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入院期間中で一番驚いたことは飲み水を自分で用意すること。大きな病院で入院経験がなく、飲み水は病院にあるものだと思っていましたが、水は自分たちで用意を。家族にペットボトルの水を持ってきてもらいました。ついでにジュースも。お菓子とジュースをみんな持ってきてくれますが、普段からそんなにお菓子も食べなければ、ジュースもあまり飲まない私、、。それぞれ持ってきてくれるので甘いものがいっぱいたまっていきます。笑退院までに食べきれず。甘いものよりも水やお茶がどんどんなくなります。自販機はあるけど
初めての総合病院に入院。大部屋で入り口の方。みんなカーテンを閉めているので昼は薄暗く、夜は入口付近のライトでまぶしくて寝られず。なんとなく過ごしずらいと感じていました。ライト問題は入院3日ほどで看護師さんにお願いをしたら、カバーをつけてくれてやっと寝られるように。そして入院中に一番苦しんだのは「乾燥」、、。乾燥で咳と鼻水が止まらず苦しみました。乾燥が辛かったですが、やっと加湿器をゲット。それまではタオルを濡らしてベッド周りにおいていました。少しずつ過ごしやすい環境が出来てきました。やるこ
自宅安静が終わり仕事に復帰。今までのように激しいことはせずに事務作業などのサポート業務に切り替えました。何となくお腹がはるかな?でも前回もこんな感じだったかな?どれくらいの張りまで動いていいんだろう?いろいろなことが頭の中をめぐります。そして仕事復帰から1週間後の午後。仕事中に突然ナプキンに収まらない量の出血が、、。もう頭の中はパニック状態。産院に連絡をしてすぐに来てほしいと言われ、自分の両親に連絡をして迎えに来てもらいました。歩くたびに出てくる出血。不安でしかありません。産院に
赤ちゃんが亡くなってからも仕事のグループラインに3月いっぱいまで何となく入っていた。そんな中で流れる後輩の体調不良で休む連絡。普段は自身の体調不良で休まない人だからもしかしたら妊娠したのかな?つわりかな?そんな風に冬の時期は思っていました。その人はすでに2人の子供がいます。今日、インスタを見ていたら中期の母親学級に参加をしたとストーリーに上がっているのを見てしまいました。もしかしたら、、が現実となり何で私には今赤ちゃんがいないの?何であの人は3人目なの?負の感情ばかり。もやもやが止まら
長男が1歳になるころから妊活を始めました。ですが半年たっても、1年たっても授かることは出来ませんでした。自分は2人目不妊なのかもしれない。そう思い不妊クリニックへ。一通りの検査をしましたが原因は見つからず。夫も検査をしましたが、それでも見つからず。最初はタイミング法を6回。次に人工授精を6回やりましたが、授かることは出来ませんでした。クリニックに通い1年経って体外受精にステップアップ。運がいいことに1回の採卵で7個の受精卵を凍結することができ、その後に移植をして、1回目で授かることがで
24週の12月半ばに家族とご飯を食べていたら突然尿漏れの感覚が、、。トイレに行ってみると服に付くぐらいの出血。その後、出血はなかったが怖くなりかかりつけ医へ。原因は低置胎盤による出血。仕事をお休みして1週間の自宅安静となりました。1週間の自宅安静中は下着に少し出血が付く程度。ゆっくりドラマを見たりアニメを見たりと心配ながらもゆったりと過ごすことができました。前回の育休中にコウノドリを見て妊娠・出産はキセキだなとより一層感じました。何があるかわからない。もし流産したら?死産になって
とりあえず回復の1段階目の目安としていた産後1ヶ月検診後、体調がおかしいです。じっとしていられません。食欲がありません。なかなか寝れず、産科からもらった眠剤を飲んで何とか寝ています。息苦しくなります。頭の血の気が引いたような感覚もあります。パニックにはなっていないけど、そのうちなりそうで怖い…次の妊娠について厳しい事を言われたせいなのか。産後のホルモンが変化してきたのか。助産師さんに「今は悲しく辛い時期。ゆっくり休んで。」と言われましたが、何か用事を入れないと気が紛れません。
こんにちは。ラムネと申します。初めてブログを書きます。35才で長女出産。39才で10週で稽留流産。3年の不妊治療後、42歳でやっと授かった子どもは、24週で先天性心疾患が見つかりました。いつ胎内で亡くなるか分からない状況で、旦那と「臨月になるまで見守ろう。赤ちゃんを信じよう。」と話し合ってましたが、30週で母体都合で帝王切開後、2日でお空にかえりました。24週以降、毎日不安でいっぱいだったのですが、皆様のブログに癒されたり励まされました。気持ちの整理をするためにも、私もブログに綴
さきは、人生を10時間16分でかけぬけたので、出生届と死亡届のタイミングが、ほぼ一緒でした。今日はこの手続き、火葬についてについて記録します。見たくない方はここまででお願いします。さきは、2021年5月2日、日曜日生まれです。月、火、水はゴールデンウィーク、祝日です。6日(木)、7日(金)は平日なので、病院からは、「6日の午後には出生届が出せますよ」と言われ、7日に市役所に出生届を出せるな〜。と、思っていました。死亡届のことはまだ考えたくなかった💦しかし‼️4日(火)
おくるみに包まれてやってきたわたしの赤ちゃんおくちをぽかーんとあけて気持ちよさそうに眠るそのお顔はわたしにそっくりで、旦那にそっくりで。抱き上げるとずっしりと重く、ほっぺに触れるとひんやりした。なんて、かわいいの‥わたしがこの瞬間感じたのは人生最大の喜びと、悲しみだった。最初で最後の娘のお世話を助産師さんと家族みんなでやった。沐浴で娘の背中を洗ったときに「あ、このかたち、触ったことがある」なんどもお腹の上から撫でたあの感触、あのかたちが、この背中とおしりだったこ
ICUの中でわたしはずっと意識朦朧としていた目を覚ますたびに「赤ちゃんは?」と聞く。「赤ちゃんは大丈夫。今、別な病院で治療を受けてるよ」母親が答える。このやりとりを何度も何度もした。旦那が、来た。みんなが席を外してふたりきりになる。「赤ちゃんは?」と聞くわたしになかなか答えてくれない。このときのわたしに赤ちゃんがしぬ、という発想はなくて「赤ちゃん病気なの?」「障害が残るの?」そんなことばかり続けて聞いた。「今、意識はっきりしてる?俺の話、最後まで聞けそう?
