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そうそう12/26が仕事納めで9連休中なんか年納めって感じではなく最後までいろいろある年でしたわぁーーー晩香廬歴史的建造物落成から100年、渋沢栄一翁が愛した名建築「晩香廬(ばんこうろ)」|事業トピックス|清水建設1917(大正6)年に清水組(現・清水建設)が、渋沢栄一翁の喜寿のお祝いと長年の恩顧に対する感謝を込めて贈った「晩香廬(ばんこうろ)」は、国の重要文化財に指定され、落成から100年を迎えてなお、訪れる人々を魅了し続けています。www.shimz.co.jp清水建設が
そう。あの、新1万円札の。渋沢資料館に行ってきました。南北線の西ヶ原駅で降りて、「文化ロードMAP」を見ながら、まずは、「東京ゲーテ記念館」へ、そして、七社神社へ。私利私欲まみれの俗念をお願いし、「渋沢資料館」へ。2次元化?した渋沢さんたちにも会い、大正建築の「晩香廬」「青淵文庫」を訪れました。ただ、暑い。蒸すねぇ。
渋沢史料館のチケットで、この青淵文庫と晩香廬という二つの建物にも入れます。前回もここで写真を撮りましたが(↓)、中には入りませんでした。『4737.アボカド和風ハンバーグ丼@研究所』後ろの桜の木があるところは西ヶ原の一里塚。日光御成道の日本橋から二里目に当たります。都内で唯一江戸時代から同じ場所に残っている一里塚です。ちなみに一里目は…ameblo.jp青淵文庫の中はすごくきれいに改修されていました。傘寿(80歳)と子爵昇格のお祝いに竜門社(現・公益財団法人渋
4月19日(土)の東京さんぽ。東京タワーさんと会ったあと地下鉄で東京の北へ移動し現在の1万円札の肖像である資本主義の父渋沢栄一ゆかりの地へ。「喜賓会」は1893年(明治26年)に発足。外国人観光客の呼び込みや旅行者支援を目的とした活動を行った非営利団体。19年間ゴージャスに展開されたが資金難で1914年(大正3年)に解散する。「おもてなし」の起源?東京都北区飛鳥山の一部この辺一帯渋沢邸だったよう。「渋沢史料館」渋沢栄一が行ってきた功績を詳細に展示してあ
後ろの桜の木があるところは西ヶ原の一里塚。日光御成道の日本橋から二里目に当たります。都内で唯一江戸時代から同じ場所に残っている一里塚です。ちなみに一里目は本郷追分。ランチは榎本ハンバーグ研究所に来ました。前回は名物のしるばーぐを食べました。(↓)『4241.しるばーぐ@ハンバーグ研究所』散歩の途中にあった木造の二階家。建物そのものにも注目ですが、驚いたのが壁。というか、壁画。ヨーロッパ風の家並みの図柄がなんとも似合わない。そのご近…ameblo.jp
今日は、昭和記念公園に1人で行ってきました。土曜日で、桜も見納めでチューリップも見頃なので、超混んでいました。開園9時半と同時に園内に入って、13時半位までいて行きたいところはピックアップしてたので、とても楽しく散策できました♪今回も、飛鳥山公園の続きです新緑がお日様に輝いてとっても綺麗でした青淵文庫(せいえんぶんこ)国指定重要文化財です。旧渋沢家飛鳥山邸は、渋沢栄一の傘寿と子爵への陞爵を祝して贈呈された小図書館で、大正14年造られたそうです。茶席門跡お客さんに待っ
数年ぶりに訪れた渋沢栄一関連の渋沢史料館は、以前よりも見せる工夫が随所にうかがわれ、これぞ新札の顔の矜持、と思わせました。(2024年10月10日ブログ)そんな新たに加わった説明展示のなかで目を引いたものがあります。それは、建物の設計者に関する資料です。いつの間にかこんな頭部像まで加わっていました。渋沢栄一の記念建築に深く関わった田辺淳吉の像です。飛鳥山にある晩香廬と青淵文庫は、ともに田辺が手掛けています。解説にはこんなくだりがー:「初の作品、大阪瓦斯株
