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日頃より弊社ならびに代表取締役九条天音をお支えくださいます皆様に、謹んで御礼申し上げます。先般ご案内いたしました「4周年記念特別企画」につきまして、おかげさまでご案内後、早々に短時間のうちに多数のお申込みをいただき、予定数に達しましたため、受付を終了させていただくこととなりました。このたびの企画に関心をお寄せいただき、お申込みくださいました皆様に、心より御礼申し上げます。なお、本企画において頂戴いたしましたお代につきましては、これまでと同様、代表取締役九条天音の意向により、その全額を被
平素より弊社ならびに代表取締役九条天音に格別のご厚情を賜り、誠にありがとうございます。このたび、2026年9月28日をもちまして、ブログ及びメール鑑定を始めて4周年を迎えることとなりました。この4年間、ブログやメールを通じて皆様とご縁をいただき、また、そのご縁から実際にサロンへ足を運んでくださり、直接お逢いする機会をいただけたことを、心よりありがたく思っております。おかげさまで、この4年間、本当にたくさんの皆様から温かいお言葉やご要望をいただいてまいりました。「久しぶりに先生とお話しし
自分の事を全て人に見せる必要はありません仕事でも人間関係でも経験を重ねるほど誰に「どこまで見せるか」は大切だと感じます素の自分を見せる事がいつも誠実というわけではありません大切なものほど丁寧に扱う自分の考えも、時間も「心」も誰にでも開いておく必要はないのです特にこちらの話を聞くより先に踏み込んでくる人やこちらが大切にしているものを軽く扱う人には見せないという選択があっていい神社の神前でもまず身を清め、慎みをもって向かいます人との間にも同じような節度があっていいのだ
小さい頃から、兄弟、姉妹の上の子でしっかりしている親の事も心配して自分の気持ちを出さない、出せなくなった人優しく穏やかに素直な表向きでも内面は違うプライド高く素直では全然ないだけどもその人が悪い訳ではないそうしないと自分の本心を「心」に蓋をしないと生きて来られなかったそれは、そうなりたかった「作り上げた自分」一番に表向き良く見える自分にならないと生きて来られなかった人神職をしていると様々なご相談をいただきます私はお身体、お心の不調を必ず良き方へきちんと導きます
他人を巻き込んだり迷惑かけたり他人を弱い者を陥れたり争ったり他人より自分自身と戦えという「教え」好きです皆様おはようございます一旦海外のお仕事から帰国しました都内暑いです何だか暑かったり寒かったり皆様体調崩してないですかやはり九月前半の「水」以前に記したキーポイント水害被害酷かったようですが弊社には全国に沢山のお客様がいらっしゃいます被害に遭われた方々、お困り事ございましたらいつでもお気軽にお声掛けください弊社は微力ながら誠心誠意ご対応させていただきます・本日の
以前にも似たような事を記しましたが最近お客様のお悩で多いので本日は又少し違う角度から記します世の中には表向きはとても感じが良く誰にでも優しくいかにも「いい人」のように振る舞う方がいます言葉も丁寧で周囲から見れば何の問題もないけれど私は代々続く神職の出また、自身の生まれ持つ能力を持ち長く人と関わるお仕事をしてきた事もあり言葉そのものよりもその人が積み重ねてきたものやふとした所作そして文章であれば筆跡に出るものまで意外とよく見ていますと云うか「氣」で違和感を感じ視え
諸々世の中よろしくないので神棚前ご祈祷祈詞を記します大国主大神尊縁(えにし)を結び、縁を解きたまえ和の心を以て我を導き調和の道へと歩ましめたまえ民の幸を願う大神よ我が願いをお聞き届け賜え国土の守護神よ清き御霊の力を賜りたまえ明日は急遽神職とし靖国神社へ招かれました御霊に深い感謝と自らの命と引き換えに御守り下さいましたのに日頃より常々想ふ持念このような今の日本に心深くお詫び申し上げる所存ですそちらの心気心情を十分に持ち次の日からは数ヶ月前から予約済みの始発で伊勢
