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古民家には、立派な古材が使われているケースが多く、中には200年近い樹齢の大径材が使われていることも珍しくありません。私達は「古材鑑定」により、どれくらい古材が使われているか、またどれくらい価値があるか等を調査します。天井裏に潜り、梁の状況を調査します。床下の大引の状況を確認します。折置組の状況を確認します。内装を確認します。お茶室としても使われていた古民家。なかなかのものです。古材鑑定結果が楽しみです。
朝からお出かけ夫が駅まで送ってくれるので車窓の写真を撮れます7:13発の在来線8:15発の新幹線に乗って9:43到着✌️大阪天満宮ですとても大きな門境内は色んな見所がありますそして今❗梅を見ましょう❗❗地植の梅鉢植えの梅この「八重野梅」の樹齢約100年幹がすごい❗書院造り百畳敷きの参集殿に入ると梅の香りいっぱい💕この梅は樹齢約300年❗❗❗すごいーこちらのは枝が下向き❗松も立派です樹齢約250年❗❗❗すごい✨すごい✨金屏風の前には両
大河ドラマ「どうする家康」もいよいよ明後日で終わりを迎えます。今年中に「”家康”のでき事と所縁ある”お城”を振り返ろう」というテーマでブログをお届けしようと思っていましたが、つい「お城巡り」に足が向いてしまい「お城紀行」のブログを優先してしまうので、このシリーズは度々中断してしまい、「今年中」どころか「今年度中(2023年度)」に延長しそうです。しかし、暫くの間お付き合いくださいませ。「家康」の歴史を8期間に分けて、「家康」のでき事と併せて所縁ある「お城」を紹介しています。8期
京都旅は、旅友N子さんにルートをお任せした割には〝パン活〟にも付き合ってもらったりで、案外わがままを通してしまってますパン屋さんを見つけたら素通りできないことはN子さんもよくご存知ですので(笑)まあ良しとしましょうホテルには、京都着からそのまま荷物を預かってもらう為一度向かっておりましたので、散策中は身軽なのですが、予定では錦市場→北野天満宮方面脇にあるポルトガル菓子のお店へ向かうことになっていました。そこは、N子さん御用達のお店で、ぜひわたくしを案内したいとおっしゃってくれていたんです。
姫路の整理収納アドバイザー・整理収納教育士、よしなかなおこです。ご訪問ありがとうございます。昨日の続きです。『京都の職人リターンズ②〜作業編〜』姫路の整理収納アドバイザー・整理収納教育士、よしなかなおこです。ご訪問ありがとうございます。昨日の続きです。『京都の職人リターンズ①〜依頼編〜』姫路の整…ameblo.jp京都で建具職人をしている大学時代の友人に義実家の家具の解体をお願いしました。器用で力持ちでマッチョ。ちまちまと釘抜きをするヘナチョコな夫を横目に次々と解体して
明月亭(めいげつてい)は縮景園の北西に建てられており、数奇屋造り(一部書院造り)で、屋根は茅葺き(一部杮葺き)でした。面積は約43㎡、内部は玄関之間、控之間、茶室、水屋となっているそうです。原爆投下により焼失しましたが、昭和49年(1974)に復元されたと書いてありました。大八車の車輪が埋め込んである漆喰の壁に遊び心を感じました。ここから名月を見たらさぞ綺麗な事でしょう。
ということで、南郷温泉しゃくなげの湯に入り旨い十割そばを食った後は、しゃくなげの湯の前にある南郷の曲屋旧鈴木家住宅へ行ってきました。これはすばらしい曲がり屋ですね。鈴木家は、江戸時代に神官として熊野神社建立の為紀州より来村定住し、代々名主、政治家などを輩出している旧家だそうです。築年代は分かっていませんが、1700年代後半の建築ではないかとのことです。中はこんな感じ。すばらしい彫刻の欄間。中もすばらしいですね。上段の間、床の間、付け書院を設ける等、武家の好んだ書院造の手法
