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半七捕物帳岡本綺堂1917(大正6)年から1937(昭和12)年まで発表旺文社文庫昭和52年明治時代、若い新聞記事の「わたし」が、かつての岡っ引で、「三河町(みかわちょう)の半七親分」と呼ばれた半七老人の昔語りを聞き書きに記して行く。かつて将軍に拝謁できる資格の旗本以下の身分である徳川家の武士であった御家人だった父を持ち、劇作家だった岡本綺堂が、ドイルの「シャーロック・ホームズもの」に触発されて自分でもミステリを書いてみたいと挑戦したもので、短編ミステリ連作の体裁をとっている
4月30日のブログで、自分図書館で見つけた丸山真男の『日本の思想』のことを書いた。最後のページの右上の隅に鉛筆で「80」と書かれている、いつどこで買った分からない古本である。昔の古本屋は、値段をこのように表示していた。最近、そういう古本屋を見かけなくなった。教室に話をしに来た大学生に、これ何かわかる?、と鉛筆書きの「80」を見せてみたところ、案の定、それ何ですか?、という返事が返ってきた。古本屋と言えば、ブックオフしか知らない世代である。昔ながらの古本屋は、絶滅危惧種で
『十二夜』TwelfthNight原作ウィリアム・シェイクスピア訳大山敏子昭和四十七年(1972年)二月十日初版発行昭和四十九年(1974年)八月二十日重版発行旺文社TwelfthNight,orWhatYouWill(直訳すると、『十二夜、或いはお好きなように』)は、ウィリアム・シェイクスピアが1600年頃に書いた戯曲である。十二夜(じゅうにや)とは、クリスマスから12日目の1月6日の公現祭の日を指す。シェイクスピ
サマセット・モーム「お菓子と麦酒」(上田勤訳、新潮文庫、昭和34年、手元にあるのは昭和54年第26刷)を読んだ。前回読んだのは1980年6月21日(土)午後5時40分。「雨、夕方にはあがる。久しぶりのモーム」と最終ページの余白にメモが残っていた。1980年といえばぼくは30歳の雑誌編集者時代。ぼくの「モーム」への関心は間歇的に起こったり消えたりしていたらしい。モーム自身はこの作品を自分の代表作と考えていて、80歳の誕生祝い(内祝い)にこの本の豪華装幀版を配ったという。
***去年の秋に神保町へ行って古書店街を回った時澤口書店で見つけた一冊、六代目・三遊亭圓生師匠の『書きかけの自伝』三遊亭圓生師匠といえば昭和の名人のひとり。落語にそれほど詳しくなくてもこの人のことは知っている方が多いんじゃないだろうか。1900年(明治33年)生まれ。産声をあげたのは大阪であったが4つの時に東京へ移り住んだため本人は江戸っ子気質だったようだ。(前略)そこへいくと、江戸っ子はまこと
日本の歴史の漫画セット、旦那さんが買いました。ベビーちゃんの学習環境整えたいから、この手のものを揃えようってことらしい。とりあえずよくわからないので、売上一位らしい角川のものを買いました。ベビーちゃんはまだ字が読めないので、旦那さんと私が読んでます。これも同じ理由で、図鑑。評判良さそうなので、小学館のネオシリーズのおすすめ5冊セットを買いました。定番のラインナップですね。こちらも、今のところはベビーちゃんよりも私が食いついて喜んでます。いやあ、最新の図鑑は面白いなぁ!橋本治の『
ぼくの探偵小説遍歴、第5回★フェーマス・トライアルズ(日本評論新社)犯罪実話小説というべきか、法廷小説というべきか迷うが、実際に起きた有名犯罪事件(刑事裁判)のドキュメントがある。英米では、実際の裁判記録(訴訟記録)を、起訴状、陪審員の選定過程、冒頭陳述、証拠調べ(主として証人尋問、とくに反対尋問)、最終弁論、裁判官による陪審への説示、陪審員の評決、そして判決までを、原資料に基づいて記録したシリーズものがいく種類か出版されている。中には100巻近く出ているものもあるらしい。「フ
牧野信一の短篇小説「ゼーロン」を読んだら、私が以前見た夢と何となく似ている点があることに共感する。昭和の旺文社文庫の「鬼涙村」初版をわざわざ取り寄せたのは、まったく別の視点で小説作品をネットで調べていると小説家牧野信一の名前に行き当たったからである。実に成り行きの興味で作者のことを調べていくと、是非読んでおきたいとなったもので、ではどちらかというとメジャーな岩波文庫版より古本好きな私はこちらという運びとなったのである。「ゼーロン」という言葉が頭に反芻され始めたのが数日前、満を持し読み
(伊藤左千夫:1906)★本稿は文庫本15ページ分の長編です!ネタバレ有り!!!発端は、某SNSで高校同期の友人から頂いた、「一人娘が国際結婚すると言い出した時、『野菊の墓』を読み直して、云いたいことをグッと堪えた」というコメントに俄然、興味が湧いたからだ。グッと堪えた、か。彼はまた、「こういった名作の多くには、戒めであったり、教訓、誠実さとは?みたいなのがサラッと刷り込んであるじゃない?そのあたりが大切な気がする」とも語っていて、それには至極同感。
