズが、と叫んでも、審査員も、観客も納得の”ダントツ”。九州選手権で、ここまでダントツなのは、僕の記憶ではあまりない。さて、九州在住のビルダーなら誰でも憧れる、そして偉大な先
夜勤中、ちょこちょこ起こされて眠れないので、到着したばかりの月刊ボデイビルディングに目を通しました。9月号です。7月号以来の連載記事を載せ”てもらい”ました。今回は、何度、ダメ出し、食らったことか。編集長が、ここあかん、これ書いてない、こんなものいらん、、、、、。何度も追加訂正、何度も校正し、結局、最初から書き直したり、またダメ出し(^^:)。編集者が、ライターを”造る”のです。自分の書いたものが、すぐ活字になる、そんなのは”呟き”なのです、単なる。文字は、文は、けなされながら、
宮崎選手権と九州クラス別選手権のゲストとして前回宮崎優勝、南九州優勝の榎田大人くんが招かれていました。彼のプロフィールなど、前々号の月刊ボデイビルディングに執筆しました。彼ら親子が、会場に入ってきただけで、観客の視線は、舞台から二人に一斉に動きます。二人で座席3つは必要です、デカい。このひげ爺、も、すごい圧力で、横にズレました。そのゲストポーズ。お父さんから、感想を求められました。ヒゲ爺、辛口です。二週間後のジュニア選手権、もしかしたら間に合わないかも。でも、”小手先”
今回の九州クラス別選手権で、ラインナップの段階で”華のある”選手を見つけた。華、それは、”その選手らしい”個性。決してニコニコ作り笑いするのではない。気取ったプレアクションもない。これ見よがし、の傲慢な”キザさ”でもない。その選手から滲み出る、その選手が調整してきた過程で”作られる”オーラ、自然に滲み出てくる魅力である。この60キロ級、左端、黒パンツの秋山君。このクラスでは背が高く見えるが、165センチと今時の青年にしては小柄。小さな頭部から、広い肩幅、細いウエスト、そして嫌
今年の宮崎選手権でのトップ5バックダブルバイセップスポーズ。いいですね、この密度迫力。5人とも個性のある、しかし、大きく外さないポーズを披露しています。辛口な意見を言わせていただくと、”ほぼ”完璧なのは、右端の優勝した岩井君と左端の阪元くんでしょう。とくに阪元くん、練習の跡はこのポーズからもわかります。このポーズ、何を見せるのかというと、まず、シルエットです、バックから見た。だから、上半身を後ろに反らせすぎたり、肩甲骨を寄せすぎたりするだけで、上半身の逆三角形が”無くなり”ます。
大人気のフィジークコンテストとマニアックなボデイビルコンテスト。下半身を隠すのはもちろん違いがありますが、ボデイビルとフィジークの一番の違いは”腕を上げる”ポーズの有無でしょう。そう、上肢を胸郭から離して、かつ、腕を太く見せる、このフロントダブルバイセップスこそがフィジーク選手が”嫌がる”ポーズです。これ、離した瞬間に、逆三角形のシルエットが消える、のです。それは筋肉の解剖生理学的、当たり前。上肢の外転伴う挙上は、広背筋も大円筋も働かないのです、”普通”は。ダブルバイ取った瞬間に、胸
九州クラス別選手権の”前座”、宮崎選手権です。昨年は、僕が先々月号に書いた榎田君がいきなり出てきて”ダントツ”でかっさらいました。ま、毎年、サプライズなどないものです。ラインナップの瞬間、静かな空気が流れていました。みなさん、よく仕上がっています、そして嫌味のないポージング。ポージングを重ねていくと、シルエットがダントツの選手が目立ってきました。それが優勝した岩井君。まだ24歳、九州クラス別で総合優勝した浦岡君と同世代、身長も高い。身長が高いと、背中がストン、直線、脚がねえ、とい
体調がいまひとつでしたが、月ボ連載に復帰した以上、甘えたことは言っておられん、と踏ん張って九州クラス別選手権を取材してきました。今年から、ボデイビルとフィジークは別の日に。それくらい、フィジークの人気、というか、出場人数が多い時代。ボデイビルは、昔から”固定”。初日はボデイビル。パンフレットを見る限り、知った顔は、パラパラ。ま、再来週の全九州に”でかい”選手たちは、行くしな、などと思いながら出場選手を眺めていました。プレジャッジも淡々と進み、最後の75キロ超クラス。疲れたので、あ
月刊ボデイビルディング来ました。今月号連載予定の記事、必死で仕上げていた今月初め、”載らない、ごめん”と、編集長から連絡が。なぜ、また、批判が?とにかく、ドッと力が抜けました、が、”珍しく”丁寧な理由を書いてくれていました。宮畑会長の追悼特集だから。そうです、今月号は、その特集です。僕は一度しか、お会いしたことがありません。それも、確か、1984年か85年。まだサンプレイが、別のビル、しかも、地下と2階に分かれてありました。失礼な言い方ですが、マシンはそれほど充実しておらず、フ
