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佐藤青南中公文庫2023年7月発行はい、シリーズものの3冊目前回はこちら『98_人格者』佐藤青南中公文庫2022年7月発行続編です。前回はこちら『96_連弾』佐藤青南中公文庫2021年7月発行佐藤青南さん、前回はこちら『91_ハロウィンの花…ameblo.jpこのシリーズ。所轄の担当刑事・鳴海桜子が音楽隊志望(ソプラノ)ということで・・音楽関連の事件がテーマとなっています。1冊目:連弾;ピアノ協奏曲・ピアニスト2冊目:人格者;オーケストラ・ヴァイオリニスト
朝6時の改装中のカインズ前です。今日は立正佼成会創立100周年の記念団参があります。ここから杉並の本部までバスで行きます。出発です。着きました。生きる力は、2000年からの学習指導要領にも使われています。ここが本部入り口です。波羅蜜橋です。波羅蜜は、仏教用語で六波羅蜜からきています。六波羅蜜とは?内容6つと実践方法を簡単に分かりやすく解説六波羅蜜とは、お釈迦さまが一生涯たくさんの善の中で、あらゆる善を6つにまとめられま
こんばんは。紀子です。私が起業しようと思った理由の一つが\自分の人生に夢中になりたい!/その想いの源は学生時代にあります。私は中学・高校6年間、吹奏楽に打ち込んでいました。特に高校時代、朝練は当たり前で休みは月1回という環境。朝一番に手に取るのは教科書ではなく、楽器。もはや学校には勉強ではなく、部活のために行っていたような3年間でした。高校3年のとき、国語の先生に「部活じゃなくて、受験のための補習に出なさい!」と言われたことは、
ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調作品125ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1979,音源:NHK)今日から師走。年末の慌ただしい時季を迎えた。先月、たまたま入手してあった最高のCDを愉しもう。1979年10月21日、今は無き「普門館」で行われた来日公演のライブ録音である。「録音芸術」の面白いのは、往時の空気感までパッケージングされて、たっぷりと残されているところであろう。このCDなどは、ベートーヴェンの音と、カラヤンの音と、ベルリ
神田川沿いを散歩することになり、初めて淀橋に来たかと思ったけどこの看板は読んだ記憶があって、いつここを通ったか、あー、普門館最後の日に、北新宿を通ったコトを思い出し、2018.11.10普門館の宝島を聴きたくなった無性に。誰かれともなく、吹き始めた宝島。この映像がたまらなく心に沁みるんだよね。
ご訪問ありがとうございますこのブログでは『セクシャリティ』『スピリチュアリティ』を高める方法を綴っています『自分』も『相手』も幸せに『愛』も『お金』も自分らしく手に入れたい方に届いたら嬉しいです【初めましての方はコチラへ】※大切なお知らせです【業務連絡】かよからのメールが届かないという方へ突然ですが~「私が初めて奇跡を起こした時のことを語らせて」先日、遠征通院している歯科治療の後・・・ふと思い立って普門館跡地に行ってきました。
みなさんこんにちは😃本日は「カラヤン生誕100周年記念BOX」からDisc7に収録されたムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編)、Disc8,9に収録されたヴェルディの「レクイエム」をみていきます。今回でこのBOXに収録されたCDは全て聴き終えたこととなりますが、歴史的録音であり名演の数々を楽しむことができて感無量だったのは間違いないでしょう。指揮はヘルベルト・フォン・カラヤン、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による演奏です。『第1431回「カラヤン生誕100年記念BOXに収録
みなさんこんにちは😃本日は「カラヤン生誕100周年記念BOX」の続きを取り上げていきます。今回はDisc5に収録されたチャイコフスキーの交響曲第5番、Disc6に収録されたドヴォルザークの交響曲第8番をみていきます。いずれもヘルベルト・フォン・カラヤンとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による演奏となっています。『第1431回「カラヤン生誕100年記念BOXに収録された来日ライヴ:Disc1,2」』みなさんこんにちは😃本日ご紹介していくのは2008年に発売された「カラヤン生誕100年記
本棚の整理をしていて久しぶりに手に取った本です。いつ買ったのか忘れてしまいましたがふらっと立ち寄った本屋さんで平置きされていて、POPに目が留まって選んだ記憶があります。部活時代を急に思い出し、もう一度読んでみることにしました。これまで地区大会からなかなか先に進められない進学校である高校に指導で有名な先生が着任したことをきっかけに本気で全国大会を目指す青春本です。学生時代吹奏楽部だった私はこの物語で描かれる人間模様、学業との両立との難しさ、大会に向ける想
