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本年の最終日にあたり、アルフォンス・ドーデ(仏)の「最後の授業」(LaDernièreClasse)について書きます。本作品は、1870年7月に始まった普仏戦争の時代に書かれた小説です。普仏戦争は、ビスマルクが率いるプロイセン軍とナポレオン3世が率いるフランス軍が戦い、フランスは大敗を喫します。パリは陥落し、ナポレオン3世は捕虜となってしまいました。その後、両国間で講和交渉が行われ1871年5月に、フランクフルト講和条約が成立します。その結果、鉄鉱石と石炭資源が
天気予報を見ると,最高気温が10℃を下回る日がチラホラ。寒くなってきましたね。ただ,今宵の我がリスニング・ルームは灼熱の極み。ミュンシュ/フランス国立管によるルーセルの交響曲第3番(1964年エディンバラ音楽祭ライブの記録)が鳴り響いてるから笑。シャルル・ミュンシュと言えば,20世紀中頃に活躍したフランスの指揮者なんだけど,長い指揮棒をブンブン振り回す豪快な指揮ぶりから,血沸き肉躍るって感じの情熱的な音楽を生み出すと言うスタイル。フランス人ながら,あんまりフ
家計の足しにと始めた造花作りが足しどころか自活した有名アーティストになるのが凄いわ…父親を反面教師にしたのかしらね…#Emilia#Emma#Fürstenhoff#Lindegren#似顔絵#30秒#エマ・フュルステンホフ#スウェーデン#パリ#造花#造花アレンジ#アーティスト#展覧会#工房#養子#貴族#アトリエ#芸術家#雇用#日曜学校#ワックスフラワー#ロンドン#サンクトペテルブル
バーデン大公国では、普仏戦争以降に軍人協会と兵士協会が沢山設立されたそうです。この記章も25、40、50とその会員年数を示すものが存在するようです。キフホイザーバンド(退役軍人協会)に加盟した際には、1386のクラブと13万人の会員がいたそうです。その為、一定の独立性を加入後もたもっていたそうです。中央のフリードリヒ1世の紋章がいい。でも25年以上のものを探す気力はないかな。
2025年8月21日エミールガレ(1846-1904)の生きた時代は、産業革命を経て、さまざまな分野において、すさまじい進歩を遂げた時代でした。そういう流れの中、万国博覧会とは世界一の技術や、未知の世界(日本も)の珍しいものを競って発表する場・・・そこで、大流行したのがジャポニスム。日本っぽいデザインを取り入れる。これ!左は日本の備前焼の手あぶり(獅子の口の中に炭を入れて暖を取る)右、この実物を所有していたというガレのジャポニスム、ガラス作品。新収蔵だって。すごい。よくぞ手に入
7月19日の出来事970年(天禄元年6月14日)祇園祭が初めて官祭として実施。以降毎年行われるようになる。1333年スコットランド独立戦争:ハリドンヒルの戦いイギリス王エドワード三世がスコットランド王位請求者エドワード・ベーリアルを支援してスコットランドへ侵攻して起きたスコットランド王位をめぐる決戦の一つ。スコットランド軍は大損害を被り、イギリス王軍の勝利。1864年(同治3年6月16日)太平天国の乱:曽国藩が天京(南京)を占領し、天京攻防戦
「ナチスに挑んだ女」(原題:MademoiselleFifi)「ナチスに挑んだ女」全編1944年7月28日公開。普仏戦争での男女の出会いを描く。モーパッサンの代表作の映画化。原作:ギイ・ド・モーパッサン「マドモアゼル・フィフィ」脚本:ジョセフ・ミッシェル、ピーター・ルリック監督:ロバート・ワイズキャスト:シモーヌ・シモン:エリザベス・ルセ(小さな洗濯婦)ジョン・エメリー:ジャン・コルヌデカート・クルーガー:フォン・アイリック中尉(通称「マドモ
