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今週の東京競馬に注目の1頭が出走する。3日(土)の「ジャパンカップ2023年ロンジンワールドベストレース受賞記念」(芝2400・4歳上3勝クラス・ハンデ)に出走するダノンギャラクシー(牡5、美浦・国枝厩舎)だ。ダノンギャラクシーは、2019年のセレクトセール(当歳)で2億9000万円で落札された高馬。体質の弱さで5歳ながらキャリア4戦の少なさでも、4戦3勝、2着1回と底を見せていない。新馬戦は出遅れてスローペースの前残りで2着に泣いたものの、ゴール前で加速して素質の片鱗を見せ、2戦目は順
2018年7月24日(火)〜27日(金)JLPGAプロテスト📝吉報はこの試合中に耳にしました👂(何で行ってたんだっけかな😮💦⁉️)2018年7月30日入会式🧑🎓ワタクスが主に応援している選手📣は原英莉花プロ✨でもその同期である90期生もみんな好きです❤️※以下敬称略稲見萌寧、菅沼菜々、鶴岡果恋、吉本ここねらが現役一発合格組🧑🎓💮💯後に萌寧ちゃんが狭間世代と命名✨姫は前年の2017年に一度失敗(最終日の終盤、ティーショットが電線にぶつかりロストボール🫥で2打足らず💦)しているの
どーも、たぶん所長の青木です。G1大阪杯の一叩き戦の様相ですが、混戦と言えば混戦模様ですかねサクッと5頭①⑧⑩⑪⑫外枠だらけになってもうたwwこの馬連ボックスか3連複ボックスで勝負します3歳戦がピークだったとは思いたくない、昨年はたった3戦してパッとしない成績だった⑩エフフォーリア。ここでは格上ですが、ピークを過ぎて下降線と見れば抜けてるとは言えませんなー。それでもこのメンバーなら、力上位ではあるはず⑫ドウデュースも実績は上位。2歳チャンピオン、3歳最高峰のダー
自著3/1から新企画開始御礼。自分企画サイン会は・・・&明石家さんま師匠中居正広について語った&公開してから一週間ちょいで残り117冊から、87/3000になり、今は39/3000アメブロ読書様に感謝※自著実売れ行き最多更新連絡。次の舞台へ&お願いと御礼自著ドラマ化侍作家の御礼感謝。続・新企画とんでもない大事に&完璧改善女性〇性は好きも男なら。神曲自著今日~重点即販場所画像&自分企画サイン会は・・&高校野球NG行為に公平指令&さんま中居を語るhttps://ameblo.jp
2022年最後の公式戦。連盟会長杯新人戦大会決勝が行われました。相手は反対側から圧勝して上がってきた最強世代の代表格「ホワイトマナーズ」さん。胸を借りるつもりで挑んだ大一番となりました。ライダース4000329マナーズ0000022初回四球とヒットで1死23塁相手の前進守備を物ともせずに内野ゴロ2発で2点獲得スタートが良かったので良い球でもセーフでした。その後も残ったランナーをゴロで返して4点先制。先制点が鍵を握ると思って臨んでいただけに好発進。こ
https://twitter.com/jorfhakone/status/1600677677215940609【#創価大学】(吉田凌選手2年生)「高校時代の恩師に教えてもらった『克己心』が大事な言葉です。最強世代の4年生には大きな刺激を受けました。区間3位以内の走りを本番ではしたいです。」#箱根駅伝#ラジオ日本#ラジオ日本箱根—ラジオ日本箱根駅伝中継(@jorfhakone)2022年12月8日
2022年10月26日、GⅠ日本ダービー・GⅡ弥生賞・GⅡ京都大賞典・GⅡニエル賞を制したマカヒキが競走馬登録を抹消し、種牡馬入りすることになりました。2016年ダービー馬、当時の世代は粒ぞろいが揃いに揃った最強世代だと言われていました。現役馬は9歳でエアスピネルや地方ではロードクエストが現役で頑張っています。負けが続きもう引退させてもいいんじゃないかな?と言われて長かったですが、8歳の京都大賞典で最後に差し切り勝ちを決めて久しぶりの勝利。若い子に負けてられないという気概を感じると同時に
身体能力が飛躍的にアップ!人気漫画に登場する“一度は着てみたいバトルスーツ”3選(ふたまん+)-Yahoo!ニュースバトル漫画には、得てして能力を飛躍的に向上させる「バトルスーツ」が存在するものだ。人知を超えた存在との対決では、生身の肉体では対応しきれない場面が少なくない。そんな時に登場するのが、自身の持つ力をnews.yahoo.co.jp何かスゴい..1994年生さんは大体着てるのかなあという内容でしたね