吹奏楽コンクール北陸大会。我が母校はここ3年程、全国大会には出場できていなかったらしく今年こそは。とガンバっているという話は聞いていました。見事、北陸代表に選ばれました高岡商業吹奏楽部。全国大会、復活おめでとう~昔から、高岡商業は全国大会に出るのは当たり前。なので『目指せ、普門館で金賞』これが目標でした。懐かしの今は無き『普門館』野球で言うならば甲子園的な場所です。今は、毎年全国大会の会場が違うらしいです。し
かけがえのない、大切なあなたへ学生時代の夏の思い出、ありますか?・・わたしは、、吹奏楽部の甲子園、【夏のコンクール】でしょうか。毎日、音楽、部活のことしかなかった、中高時代。正直、辛かったことのほうが多かった。。でも、それがあったから、逆に、自由に音楽を楽しむことの大切さをオトナになってから、知ることができたのかもしれない。今ここあなた、いまここ私に、ありがとうございます✨
私が浪人生活を送った1970年、大学生活を過ごした71年から75年、フリーター生活の76年から77年、計8年間にコンサートを見たのはたった3回である。有料は2回で、もう1回は無料のイベント・ライブのようなものであった。これから分かるように音楽は好きだが、コンサートに行くほどまでのファンではなかった。親からの仕送りは最低限の生活費だけなので、小遣いはアルバイトで稼がねばならなかったという経済的事情もあった。したがって小遣いの多くは本の購入(私の最大の趣味は読書)や交際費に充てられ、残った金で
パイパーズ(2022年5月号)パイパース最新号に、この3月に東京佼成ウインドオーケストラを定年退職された小倉清澄氏の記事があり、「佼成の最後の演奏会」をもって、ご自身も「卒業」された、と書いてあった。「佼成の最後」…?と訝って記事を読み進めると、同楽団は2022年3月で母体の立正佼成会から切り離され、自主運営を余儀なくされた、ということのようだった。「楽団として存続するとはいえ、これからはみんな本当に大変です」(同氏)2025年までの3年間は立正佼成会からの援助が続くよ
佐藤あかねです✨初めての方はこちらをどうぞ⭐︎自己紹介⭐︎メッセージやコメントはなるべく返信しようと思います🎵続きです☝️『吹奏楽コンクール課題曲と私【前編】』佐藤あかねです✨初めての方はこちらをどうぞ⭐︎自己紹介⭐︎メッセージやコメントはなるべく返信しようと思います🎵以前ブログで吹奏楽コンクールの課題曲が好きだと…ameblo.jp『吹奏楽コンクール課題曲と私【中編】』佐藤あかねです✨初めての方はこちらをどうぞ⭐︎自己紹介⭐︎メッセージやコメントはなるべく返信しようと思います🎵前
最近、芸術の中でも、写真や絵の方に集中していて、すっかり音楽を聴いてなかったなぁと。普門館のタイルの欠片を見つめながら。テレビのYouTubeで[宝島]を聴くそして、今日は、2014年の長女の高校時代の演奏会のDVDを見て、聴いてずっと泣いている〜。2人の娘達は、どちらも、部活を頑張る子ども達だった。私がそうさせた訳ではない。物理的な世話も、心のケアも、本当に真剣勝負だった。一緒に戦った様な気にさせてもらって、本当に、尊い時間だった。大変だったけど、楽しかった〜。思い
秋晴れの日曜日実家近くのとある場所へここにはかつて「吹奏楽の甲子園」と言われた普門館ホールがありました。(奥の街路樹の向こうにドドーンと建ってたの)ありし日の普門館↓周囲をぐるりと囲む陸橋は、私が子どもの頃の遊び場であり(色々やらかして警備員さんによく怒られた💦)、ぴょんが来てからは思い切り走れる素敵なお散歩コースでした。橋のどん詰まりのちょっとした広場は、ほとんど人の来ない「秘密基地」。ワンコと遊ぶには絶好の場所でした。ここは、ヨタちんの出身保護団体『アイドッグレスキュー隊』の預か
吹部の活動は吹部現役部員が決めるべきで学校理事会が横ヤリ入れるベキじゃ無い。思い出すのだが数年前、熊本の秀岳館野球部が甲子園で勝ち進み、これまた県大会を勝ち進み九州沖縄大会に出れる事になってた吹部に理事会が圧力かけて、九州沖縄大会辞退させて、甲子園の応援させた事があった。今年みたいに、吹部が録音した音源を球場のスピーカーで流すって事で良かったんじゃねーの?野球部の登場の前日が沖縄での九州沖縄大会だったからなぁ。大会辞退までさせなくても良かったんじゃ無いか?少なくとも、コンクールの人数制
阿部一二三、詩選手兄妹で金メダルおめでとうございます※黒猫チャンプさんよりいただきました『でばんなの』音ちゃんガンバレ土曜日に行われた男子ロードレース自転車好き夫がネット配信でずっと見ていました日本代表選手の一人新城幸也さんは長男のロードレースデビューのときの先導者かわいいキッズレースまだ補助輪付いてたしwwwあれから十数年、ずっと応援し続けていますかつてない過酷なコース本当におつかれさまでしたそして数日前から始まった吹奏楽コンクール地区予選中3次男が出
