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昨日リーちゃんへメールを下さったブロともさんありがとうございます。リーちゃんへのコメントは全て残させて頂きたいので後日投稿させて下さいね。そして…りりちゃんママ家族共々感謝しております。ありがとうございました。リーちゃんとても喜んでおります。リーちゃんへのコメありがとうございます。頂いたコメントをリーちゃんに伝えているとパパも一緒になって号泣しております。ブログをみてくれた方がリーちゃんの頑張りを褒めてくれる事がなにより嬉しいって…そしてランちゃ
2023年11月23日に実父が他界しました。亡くなる1週間前に母が主治医から年越せるかも?と言わせたと喜んでいた矢先の出来事でした。5年前メラノーマが見つかり闘病をしていたのですが、全身の骨に癌が転移して手の施しようがなくなってからは家で母が介護をし、自宅で最期を迎えました。仲の良い両親で入院して父に会えなくなるくらいなら、大変でも自分の手でお世話をしたいという母の希望もあり自宅介護を選びました。お世話になった病院も「自宅で自分らしく死ねる」を理念に掲げている病院で、終末期介護を力を入
『ミーにゃんの旅立ち』と『お花やリブログありがとうございました』のお返事書けました。コメント下さった皆さま改めてありがとうございました。ミーにゃん喜んでいると思います。今日は、ミーにゃんをペット専用のセレモニーホールに送り出した時のことです。月曜日にミーにゃんが旅立ってから、しばらくは放心状態でした。ですが、時間が経つにつれて目の水分が無くなって見た目も変化が出てきて、もう帰ってこないのが解かって・・近所の友人に数年前に猫ちゃんを亡くした人がいてその友達
最後になってしまったお義父さんとの面会の日意識のないお義父さんに息子が塾を休んで来たことを伝えるとじぃじ今度の期末頑張るから楽しみにしといてなと、お義父さんに息子が言った息子がそんなことを言ったのに正直驚いたどういう思いで言ったのかはわからないけどその気持ちを忘れずにいてほしいと思っていたそれが息子がじぃじに言った最後の言葉その日の夜にじぃじは静かに息を引き取りましたお義父さんあの子の声は届きましたか
いろんな方が助けてくれてぎりぎりになって仕事の都合がつき父をみおくることができました最期のお別れを…と棺のふたをあけてくださったとき亡くなった父の顔をみることができそこからは涙も泣き声もおさえることができませんでした父の顔は穏やかで、よかったとこころから思いましたそして、心のなかでわたしの親不孝を詫びて、大事に育ててくれたことに感謝しました係の方が最期のお声をかけてあげてくださいとおっしゃったのですが、声にしたら伝わらない気がしてしまい発することはできませんでした孫たちにも愛
お立ち寄り下さいましてありがとうございます。暇に任せてYouTubeを見ていましたら、涙腺崩壊の映像に出合いました。脳内出血のせいで僅か33歳で旅立ってしまった息子.......大層可愛がっていた愛犬モリーちゃんにパパさん(飼い主である息子)が亡くなったことを分からせようとして両親が病院と交渉して最後のお別れをさせた、というお話です。[uploadedon16Dec.,2016]亡くなったことを知らずに、家に居なくなっ
「ゾニス先生への手紙:持続する影響と現代の課題への思い」-大西好祐「ゾニス先生への手紙:持続する影響と現代の課題への思い」時が流れても、あなたの教えと影響は私たちの心に永遠に刻まれています。あなたの最期のお別れからすでに時間が経ちましたが、私たちはあなたを忘れることはありません。あなたの授業は、まるで村上春樹の小説のようでした。それは言葉とアイデアの魔法の世界への案内でした。あなたのカリスマ性と知恵、そしてユーモアは、私た…blog.goo.ne.jp
