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80年代を先導する知性派のジャーナル誌!――。昭和55(1980)年4月、UFOと宇宙(ユニバース出版社)5月号の新聞広告。知性派のジャーナル誌としては総特集「太陽系・全知識」を一押ししているようだが、知性派ではない私としては、どうしても真ん中あたりにあるフランス人・ジャンバステードの新説「日本のカッパは宇宙人だ!」の見出しが気になって仕方がない。まあ、人里離れた場所で突然、カッパに出くわそうが、宇宙人と遭遇しようが、ビックリ度はそんなに変わらない気もするのだが、ここはフランス人・ジャ
第一線筆者120氏分担執筆'80社会の変転する鼓動を全収載した新語新知識の最大量年鑑――。昭和55(1980)年3月、現代用語の基礎知識(自由國民社=1,800円)の新聞広告。下段にて、20名もの著名人が「私たちも愛用してます」と、この本を絶賛推薦!しかし、ここに登場している20人全員が今や鬼籍に入っているではないか!現代用語の基礎知識は不吉な呪いの書なのか?いやいや、単に46年の歳月が経過したということだろう。50歳も半ばを過ぎると、有名人の生死をめぐる認識が極めてあやふ
昭和55(1980)年3月13日(木曜)のテレビ欄より。心霊写真コーナーが小学生にも大人気だった2時のワイドショー(日本テレビ)では「血塗られた古木のたたり⁈枝から転落死」を特集しているのは通常運行だが、正午からのお昼のワイドショー(日本テレビ)でも「同じアパートの3軒で同時刻怪異が起こる」と、これまたオカルト寄りの特集。さらに『2時のワイドショー』の裏番組にあたるリビング2(フジテレビ)でも「恐怖‼悪魔のすむ家その全ぼう」なる特集。当時はそんな気配に気がついちゃいなかった
昭和55(1980)年2月、週刊平凡(平凡出版)3月6日春の特大号の新聞広告。当時、大いに世間を騒がした花柳幻舟事件を大々的に速報。思えば、ボンクラ小学生には無縁であった「家元制度」なんて単語を覚えたのは、この事件がきっかけだった気がする。この事件から服役期間を経て、平成初期に『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(日本テレビ)にゲスト出演した花柳幻舟が、刃物を片手に舞踏を披露している姿に爆笑させられたものだ。左端にある石原裕次郎の新居予定地から縄文時代の遺跡が発掘され
昨日も暖かかったけど、今日はさらにキモチワルイほど生暖かい(暑い)部屋の温度計28℃になってるけど風が強く、関東で春一番が吹いたと発表されました昨日の日曜日、高校時代の学年全体の同窓会が初めて開催され出席しました。なんと卒業後46年全9クラスで140人以上参加、25人参加したクラスも(たしか1クラスは40〜45人)クラスでの同窓会は過去数回、しかも最後が27年前もうこの歳では、今後学年単位の同窓会はあるかどうかわからない。会える機会に同窓生に会ったほうがいいと思う。幹事さんは各
R8年2月14日(土)晴れ倉庫の中から「ルービックキューブ」が出てきました。今では当たり前のように売られており、簡単に入手できる玩具となりましたが、発売当初の人気ぶりは凄まじく、田舎育ちの私にとっては夢の玩具と言っても過言ではありませんでした。時は1980年(昭和55年)7月・・。見た事もない不思議な玩具が宣伝されるや、日本国内ではルービックキューブ現象とも言われる大ブームが巻き起こります。ちなみに昭和55年の主な出来事を紹介しますと「巨人軍の王貞治選手が引退」「山口百
昭和55(1980)年2月、読売新聞テレビ欄に寄せられた投書より。この手の投書において、苦情か批判こそが定番だったドリフ(の番組=ここでは『8時だョ!全員集合』)に対して、称賛やねぎらいの言葉まであるという大変にレアな内容となっている。しかもドリフ批判の定番であり、常套句でもあった「子どもに悪影響」という点についても、「その場で子に教えるのもテレビの利用法」とピシャリ。きっとこの東京・目黒区の理容店経営男性(41歳)は世の中を冷静に見渡せるオトナの人格者だったに違いない。「女子プ
