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ゴンドラまかせ高田恭子「みんな夢の中」につづくデビュー2曲目オリンピックも終りましたが、イタリアつながりで、「ゴンドラまかせ」閉会式にもゴンドラ出て来たゴンドラまかせ昭和44年(1969年)♪ゴンドラゴンドラ波にまかせてゆれてながれる女心青い空になげたくちづけ恋のゆくえはゴンドラまかせゆらゆららららああいい気持ちゆらゆらららららゴンドラまかせ作詞/作曲・浜口庫之助編曲・小谷充youtu.be/xQbWK9CMwDg?si=X0Ws0
風はしだのりひことシューベルツ今日は北風寒い一日でした「風」は、シューベルツのデビュー曲にして大ヒットフォークソングの代表的な1曲でもあります風昭和44年(1969年)♪人は誰もただ一人旅に出て人は誰もふるさとを振り返るちょっぴりさみしくて振り返ってもそこにはただ風が吹いているだけ作詞・北山修作曲・端田宣彦編曲・青木望youtu.be/8iI5fZDyc58?si=ezM6gZwcR2uvu94Gフォーク・クルセダーズ解散後に結成したシュ
いまわれわれにとって『サムライ』は、われわれの父祖の姿であるが、西洋人にとっては、うわゆるノーブル・サヴェッジ(高貴なる野蛮人)のイメージでもあろう。われわれはもっと野蛮人であることを誇りにすべきである。・『サムライ』といえば、われわれはすぐ勇気ということを考える。勇気とは何であろうかまた勇者とは何であろうか金嬉老事件昭和43年(1968年)2月2日この間の金嬉老事件で、私がもっともびっくりぎょうてんしたのは、金嬉老、及びそのまわりに引き起
『尚武のこころ』三島由紀夫対談集『守るべきものの価値』われわれは何を選択するか石原慎太郎(作家・参議院議員)月刊ペン昭和44年11月号昭和49年(1974年)8月8日二十歳の私が購読したものである。ふたたび、玆に淨讀書写する。三島石原さん。今日は、『守るべきものの価値』に就いて話をするわけだけど、あなたは何を守っている?石原戦後の日本の政治形態があいまいだから、守るに値するものが見失われてきているけれど、ぼくはやはり自分で守るべきもの
前頁最後に護るべきもの1の続き男の原理を守る石原しかし文化というのはどこの国でもそういうものでしょう。三島ええ、でも、日本じゃそういうことはないはずなんです。天皇がいるから。石原いや、だってそれは違うんじゃないかな。振れ動くものが戻ってくる座標軸みたいなものでしょう、天皇の三種の神器というのは。だけど、ぼくはやはりそれは違うと思うんだな。つまり天皇だって、三種の神器だって、多与的なもので、日本の伝統をつくった精神的なものを含めての風土というものは、台風が非常
朝がくるまえにちあきなおみ「雨に濡れた慕情」でデビューしたちあきなおみの2曲目昭和44年、同じく吉田央(吉田旺)・鈴木淳による「朝がくるまえに」退廃的で気怠い歌唱でありながら、ウエットで色っぽさは、ちあきなおみならでは物憂げに唄うちあきなおみなんか、その後のちあきなおみを早くも予感しているような曲ですyoutu.be/EH7pfLEIwoM?si=0-jXzsbtC4mg4q0A朝がくるまえに昭和44年(1969年)♪夜更けの霧が雨に変るときあなた
「お前、右でも、左でも、ホームラン打ったらしいな」「花田君が凄かった・・と、女子生徒が云うとったぞ」・・と、小学校の岡本先生、(吾々在学当時6年7組担任)私の派手な活躍ぶりは、小学校の旧恩師達までも轟いていたのである。「見られている事」そして「凄いと想わせしめた事」唯々、野球をすることが楽しくて、ゲームに没頭していたから、気にもかけていなかったが、而して私は名をあげた。←クリックして画像を拡大・・・前頁ヒーローに成った3『ヒーローに成った二年生』の