柿木蓮と上野響平、育成選手の長谷川凌汰に戦力外日本ハムは23日、柿木蓮投手と上野響平内野手に対し、来季の支配下選手契約を結ばないことを通告したと発表した。育成選手の長谷川凌汰投手に対しても、来季の契約を結ばないと通告した。柿木は大阪桐蔭高時代に根尾昂(現中日)や藤原恭大(現ロッテ)らとともに春夏連覇を達成し、「最強世代」と呼ばれた。2018年ドラフト5位で入団。今季1軍デビューを果たし、4試合に登板していた。2019年ドラフト3位で入団した上野は、昨季1軍デビュー。今季は12試合で打
「プロ野球ドラフト会議」(20日、都内ホテル)ドラフト会議が終了し、支配下含めて126選手(育成57人)が指名を受けた。指名漏れ選手の中では、有望選手の多い大阪桐蔭の選手たちが多く含まれ、ネットでは「まさか」の声が続々と上がった。大学生では大阪桐蔭時代に根尾(中日)や藤原(ロッテ)と春夏連覇を達成し、一時は上位指名候補として名前が上がった立教大・山田健太内野手、当時は主将を務めていた早大・中川卓也内野手もプロ入りとはならなかった。今の現役組もセンバツを制し、最強世代
ご覧頂きありがとうございました!95生まれの世代、またはクラシック年齢を取って98世代といわれた彼らの物語をようやく書き終えることが出来ました。カテゴリ自体は4年くらい前に作っていながら、どうにも筆が進まず放置していましたが、今年は彼らがデビューした1997年からちょうど25年という節目の年。やるなら今でしょ、ということで重い腰を上げた次第です。それともうひとつ。ウマ娘の大人気もこの話を書き始めるきっかけとなりました。最初は競走馬を美少女化したアニメ、というくらいにしか思
21世紀になって最初の天皇賞春。出走馬の中にセイウンスカイの姿がありました。1999年の天皇賞秋5着後に屈腱炎を発症して、1年半の休養を経ての復帰戦。スペシャルウィークやキングヘイロー、グラスワンダーら同世代のライバルは殆ど引退し、時代は前年古馬王道路線を完全制覇したテイエムオペラオーへと移っていました。スタートから、セイウンスカイは一時期見せていた中団ではなく、けれん味のない逃げを披露し、1週目のスタンド前では大きな歓声があがりました。しかし、良馬場ながら土砂降りの雨で、しか
2000年、有馬記念当日。昼休みにグラスワンダーの引退式が行われました。1年前、スペシャルウィークと死闘を演じた舞台で、まだ全快したわけではありませんでしたが、歩ける程度には回復していました。少しずつ元気になっている姿をファンの前に見せたグラスワンダーは、種牡馬としての仕事が待つ北海道へと旅立っていきました。思えば、3歳になってからグラスワンダーは、殆どのレースを完調で走ったのを見たことがなく、どこかに悪いところを抱えながら走っていた印象があります。唯一あるとすれば、スペシャルウィー
古馬王道路線でテイエムオペラオーが覇道を歩む中、別路線では95年生まれの世代の活躍が続いていました。6月に、アグネスワールドはイギリスへの遠征を敢行。当時G2だったキングススタントステークスでは2着に敗れたものの、続くGⅠジュライカップでは競り合いを制して1着。海外GⅠ2勝目を挙げました。日本調教馬では初めての英国GⅠ勝利であり、初めての海外GⅠ2勝。初物ずくしの快挙を成し遂げたアグネスワールドでしたが、日本でのGⅠは未勝利。前年のスプリンターズステークスは2着、年明けの高松宮記念も
エルコンドルパサーとスペシャルウィークが引退し、「20世紀最後の3強」の中で唯一現役を続行したグラスワンダー。春はこの年から外国産馬も一部開放された天皇賞を、秋にはエルコンドルパサーが2着に惜敗した凱旋門賞を最大目標にすることが発表されました。ライバルがなし得なかった世界の頂を目指す壮大な計画。初戦に選んだのは日経賞でした。馬体重が+18キロと大幅に増えてはいたものの、無敗の右回り、しかも連覇した有馬記念と同じ舞台で、出走メンバーも大幅に弱体化。単勝1.3倍とダントツの支持を受けてい
