ブログ記事221件
昭和の時代に放送された特撮ドラマを年毎に取り上げ僕の独断と偏見でトップ3を選ぶ昭和特撮ドラマシリーズですが今回は1972年(昭和47年)からの出題です。前回の昭和特撮シリーズでは1970年(昭和45年)と1971年(昭和46年)を合算して出題するほど意外と番組数が少なかったんですが今回調べてみると1972年(昭和47年)に放送が始まった特撮ドラマは16作品もあった。同年に僕は小学校3年生になるのですが1960年代がテレビアニメや特撮ヒーローの草創期だとしたら1970年代に
ロレックスレディース金無垢18KYGRef.38101972年希少ローマダイヤル18金無垢ROLEXチェリーニアンティークヴィンテージイエローゴールドK18YG1972年昭和47年ウォッチ12時位置の立体的な王冠マークが入る光の表情も楽しめるシャンパンゴールドダイヤルは放射状のローマンデックスも魅力的でこのモデルの中でも希少なタイプ。この時代のヴィンテージウォッチとしてはやや存在感あるサイズ感も良い感じです。全体的な雰囲気もとても可愛らしさもある女性らしい逸品
前頁友ガキ・舟木『二人で唄った刑事君』の、エピローグである因果ツジ病院で見舞した時、、彼の顔を見た。それは、3年前の祖母と同じ顔をしていたのである。「嗚呼、死相が出ている。もう・・助からないだらう」・・その時、そう想った。病院は学校の傍に在る。にもかかわらず、私はその後見舞に行かなかった。哀しい想いをするのが堪らなかったのだ。見舞から一週間、4月14日(金)友ガキ・舟木は力尽きた。『金縛りの夢』・・から、二週間。たった二週間である。まさに、あっという間の
17歳で逝った友ガキ・舟木伸次・・為にぞ唄う♪こんな小さな命だけれど賭けてさすらうコンクリート・ジャングル埃まみれの巷の風がいつか馴染んで懐かしい俺も人の子涙はあれど泣いちゃならない刑事君♪♪義理も捨てたし人情さえも捨ててさすらうコンクリート・ジャングル嘘でかためた都会の夕陽他人同士になぜ赤い遠い汽笛はふるさと列車呼んでいるのか刑事君『コンクリート・ジャングル』TV映画『刑事君』主題歌主演、桜木健一昭和46年(19
「池下先生なんか、この成績で、何で、設計事務所へ行きたいといっているのか、・・と云っているが、大丈夫だ、心配するな、行かせてやる」・・・リンク・人は、こうして人生を選択する卒業設計私の『設計事務所入り』の希望を推して呉れた担任・木全先生。「卒業設計で頑張った」此が、説得の決め手になった。・・と云う。さて斯の『卒業設計』・・とは、如何なるものか。敷地の選定課題広島市内全域を再開発事業地として、各自、設計する建築物を下記から選定し、『会館ホ
ナイーブで豪快!大型新人・村野武範の不思議な魅力――。昭和47(1972)年2月20日(日曜)、村野武範主演の青春ドラマ飛び出せ!青春(日本テレビ)の番宣広告。世は前日に勃発したあさま山荘事件の行方に固唾を飲んでいる時。そんなタイミングで「レッツ・ビギン!」を合言葉としたドラマが始まったということになる。この『飛び出せ!青春』は昭和末期まで、「再放送の王様」なんて異名を取っており、夕方4時台をはじめ、テレビ東京の午前中、日本テレビの深夜帯と昭和末期まで(再)が繰り返されており、現在
この愛に生きて内山田洋とクール・ファイブ前川清が激しく身を焦がす不倫ソング他のムード歌謡コーラスとは一味違う(?)男らしさが魅力のクール・ファイブ特にこの曲は、男・前川清が許されぬ愛を激しく唄います「この愛に生きて」youtu.be/fnP_N7z5IAs?si=K8FUKvbCM0jFLNkPこの愛に生きて昭和47年(1972年)♪あの人を愛してはいけないと云われ旅に出て忘れようと悩んでもみたが思いきれぬ恋よ雨の街で人目しのんで愛をつげたあとのしあ