昭和44年(1969年)11月30日大阪梅田の阪急三番街がオープンした。「地下街に川が流れているんやぞ」「ほんまかいや、すごいなァ」「こいつ、アホやで、川の中のコイン、拾らおうとしてんねん」「ちがう、ちがう、手伸ばしただけや」「ウソォつけィ!!」「ウソやない、ほんまやて」「なんや?なんや?」・・と、他の生徒も集まって来て、教室の中央が賑やかになった。「後ろ向きにコイン投げると願いが叶うんやて」「で、お前、なんぼ投げたんや
『一握の砂・悲しき玩具』石川啄木歌集金田一京助編新潮社・・新潮文庫昭和44年(1969年)購入・・・前頁、文学少女には成れなかった1の続き読書とは読書感想は、あくまで一個のオリジナルな想いであって、普遍の想いなぞあり得ない。敢て云う。著者が何を言いたいかを読むのではなく、読みし者が、著者を通して如何に己オノが想いを読み取るかである。読書とは、斯くの如きもの、それでいい・・と、私はそう想う。昭和44年(1969年)中学三年生であった私が、国語の
『一握の砂・悲しき玩具』石川啄木歌集、金田一京助編世の中には途方も無い仁もあるものぢゃ、歌集の序を書けとぢゃ人もあらうに此の俺に新派の歌集の序を書けとぢゃああでも無い、かうでも無い・・・「あははははッ」・・友ガキ・舟木が、笑い出した。「どうした、何がおかしいんや」「さっきから、そこばっかり何べんも読んでる」「途方もない仁もあるものぢゃ・・と」「あるものぢゃ・・何べんも読んで覚えるんじゃ」彼は、昔の言葉遣いが面白かったようだ。「ああでも無い、かう
置き碁、星目・風鈴囲碁との出逢い昭和43年(1968年)秋、久田氏が我が家を訪れた。「花田君、今度の試験(中間テスト)の答案用紙、見せてミイ」「・・・・」「勉強、教えて上げるから、家においで」・・と謂うことで、勉強を見てもらうことになったのである。・・・リンク・蛙の子は蛙その時、「数学の勉強に役立つから」・・と、勉強の一環として将棋と囲碁をすることになったのである。将棋は小学六年2組では『クラスの王将』の私。・・・リンク・君は王
ロレックスオイスターデイトREF.66941969年製シルバーダイヤル手巻純正巻ブレス腕時計ROLEXアンティークヴィンテージ昭和45年機械式時計Cal.1225魅力あるシルバーダイアルは少しグレーがかった特有のモザイク感ある稀に見るタイプで希少。12時の王冠、6時.9時位置はさりげなく幅広になったインデックスでその他のインデックスとの洗練された組み合わせの調和は飽きず楽しめアンティークロレックスだからこその造り良いペンシルハンドも含め絶妙。1969年製
東洋チャンピオン川崎に来る‼――。昭和44(1969)年1月21日、川崎市民会館にて行われたキックボクシング興行の新聞広告。メインのカードは東洋ミドル級チャンピオン・沢村忠(当時26歳)と、タイ国ヘビー級2位のプライサモツ・バヤボードの対戦。この時点でまだ「キックの鬼」という異名や、代名詞ともいえる「真空飛びヒザ蹴り」の名称も広告内では見当たらない。会場となる川崎市民会館とは馴染みがない名称だし、ハテどこかな?とも思ったが、どうやら川崎市体育館(2014年に閉館)の旧称のようだ
↑昭和37年(1962年)のテリトリー『住吉浜病院』昭和34年(1959年)5歳の頃、正確に如何いう病院かは知らなかった。然し、『肺病の病院』・・と、先輩達から聞かされていた。浜辺を歩く寝間着姿の大人の姿を見たことがあった。なにかしらん異様なその姿を観て、「さもあらん」・・と、そう想った。その頃はそうだったのかも知れない。1969年・・仏ケ崎の妹住吉浜病院に祖父を見舞う昭和44年(1969年)10月14日祖母(母方)の見舞に
岡田宏明先生国語の先生である笑うと財津一郎に似た面立ちであった女子2列目、右から2人目「アッチャン」昭和44年(1969年)春、国語の時間の突端、如何いう理由で話が移っていったかは分からないが、先生、授業とは関係のない、自分の中学生の頃の体験談を持ち出した。「男児は元気がなければいかん」「我々の中学生の頃は、随分いたずらもしたもんだ」「我々の時代はそうだった」・・と、想い出を懐かしむが如く吾々に語って聞かせたのである。そして、「男は、少々ヤン