「中途半端なら、やらない方がいい」私はそう思っています何かを始める事自体は決して難しい事ではありません興味を持つ事も、やってみたいと思う事もとても大切な事ですただ、一度「やる」と決めたのであればそこには自分なりの覚悟と責任が伴いますこれはお仕事に限った事ではありません人様との約束も自分自身との約束も同じです神職として神事に携わる時も私はその事を強く意識しています神事は形を整えて終わりというものではありません一つひとつの所作にも言葉にも受け継がれてきた意味があります
神職として申し上げるなら「すれ違いがある=ご縁がない」とは必ずしも言えませんむしろご縁のある相手ほど時期や立場「心」の状態が合わずにすれ違う事はありますただしここで大切なのは「ご縁があるか」よりも「そのご縁が今結ばれる状態にあるか」です神道の考え方ではご縁は一本の線ではなく人・時・場所・役目など様々な要素が重なって結ばれます例えば*出会うご縁はある*学びを得るご縁はある*助け合うご縁はある*しかし夫婦や伴侶になるご縁はないという事もありますまた逆に
普通の方々は人の気持ちは目で見る事が出来ません言葉にしてもらわなければ分からない事もありますしどれほど近くにいてもその人の心の中までは知る事が出来ませんそれでも自分の「心」に残った気持ちまで簡単に消せるものではないのだと思います私はお仕事でも人とのご縁でもこれまでたくさんの人と関わってきました嬉しいご縁もあればどうしても理解し合えなかった事で残念な時もあります離れていく人もいれば時間が経ってからその存在の大きさに気づく事もありましたなので神職としての私は「忘れよう
人は「苦しまなければ前に進めない」と思ってしまう事があります頑張る事と苦しむ事をいつの間にか同じものにしてしまうのですですが私はこれまでお仕事でも人様とのご縁でも様々な出来事を経験してきて「苦しみ続けることに意味があるわけではない」と感じるようになりました勿論人生には自分の力だけではどうにもならない時があります耐えるしかない時もありますでもそれは「ずっと苦しみなさい」という事ではありません苦しい場所から離れる事も自分を守る為に必要な選択です無理をして誰かに合わせ
神職やサロンでのご相談で「人が嫌いです」と言う方々がいますでも色々なお話を伺っていると本当に嫌なのは人そのものではなく「無理をし続けなければならない人間関係」なのではないかと思うことがあります私もお仕事でも経営でも人と関わる中では当然いろいろな人に出会います気の合う人もいればどうしても価値観が合わない人もいるそれは決して悪い事ではありません只、自分ばかりが我慢をして疲れて傷ついてしまう関係まで大切にする必要はないのだと思います本当は人が嫌いなのではなく安心できる人と
「自分の未来に何があるのか」神導司として神事を重ねてきた私でもお客様や他人の事は視えて分かるのに自分の未来の事は確実には分かりません何て云うのか私自身の事は結果は分かってるけれどそれが何年先などが分からないみたいな感じですむしろ神事を長く経験してきたからこそ「予定通りにはいかない」という事を何度も見てきました準備を整えて現地へ伺っても実際にその土地に入り場を拝してみると最初に考えていた事とは違う対応が必要になる事があります同じ場所でもその時によって違いますだか
神職の際やサロンでお客様に「占い師や霊能者等どんな方が偽物ですか?」と聞かれる事が多いのですが「偽物」「本物」なんて云うか聞く話によると偽物の方は御自分を本当に凄い方だと思っていらっしゃる方々が多いようなのでお客様が見分けるのは難しいかもしれませんまた、私は代々続く神職の家系なのでこのようなSNSが盛んな現在まではあまり「本物」「偽物」など考えずにお仕事を別にやりながらも只々神職を精進してまいりましたので根本的に、その方々とは違う道なので本来なら特に言う事は無いので
ご相談でも多々あるので記します「親を嫌いになるなんて、いけないこと」そう思って苦しんでいる方は少なくないのではないでしょうかけれども私は親を嫌う気持ちそのものが「悪」だとは思いません親子であっても一人の人間同士です価値観も性格も違えばどうしても合わないことがありますまして傷つけられたり尊厳を踏みにじられたり何度も我慢を重ねてきたのであれば「親だから」という理由だけで自分の「心」を犠牲にする必要はありません仕事でも人間関係でも長く人と関わっていると相手を大切にする事