洋館の西側通路でつながっている・・・和館畳廊下を坪庭を連想させる小庭書院造りを基調にし完成当時は建坪550坪に及び洋館を遥かにしのぐ規模を誇っていたそうですが・・・現在は、洋館同様冠婚葬祭などに使われた大広間の1棟だけが残り床の間や襖には、幕末から明治時代にかけて活躍した狩野派絵師、橋本雅邦が下絵を描いたと伝えられる日本画など障壁画が残っているそうです和館の施行は大工棟粱として、政財界の大立者たちの屋敷を数多く手がけた大河喜十郎と伝えられています
新緑の輝くゴールデンウィーク☘️アートマーケッツ☘️は大盛況です。⭐️お越しいただいたお客様、🌏外国からの沢山の観光のお客様、🍏新旧🍎の出展者の皆様、楽しい時間をありがとうございます。🎀M様🎀お久しぶりにお目にかかったお客様です。atelierクスクスのハンチングお帽子がすっかりお顔になじみ、美しいシルエットです。10年以上、ご愛用下さっている。とのこと❣️感無量です。😭atelierクスクスのお帽子を、お客様に気に入ってお選びいただき、長い間使って頂けること、作家とし
テーマどんな風に暮らしてみたいclickで、同テーマの他記事もチェック和室とたたみの部屋のちがいは…和室にある床の間格式高い順に大きく分類すると書院造り数寄屋茶室の三種類ぐらいに分かれますでは和室とたたみの部屋は何がちがうか?一級建築士の僕のブログはだれかの家の評価でもなくどの商品がおすすめかどんな間取りがいいのか…そんな話もしないでもあなたにとって過去に経験のないはじめての家づくりを失敗させない
EVEです。昨日のブログのつづきになります。太宰治の生家である太宰治記念会「斜陽館」の見学レポの後半ですね。前回は主に1階をレポしたので、今回は2階をレポしましょう。2階へと続くケヤキの階段です。話頭折衷の見事な建築ですね。そしてこちらが応接室として使用した洋間です。壁紙は張り替えられていますが、天井とソファは当時のままの姿を今に伝えています。2階には洋間と和室が控えておりますが、厳格な身分制度により使い分けられておりました。ここは一番位の高い人が泊まる金の間。
こんばんは。大変ご無沙汰しております。インスタグラムはアップしているのでご無沙汰でない方もいらっしゃるかと思いますが、仕事のタイミングや体調も波があり発作気味になることも多くなっています。寒さや更年期もあるかと思いますが。なのでアクセサリー作りになかなか気持ちが向いていません。それでも食欲はありますし、散歩にも行っていますので元気といえば元気です。久しぶりの投稿でご紹介するのは新しく迎えた古道具です。一昨日奈良井宿の古道具屋さんの旅する古物商hito.toさんに行きました。9月に
トイレ休憩も兼ねて「山本亭」へ。ここは、地元でカメラ部品製造の工場を経営していた山本栄之助翁の自宅だったそうです。建築の観点から有形文化財に指定されており、今では喫茶を伴う区民の憩いの場になっているようです。いちお、保存の経費がかかるためなのか、入場料なるものがありました。今回、喫茶は利用せず、館内の見学です。山本氏は関東大震災後に移り住み4代にわたり使われていたものを、昭和63年に葛飾区が譲り受け、平成3年から一般に公開されたそうです。当時では珍しい二世帯住宅の作りになっているそうで、
あなたらしい美しさを引き出すハートフルフォトライフ起業女性家応援フォトグラファーHitomiですご訪問ありがとうございます。いつも『いいね』やフォローありがとうございます。8/23のブログで、大好きだったペンションが、昨年知らない間に閉じてしまって悲しかったということを書きました。いまでもネットに残っている、そのペンションの口コミには「掃除の行き届いたお部屋と二つのお風呂、素敵なお庭、オーナーご夫婦の温かいお人柄、そしてなにより
