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皆さんこんばんは。「30年以上前の街と鉄道(東京編5)」を公開しました!ぜひご覧下さい。「30年以上前の街と鉄道(東京編5)」今回も、都内の風景5ヶ所の街と鉄道、30年以上前の写真と、現在の鉄道動画を撮影、取り挙げました。見どころは、30年以上前の田町駅付近。東海道線「快速・伊豆マリン号」167系の懐かしい姿をはじめ、改築前の南千住駅付近を走る常磐線401・415系。また、東急8000系が走る中目黒駅付近や、笹塚駅で同時発車する京王線新宿行きと、本八幡行きの都営新宿線の旧列車たちの光景
こんにちわ。昨日、京都市交から具体的な引退日の告知がなされないまま、10系の初期車がシレっと引退してしまった様です。(*掲載画像は2021年2月時点)44年前の開業した頃に初めて乗りに行った覚えがあります。当時の沿線は京都駅~北大路駅間で4両編成でした。(その際に写した筈の写真を何処かへ紛失してしまった様です)で、時々乗車をしていた馴染み深い車輌がまたひとつ消えていきました。そんなこんなで。。。つい懐かしくなってペンを取っています...ご覧くださいまして、ありが
『旅と鉄道』、今も発刊されてる鉄旅好きへの月刊誌です。ぼくの学生時代は季刊で、毎回楽しみに購読していました。久しぶりに段ボール箱を開けてパラパラめくってみました。廃止・引退などで、今はもうあり得ない特集や鉄旅の記事。「今は昔・・・」の世界でした。そのいくつかの例です[75春号;ひかり一直線九州路]・急行列車ジグザグ九州横断・ひかりvsあさかぜ他[78春号;寝台特急ブルートレイン]・走る人生はやぶさ・ブルートレイン北から南から他[79秋号;急行列車大作戦
そういえば今年は昭和100年なのですね。丁度その半世紀の昭和50年に写真を撮っていました。カメラはミノルタのSR-1。旧会津線の桑原駅で。山陽本線の瀬野-八本松。ラジオ放送も丁度100年みたいです。ラジオの中波放送は100年経っても方式が変わっていないので今でも古いラジオが使えます。これは50年前の真空管ラジオです。これはその頃のトランジスターラジオ。『懐かしの山陽本線(瀬野-八本松)・・昭和50年』昭和50年、山陽新幹線が博多まで開業すると特急列車
訃報が入りました国鉄から東海旅客鉄道(株)代表取締役社長を務められた須田寛さんがお亡くなりになりました。鉄道友の会の先代会長も務められていましたね。
加越線(かえつせん)は、かつて富山県小矢部市の国鉄北陸本線石動駅から、国鉄城端線服の駅を経由して同県東礪波郡庄川町(現在:砺波市)の庄川町駅を結んでいた全線19.5km、軌間1067mmの非電化鉄道路線です。1915年砺波鉄道として福野駅-青島町駅(後の庄川町駅)間が開業後1919年加越鉄道に改称、1922年に残りの石動駅-福野駅間が開業して全線が開通しました。1943年の交通大統合で富山地方鉄道に合併されて同社の加越線となり、1950年の加越能鉄道(現在の加越能バス)設立の際に同社
水島臨海鉄道水島本線は、岡山県倉敷市の倉敷市駅から三菱自工前駅を経由して、倉敷貨物ターミナル駅に至る西日本唯一の臨海鉄道です。2023年で開業80周年を迎えた全長11.2km、軌間1067mmの非電化鉄道路線。営業開始は1948年(昭和23年)、経営母体は水島工業都市開発→倉敷市→水島臨海鉄道と変わりましたが、いまだ国鉄時代のディーゼルカーが現役で走る路線として、また運転体験などユニークな企画で鉄道ファンから人気を博しています。撮影1973年、浦田駅-三菱自工前駅間の高架化(1992年)以
熊本電気鉄道は1911年(明治44年)10月1日、池田駅(現在:上熊本駅)-千反畑駅(現:藤崎宮前駅)間が菊池軌道株式会社として開業、二年後終点隈府駅まで蒸気軌道として全通しました。1923年には全線電化営業開始、翌年熊本電気鉄道に社名変更。1986年菊池線御代志駅-菊池駅間を廃止、全列車ワンマン化、現在に至ります。路線は菊池線:上熊本駅-御代志駅10.6km藤崎線:北熊本駅-藤崎宮前駅2.3km。訪問当時(1974年)の車両はモハ71形(広浜鉄道→国鉄モハ90形)、モ
今年も残すところ1ヵ月ほどとなりましたね。伊豆箱根地方への昭和レトロな旅も、今回記事で一段落としたく思います。幼少の頃から憧れのロマンスカー3100形NSE伊東駅から小田原駅まで移動して昼食を頂いた後、私たちは小田急線小田原駅のホームへと来ています。NSE到着までの間はホーム上を少しうろついていたみたい。フィルムの次のコマは車内の様子を写したモノで、なぜ小田原駅入線時を写していなかったのか?その理由たるやもう忘却の彼方へ...乗車記念に残しております。今のわた