2025年5月8日エミールガレの代表作「フランスの薔薇」(北澤美術館所蔵)について話します。フランスは、普仏戦争で敗れ、ドイツと接するメッス、サン=カンタン山の領土を奪われた。だけど、ドイツ領になってもなお、「フランスの薔薇」"Rosagallica"という名の原生種の薔薇が咲いている・・・ガリカというのはフランスの古い呼び方、ガリアに由来するらしい。それを表現したのがこの作品で、原生種の(品種改良される前の)薔薇が表現される。表側の華やかに見えるかもしれない、この薔
普仏戦争からパリ・コミューンまでを描く昭和アニメの異色作品「巴里のイザベル」1巴里のイザベル1979年4月キリン名曲ロマン劇場全13話東京12チャンネル1870年普仏戦争からパリコミューンまでのパリが舞台にとりドイツ軍によるジェノサイトから始まってフランス人によるジェノサイトで終わるという少女アニメとは思えない容赦ない内容だから鑑賞する方は覚悟してみてね~キャラクターの相関図主人公イザベル15才。お転婆なお嬢様、しかも美少女剣士を名乗
普仏戦争に勝利してドイツ帝国を建国したビスマルクは、フランスの復讐を回避することに腐心する。特に、仏露の同盟の阻止には血道を上げた。だから、独墺伊三国同盟を基礎とし、独墺露の三帝同盟、英墺伊の地中海協定など、複雑極まりない同盟網を構築した…この通説、概ね正しいと思います。当時のヨーロッパでは、フランスに加え、英露独墺伊が大国と見なされていました。(イタリアに大国としての実力があったかどうかはともかく、そう振舞っていました。)ビスマルクは、イタリアを含めて5大国の同盟網を構築し、フランス
フランスの歴史を再開します。時代は1868年、もはやフランスの外交官、ロッシュが肩入れしてた旧幕府軍への掃討戦と化していた戊辰戦争のさなかに、ロッシュは更迭されました。フランス帰国後は外交官を引退します。なお、なお、軍事顧問団は本国フランスより、解散命令を受けていましたが、ジュール・ブリュネ大尉らはフランス軍隊を捨てて、榎本武揚とともに五稜郭まで一緒に戦いました。映画『ラストサムライ』のモデルとなった人物です。映画『ラストサムライ』はくだらない映画でしたから、どうでも良いのですが、当の
『早稲田大学オープンカレッジ春期申込み講座全部当選:❗』『早稲田大学オープンカレッジ春期パンフ到着❗』早稲田大学オープンカレッジ4月開講春講座のパンフが送られて来ました❗。同校には、昨年の7月開講夏講…ameblo.jp『平松洋先生「印象派展で辿る画家たちの真実」第1回❗』2月28日の記事『早稲田大学オープンカレッジ春期申込み講座全部当選:❗』『早稲田大学オープンカレッジ春期パンフ到着❗』早稲田大学オープンカレッ…ameblo.jp『平松洋先生「印象派
昨日は38年ぶりのアレのアレで大盛りあがりでしたね。阪神ファンあるあるですが,阪神が強くなったらどっからともなく阪神ファンって溢れかえるんですよね(笑)それも阪神タイガースの魅力の一つなのかもですね。さて今回は,昨日話題となったプロイセンのお話。高校では世界史選択してたのにプロイセンのことはほとんど知らなくて普仏戦争に勝ったぐらいしか知りませんでした。昨日高校生にいろいろ教えてもらったのですが,元々はドイツ騎士団だったんですってね。しかもそのドイツ騎士団というのも巡礼するキリ
今日から竜王戦が始まりました。20歳同士の同級生対決ということで話題となっています。どういう決着がつくのか楽しみですね。さて今回は,昨日の続き。不屈のフランスのお話。今日はまずは,普仏戦争。プロイセン(ドイツ)とフランスの戦争です。おそらくドイツは神聖ローマ帝国をフランスに潰されたことを相当根に持っていたのでしょうね。どうにかしてフランスにやり返したい気持ちが強かったのではと,戦争後のドイツの行動をみると想像できます。で,この普仏戦争ですが,あることで有名な戦争です。そ
