ブログ記事4件
都道府県別索引へ千葉県の索引ヤブまみれ倒木まみれの真名宿内城を北に突破し、最北端の土壁に沿って西に進むと現れるコイツは、城の遺構か?🤯入り込んで振り返ってみると、両側の垂壁がいかにも新しいようにも見える…房総の城には側壁が垂直の岩盤堀切がしばしば見られるが、ここは岩盤ではなく、固く締まった土だ…そして、この外側の光景は、驚くべきものだった…ものすんごい切通しっ🤯両側が普通の土壁よりも明らかに鋭く、幅5メートルぐらい、深さも7〜8メートルはあろうか。反対の北側も…
【廃道巡礼バスツアー4】に参加して来ましたッ”免許ナシぼっち”のMIMIZUは気軽に廃道へ行けないからね…こういうツアーがあるのは超嬉しいッ団体行動が苦手なMIMIZUでも、同好の士の集団なら話は違うかもッあわよくば、「廃友さんが出来たらいいな」なんて人見知りのくせに淡い期待もしつつの参加…余裕で東京駅に到着し、モーニング食べてウキウキしてたのに直前で遭難し、ギリギリに到着バスに乗ると自由席なので窓際のお席が全て埋まってて空いてない仕方なくドカッと一番後ろの真ん中に陣取ることに…
黒川通り⑴←のつづき約30分つまんない道を歩いてようやく黒川橋に到着国会図書館で手に入れた1972年の古地図には、ここから少しだけ小径として載ってる今まで歩いてきた船越橋〜三条橋は1972年時点で地図から消された道だったここの木橋が超怖いMIMIZU的に隙間から下が見えるのって超苦手なの木を節約してるのかスカスカ足がすっぽり入るぐらいスカスカ途中、足がすくんで座り込むMIMIZUちなみに…MIMIZUの三大苦手なもの虫!橋!集合体!肝心の黒川橋跡!この一本から二本にな
【三連休3日目】この日も廃キング国道411号線【青梅街道】の前身、明治8年着工3年後の明治11年に完成した馬車道。丹波山村の船越橋から一ノ瀬高橋の藤尾橋までの馬車道は昭和34年に道路に適さないと世間に棄てられたの…それが黒川通り!!ようこそ❤︎オブローダーさん!と言わんばかりトンネル近くに車をデポするとこがあり、向かい側の階段からスタート取り付きがわかりやす過ぎ通行不能の看板等もなく歓迎ムード全開!!階段登ったらいきなり崩落地トラバースだよぉ〜鮮やかな緑と沢の音に心が