介護という言葉の重さは実際にその立場になってみなければ分からないものだと思います医師の時も御多数いらっしゃいましたが私の神職のお客様にも親御さんの介護をしながらお仕事を続けている方々がいらっしゃいます「無理をしないで」「誰かに頼って」と簡単に言う事は出来ますですが色々な家庭、事情がある中もし介護の方が親一人子一人であれば働かなければ生活そのものが成り立たない事もあります介護が必要な親を家に残して仕事へ行かなければならない誰かが施設を勧めても親が望まない事もある行政
「自分の子供を愛せない」神職のご相談でも意外と多いです「自分の子供なのだから愛せて当たり前」そう思われる事は少なくありませんけれど実際の人の「心」はそんなに単純ではありません親になったからといって必ずしも愛情が続くとは限りません子供を大切に思っているのにどうしても可愛いと思えない大きくなった途端何故か憎たらしくなったむしろ一緒にいることが苦しいそんなお気持ちを抱えている方もいらっしゃいます私はこれまで医師として人様の身体だけではなく神職として人生の苦しさにも触れ
人様の不幸を喜ぶ性分の悪い人が多いのも残念ながら世の中の一つの現実なのだと思います私は神職神導司として人様と向き合う中でも誰かが失敗した時や苦しんでいる時や立場を失った人様を「心」の中で喜んでしまう実に浅ましい人の姿も見てきましたけれども私は神前に立つ者として申し上げるなら人様の不幸を喜ぶ事は決して自分の運を良くする事ではありません誰かを落として自分が高くなったように感じてもそれは本当の「徳」ではなく己の心を曇らせるだけです神前では他人の過ちを裁くより先に「我が心は
先日の夜中の2時の地震関東地方の方々大丈夫でしたか実はその前の日に私「茨城県地震」って周りに言っていて何故そう思うのか分からないけれど「茨城県だよ」としきりに言っていてそれが夜中2時に地震が来た際にスタッフが次の日に朝早くからの飛行機の為と会食や打ち合わせで遅くなり同じ部屋の空港近くのホテルに泊まっていたので(私1人部屋無理なので同じ部屋の中の別の部屋に泊まってもらいます)スマホの地震前の音や外でも珍しくアナウンスが流れていたので「震源茨城県でしょ」と聞いたらホテル
八月二十六日夏も、そろそろ終わりですね神職として長く人と向き合いお仕事をしてきて思うのは案外何も考え過ぎない人の方が強いという事ですもちろん無責任に生きるという意味ではありません考えるべきことはきちんと考え自分に出来ることを丁寧にしたら後は必要以上に心配しない神社仏閣に携わる中でも「時節到来」という御言葉を感じる事がありますどれだけ急いでもまだ時が来ていないものは動かない反対に時が来れば思いがけないほど自然に物事が動き出すだからこそ今出来る事を丁寧にして後は
神職やサロンのご相談内で稀に「助けて欲しい」と言われるわりには皆様言う事聞きません別にそれは悪くもなく聞こうと聞くまいと厳しい言い方かもしれませんが正直特に直接私に関係無いので構いませんですが折角ご依頼いただいきお代をお支払いいただき私を使ってくだされば良いのに勿体なく無いのかとは思います自身の中のベースが頑固にお決まりならただ同感・同調されたいだけなのかしかし私は嘘は言いたくありませんご依頼の方の現実に視えていること厳しくてもお伝え出来る範囲は言います
あるアーティストさんとご飯食べました「皆、死ねばいいのに」彼はボソっとでもなく普通に言いましたその次に出た言葉は「でもさ、普通にそんな事言っちゃうと頭おかしいって思われるじゃん、だから歌詞に何となく乗せてる」なるほどでも私は貴方の綴り紡ぐ歌詞や歌声世界好きだよと言うと「なんかさ、上っ面で皆、大変ねーとか、可哀想ーとか言ってさ、あれ馬鹿みたいだよな」と続けて言われなるほどでも分かる人には分かるんじゃ??というかそんな希望ある?この今世にその人すごく人気なボーカル