昨夜に続き、今夜もフルーティストがソリストの定演。今夜はエマニュエル・パユ。シュレキーテ読響とサン・サン《オデレット》&《ロマンス》、シャミナード《コンチェルティーノ》。パユがルルーパリ室内管と録音した、MozartandFluteinParisと題するアルバムからの選曲。サン・サン(1835-1921)の2曲をオケ伴で聴く機会は貴重です。《オデレット》は亡くなる1年前の作品(約8分)。どこか寂し気で趣があります。OUTNOW!✨@EPah
砂漠の井戸に毒を入れるのは鬼畜だわ…毒を盛るのは某国がやりそうな手口…と思いきやこの国にもいたわね…カレーに盛ったおばさんが…#Adrian#Dietrich#Lothar#von#Trotha#似顔絵#30秒#ドイツ#軍人#アドリアン・ディートリヒ・ロタール・フォン・トロータ#義和団の乱#ヘレロ・ナマクア虐殺#ナミビア#マジ・マジ反乱#普仏戦争#普墺戦争#ドイツ領南西アフリカ#民族浄化#ホロコースト
昨日の夜は『QED』と『ないない堂』の新刊を堪能しました。やはり面白かったです。もう次が楽しみでなりません。さて今回は,昨日話題となったフランスのお話。おしゃれなイメージがあるフランスですが,実はかなりしたたかな国だという話をしてました。話題の発端は普仏戦争でのドイツの振る舞い。勝ったプロイセンの宰相ビスマルクはプロイセンをドイツ帝国にさせた名宰相ですが,このときのビスマルクはやりすぎました。ドイツ帝国樹立の際,ドイツ皇帝の戴冠式をこともあろうにフランスのベルサイユ宮殿
これは1870年のフランスから日本宛ての郵便物です。これを見ますと、星形の消印で面白いなとは第一勘。そして「ParBallonMonte」の文字です。この時、普仏戦争の最中でパリが包囲されていました。ですので敵の包囲網から逃れるためにパリからの郵便物は気球にて運ばれたのです。横浜宛てで横浜に着いた後に受取人がフランスに居るということでマルセイユに転送されてます(その到着印あり)。郵便制度の真面目さには脱帽します。このSiegelオークションはLiveで眺めていたのですが、どんどん上がっ
フランスと聞いて思い浮かぶのは?プライドは高いが、戦争に弱いというイメージです。フランス革命後、ナポレオン1世の治政下、一時的にヨーロッパを席捲しましたが、ロシア遠征で失敗しました。復活しますが、ワーテルローの戦いに敗れ、大西洋の孤島セントヘレナに流されて死亡しました。甥がナポレオン3世になりますが、普仏戦争に敗れて失脚します。その後のヨーロッパはイギリスとドイツ(プロシア)が覇権を争い、フランスはパッとしません。第一次世界大戦、第二次世界大戦ともに、フランスは戦勝国になりました。
ナンシーからアルザスを越えてライン河を渡り、ドイツの国境の街ケールに翔びます。以前にもこの街の画像で記事を書いたことがあるのですが、改めて詳しく調べてみました。画像のモニュメントは1870年から71年の普仏戦争の際、ストラスブール包囲戦に参加した27人のケール出身のドイツ兵を記念したものです。前面の女性像はドイツ語でMutterKinzigと呼ばれています。Kinzigキンツィヒとはライン河の支流の川名で、ケールの街のそばを流れています英語ではマザーキンツィヒということで、日本語なら
色々想像できる面白い構図のサロメ…何なら私が切るけど?にも見えるのがカワイイ顔して…だわね#Alexandre#Georges#Henri#Regnault#似顔絵#30秒#画家#フランス#アレクサンドル・ジョルジュ・アンリ・ルノー#ルニョー#オリエンタリズム#サロン・ド・パリ#ローマ賞#普仏戦争#戦死#エコール・デ・ボザール#留学#旅行