僕は、職業柄、診察室に患者さんが入って来られる”足取り”や姿勢をチェックします。椅子に座ってからは、正面から顔面、そして頸部を。神経系の医者ですので、12個ある脳神経の検査を始めます。脳神経のうち、感覚と運動神経を持っているものが多いのですが、運動用の神経しかないものもあります。その中の一つが、副神経。第11脳神経です。この副神経が支配する筋肉、でかい僧帽筋、そして胸鎖乳突筋です。いずれも頸部にあります。正確には、頭部と胸郭を繋いでいます。さて、前面にある胸鎖乳突筋。これは頭
吉賀さんの気管孔、寄せて移動させた大胸筋の筋繊維の間にトンネルが作ってありました。左右の鎖骨も胸骨上部も切除されているので、頸部まで大胸筋を左右から”持ってきて”いるのです。発達した大胸筋を持っているからこそできる。気管は肺へ空気が通る道路です。気管は、軟骨と繊維組織でできた”ジャバラ”。本来、喉へと自然に繋がっています。咽頭から喉頭へ、滑らかに進化の過程で連続した境目のない構造が続いているのです。彼の気管孔、それは喉へは続かず、胸郭前面にいきなり出てきます。出ていくトンネルの壁
編集部で吉賀さんと再会して、人工音声の”聞き取りやすさ”には驚きましたが、それよりも、予想外だったのは、彼の気管孔の位置でした。僕も、意識障害が長引き、自分で呼吸できない人たちに対して、何百と気管切開をしてきました。それはほとんど、喉仏の下で開けます。甲状腺というよく血が出る組織を上方にどければ、皮膚から近いからです。そのイメージでした、想像していたのは。完全に違いました。もっと胸側。そして、左右の鎖骨の中央より、そして、そしてもっと驚いたのは胸骨の上1/3、正確には胸骨柄が”ない
会わないとな、でも、会ってどう言えば。5年前倒れて仕事に復帰してから、ずーーっと、そう思ってた人がいました。僕が倒れる少し前、その彼は、悪性腫瘍の診断を受け、今後どうすればいいのか、人生をかけて色々”探って”いました。僕は、昔から、”生への執着”が薄い、、。苦しんでまで生きるのは。”冷たく”、手術を受けるのを勧めませんでした。でも、彼は受けた。そして、まだ生きています、しかし、声は失った。そして、そして。彼とはメールでやり取りしていましたが、直接会う、どう言葉をかけていいのか。
榎田くんと話していて、その”穏やかさ”に驚きました。昨年の鮮烈デビューの舞台から、もっと、”よお、しゃべる”、もっと攻撃的な話ぶりを想像したりしていましたが、全然違いました。僕は、”雑誌用”に多くの選手と話してきましたが、そう、僕が”当たった”選手、あまり喋ってくれないのです。黙々とトレーニングする、僕は、それを見る、その過程から、何を思っているのか、何を考えているのか、いろいろ思い描いて、文章にしてきました。うーーん、彼もそんな感じかな、と思いましたが、10数年前と決定的に違ったのが、
ヘビースクワットを”静かに”終了し、次に向かうのはハンマーストレングスアングルドレッグプレス。これ、マシンマーケットでは、最も売れていない45度レッグプレスです。とにかく、”無駄に”でかい、だからマシンも重い、だから、スペース”だけ”取る。効きも、数多くあるコンパクトなレッグプレスとほとんど変わらないか、重いから、抵抗感すらある。僕も、格安でオファーがありましたが、”これだけは”買いませんでした。が、彼とお父さんが、ガチャガチャと、ジム中からプレートを”かき集めてきて”つけた時、”こう
”今から始めます”。ぺこりとお辞儀して、レッグイクステンション開始。超軽め、リズミカルにレップを刻む。がっちゃんがっちゃん音”など”たてない。”次行きます”、とぺこり。スクワットラックに。僕ならバーから、だが、彼は、黙々と左右から20キロプレート二つずつ。100キロから、です。これがアップか。黙々、、黙々。140キロ、も、アップ。けろり、そしてにっこり。静かにしゃがんで、いきみもなく立ち上がる。200キロ、”最近、つけろって父から言われて”ストラップの巻き方、ぎこちな
榎田大人くん。今月号の月刊ボデイビルディングにインタビュー記事を載せました。4ページですが、本来はこの数倍、書いてます。載せられなかった(ボツになった)箇所をいくつかここに載っけようと思います。僕が、選手を直接取材、原稿にするのは、10数年前、当時NBBF連戦連勝中の後藤選手以来。宮崎市パワーハウスジムを訪ねました。実はこのジム、宮交シティという1973年にできたバスセンターの上にあります。僕が宮崎にやってきた1976年、一階がバスセンターとダイエー、2階と3階に雑貨屋さん、靴屋さ