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藤原兼通(カネミチ)は右大臣・師輔の次男、伊尹(コレタダ)の同母(藤原経邦の娘・盛子)の弟、三男・兼家(カネイエ)も同母で、二人の昇進争いは苛烈を極めた。伊尹が病に伏し、危篤に陥って辞意を示す上表を行ったが、それを知った兼通と兼家は早くも次の日には円融天皇の御前で後任を巡って口論を始めた。兼通は、天皇が幼い頃に亡くなった母后の安子(同母妹)から受けた書付"将来、摂関たることあれば、必ず兄弟の順序に従って補任すること"を見せ、円融天皇は亡き母の遺命に従うこととしたと云う。