室町時代の様式を今に伝える書院造りの建物です興福寺大乗院に仕えた福智院氏の邸宅を日本酒春鹿の蔵元の今西家が譲り受けたそうです角柱、障子、襖など書院造りの要素は現代の和室様式へと広く受け継がれています書院からの美しく手入れの行き届いた庭への眺めは素晴らしいです!整然と一点の隙もない佇まいには背筋が伸びる思いでした町家との対比も興味深ったです
こんばんは。今日で今の家に引っ越して2年が経ちました。去年はももと過ごし、今年は旦那さんと。ももがいないのが残念です。去年の今日は早朝にもも散歩に行っていました。早朝なのに暑かったんです。それでもこの顔。思い出すとまだまだ泣けます。今年は私が一人で寂しくないようにももが旦那さんを呼んでくれたんだと思って感謝です。家は一年で庭も変わったし、旦那さんが来て生活感も出てきました。先日、Facebookのお譲りしますというグループで座卓を頂きました。大きさも色もバッチリでした。30
先日ご紹介しました「昭和7年築登録有形文化財あやめの棟」今日は「あやめの棟3号室」のご紹介です。「あやめの棟」の一階奥の部屋になります。廊下からは「昭和9年築登録有形文化財天平大浴堂」の屋根。そしてその奥に「明治14年築登録有形文化財青州楼」部屋に入るとすぐの踏み込みに、冷蔵庫などの入った棚を新調しました。その後ろがトイレです。その奥に「あやめ1号室」同様、3畳の化粧の間。化粧の間の窓枠は「あやめ1号室」と違って正
一昨日ご紹介しました「昭和7年築登録有形文化財あやめの棟」「天平大浴堂」の横を通り、「桂の棟」から分かれるところまでご紹介しました。今日は「あやめの棟1号室」をご紹介します。「あやめの棟」に入り、階段を上がり2階へ。奥が「あやめの棟1号室」廊下の窓からは「明治14年築登録有形文化財青州楼」がすぐそばに見えます。部屋に入ると、本間は10畳で書院造り。日本画家安田靫彦画伯の意匠で造られています。広縁からの眺めですが
昭和8年築の古民家にお邪魔しました。築89年、戦前に建てられた家です。ある事情で3年前から空き家となっています。立派な和室があります。戦時中空襲を受けましたが、奇跡的に焼けずに済みました。。焼夷弾が屋根から書院を貫通し、敷台にめり込み止まっています。その尾部が現在も残っています。爆発しないように処理されています。過去、焼夷弾の穴が空いた天井のある古民家は何度か見てきましたが、現物が残っているのは初めて見ました。オーナーはこの建物の解体を考えていますが、残し活用するための素案を提
ひとつ前の記事の入間西洋館を見学したとき、上棟の棟札の写真とともに、西洋館の建築に携わった設計者と宮大工の方々のお名前が紹介されていました。その設計者、室岡惣七(むろおかそうしち)氏の代表的な建築作品として“旧遠山家住宅”というのがあり、案内板によると国の重要文化財にも指定されているとのこと、住所の川島町(かわじままち)はそれほど遠くないし、せっかくのご縁なので早速訪ねてみることにしました。所在地は埼玉県比企郡(ひきぐん)川島町で、入間西洋館からは車で40分ほどの距離です。“旧遠山家住
2層の座敷や縁からの景色を楽しみ、庭を散策する。四阿(あずまや)母家を出て北の庭に行くと、小さな四阿があり、この小窓から見る池の風情もまた違う。四阿の内庭から見る捨翠亭の姿もとてもいい。四阿から母屋を眺める捨翠亭の捨翠(しゅうすい)というのは緑の草花を拾い集めるという意味が込められている。南庭への小径
この捨翠亭は、元は五摂関家の一つだった九条家の別邸として、約200年前に建てられた。主に茶会や歌会などの社交場として利用されたという。北縁と茶室1階に10畳の広間の茶室と、北縁に隣接する3畳中板の茶室があり、この2つの茶室を行き来しながらお茶を楽しんだという。1階10畳の広間数奇屋風の書院造りで2層からなり、外周りは縁高欄と呼ばれる手摺があ