おはようございます、永島恵です。ブログに訪問頂きありがとうございます😊今日はこちらの記事の続きです↓『10月秋の三連休②:旧古河庭園へ』おはようございます、永島恵です。ブログに訪問頂きありがとうございます😊今日はこちらの記事の続きです↓『10月秋の三連休①:六義園へ』おはようございます、永島…ameblo.jp旧古河庭園は上中里駅が最寄り駅…王子駅がすぐ側だと気付きました。王子駅と言えば渋沢栄一です!因みに「論語と算盤」を買って読みました。王子駅にある飛鳥山は、渋沢栄一が壮年期か
渋沢栄一史料館の入場券を買うと、道を挟んだ場所にある青淵文庫と晩香廬(ばんこうろ)というかつての渋沢栄一氏所有の建物を見ることができます。青淵文庫はステンドグラスが有名なので何度か写真も入れましたが、晩香廬の内部の写真はこれまでほとんどアップしていなかったかと思います。こちらも青淵文庫同様よそさまからの頂き物。渋沢栄一の喜寿記念として、お抱えの清水組(いまの清水建設)から授与されました。落成は1917年。用途は洋風茶室だったと聞きますが、現在の姿を見るにつけ、応接用の施設といった感
#飛鳥山公園#王子#あすかパークレール#アスカルゴ#紙の博物館#北区飛鳥山博物館#渋沢史料館#青淵文庫#晩香廬東京都北区王子1-1-3北区立飛鳥山公園に行ってきました。園内には、飛鳥山3つの博物館(飛鳥山博物館、紙の博物館、渋沢史料館)があります。広場には、お城の遊具、都電・蒸気機関車の展示があります。旧渋沢庭園には、青淵文庫と晩香廬があります。お問い合わせ/03-5980-9210ホームページ/https://www.city.kita.tokyo.jp/
飛鳥山3つの博物館その一つ、近代日本を創ったリーダー・渋沢栄一の志を伝え続ける博物館に行ってきました。旧渋沢庭園に残る大正期の2棟の建築物。「晩香廬(ばんこうろ)」と「青淵文庫(せいえんぶんこ)」がありました。晩香廬は、渋沢栄一の喜寿を祝って現在の清水建設(株)が贈った洋風茶室。国内外の賓客を迎えるレセプション・ルームとして使用されました。埼玉の偉人「渋沢栄一」から学ぶこと多くあり。著書『論語と算盤』のなかで、逆境を乗り越
青淵文庫に続き、同敷地内の晩香廬(ばんこうろ)にも立ち寄りました。こちらも青淵文庫同様、国指定の重要文化財となっています。ちょっと和風の小ていな佇まいです。しかし、渋沢栄一ともなるとすごいものです。喜寿の祝いに当時の清水建設からこの建物をプレゼントされたというのですから!よっぽどのお得意様だったのでしょう。え?そんなあ、いいのにぃ~いやいや、普段からお世話になってるんですから、これくらいのことはさせて下さいよぉ。みたいな会話が有ったのか無かったのか笑1917年築
映画も一応観てはいるんですが、9月1日までの限定ということで、しばらくはこっちにおつきあいください震災も空襲も乗り越えた100歳以上の建築物は歩いて見つけるのも、写真から見つけるのも、無理そうなので不本意ではありますが、ネット検索することにしました。東京都選定歴史的建造物一覧|東京都都市整備局www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp「東京都選定歴史的建造物」の最初のページを貼らせていただきましたが、やっぱり、震災後の大正末~昭和の初め