超良血馬キングヘイローにとって、3歳~4歳の2年間はいばらの道でした。クラシック最有力候補といわれながら、3歳時は1冠どころか1勝も出来ず。短距離路線に舵を切った4歳時は、東京新聞杯と中山記念を連勝したものの、安田記念では11着とダービーに次ぐ2桁着順。秋にはマイルチャンピオンシップ2着にスプリンターズステークスで3着と善戦はしたものの、GⅠを勝つまでには至っていませんでした。スペシャルウィークやセイウンスカイ、エルコンドルパサーにグラスワンダーら同期が華々しい活躍をしているかたわら
グラスワンダーとスペシャルウィークが死闘を演じてから大分先のことですが、「20世紀最後の3強」というビデオグラムが発売されました。取り上げられたのは、スペシャルウィーク、グラスワンダー、そしてエルコンドルパサーの3頭。実はこの3頭、互いに対戦したことはあったものの、3頭が同じレースを一緒に走ったことはついぞありませんでした。フランスへ長期遠征して凱旋門賞で2着と日本調教馬では最上位に来たエルコンドルパサー。国内では古馬中長距離路線のGⅠを分け合ったスペシャルウィークとグラスワンダー。
1998年まで、秋の天皇賞、ジャパンカップ、有馬記念の秋の王道路線を3連勝した馬は皆無。もっとも近づいたのが1985年のシンボリルドルフで、ジャパンカップと有馬記念を勝ちましたが、緒戦の天皇賞秋で2着に敗れていました。そもそも、この時点で天皇賞秋とジャパンカップを連勝した馬は皆無。スペシャルウィークは史上初めて連勝した馬であり、かつ秋の古馬王道3冠制覇の権利を初めて得た馬でもあります。そこに立ちはだかったのがグラスワンダー。宝塚記念ではスペシャルウィークに完勝。前年の有馬記念の覇者で
1999年11月28日、ジャパンカップ当日の昼休み。エルコンドルパサーが東京競馬場に姿を見せました。世界へ飛躍するきっかけとなった前年のジャパンカップ以来1年ぶりの日本の競馬場。この日、エルコンドルパサーはジャパンカップへ出走するためではなく、引退式のためにやってきたのでした。凱旋門賞2着後、エルコンドルパサー陣営が選んだのは当初の予定通り引退・種牡馬入りの道でした。ジャパンカップにはタイガーヒルやボルジアといった、何度も走った馬に加え、凱旋門賞馬モンジューも参戦。ホームの地でリベン
エルコンドルパサーが凱旋門賞で2着に入った翌週、日本ではグラスワンダーが毎日王冠で、スペシャルウィークが京都大賞典で秋初戦を迎えましたが、ともに不安を残す内容でした。前年の3強決戦から打って変わってグラスワンダー1強となった99年の毎日王冠。グラスワンダーの単勝は1.2倍で、2番人気キングヘイロー以下が10倍以上と一本かぶりとなったのですが、直線では宝塚記念で見せた爆発的な末脚は影を潜め、当時重賞未勝利だったメイショウオウドウ(後にGⅡを2勝)にハナ差の辛勝でした。この頃からグラスワ
エルコンドルパサー以前に日本の馬が凱旋門賞に挑戦したのは3度。1969年の天皇賞馬スピードシンボリは着外、1972年にはやはり天皇賞を勝ったメジロムサシが出走しましたが18着。1985年にはダービー馬シリウスシンボリが長期遠征を敢行しましたが、ダンシングブレーヴの14着と大敗。日本のGⅠ級勝ち馬がことごとく欧州の高い壁に跳ね返されてきた歴史と言えるでしょう。時が経ち、今回のエルコンドルパサーは過去に遠征してきた馬とは違い、有力候補の一角。それも、古馬の中では最有力と見なされる存在とな
7月初旬のサンクルー大賞を優勝したエルコンドルパサーは9月初旬、ロンシャン競馬場で行われたGⅡフォワ賞に出走しました。直前になってサガミックスが出走を取り消したため、3頭立てとなったこのレース。凱旋門賞と同じ舞台、同じ距離のステップ戦に臨んだエルコンドルパサーは、押し出されるように先頭に立ち、背後にボルジア、さらにその後ろにクロコルージュが縦列隊形となってレースは淡々と進みます。直線では内をついたボルジアが、一度はエルコンドルパサーを交わして先頭に躍り出ます。一杯になったように見えた
エルコンドルパサーがサンクルー大賞を勝って凱旋門賞の有力候補に躍り出た翌週。宝塚記念でスペシャルウィークとグラスワンダーが初対決の時を迎えました。6月下旬に行われている現在とは異なり、1996年から99年まで、当時の宝塚記念は7月上旬で施行されていました。この年、1番人気に支持されていたのはスペシャルウィーク。年明けから重賞3連勝で天皇賞春を制覇と勢いに乗っていました。また、この年いっぱいでの引退と、秋の凱旋門賞参戦プランも発表されました。勝って秋にはエルコンドルパサーの待つ凱旋門賞
