ブログ記事9件
城峯神社じょうみねじんじゃ2月14日は平将門公の命日と言われていますまずはこちらの記事をササッと御覧ください↓↓↓『【少林寺】秩父三十四観音第15番』少林寺しょうりんじ秩父三十四観世音霊場第15番少林寺です少林寺と言うと自分の世代では「アチョー❗️」なんです日本では少林拳と少林寺拳法がごちゃごちゃになってま…ameblo.jp↓↓↓特に最後のほう秩父33観音霊場巡礼中の私はふと将門公のことを思い出しました10代の頃から私は将門公を敬愛しておりまして…
春日神社(桜井市吉備640)大和国十市郡奈良県桜井市吉備640(短時間なら社前に停めても問題なさそうですが)■旧社格村社■祭神武甕槌命経津主命天児屋根命姫大神国道165号線の北側、現在はきれいに区画整理された桜井市「吉備」集落内に鎮座する社。吉備界隈には春日社が多く鎮座しており、春日大社の勢力が強く及んだことが分かります。かつては天武天皇を祀る社であったとか。また西へ100m辺りの光尊寺という仏教施設の北西から遷座されたようです。創建由緒に関する資料は見当たりません。
舩井神社(ふないじんじゃ)の創建年代については不詳であるが、由緒には神功皇后の三韓征伐の時、住吉明神に祈られたところ、住吉明神が現れて御船を守護し、つつがなく航海が出来たうえ、三韓征伐も成功したため、凱旋後、神功皇后はこの地に住吉明神を祀ったとされている。また、延喜式神名帳(927年)に記載されている式内社の旧郷社の神社である。ここより北西500mの地に、瀛居の杜(おこのもり)または太古の杜と称する塚があり、ここに大樹が繁り、舩井神社の前身の住吉神社が鎮座していたと伝えられている。当神社の「舩
春日神社(善根寺春日神社)(神武東征孔舎衛坂古戦場)河内国河内郡大阪府東大阪市善根寺町6-7-67(二の鳥居にP有り)■旧社格村社■祭神武甕槌命経津主命天児屋根命比売神「生駒山」西側麓、東大阪市の狭小住宅密集地の最高所付近に鎮座する社。正式社名は「春日神社」、通称は「善根寺春日神社」。◎「神武東征孔舎衛坂(くさのへのさか)古戦場」推定地であり、境内に磐座が座し、「日本最初春日神社」の扁額が掲げられ、境内で酒造りが行われるなど、興味の尽きない社。◎【神武東征孔
夜都伎神社(やとぎじんじゃ)は、山の辺の道沿いにある神社で、創建についてはよくわからなが、拝殿の萱葺きの屋根は県内では珍しもので、春日社とも呼ばれている。当社は春日大社と縁が深く、春日大社の四神をお祀りしており、明治維新までは夜都伎神社から春日大社へ蓮のお供えと称する神饌を献供しており、春日大社からは若宮社の社殿と鳥居を下げられるのが恒例となっていたと伝えられている。現在の本殿は、明治三十九年(1906年)に移築されたものである。また、鳥居は、嘉永元年(1848年)に奈良の春日若宮から下げ
春日神社(榛原栗谷)大和国宇陀郡奈良県宇陀市榛原栗谷(詳細住所不明、「栗谷公民館」と敷地を共有、奥の民家は「栗谷477」)■祭神武甕槌命経津主命天児屋根命比売大神大将軍大山祇命宇陀市の山村地「榛原栗谷」の真ん中ほどに鎮座する社。村内には他に社が見られず、鎮守社であったかと思います。社頭案内には「棟札の写しによると、元徳元年(1329年)12月に実盛願主となって春日四神を祀ったとあり、当社は鎌倉時代末頃の創祀と考えられます。実盛は当地の領主だったと思われます」とあります。
末社『春日社』日本最古の三輪明神(大神神社)末社・春日社(かすがしゃ)は大行事社右横の道路を東へ進むと、大三輪教本院の堂舎に突き当たります。そこを左手に進むと小高いところに石畳の参道があります。参道を少し登った先に木立に囲まれるように鳥居が立ち、春日造の小祠が鎮座します。祭神は武甕槌命(たけみかづちのみこと)、斎主命(いわいぬしみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめのかみ)の春日四神を祀ります。この春日四神は奈良の春日大社から勧請されたということですが、勧請由緒及び時期
春日神社(橿原市内膳町)大和国十市郡奈良県橿原市内膳町2-9-12(P無し、近隣停め置き不可、近鉄「大和八木駅」周辺のコインP等利用)■旧社格村社■祭神天児屋根命経津主命武甕槌命姫大神奈良県中南部地区の中心地、「大和八木駅」を核として栄える「内膳町」の南西端、密集地内に鎮座する社。境内側を「飛鳥川」が流れます。◎「内膳町」については「奈良県史」に以下のようにあるようです。「昭和十八年ごろ奈良県宛てに当社神職の提出書に口碑として『上古より天鈿女命の後裔が内膳司として魚類料