本日は、挿絵・・・というのはおこがましいのですが、謎の手書き文書の絵を描きました。文書の絵を描く・・・なんかもやっとしますねw小学1年生の時の自分の文体を思い出しながらXP-PEN(Artist12Gen2)で描きました。次回は主人公の胸像を描いてみようと思います。
今日は5日なので「5」にまつわるちょっと不思議なお話しますいつの頃からか昭和55年の100円玉がやたらやってくる様になったワタクシの財布(お釣りで貰うお金の中にいるのです)意識してるからやたら目にすると思われるかもしれませんがそうではないんです毎度気にはしてないしいくら出回ってるとはいえ昭和55年かなり古いお金ですしねぇその時はフト「今財布に55年の100円がいる気がする」と直感的にやって来て確認するとほぼ100%いるのです100円玉がないな~と思う時は10円玉
.あなた色のマノン/岩崎良美1980年8月21日(3rd・シングル)◇https://ja.wikipedia.org/wiki/あなた色のマノン【作詞:なかにし礼/作曲:芳野藤丸/編曲:大谷和夫】#あなた色のマノン#岩崎良美#1980年#昭和55年#なかにし礼#芳野藤丸#大谷和夫
ドヤ、ドヤ、ドヤ----大阪名物パチパチパンチご存知吉本新喜劇脇役・島木譲二の最大ギャグである。ポコポコヘツドに、カンカンヘッドは男のロマン。困った困ったコマドリ姉妹、しまったしまった島倉千代子・・・・・・等々のギャグを持つ。強面のキャラクターが、一転愛嬌タップリに変貌するところが可笑しかった。私の知るところ、異色なキャラ
1980年三沢基地航空祭(1980年9月7日)過去のネガフィルムの整理したなかで、航空祭にて自分自身で撮影したものが三沢基地航空祭だった。フィルムは保存状態も悪く、薬品焼け、傷等により修復に時間を要したものの、自信がない状態での投稿1971年から八戸基地から三沢基地に移駐して、第81航空隊が基地業務を行っていた。1978年(昭和53年)小牧基地から三沢基地に第3航空団が移駐し第81航空隊は廃止第3飛行隊は第3航空団に編入され第8飛行隊と2個飛行隊態勢になった。天候は晴れ、第3飛行
勢いで書いた”たからしまのちズ”をろくに校正もせずに掲載してしまったために、誤字脱字のみならず支離滅裂な言い回しのところが多々あり、大変読みづらい恥ずかしい文章になっておりました。大変申し訳ございません。本日は小説:たからしまのちズ#537人のイケニエ『小説:たからしまのちズ#537人のイケニエ』※ここに出てくる地名・人名は架空のものであり、実在する地名、人名、団体名とは全く関係がありません。7人のイケニエシマオの母親(ははおや)が控室(ひかえしつ)…ameblo.jp
※ここに出てくる地名・人名は架空のものであり、実在する地名、人名、団体名とは全く関係がありません。~川村早希(かわむらさき)~川村早希(かわむらさき)は3年(ねん)ほど入院(にゅういん)した後(のち)、完全(かんぜん)な寛解(かんかい)とはいかないまでも大幅(おおはば)な改善(かいぜん)が見(み)られたとして退院(たいいん)する。3年(ねん)間(かん)の監察期間(かんさつきかん)の間(あいだ)も田島美紀(たじまみき)が彼女(かのじょ)のところに足(あし)しげく通(かよ)って援助(え
今日、レベルが1つ上がり45歳となりました。多くの方々に、お祝いメッセージを頂き、感謝でございます。ゆっくり返信していきたいと思います。また、昨日、県議会10年の表彰を受けました。お支えいただいた皆様のおかげです。#田村ゆうすけ#瀬谷区#誕生日#45歳#申年#1980年#昭和55年#お祝い#表彰
※ここに出てくる地名・人名は架空のものであり、実在する地名、人名、団体名とは全く関係がありません。彼女《かのじょ》の退院前(たいいんまえ)の日曜日(にちようび)、麻生家(あそうけ)は田島美紀(たじまみき)のお見舞(みま)いに行(い)くことになった。息子(むすこ)の命(いのち)の恩人(おんじん)ということもあって全員(ぜんいん)余所行(よそい)きの服装(ふくそう)で菓子折(かしお)りを持(も)って行(い)く。病室(びょうしつ)には美紀(みき)の母親(ははおや)がいた。一通(ひととお)り