16:30頃、実家へ昨日亡くなられた川端先生のお通夜に参列するためハス子でGO🚙兄と義姉を乗せて奈良天理市へ川端先生は亡き父の後輩の先生色々お世話になったいつも元気で大きな声で実家で会ったら必ず『元気か?子供たちも元気か?』ってあの大きな声ももう2度と聞けないんだな最期のお別れさせて頂いたとてもきれいな良いお顔をされていた『先生、ありがとうございました』先生、珈琲好きだったなぁ先生偲びながら頂きますね☕️心からご冥福をお祈りします安らかにお眠り下さい
午前10時の告別式に参列して大好きな叔母さんにこれまでの感謝の気持ちを伝えてきました。ありがとうございます🙏享年84歳ですが肌の張りもあり艶のあるきれいなお顔でした。痛がったり苦しんだりせずに亡くなったと聞かせてもらいました。なによりです☺️生前に教えていただいた通りに火葬会場で最期のお別れをして帰りました。家に着いたら次女と三女が冷蔵庫内の整理をしているところでした。奥から口の開いたミルキーの袋が出てきた‼️と言って出してましたが‥入れたのは私じゃありま
おはようございます!mayuです。次女の退院後、やはり体調がいまいちだったので再受診を早めようと思っていたところ夜中に実家の母親から連絡が入りました。9/11に祖母が天国へ旅立ちました。4年ほど施設に入っていて最近は嚥下機能の衰えから本人の希望もあり胃ろうの手術を行いました。(頭はしっかりしていました)回復もスムーズで胃ろうで栄養を摂れるようになってから顔色が良くなっているからまだまだ長生きしそうだと聞いていた矢先の訃報だったので正直、かなりビックリして信じら
今日は癌友さんの葬儀に参列してきました。。最期のお別れしてきました。今頃、虹の橋渡ってるかな。。出会いはアメブロ。貴女からDMが送られてきて、初めて会ったのはココスだったよね。初っぱなから探偵会社みたいな変な連中に待ち伏せされちゃって迷惑掛けてしまったけれど私の仕事の諸事情もわかってくれて…誰にも話せない奥底の気持ちを、貴女には話せた。いつも、うんうん…って聞いてくれて貴女の前で何度泣いた事か。。今までこんな私を見捨てずにお友達でいてくれて本当に有り難う。。貴女との思い出
昨日の夜遅くに同級生の友達が亡くなったと連絡ご家族、ご親族のみでのお葬式らしく今日は連絡くれた同級生の友達と最期のお別れするために会いに行ってきますまだまだ50代病気療養中だったけど早すぎるよね後ほどブログ読みにいきますねー紫珱ー
前の記事で脱線しましたが戻ります『告別式②』そのまま実家から母を連れて市役所へ行く窓口開始時間に合わせて死亡診断書を提出し火葬許可証を申請する待ち時間を利用して母の印鑑登録をする同時に印鑑登録証明書も申…ameblo.jp告別式後の最期のお別れ柩のフタが開けられても亡父は白布で被われていて顔は見れない母の希望で亡父の身体にはスーツが乗せてあるそして次々と生花で埋め尽くされる最後に胡蝶蘭の白い花で顔を埋めつくしてフタを閉じる胡蝶蘭は葬儀屋の配慮だと思う火葬場に向か
少し前のことですが、元夫の父親が亡くなった。天寿をまっとうした年齢でした。価値観の違いやら、色々、いわくつきの親であった。参列しようか、どうしようか、かなり迷ったけど。供花を一対、わたしの名前で供えた。お通夜にそっと、最期のお別れに顔を見て、眠る元義理の父親に言葉をかけてきた。フォロワー様、いいねをつけてくださる皆様、通りすがりの方々、ありがとうございます。☆☆☆花緒ママ☆☆☆