本日は、猛暑の中、久しぶりに旧古河庭園及び旧渋沢庭園に行ってきた。まずは、旧古河庭園。上中里駅から歩く。蝉坂正門旧古河邸バラ園は、何も咲いていなかった。庭園心字池それでは戻って邸内を見る。玄関邸内は撮影禁止。仕方がないので、公式サイトから画像を引用する。撞球室サンルーム書斎応接室大食堂大階段客間居間仏間浴室旧古河邸は、大正6年(1917年)5月竣
旧渋沢庭園は、渋沢栄一が1879(明治12)年から亡くなる1931(昭和6)年まで、初めは別荘として、後に本邸として過ごした「曖依村荘(あいいそんそう)」とよばれる邸宅跡です。往時は8470坪(約28,000㎡)の敷地に日本館と西洋館からなる本館をはじめ色々な建物が存在しましたが、その多くは1945(昭和20)年の空襲で消失しました。飛鳥山からは、渋沢栄一が設立に尽力した王子製紙(設立当時は抄紙会社)の工場を眼下に見守ることができます。青淵文庫(せいえんぶんこ)です。渋沢栄
前回の記事の続きです。『冬のプチお出かけ〜飛鳥山公園〜その1』インドア派の引きこもり体質なので通勤と買い物以外のお出かけは普段滅多にしないのですが、今年は正月休みが長くてずっと引きこもるのも不健全だという人として真っ当な…ameblo.jp渋沢史料館の資料展示以外の大きな見所ですが、実は展示室のある本館の他に大正期の建物「晩香廬」と「青淵文庫」が公開されていて中を見学することができるのですよ!いずれも国指定重要文化財となっています!晩香廬(ばんこうろ)1917年に
2022/12/22俳句の仲間とどこかに行こうと、飛鳥山公園へ。ここには渋沢栄一の住んでいた渋沢邸跡地で、史料館があり、また書庫や洋風の茶室が残っていて見学できます。史料館青淵文庫晩香盧(洋風茶室)渋沢栄一推しの自販機お庭を散策冬桜冬の雨の日、花も紅葉も凍えている。
北区の旧村の鎮守さま巡りに行った際に飛鳥山公園に立ち寄ってきました(^○^)飛鳥山公園には、最近ブームになった新一万円札の渋沢栄一の資料館があるので行ったんですけど、行った日は臨時休館していたので旧渋沢庭園に残っている2棟の大正期の建築物「晩香廬」と「青淵文庫」の外観のみの見学となってしまいました(^_^;)芝生の庭園や趣のある建物を背景にしてそれなりの写真は撮れたと思います(^-^)渋沢資料館については私の説明よりも↓こちらをご覧ください(^o^)https://www.shib
国立西洋美術館東京都台東区上野公園7-7東京国立博物館は何度か行ったことありましたが、こちらは初リニューアルオープン記念の「自然と人のダイアローグ」ロダン作:カレーの市民東京にしては並んでる人少ない。中に入ると、そんなことなかった、皆さん前もってチケット購入済みのようです。どうせ写真は禁止だろうとロッカーに荷物(スマホも)入れて手ぶら見学しまったー‼️(´д`ι)結構写真OKのもありました悔やんでも後の祭りパンフレットに載ってた代
この前の渋沢栄一を感じる小旅から数週間本当は8日の予定だったけど、行けなくてキャンセルが出てたので日改めて事前予約取って15日に渋沢栄一資料館と青淵文庫と晩香盧の見学へ最初は資料館から。今は企画展の渋沢栄一から妻千代への手紙が開催されてて渋沢栄一が妻、千代への送った手紙が展示されてました。見たいと思ってた企画展だから行けて良かったフランスからだったり節目節目に沢山手紙を送っていて本当に文を書くのが好きなんだなっていうのが垣間見えて、青淵文庫の中の展示でも文章書くのが好きで書いてる間
『渋沢×北区青天を衝け大河ドラマ館ついに私は』眞子さんと圭さんの結婚記者会見見ました。私はこれでちゃんちゃん!と思いました。深窓の姫君だと思っていた眞子さんが、反対勢力に挑むように堂々としていたのに拍手。…ameblo.jp『孫守りはつらいよ渋沢栄一と飛鳥山公園東京都北区』午前中、長女は買い物に行きました。抱かないとぐずるベビーをあやしてトイレにも行けずお腹もすいて、ワタクシもイライラ。いつまで買い物してんねん東京のベビーファー…ameblo.jp北区の飛鳥山公園にあ
