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Piascore楽譜ストア大河ドラマ『春日局』テーマ音楽作曲:坂田晃一編曲:彦坂恭人が購入されました!https://store.piascore.com/scores/48536
中山道の美江寺宿を西にきた道は、宿を離れ千手観音堂さらに自然居士作の千体の仏像がある千体寺までいきました。ここから西への道は民家の間を進み、その後は田畑が広がる中を進んでいきます。やがて前方右側に神明神社があります。この神社は旧新月村の鎮守であった。ここから少しいき交差点を左折して熊野神社にいきます。この神社は春日局の夫、稲葉正成の生誕地の十七条(舟木)城跡になります。春日局は斎藤福といって、後に徳川家光の乳母となり活躍した。今回の美江寺宿を歩きはここまでとし、犀川に架かる橋を渡って交差
こんにちは。年明け前に参拝してきました、成子天神社。こちらは徳川家光が春日局に土地を与え、春日局が菅原道真を祀る天満天神社として社殿を造営したのが始まりという由緒ある神社です。天神社は菅原道真公を祀る神社ですから、学問の神様ですね。厄除けのご利益もあると言われています。成子天神社の周りは高層マンションなどでいっぱいなのですが、境内に参拝者がほとんどいなくて、とても良い気を感じる神社でした。こちらは境内内に、富士山の溶岩を持ってきて造ったという富
戦)百地三太夫:隠形潜匿の極戦)鳥居元忠:血天井の勇壮戦)高橋紹運:風神化身の義戦)春日局:神君直訴の決戦)石川五右衛門:俠勇の義賊戦)徳川秀忠:仁孝恭謙の徳戦)尾崎局:蘇生の心得戦)豪姫:豪気なる賢姫戦)本多正信:幕府老中の慧戦)加藤清正:肥後の虎©コーエーテクモゲームス
大僧正天海(156)若い頃、宗矩には深い悩みがあった。その時、石舟斎宗厳の勧めで大徳寺希先和尚の法筵につらなったという。そこで、厳しい修行をしていた一人の禅僧に巡り会う。それが沢庵宗彭であった。宗矩は沢庵和尚に教えを請い、以降、心の師と仰ぐようになったのである。紫衣事件が起きた時、宗矩は既に家光の側近であったが、大御所・秀忠が沢庵らを処断したため、手が出せなかった。沢庵は出羽国上山に流罪となったが、土岐頼行の庇護を受け、「春雨庵」で坐禅三昧の日々を過ごしたと
大僧正天海(155)【崇伝入寂】「(寛永九年十二月十七日)この日、大坂町奉行兼堺奉行水野河内守守信幷柳生但馬守宗矩、目付秋山修理亮正重、井上筑後守政重惣目付に仰付らる。これ今の世に大目付といふものの濫觴なり。」(「大猷院殿御實紀」)大坂町奉行兼堺奉行の水野守信と柳生宗矩、目付・秋山正重、井上政重が惣目付(大目付)になった。濫觴(らんしょう)とは「物事の始まり」という意味である。その役割は、「諸大名、諸旗本の法度違反を糾問する。」「公に対して
令和7年12月17日参拝湯島でなかなか御府内の御朱印もらえないお寺があって、この日どうかな〜って様子見に行ったらやっぱダメで、たまたま通りがかったのが麟祥院さんでした。文京区といえば春日局ですよね🤔〝春日〟という地名も元は春日殿町だったと銅像の裏に書かれていました。麟祥院は臨済宗妙心寺派の寺院で本尊は釈迦如来。寺号は春日局の法名「麟祥院殿従三位日浄大姉」に由来します。徳川二代将軍秀忠が素直で聡明な忠長を溺愛したので家光の将軍継承が一時危うい状況に置かれました。この危機を救うため、乳
大僧正天海(154)「(寛永九年十一月)十六日、駿河亜相の家士みな配流される。」(「大猷院殿御實紀」)忠長改易にあたり、その主な家臣らも配流となった。まず、筆頭の朝倉宜正は大和郡山の松平忠明に預けられ、鳥居忠房は出羽山形の鳥居忠恒に、興津直正は出羽由利、松平正朝は常陸下館の水谷勝隆、屋代忠正は越後高田、河野照守は松平輝澄に、太田盛意は稲葉正勝にお預けになった。「(寛永九年十一月)七日、御気色例ならずわたらせ給へば、医官半井驢庵成近、今大路道三親昌まう
春日局って御存知ですか?「大奥」という番組では、大奥の中での最高責任者です。なので職場で一番偉そうにしている人の事を「お局」と呼んでいます(笑)所謂自分の作ったルールを周りに要請する人って事かな?要請ならまだ可愛いけれど、要請より強制?それは間違ってるとは言えないし、その方が仕事がスムーズに行く事があるので悪い訳じゃない。今日はそんなお話です。お局様の言い分は、「オムツ交換が出来るよりも利用者のICFである出
2015年に押しました。