***丹頂の鶴が心字池の汀(みぎは)に沿つて、白い砂をさくさくと踏みながら、私の方に歩いて来た。群れを離れて一羽きり餌をあさつているのかと思つたところが、鶴は私の顔を見ながら、細長い頸をいつぱいに伸ばして、段段足を早めるらしい。広い庭に人影もなく、晴れ渡つた空の真中に、白い雲の塊が一つ、薮の向うの天守閣に向かつて流れてゐる。私は近づいて来る鶴に背を向けて、なるべく構わはない風を装ひつつ、とつとと先へ歩き出した。ずっと探していた内田百閒の
この読書記録は読んだ本の内容(ストーリー、テーマ、文体)等を自分の記憶に残しておくことが主な目的のため、文章、解説の一部を抜粋、引用しています。3,4,5月に読んだ本は内容を忘却、記憶力と2度読みする時間的労力、気力の関係から詳しい本の感想を書くことは断念しました。あらかじめその点をご了承お願い致します。『沈黙の春』レイチェル・カーソン青樹簗一訳新潮文庫<この地上に生命が誕生して以来、生命と環境という二つのものが、たがいに力を
旺文社文庫をご存知ですか?1965年から1987年にかけて、内外の古典名作や純文学を中心に刊行されていたそうで、文庫でありながら、なんと函入り!表紙にはヒエログリフとギリシャ神話の女神がデザインされていて、格調高し!(左)函の表(右)本体の表紙裏も素敵。。。価格は¥180(昭和42年発行)奥付には、創業者赤尾好夫による「旺文社文庫」刊行のことばが記されています。「いかなる時代においても、書物は人間の最大の喜びであり、最高の救いである。若い日読んだ書
愛読書の文庫たち。森真沙子さんは美しいホラーの書き手。森さんの現代ものは殆ど読んだ気がする。コレットのシェリは、男女の会話が洒落ている。女同士の嫌味の応酬も秀逸トーマス・マンのトニオ・クレーガーは何故か5冊もある。少年時代の主人公の気持ちが痛いほど分かるからな~トニオが大人になってからの後半は難しくてあまり理解できてなかったけど、ちゃんと読み返してみようかしら・・・・トーマス・マンは高見沢さんもお好きなようだけど、この作品も読んでらっしゃるのかな?矢川澄子さ
「羅生門・鼻・侏儒の言葉」⠀芥川龍之介⠀⠀⠀いえね、アタシだって分かっちゃいるんですよ。借りたもんは返さなきゃいけないってことぐらい。しかもこれは誰かのじゃなくて学校のものな訳でしょ。アタシも知ってりゃあちゃんとお返ししてますよ多分。如何せん気づいた時にはもう三軒茶屋のアタシの部屋の本棚に並んでたんですからこれは仕方ない。はてさて、ここにこんな物があるのはどうした訳かと、頼りない記憶の糸を手繰って手繰って思い当たるのは、アタシは中高生の頃部活で同人誌を作っておりましてね、頁を埋め
修禅寺物語(1967年)(旺文社文庫)Amazon(アマゾン)1〜15,000円山の随筆(1979年)(旺文社文庫)Amazon(アマゾン)1〜3,000円<それは「坊ちゃん」から始まった>私が初めて読んだ文庫はこれです。(1)「坊ちゃん」夏目漱石旺文社文庫御覧の通りむき出しでカバーも付いていません。最初から無かったのです。しかも市販されていたものではありません。表紙にあるように[別製]で非売品なのです。奥付には”昭和43年4月1日:印刷・発
持つべきはものくるる友。前記事の絵本とともに、廃棄本からいただいてきました。この旺文社文庫、懐かしいというか何というか、………まだあったんだ、と驚きました。調べてみましたら、旺文社文庫は、1965年創刊1987年廃刊でございます。長く見ないはずでございます。この表紙そのものに郷愁感じます。☆表表紙☆裏表紙この薄緑の表紙に、お世話になりました。店主は、若きウェルテルの悩みとジイドの何作かを読んだ覚えがございます。ますます古書店めいていく店主の城。己の若い
上画像は、5月1日付のこのブログ「矢津山へ(後)四等三角点」で登場した、今西錦司『山の随筆』(旺文社文庫、1979年)。彼の著書六冊から採録した随筆集です。かつて、旺文社は文庫本を出していました。同文庫からは槇有恒の『山行』や、ウィンパー『アルプス登攀記』も出版されているのですが、私が好きだったのは、串田孫一編の『忘れえぬ山』全三巻(1978年)*。特徴は、編者串田孫一氏の「後記Ⅰ」によれば、御自身で「忘れえぬ山」を選んで戴くことにした。
さて、昭和48年の明治座で行われた「舟木一夫8月公演」の続きです。昼の部は『沖田総司』でしたが、夜の部は『われ永久に緑なる』これは旧制高校、金沢四校の学生を主人公にした恋物語。土橋先生の寄稿文によると昼の部の『沖田総司』が早々と決まり、現代劇をどうしようかと話していた時旧制高等学校の最後の1年に在籍していらした土橋先生が寮歌の素晴らしさを話されたことから、旧制高校生を主人公にした芝居にしようと決まったのだそうです。作は土橋先生。演出は松