珍しい社殿と、大きなイチイガシが印象的です。宇陀市榛原栗谷に鎮座する春日神社。■鳥居■手水鉢1732年(享保17年)奉納。近隣神社に比べると、かなり大きめな本殿が・・・・・・■本殿入母屋造、銅板葺(檜皮葺)。桁行六間、梁間一間、向拝一間。1329年(元徳元年)創祀。1737年(元文2年)現在の本殿建立。西に四柱、一間あけて東に一柱。西は春日四神(武甕槌命、経
五社神社(天理市中山町)大和国山邊郡奈良県天理市中山町434(P無し、麓のどこかに停め置き歩くのが良いかと思います)■祭神武甕槌命経津主命天児屋根命比咩大神大和神社の東方、大和盆地の東側山麓の麓に鎮座。「大和古墳群」の中に位置し、古墳と認定されているものだけでも24基(認定されているのはごく僅かかと思われます)。古墳の隙間に鎮座するといった状態。◎創建由緒等は不明。かつては大きな樹叢に鎮座していたものの、明治の合祀令により歯定神社に合祀。昭和に入ってから復社されたようです。
春日神社(河合町佐味田)大和国廣瀬郡奈良県北葛城郡河合町佐味田837(駐車できるスペースは辛うじて有り、アクセスはかなりの狭小道路なので運転要注意)■祭神(不明)南北に流れ北で「大和川」に合流する、「佐味田川」沿いに営まれた集落「佐味田(さみた)」に鎮座する社。集落の西端、もっとも高所に位置しています。創建由緒等については資料が見当たらず不明。たくさんの奉納された絵馬を飾る「絵馬堂」というものが境内にあり、古くから大切にされてきた社であることが窺えます。※当初「春日神社(広陵
春日神社(千代神社)大和国城下郡奈良県磯城郡田原本町千代中垣内1258(P無、近隣にも無し)■延喜式神名帳[境内摂社千代神社]千代神社の論社■旧社格村社■祭神武甕槌命経津主命天児屋根命比咩大神[境内社千代神社]八千千姫命密集した古い集落「阪手」内に鎮座する社。出色は春日四神を祀る当社境内に鎮座する、式内論社の千代神社(ちしろじんじゃ)。◎式内社千代神社は平安初期に、近くを流れる「初瀬川」の洪水により社殿が流失してしまったようです。論社は計3社、さまざまな文
宅春日神社(やけかすがじんじゃ)大和国添上郡奈良市白毫寺町116(社前に寄せて停めおきました)■延喜式神名帳春日神社の論社■旧社格村社■祭神天児屋根命比売神「高円山」の西方麓に鎮座。「高円山」とは「花山(春日山)」の、南側にある山。春日大社創建神話に深く関わる社。◎社伝によると、神護景雲二年(768年)に春日大社創建の際に、河内国の枚岡神社より春日四神を迎えるにあたり、当初で一時留まり仮宮を設けたとされます。◎当時この地を「大宅郷」と称していたことによる社名由来とされ
京都・西京区の大原野神社にお参りしました平安京の裏鬼門の方角にあたるここ大原野の山で、垣武天皇はときおり鷹狩をされていたようです垣武天皇の奥様のご実家(藤原氏)の氏神である、奈良の春日社から(現在の春日大社)御霊を勧請した事で京春日とよばれていますご祭神はもちろん春日四神武御賀豆智命(武甕槌命)伊波比主命(経津主命)天之子八根命(天児屋根命)比咩大神(比売神)およそ1200年の歴史ある古社藤原家に女の子が生まれるとそ
ある日、子供から『中甚兵衛って知ってる?すごいエライねんで。』と聞いたのをきっかけに、調べてみました。大和川が、台風や大雨の際たびたび氾濫をおこし、その洪水によって多くの人が度重なる被害にあい続けている。。大和川のつけ替え工事が何としても必要であると考えます。(石川との合流から、堺の海へ流れ込むように)奈良時代には、和気清麻呂も同じ事を提案していたが、技術的・資金的に実現不可能でした。わざわざ江戸までお願いに下るが、様々な問題浮上でなかなか前に進まず…
先日、お友だちと奈良に行った時、長らく行ってない春日大社にお参りしに行きたかったのですが、(どちら様から聞いたのかちょっと忘れてしまいましたが)奥春日である枚岡神社の方を先にお参りする順番が神様には喜ばれると、そんなことを聞いた記憶がありました。う~ん、ほんと?(笑)神様はお優しいからなぁ。これは半信半疑なのです…が、聞いてしまったばかりに気になっていつか春日大社に行く前には、枚岡神社に行っとこう(^.^)と思っていました。お昼頃に東大阪に行く用事が出来てさて帰
夜都伎神社YatogiShrine/天理市Tenri-city,Nara.ご祭神/春日四神※屋根が茅葺の珍しい神社。蚊さえいなければ、本を読みながらゆっくり過ごしたかったな。なんで「夜都伎」なのか名前の由来は分からず。夜都伎神社