※ここに出てくる地名・人名は架空のものであり、実在する地名、人名、団体名とは全く関係がありません。事件《じけん》の顛末《てんまつ》警察《けいさつ》が来《き》た後《あと》、川村早希《かわむらさき》は田島美紀《たじまみき》に対《たい》する殺人未遂《さつじんみすい》と暴行《ぼうこう》の容疑《ようぎ》で逮捕《たいほ》されて県警《けんけい》に収監《しゅうかん》された。何故《なぜ》県警《けんけい》が来《き》たかというと、宝田大橋《たからだおおはし》周辺《しゅうへん》での溺死事故《できしじこ》の多《
※ここに出てくる地名・人名は架空のものであり、実在する地名、人名、団体名とは全く関係がありません。シマノ美容室で翌日《よくじつ》、玲也《れいや》はシマノ美容室《びようしつ》の開店《かいてん》に合《あ》わせて家《いえ》を出《で》たのだが、1階《いっかい》のエレベーターホールには待《ま》っていたかのようにフジショーがいた。「よぅ!」と声《こえ》をかけてくるフジショーに「やぁ」と返《かえ》すと、フジショーは「もうそろそろ出《で》てくるころかなと思《おも》ってな」とキザったらしいセリフを垂《た
※ここに出てくる地名・人名は架空のものであり、実在する地名、人名、団体名とは全く関係がありません。幕引き子供《こども》の溺死《できし》を防《ふせ》ぐための祭儀《さいぎ》の最中《さいちゅう》に子供《こども》が溺死《できし》するなんて縁起《えんぎ》でもない。地元民《じもとみん》は必死《ひっし》で玲也《れいや》たちの救助《きゅうじょ》を行《おこな》い、一番《いちばん》家《いえ》が近《ちか》い地元民《じもとみん》は万一《まんいち》に備《そな》えてレスキューと救急《きゅうきゅう》と警察《けいさつ
※ここに出てくる地名・人名は架空のものであり、実在する地名、人名、団体名とは全く関係がありません。狂気そこまで美紀(みき)が話(はな)し終(お)わった時(とき)、土手(どて)の上(うえ)から「お前(まえ)は何(なに)をしてる!!」と言(い)う女性(じょせい)の怒声(どせい)が響(ひび)いた。2人(ふたり)が見上(みあ)げると、そこには憤怒(ふんぬ)で鬼(おに)のような形相(ぎょうそう)になった川村(かわむら)早希(さき)がいた。彼女(かのじょ)は土手(どて)の階段(かいだん)を駆
※ここに出てくる地名・人名は架空のものであり、実在する地名、人名、団体名とは全く関係がありません。本文蛮行(ばんこう)島神社(しまじんじゃ)の境内(けいだい)に上(あ)がってきたのは美紀(みき)の兄(あに)をリーダーとする地元(じもと)の少年(しょうねん)たちだった。田舎(いなか)ではいまだに”本家(ほんけ)”の権威(けんい)が強(つよ)いので誰(だれ)も本家(ほんけ)の長男(ちょうなん)には逆(さか)らえない。殆(ほとん)どの地元(じもと)の少年(しょうねん)たちはこの年頃(としご
※ここに出てくる地名・人名は架空のものであり、実在する地名、人名、団体名とは全く関係がありません。馴(な)れ初(そ)めそんなある日(ひ)、美紀(みき)は、和彦(かずひこ)がメモ帳(ちょう)に何(なに)かを一生懸命(いっしょうけんめい)に書(か)き込(こ)んでいるのを見(み)かけて声(こえ)を掛(か)けたという。「何(なに)を書(か)いているの?」と聞(き)きながら彼(かれ)のノートを覗(のぞ)くと、公園(こうえん)のフェンス越(ご)しに見(み)える多嘉良島山(たからしまやま)を描(えが
※ここに出てくる地名・人名は架空のものであり、実在する地名、人名、団体名とは全く関係がありません。田島(たじま)美紀(みき)の話(はなし)”田島(たじま)美紀(みき)”と名乗(なの)った少女(しょうじょ)は、まず、玲也(れいや)が話(はな)していたノートの”たからしまのちズ”という記述(きじゅつ)について、そもそも、その記述(きじゅつ)自体(じたい)が間違(まちが)っており、あれは本来(ほんらい)、”ちズ”ではなく”千呪(ちじゅ)”と書(か)いて”ちじゅ”と読(よ)むのだそうだ。ただし