大僧正天海(138)「(寛永八年六月廿三日)大御所御不例により、医員岡本就封のいとまたまふ。」(「大猷院殿御實紀」)依然として秀忠の体調は優れず、医員の岡本就封が辞職することになった。その間も、秀忠の「宿痾」は進行し、日々「気鬱」が激しくなっていったのである。半井通仙院成信が召され、懇ろに診察を受けると、「寸白」の気がある事を発見した。まず「宿痾」とは持病・長患いのことで、「気鬱」とは、「疲れやすく、憂鬱、倦怠感」に苛まれ、「食欲がなく、気力がわかない」
女優としても大型ドラマにも出演していたからね。NHKの大河ドラマの春日局に出演していました。つる役で、稲葉重通の娘で、稲葉正成の最初の妻の役。かなり重要な役割でもあったような気もするが、何回か出演したのかなぁ~?もしかしたら。今でも話題になるようなビッグネームに囲まれながらも演技力で支えていたのかもしれないよね。
美味しかった不味かったそんな商品を紹介していますが、あくまで私個人の意見ですので皆様は好きだったり嫌いだったりするものもあるかもしれませんご理解いただけますようお願いします辛口カレーは苦手なので買いません甘口・中辛の食レポになります前にも訪れたことがあるシタラ前回はこちら『♬シタラ♬』美味しかった不味かったそんな商品を紹介していますが、あくまで私個人の意見ですので皆様は好きだったり嫌いだったりするものもあるかもしれませんご理解いただけます…ameblo.jp更に2回行きま
春日局終焉の寺【麟祥寺】神田神保町から天気が良いので歩いて帰る事にしました。湯島を歩いていると女性の銅像が有りました。誰かなぁと思って寄ってみました。・・・徳川家光の乳母・春日局です。(写真①)【麟祥寺】は、寛永元年(1624)春日局隠棲所として創建されました。局の死後、そのまま菩提寺とし法名にちなみ「天澤山麟祥院」となった寺院です。隣の駅の東京ドームの春日町も春日局からの由来の
三代将軍家光の弟・忠長は、両親に甘やかされて育ち、一時期、跡継ぎ差し替えかとまで言われたので、ほんとはオレが将軍になれたはずだった、と傲慢な振る舞いが多くなった。そういう筋立ては、話としては面白いんですが。忠長本人の性格問題よ云々りも、「秀忠側近グループの陰謀」に忠長が担がれてしまった、という構造で観たほうが、よりクリアになります。政権移譲に伴い権力を喪うことを怖れた土井利勝たちのグループが、忠長を擁立することで権力維持を図った、秀忠も忠長もそれに乗せられた、という筋書きです。よく語られ
大僧正天海(127)「十月二十九日、女一の宮に親王宣下を行はれ、無品興子内親王と申し奉る。間もなく十一月八日といふひに、俄かに公家殿上人に急々参内すべき旨の御沙汰を下さる。」(「大僧正天海」須藤光暉)11月8日、公家殿上人に対して急ぎ参内するよう、帝から沙汰があった。予期せぬ召命に、公家衆は何事であるかと心惑わせながら参内した。その席で、帝は譲位を表明したのである。これは誰一人として予期せぬことだったので、皆の者は驚き慌てふためいた。しかし、主上が御叡慮
大僧正天海(126)この春日局という称号については「室町殿の例とて、春日の局といふ称号」との記載があり、出典があることが分かる。足利三代将軍・義満の乳母が「春日局」であったという。お福は徳川三代将軍・家光の乳母であるから、確かに相応しい名前であろう。「慈照院殿(足利義政)の時、春日の局と云う女あり。彼が所為にて、応仁の乱起り天下騒動す。近来の春日局の号ハ是を考すして然る歟。」(「老人雑話」)上記のことから、「春日局」という称号は不吉で、忌まわしい名で
大僧正天海(125)【春日局】三條西家は藤原氏北家閑院流三條家の分家・嵯峨家のさらに分家である。三條西公国は内大臣になるなど昇進を続け、天正13年(1585年)に薨去している。その後、三條西家は三條西實條が継いでいる。實條は武家伝奏として活躍していた。「大丈夫でしょうかね。」と京都所司代・板倉重宗が心配そうに尋ねると、「お福が当家の猶子であったことは間違いありません。この私が証明します。」と實條は言うのである。斎藤福は山崎の戦いの後、母方(稲葉安)
こんばんは貴女の子宮ご機嫌ですかいつもご覧頂きありがとうございます子宮美容道®坂野みちるです昨日は大大だぁい好きな秋吉沙羅ちゃんのコンサートに行ってきました麟祥院でのSarahTrioOTERACONCERT篠笛神楽笛奏者秋吉沙羅さんピアノヴァナ・ギリックさんウッドベースジュセッペ・バッシさん太鼓ヒダノ修一さんそれぞれの技術の確かさと力強さが静かな本堂に重なり合って音が響く度に胸の奥が熱くなるような時間でした
湯島にやって来ました春日局像です麟祥院そしていました!ちよちゃんです!!ちよちゃん、おはようくつろいでます寝ましたちよちゃん、またね元気でね