「オフィサー・アンド・スパイ」を観てきました。ストーリーは、1894年、ユダヤ系のフランス陸軍大尉ドレフュスが、ドイツに軍事機密を漏洩したスパイ容疑で終身刑を言い渡された。対敵情報活動を率いるピカール中佐はドレフュスの無実を示す証拠を発見し上官に対処を迫るが、隠蔽を図ろうとする上層部から左遷を命じられてしまう。ピカールは作家ゾラらに支援を求め、腐敗した権力や反ユダヤ勢力との過酷な闘いに身を投じていく。というお話です。1894年、フランス。経済的に余裕が出てきたフランスは、
たぶん空想で描いてたんでしょうけど…この時代若いご婦人が戦争画を描くとは周りは驚いたでしょうね#Lady#Butler#Elizabeth#Southerden#Thompson#似顔絵#30秒#スイス#画家#エリザベス・トンプソン#イギリス#戦争画#ロイヤルアカデミー#普仏戦争#クリミヤ戦争#絵画#油絵
日本では明治政府が手探りで国づくりを模索していた頃、ヨーロッパではビスマルクがドイツ統一の総仕上げをにかかっていました。1870年、スペインのブルボン家で後継者問題が起こった時、プロイセンのホーエンツォレルン家が次期国王を送りこむという話が持ち上がりました。結局これは流れ、ホーエンツォレルン家はスペイン王位を望まないことで譲歩しました。スペイン王家は旧フランス王家の分家である、ブルボン家が継ぐことで合意したのです。ところが何でも利用するビスマルクはこれを大騒動にします。7月13日、この問題に関
(テスト版投稿)上海の儀鳳門で1870年代に撮影されたとみられている。上海の城壁は明代(1368-1644年)中期に倭寇対策として建設された。門出入口の周囲の壁には、告示や広告が貼られている。荷運びの一輪車と車夫の姿もある。儀鳳門は大西門とも呼ばれた。現在では老西門と呼ばれることが多い。老西門周辺にはレトロな街並みも多いが、再開発としてマンション建設も進められている。【1870年代の出来事】1870年普仏戦争が勃発(欧州)1871年普仏戦争でフランス敗北、ド
上海の儀鳳門で1870年代に撮影されたとみられている。上海の城壁は明代(1368-1644年)中期に倭寇対策として建設された。門出入口の周囲の壁には、告示や広告が貼られている。荷運びの一輪車と車夫の姿もある。儀鳳門は大西門とも呼ばれた。現在では老西門と呼ばれることが多い。老西門周辺にはレトロな街並みも多いが、再開発としてマンション建設も進められている。【1870年代の出来事】1870年普仏戦争が勃発(欧州)1871年普仏戦争でフランス敗北、ドイツ帝国が成立(欧州)
1870年9月3日、普仏戦争でメス攻囲戦が始まった日。普仏戦争は、フランス第二帝政期の1870年7月19日に起こり、1871年5月10日まで続いたフランス帝国とプロイセン王国の間で行われた戦争である。普仏戦争は明治の日本陸軍に大きな影響を与えた戦争であり、日本はフランス式からドイツ式の軍隊へ変換させた戦争である。プロイセンは北ドイツ連邦のみならず、南ドイツのバーデン大公国・ヴュルテンベルク王国・バイエルン王国と同盟を結び、フランスに圧勝した。この戦争を契機に、すで
ドーデの短編小説「最後の授業」何も知らないで読むと、何て感動的な話だろうと思ってしまいます。ところが、私には、あれ?という疑問点があります。最大の疑問は、次の点です。普仏戦争でフランスが負け、アルザスは、プロイセン領になり、ドイツ語しか教えてはいけないことになり、フランス語の授業はこれが最後になった、というのは事実でしょう。でも、そのことに生徒たちが激しい衝撃を受けたというのは、本当でしょうか?というのは、アルザスは、もともとドイツ語圏にあって、人々はドイツ語の方言で