昭和50年(1975年)ラジオで、パーソナリティ・浜村淳が聴者からの手紙を読み上げている。その内容はこうだ。ある駅のプラットホームでタバコを吸っている人を見かけました。もちろん、人混みの中のことです。タバコを吸い終わると、その人は灰を落すだけでなく、吸い殻をもプラットホームに投げ捨てたのです。なんて、マナーの悪い人だなぁ・・と、そう想いました。ふと、横を見ると、黙々とプラットホームを掃除している人が側に居るのに気づきました。ホームに捨てられたタバコの吸い殻を掃いている
昭和44(1969)年1月、レコード8社(キング、東芝、クラウン、ビクター、コロムビア、ポリドール、ミノルフォン、テイチク)共同による新春歌のヒットパレード新聞広告。今もよく知られている楽曲は左上にあるピンキーとキラーズの「涙の季節」、映画『フレッシュマン若大将』のエンディング曲でもある「いい娘だから」(加山雄三)あたりかな?それよりも右上、「月影のランデブー」を宣伝している麻里圭子/横田年昭とリオ・アルマは、この年10月から放送スタートする『サインはV』の主題歌が大ヒット
東京オリンピック昭和39年(1964年)10月23日(金)ソ連との決勝戦私はリアルタイムで、是をテレビで観ていた。とにかく拾いまくった『回転レシーブ』日本人の誰もが知らされた技である。この完璧なる防御は無敵だった。血のにじむような練習も、歯をくいしばって耐えた。果して、その精華は日本中が感動した『金メダル』だったのである。『勝った』ことは、日本人の誇りを蘇らせた。『日本、万歳』バレーボールは国民的スポーツとして認知され、空前のバレーボール
昭和44(1969)年12月31日(水曜)のテレビ欄より。夜9時からの番組は現在も国民的番組であり続ける『NHK紅白歌合戦』をはじめ、東京12チャンネルが『なつかしの歌声・年忘れ大行進』と歌番組、日本テレビが『コント55号の野球ケン‼』、フジテレビが『お笑いヒットスタジオ』とお笑い番組、TBSのみが『Oh!それ見よ』とドラマを放送。そんな中、全時間帯を見渡しても、とくに特番などは用意していない様子のNETテレビ(現・テレビ朝日)は通常運行で『ワールドプロレスリング』を放送。この日
ピンキーとキラーズ「涙の季節」作詞=岩谷時子作曲=いずみたく1969年(昭和44年)1月1日発売57年前の今日発売の曲です
昭和44年(1969年)4月の新学期に臨み愈々、来年は高校受験脇目も振らず勉強に打込もう・・そう決心したのであるそして、頭を受験モードに切り替えた「恋なぞしない」・・と淀川堤イメージは2010年・・・自転車の少女は吾孫娘(3才)昭和44年(1969年)一度っきりの想い出嗚呼あの時は、もう帰らない恋心6月15日に修学旅行を終えて未だ日の浅い日曜日のことこの3月までクラスメイトの
昭和44年(1969年)あれほど世の中を席巻したグループサウンズも終焉となり中三女子生徒の専らの関心はアイドルグループ『フォーリーブス』それにつけても「キャーキャー」は、騒がし・・かろうに昭和44年(1969年)4月、中学三年生になった。恒例のクラス替えで、クラスが別々となった私と○○○。それでも、偶に交流はあったのである。ジェラシー○○○が、私と同じクラスの男子を好きだと言う。「なんで、あいつやねん」青山孝ばりの風貌機敏かつ運動神経抜群
青い鳥の続き♪♪あなたが耳もとでささやいた夜明けはふたりが結ばれた美しい夜明けよひとすじこぼれるこのほほの涙にあなたも濡れていた懐かしい夜明けよ忘れないわあのひととき私は今あなたのものピンキーとキラーズ唄う『涙の季節』が、流行っていた学年末、最後の『席替え』が行われた。物語はこの教室、(この写真は1969年、3年4組)私の席は、中央右列の前から2列目左席の位置、(・・黒板正面に向って)彼女の席は、中央左列りの前から4列目右席の
