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昨日は予定通り、仕事終わりにブックオフに行ってきました。駅から離れたところにあるブックオフに行ったので、往復1時間も歩きました💦遅い時間に行きましたが、けっこうたくさんのお客さんがいました。みんな20%オフ狙いかな。欲しいと思っていた小説がなかったので、イザベラ・バードさんの本を探しましたが、残念ながらそれもなく、色々と見て回った結果こうなりました。3冊とも講談社学術文庫です。「明治日本見聞録」「幕末日本探訪記」「シュリーマン旅行記清国・日本」外国人から見た幕末や明治日本の本
京都市立京セラ美術館に行ってきました(8月16日)。明日から開催のこの展覧会、一足先に拝見しました。私のイチオシ(前期)は今尾景年ですね。静嘉堂文庫美術館の耶馬溪図屏風の山の皺の描き方も良いのですが、→つづく綺羅きらめく京の明治美術ー世界が驚いた帝室技芸員の神業|京都市京セラ美術館公式ウェブサイトhttps://t.co/YTXEp52gm1—うえださよこ(@sayoko_ueda)July22,2022綺羅めく京の明治美術は人間国宝の先駆けといわれる帝室技芸員の
『海軍の友人、陸軍の友人へ』-司馬遼太郎●英雄的自己肥大✪明治・大正までの海軍士官の家庭は、子弟に諸藩士の家庭ではなく(諸藩士の家庭は、徒士以下はぞんざいなものだったようです)旗本のそれを、無意識にシツケとして伝承させようとつとめたのでありましょう。両親に対しては、サンでなくサマをつかわせ、かならず敬語を用いさせるというのは、諸藩の徒士級(太政官の大官の出身家庭)のそれでなかったと思います。旗本の家は、いずれこの子が殿中で御役につくということで、そのときにハジをかかぬよう、じつにやかましく
あゝ野麦峠1979年6月30日公開明治中期、長野県岡谷市にある製系工場に、岐阜県飛騨地方から野麦峠を越えて働きに出た少女達の姿を描く。あらすじ明治36年2月、飛騨から野麦峠を越えて信州諏訪へ向かう百名以上もの少女達の集団があった。毎年、飛騨の寒村の少女達はわずかな契約金で製糸工場(キカヤ)へ赴く。河合村のみね、はな、きく、ときも新工として山安足立組で働くことになっていた。途中、ゆきという父無し子の無口な少女も一行に加わった。明治日本の富国強兵のための外貨獲得はこのような工女のか細い手に委
明治政府が最も恐れた男・小栗上野介が罪なくして抹殺された理由【検証「徳川近代」】幕末の日本でいち早く近代化を推進した小栗上野介忠順は、「徳川近代」を象徴する幕臣である。その小栗が維新後、さしたる理由もなく新政府軍に斬首されたことに「維新の実像」が見えて来る。元『歴史読本』編集者で歴史書籍編集プロダクション・三猿舎を経営する安田清人氏による、『消された徳川近代明治日本の欺瞞』の著者・原田伊織氏インタビュー。今回の第三弾は、「徳川近代」を牽引した小栗上野介忠順の実像に迫る。『消された徳川
「日本は自身の独立のためだけにこの戦争を遂行しているのではない。その存在を懸けて戦っているとさえいえるだろう。さらに日本は、ヨーロッパとアメリカの戦争をも遂行しているのである。国々の貿易や交流を発展させる自由のために、かつまた、東洋と西洋のより緊密な結合をもたらすために」日露戦争さなかの1904(明冶37年)初秋。「日本の近代科学技術教育の父」と称されるヘンリー・ダイアーは故郷の英スコットランドで大著「大曰本(DaiNippon」の本文をそう締めくくった。「国民の本当のバイブルは
☆人形☆☆開国以来☆明治日本☆☆1番アピールしやすかった☆玩具類☆☆人形☆☆優秀選手でした☆☆市松御人形☆☆英国やヨーロッパやアメリカ等々☆☆西洋の御部屋で☆☆他の御人形と☆どんな友好をしたのか☆☆ちょっと考えます☆沙彗奈らんこ🍎
我が国の「保守」と言われる人たちは、なぜグローバリズム的改革を良しとしまうのか?その要因の一つは、天皇の存在に重きを置かず、明治維新を一面的にとらえてしまっていることです。明治日本に発せられた国是、「五箇条の御誓文」をカギに考えてみます。進撃の庶民新サイトで続きを読む
山口県萩市「明治日本の産業革命世界遺産登録」であります重要文化財菊屋家住宅ここは萩城城下町菊屋家の白壁となまこ壁の続く菊屋横丁静かな町並みが続きます菊屋家は1604年毛利輝元の萩入国に従い萩に移ってここに屋敷を拝領しました当初、長塀作りであった菊屋家1659年毛利綱広公が初入国する時に「長塀では体裁悪い❗️格に合わない❗️😲」……と言う理由で「長屋門」にしたと言う長屋門とは上級武士住宅の「表門