みなさんこんにちは😃本日は以前より気になっていた全集で、ようやく手に入れることができたカラヤンとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のベートーヴェン交響曲全集を取り上げていきます。この演奏は1977年11月13,14,15,16,17,18日の5日間で演奏されたもの。演奏場所はなんと吹奏楽の聖地として親しまれた普門館にてライヴ演奏されました。時期的にいえば1975〜77年にかけて録音されたカラヤンとベルリン・フィルにとって2度目のベートーヴェン交響曲全集と近い時期になります。今回のブログでは2度
かつての全日本吹奏楽コンクール会場だった普門館(東京都杉並区)。2011年東日本大震災を受けての耐震強度調査の結果、震度6以上で大ホール天井崩落のリスクがあることが判明し2012年以降閉鎖され2018年末頃より解体工事が進められてきました。解体工事着手直前はメディアや現地で普門館お別れ関連イベントが開催されたことが記憶に新しいです。普門館が立地している地域の土地用途が準工業地域(普門館建設時)→住居専用地域(現在)に変更されていたためいったん解体した普門館を耐震強度満足させた新普門館として
いい天気に誘われて「デブ散歩」行ってきました。ココって。パチンコ屋さんだったよね「富士見会館だっけ」「カメアリキッズ」と空目(笑)「失礼いたしました」今日の「ドナドナ」「売られて行くの〜」普門館が…。「寂しいよね…」やっと入れるようになりました。「一応公園なのかな」お参りされている方が。「ちらほらと」跡形もなく…。「ブラバンの聖地だったのに」外周の『円』が普門館を思い出させる。「残したんだね…」
いい陽気なので行ってきますよ「デブ散歩」普門館跡地が、凄い事になってる。公園ではないのかな普通の人は入れないみたい。「門が閉まってた」相変わらず凄いね〜。「環七より」看板が消えてる「薬局だったのに」環七の守り神。「ご無沙汰しております」蚕糸の森公園池。「鯉が見えなかった…」蚕糸の森の滝。「写真撮ってる人いた」マタ割き滑り台(笑)「そんな事ばっかり考えている」男のロマン。「金物屋さん」
さんま・玉緒のお年玉あんたの夢をかなえたろうかSPを見てました。この番組、いつも吹奏楽がらみの夢が出てくるんですが、今回も出てきました。昔、吹奏楽の全国大会をやっていた東京の会館がありました。普門会は5000人のお客さんが入ることができます。このホールは毎年、高校や大学の吹奏楽の全国大会を行っていたことから、「吹奏楽の甲子園」なんて言われていたのですが、厳しくなった耐震基準に対応していないために2011年から使用を中止されておりました。耐震基準を満たしたホールに建て替えようとしたとこ
ベートーヴェン:交響曲第1番ハ長調作品21交響曲第3番変ホ長調作品55ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1977,TOKYOFM)令和3年が素晴らしい年となりますように。ベートヴェン生誕251年の今年は、交響曲「第1番」から音楽鑑賞をスタート!ディスクは年末に入手したばかりの、昭和52年11月13日に立正佼成会の普門館(東京・杉並)開催されたカラヤン&ベルリン・フィル来日公演のCDをチョイス。昭和52年といったら、僕は小学2年生。
普門館跡地普門館は取り壊され更地に外壁に使われていた装飾品は門扉に転用これがかつてここに普門館があったことを示す明けの明星がキラリ
末娘のアンコン、初めてのホール練の一部。親バカだけど上手‼️普門館行ったことのある長女も上手い👏と言っているので本当に結構上手なはず中1が主体の金管八重奏トランペット2人ホルン2人トロンボーン2人ユーフォ1人チューバ1人当たり前だけどトランペットは1番キーが高いやつピペポパピパーーーーーーーと鳴ってるの🎺末娘、初めてのアンコン地区大会前でこの出来栄え💕これで子供、5人目の吹奏楽部員!中1でこのくらい吹ける金管八重奏は初めてかも!これから楽し
こんにちは😃こころ池袋治療院の岩﨑です。ウチから見えるところにあった、48年間の歴史ある「吹奏楽の聖地」、普門館の解体工事がとうとう始まりました。20年前に憧れた事を思い出しました😌無くなるのは少し寂しいけど跡地は緑地になるそうなので、楽しみです。
天気もいいので久々に「デブ散歩」行ってみた。ホンに散歩にはいい気候だね〜。暑くもなく、寒くもなく、適度に汗をかく程度大聖堂。とうとう普門館が…。これが目的の一つ。どうなったのか知りたかった。「更地になってしまいました(泣)」猫と犬。「一瞬ビックリ(笑)」今日はココに出た。「あいむらびにっ」和田堀運動公園。「走ってる人多いね」善福寺川。「環七方面を望む」雪谷大塚から、自由が丘を思い出すまっすぐな道。「凄いよね」
普門館跡地完全に解体された整地が行われている
普門館解体建物を支えていた柱の下部だけになってしまう1977年にはカラヤン率いるベンリンフィルの演奏が行われた5000人が収容出来る大きなホール円筒形の独特な建造物だった耐震性の問題で長く使用禁止なり2年程前から解体工事が始まるとうとう解体され無惨な姿となる