ブログ内の氣が悪いので祓います祓ひ清めの詞掛けまくも畏き八百万の大神等の大前に、恐み恐みも白さく此処に集まりし言葉、想ひ、念、諸々の気配を、祓戸四柱の大神の御神威を以て祓ひ清め給ひ、清明正直なる場へと整へ給へ瀬織津比売大神、速開都比売大神、気吹戸主大神、速佐須良比売大神、諸々の罪穢れ、邪気、乱れ、執着、迷ひを祓ひ給ひ、清らかなる彼方へ流し遣り給へ天照大御神の御光を以て此処を照らし給ひ、八百万の大神等の御加護のもと、正しき言葉のみ残り、善き心のみ交はり、互ひに穏やかなる場となり給へ不要
神職のご相談でも多いのですが人は知らず知らずのうちに誰かの期待や評価に合わせて生きようとしてしまいますしかし本当に大切なのは「自分がどう在りたいか」という事です他人の価値観は参考にはなりますがそれが自分の人生の答えになるとは限りません長く多くの方々と関わる中で感じるのは自分の「心」を後回しにして周囲に合わせ続けた方ほど後になって大きな苦しさを抱えてしまうという事です他人に理解されない日があっても大丈夫です全ての人に認められる必要はありません自分の信じる道を誠実に歩
今日は令和八年八月八日数字の「八」が重なる印象に残る一日です神社仏閣において「八」は単に縁起の良い数字として扱うだけではなく末広がりの形から「広がり」や「ひらけ」を感じさせるものとして古くから親しまれてきましたけれど私はこういう日に大切なのは数字そのものに何かを託すことではなく「今日まで無事に歩いてこられたこと」に一度立ち止まりこれからを静かに見つめる事だと思っていますこれまで多くの方のお話を伺いお仕事や人間関係、ご家族の事お身体の事人生の節目に立ち会わせていただ
「怠い」だるい漢字にするとたった二文字ですがこの御言葉の中には大切な自分自身へのお知らせが隠れている事があります身体が怠い日もあれば人と会うことが怠い日もあります誰かに気を遣い続けることが苦しくなったり返信一つする事さえ重たく感じたり何も悪いことは起きていないのに「心」だけが静かに疲れていることもあります頑張る事に慣れている人ほど「これくらい大丈夫」と自分を後回しにしてしまいますしかし本当に大丈夫な人は「怠い」という言葉すら口にしません私は多くの方と向き合う中
人とのご縁は、本当に不思議です大切にしたからといって大切にしてもらえるとは限りません時間をかけたからといって同じ時間を返してもらえるとも限りませんだからこそ人は傷つき「どうして私ばかり」と思ってしまうのでしょう私もこれまで、おかげさまでお仕事で数え切れないほど多くのご縁に携わってきましたその中で気付いたことがあります人は相手に期待をしているようで本当は「自分の想いを分かってほしい」と願っているのだということですその願いが届けば嬉しい届かなければ悲しいけれども人
「性格が悪い人」と聞くと、意地悪な人や怒りっぽい人を思う方々も多いと聞きますしかし長年、神職として多くの方と接する中で感じるのは本当に気を付けなければならない人は第一印象がとても良い事も少なくないという事です言葉は優しくても都合の良い時だけ近づいてきたり人によって態度を変えたり自分の責任をいつも誰かのせいにしたりそのような小さな積み重ねがその人の本当の姿を教えてくれます人は言葉よりも日頃の行いに「心」が表れますだからこそ急いで人を判断するのではなく時間をかけて見つめ
「弱い人」と聞くと、体力がない人やすぐに涙を流す人を思い浮かべる方もいるかもしれませんしかし、私がこれまで多くの方と向き合い医療や経営、そして神事の中で感じて来た弱さとは少し違います本当に弱い人とは自分と向き合う事から逃げる人です失敗を認められず、人のせいにする感情を抑えられず、大切な人を傷つける都合が悪くなると責任から目を背けるそのような姿を、私は何度も見てきました反対に本当に強い人は自分の未熟さを認める事が出来ます謝る勇気を持ち、学び少しずつでも前へ進もうとしま
神導司としてご相談を受けておりますと「依存」についてのお話を伺う機会が少なくありません依存している本人は自分が依存している事に気付いていない場合が多くあります「助けてほしい」「分かってほしい」「見捨てないでほしい」その気持ちは決して悪いものではありませんしかしそれがいつしか「私の思い通りにしてほしい」へと変わってしまう時人とのご縁は少しずつ苦しくなっていきます今回も、お母様からのご相談でした長年、お子様を支え続けてこられましたが「もう二十九歳なのだから、少しずつ自