5月25日に緊急事態宣言が解除されたものの、6月2日には「東京アラート」とやら出されて、結局のところ宣言が解除されたから「もう大丈夫」と思ってしまったり、だからといってアラートでレインボーブリッジが赤く灯されたから「またダメか…」と思ってしまったりと上の方から降ってくるああだこうだよりも、気を付けることは気を付けて、それぞれが考えるしかないのでしょう。その個人差の度合いが悲観に振れれば息苦しくなりますし、楽観に触れれば第二波襲来ということになるかもしれませんが、それも致し方なしのよ
司馬遼太郎の作品『燃えよ剣』と『峠』が2作同時期に映画化される運びとなった。ここでは、現代の歴史観に影響を与えているという「司馬史観」という概念を考えてみたい。司馬文学は概して学者よりも庶民に優しい目線で、民衆重視を説きながらも武士中心の歴史ロマンであり、通俗文学以上の価値を認められている。司馬遼太郎は脚色の許される小説だけでなく、1970年代から死没まで刊行された全国紀行『街道をゆく』を筆頭にノンフィクションも著しており、歴史への所感はそこで古今東西にわたり小説よりも鮮明に表現されている
明治日本の富国強兵政策---「ああ、野麦峠」犠牲になった女工たち1979年製作/日本原題:NomugiPass配給:東宝監督:山本薩夫主演:大竹しのぶ明治中期、長野県岡谷市にある製系工場に、岐阜県飛騨地方から野麦峠を越えて働きに出た少女達の姿を描く。昭和43年に発表された山本茂実の同名小説を映画化した。主演の大竹しのぶは、その演技を絶賛された。作品は実話に基づく感動作である。舞台は、明治36年2月の信州諏訪の製紙工場。飛騨から野麦峠を超え信州諏訪に向かう少女た
ヴィクトリアン倫敦の書店街を歩く夏目漱石の姿が眼に浮かぶ。あるシェイクスピア本を見つけた漱石は、いたくその本が気に入ったはず。19世紀末の英国を舞台に、漱石とShakespeareとWilliamMorrisを結ぶ推理もの。『イギリスと日本アンティークな見方:推理の読み物』https://amzn.to/2MiAEgt学びに行った岩倉使節団が、逆に英国人から質問攻めに。柿本人麻呂の挿話に至っては、ほほえましい情景が眼に浮かび、当時の日本人でなくても鼻が高い。イギリス
明治(1888(明治21)年)の日本の総人口を大真四角として府県を中小の真四角で表したとき、トップ10府県と関東6府県、に加えて、北海道、愛知、大阪、兵庫、福岡の5府県、の現在の図を作ってみた。
どうも。日本は、もの凄い「労働搾取」が行われている国です。技能実習生制度で、このような状態なのにもっと法が緩くなる。だが、こうした下支えの労働力が無ければ、日本社会が成り立たないのも現実です。結局、労働に見合った対価が支払われていれば、問題ないのです・・・とすると、流入する外国人労働者がきちんと「労働環境」に納得し、母国への送金を確保できるように整備すべきで、それは行政の責任となる。でも、資本と労働の歴史を見れば歴然と「組合」があっての、バランスで成り立ってきた背景がある。
「坂の上の雲ミュ-ジアム」は竹林に囲まれていた。以前大阪の「司馬遼太郎記念館」を見たことがあるが、建物の設計者がどちらも安藤忠雄氏なので似たような印象を持った。この施設は、松山市が取り組んでいる司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」を軸とした21世紀のまちづくりの中核施設となっている。小説「坂の上の雲」の主人公は、まことに小さな国である日本の開花期に伊予の松山に生まれた秋山兄弟と正岡子規の三人である。「坂の上の雲ミュ-ジアム」には小説のストーリーを追うように、明治と
翻訳唱歌と国民形成─明治時代の小学校音楽教科書の研究─12月22日(日)、シンポジウム「明治日本の文化形成における「翻訳」―音楽を中心にその意義を考える―」に参加しましたので、そのまとめ&感想をお届けします。これは、10月26日(土)に行われた「ポスト・グローバル時代の可能性――よりよき世界秩序をどう構想するか」と同じく、施光恒氏、柴山桂太氏、佐藤慶治氏による科研費研究「世界秩序構想としての「翻訳」の意義に関する政治社会学的研究」の一環のシンポです。会場も同じ精華学園記念館でしたが、今回
∂最暗黒の東京松原岩五郎最暗黒の東京(講談社学術文庫)[松原岩五郎]660円楽天∂明治の体当たりレポーター松原岩五郎がボロを着て、蚤に食われながら潜入した明治東京の最下層報告(イラスト入り)。そう、これを読むと「あれっ」と思うはず。ベストセラーの浅草周辺ピカレスクのあの小説も、これを参考書にしてる。日本橋周辺の文明開化(木戸孝允)が進むなか、文明からも経済からも弾かれた人々が暮らした東京もあった!∂内容紹介明治中期の下層民の生活を克明に記録したルポル