江戸の時代の天保に生まれた、渋沢榮一邸です。渋沢榮一氏は、位階勲等爵位は正二位勲一等子爵今年の公共放送のドラマの主人公でもある話題の人物です。実業家で、近代日本資本主義の指導者でもあり、初代紙幣頭僕は、ドラマに描かれた渋沢榮一氏のお話は、見ていないので、どんな脚本で描かれているのかは知らないのですが渋沢栄一氏は、以前から日本人の中で私が尊敬している人物の一人です。今回偶然ですが、この渋沢榮一氏の旧邸跡を訪れることになりました。
急に出かけることになった飛鳥山予習する間もなく帰宅してから資料を読んだのでDEEPな散策は出来ずに残念でした。大河ドラマ館を出たあとお昼はとっくにまわっていたのでどこかで食事を、と思っていましたが飛鳥山から離れたらもう戻らないと思い先に散策をしましょう、と。渋沢×北区飛鳥山おみやげ館の前にあった自販機。するとキッチンカーがあったのでこちらでいただくことにしました。主人はしぶさわサンドイッチ厚切りベーコン🥓にミートソース渋沢翁が大好きだったオートミールなどが入って
晩香廬を見つめる渋沢栄一像赤バラ柄もこもこワンピ
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旧渋沢家飛鳥山邸晩香廬ショート丈Tゴシックミニ
渋沢史料館一日遅れのUPになってしまいましたが、昨日、飛鳥山公園内の渋沢史料館に行ってきました。事前予約制なので、少人数でゆっくり観られました。渋沢庭園内の国指定重要文化財「晩香廬」、「青淵文庫」は、外からは誰でも見られますが、予約すると中を見学できます。渋沢邸は、王子製紙の工場近くの別荘で、多くの要人達を招いていたようです。奥さんの千代さんは大変だったでしょうね。史料館には、渋沢栄一91年の生涯と、妻千代に宛てた手紙が展示されていました。渋沢栄一の業績の陰には奥様の内助の功
現在の飛鳥山公園の一角に、渋沢栄一が1879(明治12)年から亡くなる1931(昭和6)年まで、初めは別荘として、後に本邸として過ごした「曖依村荘(あいいそんそう)」とよばれる邸宅がありました。約8000坪の敷地に日本館と西洋館からなる本館をはじめ茶室、文庫など色々な建物が存在しましたが、その多くは1945(昭和20)年4月の空襲で消失してしまいました。現在「旧渋沢庭園」として一般開放されています。⾶⿃⼭の邸宅は単なる私邸にとどまらず、多くの賓客を迎える接待の
今日から新しい大河ドラマがはじまるのですね。3年前からぷっつりと見ておりません。理由は…、またの機会に(苦笑)。大河歴は長く…、第6作目・昭和43年(1968)の「竜馬がゆく」あたりからうっすら記憶。第13作目・昭和50年(1975)の「元禄太平記」などは、石坂浩二さん演じる柳沢吉保の不敵な笑みを真似してみたり(笑)。第14作目・昭和51年(1976)の「風と雲と虹と」は加藤剛さん演じる平将門の荒々しさの中にも清々しさを記憶。大岡越前役
飛鳥山公園の南側は日本の近代経済社会の基礎を築いた、渋沢栄一の自邸があったところです。現在は、北区飛鳥山博物館、紙の博物館、渋沢栄一史料館の3博物館が建っています。そのうち、渋沢栄一史料館を見学しました。玄関横には、存在感のあるこんな石像がありました。渋沢栄一は2024年に発行される1万円札の表の図柄に決まりました。経済界、実業界では初めてだそうですね。渋沢栄一は生涯に約500の企業の育成に関わり、同時に約600の社会事業や民間外交に尽力したと書かれています。