ここから先は、旦那から聞いた話。わたしはそのままICUへ。旦那は娘の救急車へ同乗。病院に着くとすぐに娘の治療が始まった。娘は相当、深刻な状態だった。「今赤ちゃんはこういう状態でこういう治療をしています」「状態が良くならないのでつぎにこういう治療法を試します」数時間おきに先生からの説明とこのやりとりを繰り返したくさんのスタッフが娘の治療に全力を注いでくれていたそう。そして「娘さん、すごくがんばってます。ですがこれ以上はもう状況としてはかなり厳しいです。お父さ
しばらくNICUで娘と過ごすことができたけど病室に帰ることとなりました。病室で横になって天井を眺めている時間娘のために何もしてあげられない自分の無力さにまた涙。夜中に小児科の先生が病室に来てくれて少しだけ数値が良くなっているので今の治療を続けますとお話してくれました。先生の言葉にほんの少しほっとしてからどれぐらいの時間が経ったときだろう?今度は夜中にNICUに呼ばれました。こんな時間にわざわざ呼ばれるって、、、考えたくなかったけど嫌なことが頭の中をよぎりました。NICUに
NICUで始めて娘と対面したとき名前を呼びました。何度も何度も呼びました。ちゃんとお腹の中にいるときに聞いたママの声って分かったのかな?娘は目を開けてくれました。本当に嬉しくて、、、言葉では言い表せないぐらい嬉しくて、、、お姉ちゃんに本当にそっくりで可愛い可愛いお顔でした。目を開けた娘のお顔はそれが最初で最期になっちゃいました。
2日連続で友達から出産の報告がありました。さすがにメンタル崩壊。あー。何だろうな。この気持ち、、、娘がお空に旅立ってもうすぐ3ヶ月が経とうとしてる。本当は家から出たくないし買い物に行って誰かに会うのさえも嫌だけどお姉ちゃんを連れ出してあげないとかわいそうで毎日遊びに連れて行っています。この数ヶ月お姉ちゃんには泣いている姿や悲しんでいる姿ばかり見せてしまっていたせいかママ!よしよしぎゅー。っとするようになりました。まだ2歳にもなってないこんな小さな子が母親のことこんなにも気
色々と振り返りながら投稿していたけどちょっとだけ今の気持ちをどうしても書きたくて、、、私の周りはちょうど出産ラッシュで娘を産んだ後に友達が5人出産を控えていました。そのうちの1人から今日グループLINEで出産の報告がありました!元気に産まれてきてくれて本当によかった!と思う気持ちと同時にどうしてみんなは元気な子を産んでるのに私は元気な体で産んであげられなかったんだろう、、、ごめんね。ごめんね。と自責の念に駆られてしまいました。LINEではおめでとうと言いながらも心から誕生
大学病院に搬送されると知ったときえっ?そんなに容態が悪いの?と私の不安も一気に大きくなりました。産後間もないからだですがお母さんも病院へ行きましょうと言われ娘を取り上げて下さった助産師さんと一緒にタクシーで病院へ。いつもの見慣れた景色がそのときばかりは真っ暗な世界でした。病院に着くまでの間助産師さんがずっと手を握ってくれていたことそれだけが私の心の支えでした。病院に着いてからもすぐには会えず小児科の先生からこれからの治療についての説明がありましたがそんなこと何一つ頭の中
※流産の話です辛くなる方はお控え下さい息子のきょうだいがお空に帰ってしまいましたどうしてうちに来る子はすぐ帰っちゃうんだろう…実は先週の検診でおそらくもう心臓の拍動は止まっているとおじいちゃん先生に言われていました1週間後に再診ということで諦めも半分ありましたが心臓が動いていることを…奇跡が起こることを願いました先日その再診日だったのですがやはり止まっていることに間違いはありませんでした胎盤もへその緒もとてもきれいあかちゃんも綺麗だけど心臓…動いてない
パパは娘と一緒に救急車で市民病院へ。私は産後の処置がひと段落したものの産後2時間は分娩台の上でした。本当に本当に生きた心地がしませんでした。産まれたら我が子を抱っこしたり初乳をあげたりできるお姉ちゃんにしてあげたことをしてあげられると全部全部当たり前のように思っていました。どうして?どうして?何が起こったの?とにかく早く会いに行きたくて行きたくて、、、パパにも何度もLINEを送って容態を聞きました。大丈夫だから信じよう!きっとパパもそう返事するしかなかったと思います💦後