今日、父とのお別れです。みんなの涙のように雨が降ってます。とうとう、この日がきてしまった。姿はなくなってしまうけど、私達、家族の中では、いつまでも生き続けてくれる。娘として、しっかりと見送ります。返礼品につける、挨拶状。父と母の娘として産まれてこれて幸せです。
ジャッキーです。ベティが虹の橋を渡ってから、6ヶ月がたちました。あの日、ベティを火葬するための車の後ろに、みーママの車でついて行って。富士山が見える場所で、最期のお別れをしました。まだ、これ以上書けない。ぼくたちは、ママに抱っこしてもらって、ベティと話をしました。「元気で過ごしているよ。まだまだそちらへは行かないからね。当分、1人で過ごしてね。」
今日、午前3時40分…実父が力尽きて、天国へ旅立ちました。まだ、会いに行けてません。明日、昼から納棺の儀に行って、1度また帰ってきて、お通夜が14日、告別式が15日。息子は告別式のお花入れから参列。娘はお通夜のみの参列。可愛がってくれたジィと最期のお別れです。まだ実感がなくて、涙も出ません。こんな時でも、休み中の現場のことばかり考えてる。苦しそうにしてたから、楽になれて良かったねって安堵もある。薄情な娘でごめんね、お父さん。明日、会いに行くからね。4月末、会ってお
こんにちは藤沢ラフターヨガクラブ、キューピーです藤沢LYC..ob..JJさんと最期のお別れをして参りました微笑んでいました3年半ご闘病されましたゆっくり休んで下さい本当に本当にありがとうございましたお誕生日が一日違いきっとご縁でしたね感謝笑これからもみみさんと細く長く笑ってまいります天国で見守り笑お願いしまねJJさん2019年夏この後ご病気が判りました、、、
アマゾンプライムビデオでエンジェルフライト国際霊柩送還士見始めました。はじめから物語りに引き込まれました。自分がどう死ぬかは分かりませんが最期のお別れの時は、良く頑張りましたねと言ってもらえるように残りの人生を頑張って生きたいと思います。
☆夫婦として☆その知らせは突然。「心肺停止しています。今蘇生しているけど期待はできない。」そしてそのまま・・・戻ってきてくれることはなかったおとうさん。・・・ひとつだけ心残りがあるとすれば。おとうさんとおかあさんの最期のお別れを・・・。それができなかったというゲンジツ。というのもおかあさんはコロナ陽性で隔離中だったそのタイミングで。なんとも悪すぎるタイミングでのおとうさんとのお別れ。いくら認知が進んでいておとうさんの事が
今日は、先日亡くなった伯父の葬儀でした。朝から車で、母と妹を乗せて葬儀場へ…。途中渋滞もあったが、無事到着伯父の葬儀は、1日葬というやつで、お通夜も葬儀も火葬も全て同じ日に同じ場所で行うというものだった。亡くなってから、4日が経った。。。その間、伯父は自宅には戻らず、病院から葬儀場へ運ばれ、そこで4日眠っていた。そこは、とても簡易的な葬儀場だったのか、ウチが参列者が少ないから、なのか、よく分からなかったけど…部屋も小さく、全てが簡易的。従姉妹いわく、何でもオプション方式で、基本料金
2月16日の夕方、私のおばあちゃんが亡くなりました。通夜、葬儀を済ませ、最期のお別れもしてきました。こころに穴が空いたとはこの事。寂しくて悲しくて、まだまだ涙があふれます。夫は、少し霊感があります。2月16日の深夜2:50(はっきり覚えているそうです。)眠れない夫は、「〇〇ちゃん」(夫の名前、おばあちゃんはそう呼んでいました。)と聞こえて、家がドン!ってなったそうです。夫は、自分のおばぁちゃんに何かあったんじゃないかと思ったそうです。その日の夕方に亡くなった連絡があり、夫に報告