教壇前に立ったリーダー格が怒鳴った。「弁当、ヤメーッ!!」機先を制された吾々は、慌てて弁当を片付けた。「今から、校歌を教えてやる!先に唄うからよく聴いとけッ!!」・・そう云って、上級生全員で大声を張り上げて唄い出したのである。♪ヨドノカワモニハナカゲウツリテユウユウタルナガレメグレタリソノナモユカシキワガミヤコジマフルキデントウカガヤクレキシミヨワガボコウノスガタヲ♪窓も開いていない密閉されたテキンコンクリート造の教室、そんなところで、40名が、ありったけの声を
acupofを、使って英文を作れ・・と昭和47年(1972年)高校三年生の英語の授業でのこと、私は、黒板に白墨(チョーク)で以て、英文を書いた。Idrinkfourcupsofcoffeeaday.ところが、英語の水原先生、それは駄目だと云う。・・?・・何処か間違った・・「そんなにコーヒー飲んだら体に悪い」「一日、4杯飲んだら死ぬぞ」「コーヒー飲むなら、一日一杯(だけに)しなさい」・・と。私は、寝る前にコーヒーを飲むと
ヤングおーおー齋藤アナ、横山やすし、笑福亭仁鶴、桂三枝、西川きよし「昨日のヤングおーおー見たか」「おー、見た、見た」「機械化の三好が出とったやろ」「出とった、出とった、あいつよかったなぁ」「俺はその会場におったんや、あいつ等と一緒にいっとったんや」・・と、同級・下辻。昭和47年(1972年)5月2日、万博記念公園「ウワッ」・・当時流行のギャグ・・『ヤングおーおー』笑福亭仁鶴が司会として登場する時に行ったもの。私の左手で顔
『男一匹ガキ大将』本宮ひろ志作昭和43年(1968年)~昭和48年(1973年)週刊少年ジャンプ連載主人公の戸川万吉少年が、ケンカに勝利して全国の総番長になる物語である。『喧嘩に勝つ』・・は、豪快にして豪傑と、男児ならば誰しもが懐く憧れであり、圧倒的な力で以て全国を制覇してゆく物語に、少年の吾々は、胸を躍らせたのである。『天下を取る』・・は、『男のロマン』である。・・から。昭和47年(1972年)5月2日・万博記念公園で私の左
高校三年生の住宅設計課題で提出したものである。「俺は、フランク・ロイド・ライトを、研究している」とばかりに、皆に披露して見せたものである。是を見た、担任の木全先生、私の意を知ってか知らぬか、皆の前で発した言葉が、「君は、都工のライトだ!」「してやったり!」フランク・ロイド・ライトライトの事務所↓模写ロビー邸↓昭和45年(1970年)高校一年生の秋、大阪梅田の旭屋書店で、偶々、建築家フランク・ロイド・ライトの洋書と出遭った。理屈は分か
♪人の一生かくれんぼ私はいつも鬼ばかり赤い夕日の裏町でもういいかいまあただよ♪日吉ミミが唄った『人の一生かくれんぼ』昭和47年(1972年)・・・私はいつも鬼ばかり影を歌った歌詞も、メロディーも、日吉ミミの歌唱も、忘れられない印象の深いフレーズである。連合赤軍に因る『浅間山荘事件』昭和47年(1972年)2月28日(月)、日本中がテレビにかじり付いた。高校二年生の私、リアルタイムで是を見ていた。『モンケン』・・一躍有
ロレックスオイスターRef.6427エンジンターンドベゼル希少フェイスROLEXアンティークOYSTERCal.12251972年昭和47年ヴィンテージウォッチ希少なダイアルは光の変化を楽しめ王冠アップライトインデックス、3掛けの3時.6時.9時位置は幅広になったアクセントでセンターサテン仕上げの珍しい仕様も洗練されノンデイトも含め魅力的。比較的、数も少ないエンジンターンドベゼルのモデルで特有の雰囲気をも楽しめペンシル針も含め絶妙。1972年製の逸品。
.宗谷岬/千葉紘子1983年4月宗谷岬(そうやみさき)は、1972年(昭和47年)にシングル発売された楽曲。オリジナルの歌手は黒木真理(くろきまこと)◇https://ja.m.wikipedia.org/wiki/宗谷岬◇https://ja.wikipedia.org/wiki/千葉紘子【作詞:吉田弘/作曲:船村徹】#宗谷岬#千葉紘子#1983年#昭和58年#1972年#昭和47年#吉田弘#船村徹