昭和44年(1969年)7月20日(日)アポロ11号・人類が初めて月面に立った私は、リアルタイムでTV放送を視ていた「花田君、がり勉やてね」○○○がそう云った。がり勉昭和44年(1969年)学習成績の記録個票に於て、高校受験の模擬テスト欄に『偏差値』為る訳の分からない採点方が導入された。「これからは、偏差値を重要視する」‥と謂う。中学三年生、5組の私、頭の中は受験モードに成ってゆく。家出の『独学』は勿論のこと、45分の授業が終わると、
昭和44年(1969年)中学三年生の新学期、愈々来年は高校受験。イザ、頑張らねば・・と、決意新たに新学期を迎えた。なんたって無垢な14歳、世の動きには疎いのも仕方なきや。大学紛争の嵐が吹荒れ、世の中が騒然としているのに、何処吹く風か・・と、ばかり、昨日と同じ今日の日を送っていたのである。此を、『暢気』と謂う。三島由紀夫と東大全共闘昭和44年(1969年)5月13日(金)無垢な私、斯のこと全く知らなかった昭和44年(1969年)3年5組新学期恒
アッと驚く…1,502,000部少年マガジンが快記録樹立――。昭和44(1969)年12月、人気爆発中の週刊少年マガジン(講談社)の新聞広告。イケイケドンドンと勢いある雑誌ならではの雰囲気が広告にも出まくっている。第3部「青春群像編」スタートを予告する『巨人の星』(梶原一騎作・川崎のぼる画)は、この辺りから最終話へと向けてどんどん鬱展開へと突入していく。その他にも、のちの仮面ライダーのプロトタイプとなる『スカルマン』(石森章太郎)、『あしたのジョー』(高森朝雄作・ちばてつや画)
6月14日皇居・二重橋3年5組キ記念写真(中央-校長先生、担任木下雅子先生、右端-岩崎佳子先生)大阪市立淀川中学校第9期生・修学旅行昭和44年(1969年)6月11日~15日(四泊五日)卒業アルバムから・・・(上記卒業アルバム掲載のスケジュールには、大阪発6.11がない)6月11日、大阪駅(車内で一泊)6月12日、富士駅下車6月12日、白糸の滝
おはようございますNHKで昔の紅白歌合戦の番組を白黒からカラーにして放送する番組がありました。昭和44年(1969年)に放送された「第20回NHK紅白歌合戦」です。『来年は1970年に入ります』と何度となく司会の宮田輝さんがおっしゃいました。1970年はEXPO70万博の歳ですからね。それではこの年の出場歌手と曲目をお伝えします。この年は、由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」や、いしだあゆみさんの「ブルー・ライト・ヨコハマ」など、今も歌い継がれる名曲が数多く誕生した年でした
雲にのりたい黛ジュン今日、第20回紅白歌合戦カラーリマスター版を観ましたkuraramotherさん情報ありがとうございました白黒版は2月に放送され、今回はカラー版昭和44年ヒット曲が満載の第20回紅白歌合戦この辺りの歌謡曲がボクの血となり肉となっています黛ジュンは「雲にのりたい」を歌っていますてなことで、この当時の大晦日紅白歌合戦とレコード大賞は欠かせませんでしたが、残念ながら最近の大賞曲についてはまったく分かりません当時の歌本に、こんな一文を
ロレックスオイスターパーペチュアルデイトRef.1500シルバーダイヤル1969年製ROLEX昭和44年アンティークヴィンテージウォッチCal.1570自動巻光の角度で輝く魅力ある、この時代のオリジナルフェイスが特有の洗練された渋い雰囲気。インデックスはシルバーカラーの先端ブラックでダイアルとインデックスとのコントラストも素晴らしくアンティークロレックスの存在感をより放つ。名機1570も搭載。ロレックスアンティークメンズ腕時計の逸品。1969年