先日の喪主様私より歳下だった。亡くなられた配偶者様は喪主様より10歳上だったとは言えそれにしたって亡くなるには、あまりに早いよね…出棺前の最期のお別れの時間今回はほんとに長かった。喪主様が、ずーっと故人様に話しかけられていて。業者側から『もうよろしいですか?』的にそれとなく促すことも、なくはないんだけど今回はね…モニタ越しにそれを見ていて私だってやはり、今、この歳で旦那に死なれたらそりゃあ、(柩の蓋を)閉じていいです、とは言えないよなぁーと考えてた。その一言を言っ
この記事読んで、気づいた…そういえば…ニャントン最期の朝…普段めったに鳴かない仔だったのにあの朝だけは、何故かよく鳴いた必死に、何かを訴える様にいつまでも私の胸の中で…あれは…最期のお別れだったの?…あの時、彼はこれから自分に起こる事にきづいていたのだろうか…?ニャントンに逢いたい
自分に負荷をかけて、、忙しくしていたら、、泣かないって。。でも、気が緩む休日会いたくて、会いたくて、たまらなくなる。。最期のお別れの夢から、、まったく出てこない。。ほんとうに、虹の橋に行ってしまったかな。その前にちょっと夢で会いたいな。ランちゃん、
月曜日です!!毎日元気に過ごせていますか?身体だけでなく、心も。先週高齢の知人が亡くなりました。お会いした2日後です。普段と何も変わりなく…『え?なんで?!』突然のお別れ。『あっけないねぇ…』一緒に最期のお別れに行った方の言葉。あっけない本当に…当たり前に明日が来ると思っている。明日も目が覚めると思っている。でも、いきなり幕を閉じることもある。なんとなく分かっていたけど、目の当たりにすると改めて考えさせられる。生きるってなんだろう。何が正解とか分からないけど、今
皆さんこんばんわ40歳子無し主婦ただいま失業中のサラ子ですいつも私のブログを読んで下さりありがとうございます!!〜メンタル不調に陥り心療内科を受診治療開始しました〜✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼知人が亡くなり最期のお別れしてきました知人(男性)は以前の職場でお世話になった方年は離れているけど職場を退職した後も年に数回お会いしていたコロナもあってここ数年はそういう機会もなかったけどコロナになる直前にはお孫さんも産まれて幸せそうだったの
2023年1月22日母親が亡くなりました。先日の記事の続きです。4日目(1/25(水)お葬式の出棺・火入)朝から大忙し9:00から出棺9:30から火入母のお葬式も、母が親の葬式の時に私が着るようにと用意してくれていた着物をちゃんと着ましたよ。着付けする人は用意出来なかったそうなのでお母さんの姉にお願いしました。89歳で今でも自転車を乗ってるスーパーお婆ちゃんです。用意が済むと、一同会場へ出棺準備とお別れです。(棺桶にお花入れたりするやつ
14年前の1月3日の昼頃、シャワーを浴びに家に帰りまた病院に向かおうとした時に鳴った、電話のベル。お袋の取り乱した「お父さんが!お父さんが!」の声。実家から病室に向かう15分の道中、時間がゆっくりと流れました。でも不思議と焦る気持ちは無く落ち着いて車を走らせました。病院の駐車場から二階の親父の病室までも、何故かゆっくりと歩いた記憶が有ります。病室の扉を開けると汗だくの主治医と泣き崩れているお袋の姿が目に映りました。主治医の先生が一生懸命心臓マッサージをしてくれたそうです。それも涙を流しながら
2023年1月22日母親が亡くなりました。先日の記事の続きです。2日目(1/23(月))母のご遺体がここにいる家に帰って来られたんだ。やっと帰って来られたんだね。ごめんね。家で看取れなくて。お母さんの具合が悪くなるのと同時に私も働かなくてはならないので一人介護の限界でした。あのままでは二人が潰れてしまう。仕方ないけれどやっぱりごめんね。母親は本当に眠っているようお肌がとても綺麗でシワがほとんどなかった母いろんな人に「肌が綺麗ね~!シワが全然ないのね!」