※ここに出てくる地名・人名は架空のものであり、実在する地名、人名、団体名とは全く関係がありません。思(おも)いがけぬ出会(であ)い下宝田集落《しもたからだしゅうらく》の地元民(じもとみん)の墓(はか)は多嘉良川(たからがわ)上流(じょうりゅう)の方側(ほうがわ)の山腹(さんぷく)にある。地元民(じもとみん)が墓参(はかまい)りをするにしては、村(むら)の墓地(ぼち)とは反対方向(はんたいほうこう)に行(い)くのは変(へん)だ、と、玲也(れいや)の直感(ちょっかん)が告(つ)げる。玲也(
※ここに出てくる地名・人名は架空のものであり、実在する地名、人名、団体名とは全く関係がありません。行(い)き違(ちが)い身支度(みじたく)をすると言(い)っても、体操着(たいそうぎ)から余所行(よそい)きの服(ふく)に着替(きが)えただけだったのだが、滅多(めった)に着(き)ない薄青色(うすあおいろ)の半袖(はんそで)シャツとデニム地(じ)の短パン(たんぱん)を着(き)て通学帽(つうがくぼう)を被(かぶ)るだけだ。「いってきます!」と両親(りょうしん)に声(こえ)をかけるものの、父
※ここに出てくる地名・人名は架空のものであり、実在する地名、人名、団体名とは全く関係がありません。気掛(きが)かりまるで地獄(じごく)のような張(は)り詰(つ)めた雰囲気(ふんいき)の夕飯(ゆうはん)を終(お)えた玲也(れいや)は、自分(じぶん)が使(つか)った食器(しょっき)を洗(あら)って水切(みずき)り籠(かご)に入(い)れるとそそくさと自室(じしつ)に行(い)く。だが、その途中(とちゅう)、両親(りょうしん)が息子(むすこ)の教育方針(きょういくほうしん)で揉(も)めている様子
※ここに出てくる地名・人名は架空のものであり、実在する地名、人名、団体名とは全く関係がありません。ずぶ濡(ぬ)れでの帰宅(きたく)玄関(げんかん)に入(はい)るとすぐに母親(ははおや)がリビングから出(で)てきた。彼女(かのじょ)は「フフッ、ビショビショじゃないの、どこに行(い)っていたのよ」と言(い)いながら手(て)に持(も)っていたタオルを玲也(れいや)に手渡(てわた)す。玲也(れいや)は受(う)け取(と)ったタオルで頭(あたま)を拭(ふ)きながら「ちょっとね」と言(い)ってご
.悲しき友情/西城秀樹1980年1月5日(31th・シングル)◇https://ja.m.wikipedia.org/wiki/悲しき友情◇https://ja.wikipedia.org/wiki/西城秀樹の作品・出演一覧◇https://ja.wikipedia.org/wiki/西城秀樹【作詞:山川啓介/作曲:筒美京平/編曲:水谷公生】#悲しき友情#西城秀樹#1980年#昭和55年#山川啓介#筒美京平#水谷公生
※ここに出てくる地名・人名は架空のものであり、実在する地名、人名、団体名とは全く関係がありません。真相(しんそう)玲子(れいこ)が落(お)ち着(つ)くまで待(ま)ってから、玲也(れいや)はこれまでのことを話(はな)した。フジショーがたからしまのちズのメモを持(も)って来(き)てから、その内容(ないよう)について自分(じぶん)たちなりに調(しら)べていたこと。その一環(いっかん)として島神社(しまじんじゃ)に行(い)ったこと。図書館(としょかん)で宝田村(たからだむら)の歴史(れきし
※ここに出てくる地名・人名は架空のものであり、実在する地名、人名、団体名とは全く関係がありません。兄(あに)の形見(かたみ)玲也(れいや)は反射的(はんしゃてき)に玲子(れいこ)の後(あと)を追(お)った。フジショーはあっけに取(と)られていたものの、母親(ははおや)にせっつかれて取(と)り急(いそ)ぎ出(で)てきた。途中(とちゅう)の踊(おど)り場(ば)から、玲子(れいこ)が小学校(しょうがっこう)方面(ほうめん)に走(はし)っていくのがちらっと見(み)えた。地上(ちじょう)に付(つ