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こんにちは!OKIKOです2023年3月から夫婦で旧甲州街道歩いていますYoutubeで動画を配信していたのですが、こちらではまだご紹介していませんでしたね。突然10日目からのご紹介ですみません1日目から9日目までも過去のYoutubeを見ていただければ嬉しいです今回といっても歩いたのは2023年12月。すでに年も明けて4月になってしまっていますが・・・お気になさらずに【甲州街道歩き旅10日目の記録】日にち:2023年12月18日歩数:41,383歩距離:27.
前回のブログでも書いたとおり、趣味のひとつがカメラ。でも、本格的にカメラ好きというわけでもなく、テクニックを磨くわけでもなく。もう30年以上このOM-10さんとおつきあいしているというのに何時まで経っても腕は上達しません(^_^;)一度、眼レフのむずかしさに嫌気が差して、同じアナログでもバカチョンに走ったこともある。・・・今言わないよねっ?バカチョンwwwだけどあちこち出かけることが多くなってきたころ、景色のよいところへ行ったりしたときに、もういちどこのカメラに触ってみたくなっ
5月20日和田宿から下諏訪へ中山道の中で最高所宿場間最長距離なので最難関といわれています宿場間は21k和田宿から下諏訪駅まで行ったのでさらに距離が多くなり今日の歩行距離は27.2k今回の行程19日午後2時自宅出発温泉のある道の駅マルメロながと車中泊20日7時長久保→和田宿(バス)→和田峠超え→下諏訪電車にて上田駅→長久保(バス)→車にて帰宅23時長い1日でした長久保営業所から和田宿へ車は役場の駐車場に置かせてもらいました帰りの上田からの時間を運転手さんに確認し
連休前半4月28日ここまで大宮から坂本宿まで歩いて中山道屈指の難所と言われる碓氷峠をいよいよ越えることにしました横川駅スタート9:30坂本まで40分前回は安中宿からここまできてこの先の峠の湯に入ったのでここから中山道ウォークはスタート正面の山を越えていきます坂本宿碓氷峠を越えるのは上信越道国道18号旧道があります旧中山道は坂本宿から旧道を行き山道にはいりますこの旧道から左に入りますところがこの先入り口に動物よけの電流の流された鉄線が引かれそこを抜けるのに一世一代の
この連休はお相手さんが10連休だったので前半と後半に分けて中山道ウォークに行って来ました今回で大宮→岩村田・・・・洗馬から美濃太田までつながりました昨年秋から始めて年内のコンプリートを狙っています前半は4月28.29日横川駅から軽井沢(碓氷峠越え)→岩村田後半は5月3456日岐阜県の中津川駅から美濃太田そして昨年の秋木曽路ウォークで日程的に残ってしまった須原から三留野を制覇!この連休で歩いた距離は137キロ前半一泊二日以前に安中から坂本宿のこの地点まで歩いていたので横川駅か
令和5年4月27日(木)約2年前、退職と時を同じくして中山道を歩く旅を始めた。3人の仲間で旧道部(きゅうどうぶ)という名を付け、一緒に中山道完歩を目指すことになった。(途中、自転車で中山道を走っていた仲間が一人加わり、同行して歩いてくれたこともある。)そんな仲間の中で私は最年長である。本来なら江戸日本橋を出発して京三条大橋まで連続して歩くのが順当だろう。だが、仲間それぞれの予定もある。なので歩き始める宿場町を決め次の目的の宿場町まで車や