番組詳細|宝塚歌劇衛星放送チャンネル|タカラヅカ・スカイ・ステージ最新の舞台から過去の名作まで、あらゆる舞台を網羅。タカラジェンヌの魅力に迫るオリジナル番組、宝塚の今を伝えるニュースなど、充実のラインアップでお届けする宝塚歌劇専門チャンネル。www.tca-pictures.net1984年編集春日野八千代神代錦梓真弓榛名由梨後水尾天皇近衛信尋お与津御寮人中宮和子春日局水無瀬冴月小橋春野公覚尼よしウィキペディアストレートプレイ4幕作・演出植田神爾川口
名古屋の観光名所といえば?▼本日限定!ブログスタンプ名古屋城ですね…🏯本日は朝から孫守りなので投稿順が前後しました…😅「きしめんの日」日付けは"食欲の秋"と「きしめん」はツルツル感が特徴であるから「ツ(2)ル(6)」との語呂合わせから「きしめん」の語源は諸説あるそうです。実家の山口県の喫茶店に「きしめん」を提供してくれるお店があるので今度行ってみようかな?…😋「柿の日」1985年(明治28年)俳人・正岡子規が奈良旅行にて「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」の句を詠んだとされた日です
春日局のお墓がある麟祥院☆麟祥院は、東洋大学発祥の地でもあります☆今日は、春日局の遺徳を偲ぶ「春日忌」が開催されました!麟祥院では、月2回お寺でヨガが開催されているのですがヨガの先生や仲間達とお手伝い!たくさんの出店が出ていてワンコインでコスモスの鉢植えを購入♡ヨガ仲間のみなさまも遊びに来てくれました!
こんばんは~🌃今日は飛び飛びで書いている"再びの川越"の続きです日枝神社の後は通り抜けた喜多院へ戻りましたこちら喜多院の山門参拝者はここから入るのですがお隣にはもうひとつ門があります鐘楼門こちらはくぐれません前回来た時はこちらの門をチェックしそこなったので今回はちゃんと写真を撮りましたそして同じく前回チェックしそこなったのではありませんが拝観料をケチって訪問しなかったこちらにもリベンジしました喜多院本堂(慈恵堂)に連結している客殿・書院・庫裏(寺務所)夏のせいか緑も
天海大僧正の木像が安置された御堂埼玉県川越市にある天台宗の寺院、川崎大師喜多院(埼玉県川越市小仙波町1-20-1)にお参りしました喜多院は、830年(天長7年)に最澄の弟子の慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)が開山したことが由来とされています力強いパワーをお持ちのご不動さまや、天海さまの木像が安置されている慈眼堂などが有名ですが、客殿では、三代将軍徳川家光「誕生の間」、書院では春日局が使用していた「化粧の間」も見学できます1782年(天明2年)に僧・志誠(しがん
最近たまに考えます。人生100年時代と言いますが、元気で長生きしたい!そして願わくばピンピンころりといきたい!そういえば両親はポックリ寺にお詣りに行ってましたね。二人ともピンピンコロリではなかったですが笑私の理想は大奥第1章の春日局の最期。ま、ドラマですからね。最後に身なりを調えて会いたい人を集めて、感謝の言葉を述べて頭を下げて、そのまま亡くなるというもの↓このドラマで春日局役の松下由樹さん、かっこよかった!再放送の最終回を録画して見返しています(永久保存版にしてい
徳川将軍家という巨大な権力の狭間に生きてきた大奥の女性たち一見、華やかに見える将軍の後宮=大奥そこに住まう歴代の正室(御台所)と側室そして、彼女たちの生活を支えてきた女中たちにはどのような歴史があり何を想いその暮らしぶりはどんなものだったのか。女中法度や壁書などの厳しい規則に縛られ閉ざされた生活のなかそれぞれの人生における喜怒哀楽、栄枯盛衰。多くの女性たちが行き交う禁断の世界とは……当時に思いを馳せながら鑑賞してきました。〈本展の
一年以上前に行きました岐阜県大垣市の城になります現在は公園になっています西美濃三人衆の一人である稲葉一鉄の居城です関ヶ原の合戦の時に西尾光教が、城主で東軍側だった為に石田三成が打壊しを命じています東軍が赤坂に進出し、松平康長と水野勝成らが入城大垣城攻撃の拠点となる本丸は華渓寺になっています曽根城に行く途中で食事をしました取り敢えず入ってみましたどれにしよう?待っている間に?壁にありました最近はブログを作るのが行ってからかなりの月日が経ってからなので忘れました?
◇三合巡り⑤三合巡りは一日でいっぺんに三角形に寺社を巡り今年2025年の金運のエネルギーをとり運気の底上げをする方法です。一年に4-5回あります。その1回目です。◇川崎大師喜多院多宝塔五百羅漢大黒様春日局化粧の間苦抜き地蔵本堂には佐野厄除け大使と同じくつの大師さまのお札が売っています。こちら休憩所や売店もあり休んだり涼んだり食べたたりできるしトイレもあります。⭐︎おとなりが仙波東照宮お庭つながり。そして川越成田山別院になります。多宝塔側成田