大阪暮らしの今昔館に行ってきました(初めて)。江戸幕府から大工頭として任命された中井家に伝来する茶室起こし絵図(重要文化財)の展覧会(終了済)がお目当て。切り取って組み立てる子供の雑誌の付録と基本は同じ筈。レゴーランドが楽しいオトナにはたぶん楽しい。蔵の老朽化などのために模型は今昔館に移管されましたが、保存方法について先例がなく研究中(そりゃそうや)。【大阪くらしの今昔館】特別展「世界遺産をつくった大工棟梁―中井大和守の建築絵図細見」展示案内(後編)わずか6日間の開催となりました特
あけましておめでとうございます今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。今年もhanaizumiさんのお花を床の間に飾りました。今回はこの床の間に合わせて作って頂きました。お願いして良かったです。金色の菊がゴージャスです。撮影していたら、朝日が床の間の真ん中に当たって何だか良いことありそうな感じがしました。玄関には南天を飾りました。南天の木植えたいなぁ。ポストカードは千住博さんのウォーターフォールです。午後は今年初のもも散歩へ初日の出は見られなかったので初日の入り?晴天で風も
こんばんはいつもお読みくださりありがとうございます金沢の思い出をのほほん綴ってます仕事終わってお家帰るとねむくてなかなか進まないというのが実状です(笑)💦兼六園をぶらりしていて立ち寄ったのが【加賀前田家奥方御殿成巽閣】江戸時代末期、文久三年(1863)に前田家十三代齊泰(なりやす)が母堂にあたる十二代奥方、眞龍院(鷹司隆子)のために造営した奥方御殿公式サイト↓http://www.seisonkaku.com/金沢加賀前田家の奥方御殿成巽閣www.seisonk
カエル姫です。10月は京都づいていました。1週目:京セラ美術館でモダン建築展を見て2週目:蹴上~大文字山~銀閣寺~哲学の道~蹴上に戻るトレッキング3・4週は奈良のコスモスと地元のバラ園最終週は再び京都に戻り銀閣寺~北白川・吉田山に残る京都のモダン建築群を巡るウォーキング京都は見どころ満載です。今はまだ観光客もまばら、歩くなら今でしょということで修学旅行の定番銀閣寺へ久しぶりに行ってきました。絢爛豪華な金閣寺と比較される銀閣寺は近代日本の生活文化の基
SalonediDianaサローネディディアナのkeiです。名古屋へ☆特急ひのとり!の続き初!名古屋城名古屋城徳川家康の命によって建てられた、尾張徳川家の城・名古屋城。その一角をしめる本丸御殿は、尾張藩主の住居かつ藩の政庁として1615年(慶長20)に完成しました。御殿の内部は障壁画や飾金具などで絢爛豪華に飾られ、江戸時代の先端技術を注いだ近世城郭御殿の最高傑作とたたえられるほどでした。本丸御殿へ。。。本丸御殿本丸御殿は、日
ツアーの続きです。御影堂(国宝)浄土宗の開祖法然上人の御影を本尊として安置するので御影堂(みえいどう)。御影堂の読み方は宗派で異なります。上人を祀った須弥壇(しゅみだん)の上には、二重折上小組格天井(にじゅうおりあげこぐみごうてんじょう)という最高の格式。これは天皇、将軍、そして法上人のみが使用を許されていました。とはいえ、上人自身はこの天井の下に座られたことはありません(-_-;)。第7回御影堂の建築様式(2)-国宝・御影堂ものがたり|浄土宗総本山知恩院知恩院は浄
バブル華やかし頃伊丹市が寄贈した日本庭園、今回は市民カード作成で無料で入れたので、また運動がてら暇つぶしに行ってきた。前回は激混みだったので、早朝一番乗り。ここは全て日本人が設計し日本人の手で作られた本当の日本庭園。ベルギー人は私が日本人だと知るとみんな口を揃えて行ってこいと勧める場所である。なんでもこの公園に置かれている石も欧州各地から日本人がヘリコプターをチャーターして上空から探して持ってきたというほどの拘りだったそう。さすがバブル時代、贅沢の極みだ。しかし流石に伊丹市だけで負