今年は2月6日よりイタリアで冬季オリンピックが開催されます!昭和47年の札幌オリンピックでは唯一のメダルがジャンプでした。【日の丸飛行隊】です。金メダル、銀メダル、銅メダルを独占しました!札幌オリンピックの70m級(現在のノーマルヒル)ジャンプで、日本人選手が金・銀・銅のメダルを独占しました。メダルを獲得した3人の選手に対してつけられたのが、「日の丸飛行隊」という呼び名です。この時の実況放送でアナウンサーが叫んだ、「飛んだ、決まった!」の言葉も流行しました。金メダルの笠谷幸
昭和47年(1972年)の、建築実習の時間何の授業を享けていたかは判らない。然し、黒板の公式を見ると、なにやら難しいことが書かれてある。吾々は、こんな授業を享けていたのである。増尾先生この頃、NHK教育テレビ『高校講座・日本の建築史』・・に、出演して講義をしていた。私は『俺オラが先生、テレビに出ている』・・と、嬉しくて視ていた。昭和47年(1972年)の秋、建築史の時間「これから、テストします」と、増尾先生。抜き打ちテストであった。・
♪あなたにとっては突然でしょうひまわりの咲いてる径で出逢ったことを私の夢はおわりでしょうかもう一度愛のゆくえをたしかめたくて恋は風船みたいだから離さないでね風に吹かれ飛んでゆくわ立止まる二人には交わす言葉もなくて恋はいつも消えてゆくのチェリッシュ『ひまわりの小径』昭和47年(1972年)悦ちゃんのかぼそい声、可愛い声、可愛い姿に、一目惚れ「こんな可愛い女性ヒトに出逢いたい」・・と、そう想った。昭和47年(1
『木枯し紋次郎』昭和47年(1972年)1月1日より、フジテレビで放映されたテレビ映画「あっしには、かかわりのないことでござんす」・・は、誰しも知るところである。偶々観たる、めし屋で紋次郎が『一膳めし』を食う場面・冷や飯に味噌汁と、いかにも粗末なもの紋次郎、膳が運ばれるや冷や飯に味噌汁をぶっかけ、それをササッと箸で混ぜるとカッカカカカツ・・・一機に腹んなかに流し込んだ。そして、看板の長楊枝を咥え、足早に去る。・・・と、謂うもの。昭和47年(197
剛腕・江川卓私が認める、昭和史上最高の投手である。ストレートで三振を取る姿は圧巻であった。『エース』・・とは、一段高いステータス。ヒーローなのである。そして『エースで四番』・・は、皆から羨望の的それはもう、格好よかったのである。どうしても野球をしたかった私、『野球部に入る』は、少年の頃からの夢でもあった。そして、中学の時、『ヒーロー』になった快感を忘れられなかったのである。・・・リンク・ヒーローになったしかし小柄(165㎝)なるが故に、体力に自
昭和47(1972)年2月、毎日新聞テレビ欄に寄せられた投書より。1月29日(土曜)夜9時から東京12チャンネルにて放映予定だった昭和43年公開の松竹映画昆虫大戦争が、どういう手違いなのか?いざチャンネルを合わせてみたら伝七捕物帳が放送されていたことに対する抗議と、それに対する東京12チャンネル側の釈明が掲載されている。昆虫大戦争が観たかった子どもが12chに対して不信感を抱くのは当然として、その代替番組が「伝七捕物帳」(おそらく昭和30年代にたくさん作ら
昭和47年(1972年)9月来春の卒業、就職に向け進路を決める時期だ。進路は概ね三つ。設計事務所へ。施工会社へ。官公庁へ、及び大学へ進学。一途に一直線。(当然のことながら)私は、設計事務所入りを希望した。併し、学校では、『設計事務所入りは、成績優秀の者』・・と、されていた。それが、先達が築いて来た伝統、ステータスだつたのである。併し、私は成績が良くなかった。それにも拘らず、成績の良くない私が名乗りを上げたものだから、さあ大変。当然のことながら、「この