野上電気鉄道はかつて海南市日方から登山口間11.4kmを結んでいた、軌間1,067㎜の電気鉄道です。日方から野上間開業は1916年(大正5年)2月、これは紀勢本線の箕島-和歌山(現:紀和)間の開業よりも8年も前のことでした。以降1928年に全線開通しましたが記録に残る1975年以降は1979年をピークに徐々に業績が悪化、1994年(平成6年)鉄道、バス全線を廃止し会社解散となりました。路線は日方川沿いを縫うように伸び、元阪急や阪神、富山地鉄の可愛らしい車両が二両編成で走るローカル色豊かな路
豊橋鉄道渥美線は豊橋市の新豊橋駅から田原市の三河田原駅を結ぶ軌間1,067mm、18.0kmの鉄道路線です。開業は渥美電鉄として1924~1927年、1940年には名鉄に併合され名鉄渥美線となりましたが、1954年豊橋鉄道渥美線として独リルしました。車両は現在すべて元東京急行電鉄の7200系が1800系と改称され使用されていますが、撮影当時は元名鉄の旧型車両が多くみられました。風光明媚な路線を走る、元名鉄の電車たち軌道線は東田本線(あず
蒲原鉄道は新潟県加茂市の加茂駅(国鉄信越本線)から村松駅(中蒲原郡村松町)を経由して五泉市の五泉駅(磐越西線)まで21.9kmを結んでいた鉄道路線です。1923年(大正12年)10月に五泉-村松間が開業、その後1930年(昭和5年)五泉-加茂間の全線が開通しました。開業当初から業績が振るわなかった加茂-村松間が1985年(昭和60年)4月に廃止となり、村松-五泉間4.2kで営業していましたが、1999年(平成11年)10月に全線同社バス路線に転換、全線が廃止されました。村松-五泉
*京急電鉄創業125年本年は京急電鉄創業125年にあたります。以前何枚か過去の映像をご紹介しましたが、今回一挙に20枚を。約50年前に撮影したものです。旧1000型快特京浜安浦(現:県立大学付近)八ツ山橋を山橋を渡る旧1000型快特大師線の230型旧400型普通列車京浜安浦(現:県立大学付近)野比トンネルの旧1000型黄金町の横浜市電と大師線の230型八ツ山橋の旧600型快特京成車両の快特(相互乗り入れ距離調整用)八津坂(現:能
竜華機関区・EF58-42の画像をアップします。1986.1.15128レ紀勢本線・和歌山駅EF58-42(竜華機関区)42号機は、正面窓は白Hゴム、外ハメ式尾灯、ワイパーはWP50と改造箇所が多い部類に入ります。他に竜華機関区のEF58共通の改造箇所として、前照灯のシールドビーム化と元空気ダメ管(通称:P管)が増設されています。貴重な未改造箇所としては、正面窓下部の手すりと前面ステップが取り付けられていません。1986.1.15128レ紀勢本線・和歌山駅
竜華機関区・EF58-39の画像をアップします。1984.11.312系団臨阪和線・美章園駅EF58-39(竜華機関区)12系団体専用列車です。39号機は、正面窓は白Hゴム、外ハメ式尾灯、ワイパーはWP50、側面機械室フィルターも鎧戸式に改造済みです。他に竜華機関区のEF58共通の改造箇所として、前照灯のシールドビーム化と元空気ダメ管(通称:P管)が増設されています。12系を普通列車として使用する紀勢本線では、扉の開閉に使用する圧縮空気が客車だけでは賄い切れなくな
前回、EF58-126けん引の「サロンカーなにわ」を大阪駅で撮影した画像をアップしました。(関連記事はこちら)この時初めてEF58に「サロンカーなにわ」のヘッドマークが付いている姿を撮影する事が出来ました。その後、ついにEF58にヘッドマークが付いた走行シーンを撮影する事が出来ました!1985.2.28208レ山陽本線・朝霧ー舞子EF58-127(宮原機関区)当時はインターネットもなかったので、EF58かEF65PFのどちらがけん引するのかも、列車が来るまで分かりません
令和3年(2021年)9月6日(マンデー)号:人生「昭和へのノスタルジー」日誌:◆150円で、◆「駅弁」は、買えたでしょうか?・・・・・・懐かしき「昭和の時代」・・・・・・ボクが、4歳頃には、買えたのでした。◆昭和42年◆青函連絡船内◆『特製あらまき弁当』(北海道名産新巻鮭)鉄道弘済会船内食堂謹製と、包み紙に、書かれています。●包み紙の「コレクション」のみで、・・・・・・実際の駅弁の写真が無いのが、残念です。◆「江差線
