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2021年11月中旬高知県四万十町にて旧西土佐旧十和旧大正などでは愛媛県からの流れで牛鬼のお祭りが良くみられます宇和島の伊達家の流れと言われています、五ツ鹿踊りなどもそうですよね西土佐十和大正あたりまでは牛鬼です窪川あたりで獅子舞中土佐でも獅子舞と太平洋にくると牛鬼は見えなくなります個人の見解ですこの写真地区のお祭りは今回で4年連続になりました昨年はコロナ過で神輿だけ神社をでましたが小雨が来てすぐ戻りました今年はほぼほぼコロ
5年前の4月29日のブログをリブログします。古代史の中でも「風土記」を読むと、ときどきキラリと光る宝石を見つけることがあります。--ここから4月24日の新聞に載った書籍広告の中から見つけた1冊である。全国にいくつかある「風土記」の存在は知っていたが、古代史好きにも拘らず、今まで後回しにして数十年経ってしまっていた。小さな書籍広告だったが、その宣伝文句が実に良かった。いわく・・・《風土記は魅力と謎に満ちている!》--ここから風土記の世界岩波新書(新赤版)160
2020年11月四万十町森曽我神社で撮影ここの神社のなんというんでしょう?鬼瓦みたいなもの貫禄がありますはじめて見ましたおわり
まいど~生きもの大好き絵本講師のくがやよいです。庭のナルコユリが咲き始めました。ミツバチも飛んできます。ナルコユリの下には少し遅れて芽を出したスズラン。ナルコユリ毎年こんな感じで芽を出します。ニョキニョキ。ロウソクみたいな形のびのびのびのびスパートがすごい!ぐんぐんのびのびのびのびのーん!植物たちの芽吹きが見られるこの季節が大好きです。生ゴミを埋めてはネコかイタチに掘り返されるという日々の攻防が繰り広げ
釣果速報🆕👂‼️曽我氏40センチハンツ+ドライブビーバー引き続き釣果情報お願い致します。😄
釣果速報o.s.pスタッフ朝練!曽我氏42センチマイラーミノー2.5インチ引き続きサイズアップお願い致します。😃✌️
釣果速報追加曽我氏ラトリンブリッツマックスにて追加ナイスフィッシュ!💫
曽我氏44センチラトリンブリッツマックス麻生氏38.5センチラトリンブリッツマックス
釣果速報曽我氏46センチ
百済について知ることが出来る国立扶余博物館三国時代当初はかなりの勢力だった百済も次第に高句麗、新羅に攻められその策として日本と関係を結ぶことを考えますその際百済から日本に仏教が伝わりました6世紀のことです扶余博物館では百済の仏教文化が日本に伝わった経緯も紹介していました日本には元々万物に神が宿るという信仰がありましたからすぐ受け入れられた訳ではありませんが賛成派の曽我氏の力で広まることになりますまた百済滅亡後日本に残った百済人ゆかりの場所が今もその名を残しています例え
地域ごとの特徴全国に行き渡っている家紋も、地域による特徴が見られます。やはりその地域を治めた豪族、大名などの系列から広まった関係から今日に至ってもその特徴が散見されるのです。それでは各県別に家紋がどんな特徴があるかを北の方から順次調べていきましょう。北海道が明治以降の開発ですから、ここでは含めず青森県から検討をしてみましょう。※この項、歴史読本臨時増刊・日本の紋章総覧'74-12を参考にします。☆青森県庵に木瓜、右卍、津軽牡丹庵に
今日もちょっと藤原氏と聖徳太子のことを書いてみたいと思います。何せ、この日本の創生のころから存在し今もその子孫がいて、人殺しをしながら、歴史を書き換え、日本書紀という唯一の日本の歴史書を編纂し、他には何も残さず。自分の書いたものが正しい歴史としてきた。おまけに日本の歴史に突然現れた、どうやら韓国の方らしい、といくれば、日本人や日本って国はなんやねんということになりますからね。話飛びますが、聖徳太子、ご存知ですよね、何人もの話し手のいうことを、聞
石舞台古墳。それは、奈良県明日香村にある、古墳時代後期の古墳です。元は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていましたが、その土が失われ、巨大な石を用いた横穴式石室が露出しています。『日本書紀』に、「大臣薨せぬ。仍りて桃原墓に葬る」とあり、大臣は、蘇我馬子を指しているそうです。したがって、埋葬者としては蘇我馬子が有力視されているそうです。このブログを書いた人山本和華子本を出版しました!
【平成27年6月7日(日)参拝】いよいよ皆が知る天智天皇(中大兄皇子)陵参拝です。天皇陵としては初の京都上陸。最寄駅はJR「山科駅」でここからは徒歩で20分ぐらいでした。天智(てんじ)天皇陵御陵名:山科陵陵形:上円下方(八角)考古学名:御廟野古墳。所在地:京都府京都市山科区御陵上御廟野町本古墳は、被葬者の実在性にも、天皇陵古墳に比定することにも問題がない、つまり、「天智天皇陵」と呼称してもほぼ間違いのない古墳である。このような古墳は非常に稀であり、他には天武・持統合