産まれる前までお腹の中で心拍もしっかりしていましたただ、今色々と思い返すともうすぐそこまで出てきてる!ってときに私は酸素マスクをつけられたなーと。たぶんそのときから心拍が下がっていたんだと思います。あのときはそんなこととは知らずあとちょっとで娘に会えると思って無我夢中で最後の力を振り絞っていました。産まれた瞬間先生が凄く慌てていてお姉ちゃんが産まれたときとは違う異常な雰囲気。か細い声だけどほんの少し声が聞こえたから大きな声で泣くのに少し時間がかかっているんだろうと思っていま
予定日は3月24日。私たち夫婦の結婚記念日でした2人目だし早く出てくるのかなー?と思いきや案外のんびり屋さんだったみたいで予定日を過ぎました。やっと陣痛かな?何かお腹痛いなー?と思い始めて間隔を測ってみたものの、まだまだバラバラ。だんだん一定間隔になったと思ったらまたバラバラになったり産婦人科に電話してみたら経産婦だから一応来てみてくださいと言われお姉ちゃんは実家に預けたままパパと2人で産婦人科へ!産婦人科着いた時点で子宮口は4センチ開いていたのでそのまま様子見。お姉ちゃん
お姉ちゃんを出産する直前に仕事は辞めて専業主婦になっていたので妊娠生活はのんびり今回もほとんど悪阻がなかったので今まで通りお友達と一緒に公園に行ったり支援センターに行ったりお遊び教室に行ったりしてお姉ちゃんとの時間を楽しんでいました♪検診にも毎回2人で行っていたのでお姉ちゃんも次第にお腹の中に赤ちゃんがいることを理解し始めて性別が分かって名前を決めてからはお腹に向かって名前を呼んだりよしよし、ぎゅー。っとしてくれるようになって本当に本当に幸せいっぱいでしたただ、だんだんとお腹
お姉ちゃんを出産してからちょうど1年が経とうとした頃赤ちゃんがお腹の中にいることが分かりました1人目を産んでから生理が再開していなかったし悪阻という悪阻をあまり経験したことがなかったので普通なら妊娠にさえ気付かなかったかもしれない。でも、何となく新しい命が宿ったような気がして妊娠検査薬を試してみたら陽性反応が出ました!女の勘って凄いお盆休みでパパもお休みだったので家族3人で産婦人科へ!無事に心拍も確認できて出産予定日も決まりました。弟かな?妹かな?予定日が3月末だったので
2人の年子姉妹のママです☆次女を早期新生児死でお空に還しました。天使ママと繋がりたくて娘が生きた証を残したくてのんびり娘について書いていきたいと思います^^
こんにちは!お久しぶりですブログをご覧いただきありがとうございますあっという間に年末ですね!今年の冬はとっても暖かったのですがついに年末寒波到来ということで…皆さん体調にはお気をつけくださいね!さて先日は息子の4ヶ月25日には初めてのクリスマスを迎えました息子が生きていたら…息子がいてくれたらなぁ…胸が苦しくなる瞬間です息子がいなくなってから病院側からの説明が続いていましたが一度区切りがつきました月日が経つと人の気持ちも徐々に変わってしまいます息子がいな
こんにちは!ブログをご覧いただきありがとうございます!早いもので息子が生まれて100日が経ちました息子が生まれた日は暑い夏の日でしたがあっという間に秋が来て…季節は冬に向かっています平成最後と今年は良く表現されますが平成最後の夏は一生忘れることができない夏になりましたうまれてはじめて入院してうまれてはじめて点滴をしてうまれてはじめて出産してうまれてはじめてあんなに泣いた夏でも大好きな息子に会えた夏平成最後の夏さて100日ですが御膳とタイをかまえました
こんばんは!お久しぶりです!お昼はとても暖かいですが朝晩はめっきり寒くなってしまって…冬を感じる今日この頃です本日は息子の3回目の月命日でしたそろそろ首が座って抱きやすくなっていた頃でしょうか目を見ると笑ってくれていた頃でしょうかそんな姿をみれないのはなぜなんでしょうか…なぜ息子はいないんでしょう…そんなことを考えるとぎゅっと心が締め付けられます仕事は忙しくてまるで妊娠前に戻ってしまったような感覚に陥りますがたしかにわたしは母親になりました夫婦二人に戻っ