東京=日光の国鉄VS東武旅客サービス合戦は・・・国鉄が準急「日光」号に157系を投入東京~日光を運行開始した翌年、東武鉄道は1720系デラックスロマンスカー(DRC)冷房完備、客室仕切り扉は自動ドア、サロン室を設けた豪華な6両編成を登場させる。画像は昭和63年東武日光にて撮影昭和36年伊東~伊豆急下田45.7kmを結ぶ伊豆急行が開業画像は伊豆急行100系のクモハ110形高運転台車昭和59年熱海にて国鉄は昭和30年代に多くの名車を輩出しました。キハ20画像は
筑波鉄道筑波駅1985年昭和60年4月13日岩瀬から乗車・撮影車両は国鉄キハ10-47昭和31年製で昭和54年に筑波線へ来た821樺穂駅でキハ500形と交換桜が咲き誇る筑波鉄道線の沿線でした。上大島駅でも交換。新土浦で下車。関東鉄道の本社社屋脇を通過する504。本社の南側に隣接する真鍋機関区へ寄り車両撮影現在は関鉄の観光バスの車庫になっている場所です。新土浦より乗車し土浦まで乗りました。車両505は昭和34年製の自社発注車約2年後の昭和62年(1987年)3月25日に再訪
1986年1月、阪和線・紀勢本線の貨物列車運用のEF15,ED60を置き換えるため、竜華機関区にEF60-0番台が転属配置されました。それから間もない1986年3月、今度は竜華機関区にEF60−500番台が転属配置されました。こちらは、阪和線・紀勢本線の普通列車運用のEF58を置き換えるためでした。1963年〜1964年のブルートレインけん引以来、20数年ぶりの定期客車運用への復帰です。1986.8.17EF60-508竜華機関区阪和線・紀勢本線の普通列車には12系が
EF60-500番台は、当時寝台特急をけん引していたEF58の置き換え用として、1963年〜1964年にかけて14両が製造されました。その500番台のトップナンバー501号機です。1985.8.25EF60-501吹田機関区EF60-500番台は、0番台と基本性能は同じながら、ヘッドマーク取付ステーと20系けん引用のジャンパー栓が装備されました。EF60はけん引力があるため、山陽本線・瀬野ー八本松間の急勾配を補強なしで登る事ができましたが、定格速度が低く、高速走行はEF
EF60は、国鉄新型電気機関車でありながら非力なため最高速度が低く、貨物列車の高速化に対応できず、製造後わずか20年でほぼ余剰車となってしまいました。1985年には、定期運用は高崎第二機関区のみとなっていました。ちょうどこの頃、竜華機関区所属のEF15、ED60の老朽化による置き換えとして、余剰となっていたEF60に白羽の矢が立ち、1985年にEF60が配属されました。1986.1.152961レEF60-85阪和線・長滝ー新家重連総括機能のないEF60ですが、重連
EF60は、1960年から1964年までの5年間に143両が製造されました。そのうち1964年4月以降に製造された84〜129、512〜514号機は、それまでに製造されたEF60と性能はほぼ同じながら、外観が大きく変更されました。1985.4.29EF60-109米原機関区これまでの前照灯1灯から、シールドビーム2灯に変更され、側面の明かり窓の形状が変更されています。この外観は、翌1965年から新造されることとなるEF65にも継承されています。
EF60は、1960年に山陽本線電化、及び旧型電気機関車のEF15・EH10の置き換え名目でデビューしましたが、連続高速運転に耐えられない性能だったため、1983年頃には東海道・山陽本線から撤退しました。1983年以降は、高崎第二機関区に配置されたEF60は、首都圏を発着する高崎線、両毛線の貨物列車けん引として生き残りました。この頃、EF60だけでなく余剰となった電気機関車が高崎第二機関区に集められ、大量に留置されていました。その時に撮った写真をアップします。1986.8.20
信越本線321レ、EF62連結♪昭和の鉄道風物詩だったなぁ。。高崎駅1980
続いて在りし日の地方鉄道(私鉄)画像その2(西日本編)をお届けします。「shunちゃんの鉄道日記2*在りし日の地方鉄道(私鉄)画像その1(東日本編)」1.名古屋鉄道揖斐・谷汲線(岐阜)モ515黒野駅にて揖斐線:忠節-黒野-本揖斐(2005年廃止)*谷汲線:黒野-谷汲(2001年廃止)多くの列車は岐阜市内線新岐阜を起点としていました2.名古屋鉄道瀬戸線(愛知)矢田橋梁にて*栄町-尾張瀬戸3.三岐鉄道三岐線(三重)保々検車区にて*(近畿日本鉄道