ジャパンカップ優勝後、海外遠征を表明していたエルコンドルパサーは4月、フランスへ向けて旅立ちました。最大目標を秋に行われる凱旋門賞に据え、フランスで長期滞在することを選択。シャンティイの厩舎に入ったエルコンドルパサーは、5月下旬にロンシャン競馬場で行われたイスパーン賞で海外初戦を迎えました。ジャパンカップから半年ぶりに加え、初めての競馬場。そんな中で一度は先頭に躍り出たエルコンドルパサーでしたが、追い込んできたクロコルージュの末脚に屈して2着。敗れはしましたが、様々なハンディを背負っ
日本で生まれて日本で走った内国産種牡馬を父に持つ馬は「父内国産馬」と呼ばれていますが、日本競馬の長い歴史の中で、父内国産馬は絶えず下の存在に見られていました。実績を残して種牡馬になっても需要は少なく、繁殖牝馬の質も輸入種牡馬のそれとは段違い。結果、産駒に恵まれずに知らず知らずのうちにサイヤーラインが断絶する、という繰り返しでした。日本で生まれ走った種牡馬を保護する名目で、父内国産馬しか出走出来ないレースも組まれていたほど。特に、1990年代は外国生まれの外国産馬が一大勢力を築いてお
菊花賞をレコード勝ちしたセイウンスカイに、エルコンドルパサー、マイネルラヴ、グラスワンダーと1998年秋後半に古馬GⅠを3連勝した3歳勢。そんな中で蚊帳の外になっていたのがダービー馬スペシャルウィークでした。菊花賞ではセイウンスカイの2着。ジャパンカップではエルコンドルパサーの3着と、健闘はしているものの同世代にいずれも完敗とも言える内容で、他の同期が古馬相手にめざましい活躍をしている一方で影が薄い存在となっていました。不本意な秋となったスペシャルウィーク。追い打ちをかけるように12
1998年夏。日本の競馬史において大きな転換点となる出来事がありました。フランスに遠征した97年のNHKマイルカップ勝ち馬シーキングザパールがモーリス・ド・ゲスト賞を優勝。日本調教馬による、初めての海外GⅠ勝利を飾ると、翌週のジャック・ル・マロワ賞では短距離GⅠ3勝のタイキシャトルが楽勝し、2週連続の日本馬GⅠ制覇を成し遂げました。これまで、海外遠征でなかなか結果を残せなかった日本の競馬界。それが、競馬先進国であるフランスで、しかも2週連続で日本の馬が勝った、というのは日本競馬がレベ
国際競走であるジャパンカップは、創設当初から外国馬による独壇場となっておりました。1997年までの17年間で外国馬が12勝で日本馬は5勝。1992年から94年まで、日本の馬が3連勝を挙げてはいましたが、95年から97年まで逆に外国馬が3連勝。創設当初ほどではないですが、海外勢に日本の馬が苦戦していた時代と言えました。4年ぶりの勝利を目指す日本勢は、サイレンススズカという大きな存在を失いましたが、スペシャルウィーク・エアグルーヴと2頭のクラシックホースが出走。さらに、毎日王冠で2着と初
エルコンドルパサー、グラスワンダーと無敗の3歳馬2頭、そして4歳になってから無敗のサイレンススズカが激突した1998年の毎日王冠は、GⅠを超えるGⅡのひとつになりました。毎日王冠は、天皇賞秋を目指すGⅠホースたちがズラリと揃うことが多く、実際このレースをステップに数多くの天皇賞馬を輩出してきた重要なステップレース。しかし、この年の場合は意味合いが違っていました。外国産馬の出走レースに制限がかけられていた当時、GⅠではクラシック競走に加えて天皇賞春秋にも出走権はありませんでした。つまり
もしも、今の競馬ファンに「ファレノプシスという馬から、なにを想像しますか?」と聞いたら、多くの人が「キズナのお姉さん」と答えるでしょう。東日本大震災で使われた合言葉と同じ名前を持ち、第80回節目のダービーを優勝し、怪我から長いスランプに苦しんでいた武豊騎手を蘇らせ、ディープインパクト産駒の後継種牡馬として今最も実績を残しているキズナ。歴代ダービー馬の中でも、特に印象に残る1頭です。ファレノプシスは彼の半姉にあたります。しかし、ファレノプシスの現役時代に同じ質問をしたらどうでしょう。当