あざやかに蘇る当時の色、風俗、色彩!油彩画の中に閉じ込められた人々の息吹。音、声、匂いまでも感じられそうな気がしてくる。毎年、菊の季節になると彼の絵を見て、明治の日本にワープしてみる私です。RobertFrederickBlumロバート・ブラムが見た明治の日本。フィラデルフィアの万国博で日本の展示を見て以来この極東の国の風俗に魅せられたアメリカ人画家がいた。念願かなって来日を果たした彼は2年3か月の間、明治日本の市井の光景を描きまく
原辰徳が高木豊に打ち明けた選手時代の「巨人退団を決断寸前だった」秘話!アサ芸プラス現役時代は同じユニフォームを着ることはなかったが、交遊は大学時代からで、高木氏は「原監督がホンネを言える解説者」としても位置づけられていた。「高木氏...【大谷能生ニッポンの音楽教育150年間のナゾ】音楽教育の原初までさかのぼってみると…(5)ZAKZAKずっとこの連載では「明治時代の音楽教育」について書いている訳ですけれども、ワタクシ大谷一応、別に学者でもなんでもなく、演奏したりしてステージに
日本海側の、城崎温泉~香住~余部鉄橋辺りに行ってみた。ゆるーい温泉地の昼間の気分は、また格別。城崎を出て、しばらくリアス式の海岸線を辿っていると…おお!ここは、かつて10数年前に大学の友人4人とカニを食べに来た『竹濤』ではないか!こんなところにあったのね!!浜辺の岩礁の上に立つ料理旅館。その傍の砂浜では、無数のカモメが、同じ方向を向き佇むシュールなひと時…。これもスゴイよナ~!明治日本の産業遺産!エーもんを一杯見れた一日であった。
竹田の宮様のご子息の『文部科学省検定不合格教科書』が検定を逆手にとってのいいご商売をなされましたが、往時、検定で話題になった「「新しい歴史教科書」の採用校は今はどの程度のものなんでしょうね。話題になったときに買って読んでみたのですが、なかなかのものでした。たとえば、2頁にわたり、西郷と勝海舟に焦点をあてて、幕府や各藩の「私」の利益を離れて、日本という「公」の立場からの両者の会談を描いています。また、二宮尊徳(金次郎)と石田梅岩についても同様に2ページにわたって書いていま
9月14日から16日にかけて、長崎で開催された「長崎居留地まつり」という、長崎の居留地時代をモチーフとしたお祭りの一環として行われた、9月16日の「洋館音楽舞踏塾明治時代の舞踏体験とミニコンサート」の中で、「読む舞踏会ミニ~明治日本のダンス革命」を、無事開催しました!香港上海銀行記念館の片隅に、明治時代と昭和初期のダンス教本を何冊か展示させて頂きました。以下、当日展示した本の目録です。明治時代のダンス教本・原本実物最新舞踏全書日本遊戯調
激動の明治時代を生き三度も首相の座に就いた桂太郎さん。この方が首相の時に日本は日露戦争を戦い抜きました。そのことも改めて認識したほどこれまで気になる方では無かったです。「にこぽん首相」というあだ名は知っていたので豊臣秀吉さんと同じく人心収攬が上手かったんだなというレベルの認識です。またこの小説を通じて桂太郎さん自体ではなく明治の45年間を一線で生き抜いてきた桂さんを物語の中心にして多くの(著名)明治人の行跡を辿ることが出来改めて明治時代の活気を
[フリガナつき和文および英訳は、次をクリックしてください]http://learnjapanesewithyuko.com/prefectures-of-japan/takashima-island-nagasaki-shi-nagasaki-prefecture-高島-たかしま-長崎県-ながさきけん/)1.面白いおみやげ長崎を旅行して、面白いおみやげを買いました。「(軍艦島の影絵)に上陸できませんでした」と書いてあります。これは、私たちが参加した小さな船の旅が、天候のため目的
エミーユ・ギメと言ったら、パリ16区のギメ美術館の創設者として有名。パリに住んでいる際に、日本をはじめアジア芸術素晴らしさに気付いたのも、クメールの神様に恋したのも、そして、初めて蹴鞠を見たのもこのギメ美術館が最初です。1836年にフランスに生誕し、家業の化学工業で財を成したのち、西洋圏外の宗教からアジアに興味を抱き、そして、89年、のちのフランス国立ギメ東洋美術館となった宗教博物館を設立したのが、この方。もちろん日本を自らの足で歩き、素晴らしい絵日記とともにこの国の良さをフラ
落合莞爾(おちあいかんじ、1941年-)【前半】出典:フ…リー百科事典Wikipedia落合莞爾の説く「京都皇統」とは「京都皇統」とは、落合莞爾による造語。幕末に偽装死した孝明天皇と睦仁親王が、以降の政体天皇を周防国田布施にいた護良親王の後裔である大室寅助(大室寅之祐)に任せて明治天皇とし、京都堀川の本圀寺内に極秘造営された堀川御所に入られた。明治、大正、昭和、平成の政体天皇とは別に、孝明天皇、睦仁親王から現在まで続く裏の皇統を称して、「京都皇統」と落合が著作物内に