恋の町札幌石原裕次郎久しぶりの石原裕次郎昭和百年振返り番組では、美空ひばりと共に必ず名前が上がる今回は、浜口庫之助作品「恋の町札幌」youtu.be/O2D9MVKimzg?si=auP4lclSy13Pv6SK恋の町札幌昭和47年(1972年)♪時計台の下で逢って私の恋ははじまりましただまってあなたについてくだけで私はとても幸せだった夢のような恋のはじめ忘れはしない恋の町札幌作詞/作曲・浜口庫之助編曲・小谷充石原裕次郎の
あす(火)金田をはじめ多数の人気スターがやってくる!――。昭和47(1972)年12月、日本橋高島屋8階催場にて開催の金田正一歳末チャリティセールの新聞広告。イベントの目玉は、「金田氏と交友のあるスポーツ界他有名スター100余名が愛用品を提供」されるという楽しいチャリティオークションだ。司会は金田正一と芳村真理。ちなみにカネやんは11月にロッテオリオンズの新監督に就任したばかり。広告内のどこにも「ロッテオリオンズ」の文字が見られないのは何故???そんなカネやんの前では、
トナカイと遊ぼう!ジャイアント馬場と遊ぼう!――。昭和47(1972)年12月、日本橋高島屋クリスマス催事の新聞広告。この年の目玉は5頭のトナカイとジャイアント馬場(当時34歳)。トナカイは12月22~25日とフル稼働で記念写真等々、さまざまなイベントに付き合われていたようだが、身長209cmのサンタクロースに変身した馬場さんはイブの12月24日、午後1時からサイン会や記念撮影会、オークションなどを行っていた模様だ。晩年はこういったイベント出
あのヤコペッティさえ顔をそむける超残酷異色ドキュメント‼――。昭和47(1972)年12月、イタリア長篇記録映画残酷猟奇地帯(AFRICAAMA=グイド・グェラッシオ、アルフレッド・カスティグリオニ共同監督)の新聞広告。モノの凄さとは競い合っているうちにどんどんインフレを起こしていくのが世の常。「ロボワル(兄)は200馬力だが、ロボガキ(弟)はさらに強い300馬力」とか、「ヒクソン(グレイシー=兄)はホイス(弟)の10倍強い」などなど、わかりやすいコピーは多かれど、数々の猟奇系
昭和47年生まれ同い年インストラクター4人が贈る至高のエアロビクスイベントそれが47collectionワンシーズンに1度のオタノシミ47collection〜vol.23〜12月のカーニバル寒さ忘れるスペシャルコリオ日が暮れた都会のスタジオには妖精たちが集まってくる一度は行きたいあの空間へ初めての方でもお一人でも来ればわかる47collectionの魅力《日時》2025.12.7(日)17:05入場17:20-18:50《場所》ノアスタジオ都立大学
折鶴千葉紘子この人この一曲的ヒット曲千葉紘子「折鶴」折鶴昭和47年(1972年)♪誰が教えてくれたのか忘れたけれど折鶴を無邪気だったあの頃今は願いごと折ってたたんで裏がえしまだおぼえてた折鶴を今あの人の胸にとばす夕暮れどき作詞・安井かずみ作曲・浜圭介編曲・森岡賢一郎youtu.be/O8VimS4008g?si=Dh-rMPoUuG4ic4v3いいですね日本的情緒が身にしむ今日この頃かといって、演歌演歌していないのも良い
昭和47(1972)年11月、全日本プロレスの社長でありエースだったジャイアント馬場(当時34歳)が特別出場した国際プロレスの東京体育館大会(11月29日)と水戸・茨城スポーツセンター大会(11月30日)、そして国際プロレス名物の金網デスマッチ開催が告知された川崎市体育館大会(12月7日)の新聞広告。10月の全日本プロレス旗揚げシリーズに、国際プロレスから若手選手を借してもらった御礼にと馬場自らが国際プロレスのリングに初登場したという次第。馬場は東京体育館大会で日本プロレ
元祖天才バカボンの春/こおろぎ'73・コロムビアゆりかご会1972年11月25日◇https://ja.wikipedia.org/wiki/こおろぎ%2773◇https://ja.wikipedia.org/wiki/元祖天才バカボン【作詞:赤塚不二夫/作曲:渡辺岳夫/編曲:あかのたちお】