中山道木曽路歩き4日目歩行距離20km馬籠峠を越えて岐阜県へ南木曽から車で15分ほど入った南木曽温泉のホテルに2泊ここを起点に歩きますホテル前を路線バスが通り9時34に乗車バス停二つ目の中山道の入り口で下車ここから歩き始めますこの日もアップダウンを繰り返す山道大妻籠の街並み風情がありますねまだ朝早いので貸し切り誰にも会いません大妻籠から山道石畳を登ります所々に熊よけのベルが立ててあり鳴らしながら進みます女滝男滝こちらは滝の案内板山の中の道をひたすら登ります
京都三条大橋から歩き始めた「旧東海道」歩きですが、静岡県に入ってから、コロナ騒動などで断続的に中断し、10/27~10/28に、沼津から三島、そしてやっとのことで最大の難所「箱根峠」に到着です。これで全行程の2/3を歩き終えたことになりますが、この続きがいつのことになるやら。はたして江戸日本橋までたどり着けるかどうか。
21日目6月11日木曽福島の宿は、信州割りを使い、宿泊代金が2500円/1人割引で、1人1泊あたり1律2000円の観光クーポンが付いてきた。観光クーポンは早速夜、近くの居酒屋で3人で6000円を使ってお値打ちに飲食できました。今日の天気予報では、昼から雨模様。行けるところまで行く事にする。ところが、私の膝が途中から痛みが出てきて、野尻駅で街道歩きを終えることになった。本日のルート宿を7時10分頃にタクシーで木曽福島駅に向かう。7時36分発のJRで昨日、歩き終えた倉本駅
4月9日宿泊した木曽福島の宿から、タクシーチケットの余りを利用して、宮ノ越4月9日駅までタクシーで行くことにする。この駅から昨日歩き終えた藪原駅まで4月9日JRで行く。4月9日藪原駅から宮ノ越宿を通り、今回は木曽福島宿(木曽福島駅)まで歩く。宿泊したホテルの前で記念写真。JR宮ノ越駅発9時5分に間に合うように、チケットの余りを使い切るため、タクシーで向かいます。8:56定刻通り、9時11分に藪原駅に到着です。駅を9時15分頃スタートします。駅から歩いて行き、藪
意外と更新早いでしょ!はるおだよ♪今更ながら、年末に行ったNKSD(中山道)歩きの振り返りです(笑)12月29日、30日とホントに押し迫った中行ってきました。朝4時30分車で出発ブログだと改行したら到着してますけれど・・片道5時間。長い!しかも雪だったり高速も凍ってたり。今日のゴール予定に車を停めて、電車で前回のゴール地点中津川に戻る。10時リスタート!そうそう。この中津川は栗きんとんが有名とのことで。一個買って夜食べたんだけど
4月8日、9日に一泊二日で中山道をいつもの三人で歩いて来ました。1日目4月8日贄川駅をスタートして、贄川宿、奈良井宿、鳥居峠を越えて藪原宿1日目4月8日を通り藪原駅まで歩き、JRで木曽福島駅まで行き宿に向かう。2日目4月9日藪原駅をスタートして、宮ノ越宿、木曽福島宿を通り木曽福島駅ま2日目4月9日で歩く。4月8日JR名古屋駅7時発のしなの1号で、木曽福島駅まで行き、普通列車に乗り換えて前回歩き終えた贄川駅まで行く。今回は、皆と検討した結果、木曽路フリー切符を使
こんにちは今日は、川崎宿から日本橋まで歩いたお話をしたいと思います夫が、テレワークで家に居ます私が、席を外そう川崎宿から日本橋まで歩くつもり出だしから、つもりでしただって、長距離だもんしかも、車道歩き疲れたら電車に乗って帰れば良いのだ行ってきます川崎駅下車いざ、出発でござる川崎宿先ずは、つづきまで、戻らないとです。ここからだ!
こんばんは風のマーサです😊前回の記事では北国街道の宿場町、松任、野々市と進みました。その野々市地内の旧北陸道(北国街道)つまり現在の本町通りが北陸鉄道石川線の踏切を越えていくと宿場町を離れることになります。この先、なおも道なりに進み、国道157号線の高架をくぐり抜け宮塚橋で高橋川を渡ります。道は川沿いに続き県道194号線に合流してから横川交差点に至ります。ここからは県道157号線にて東に進みます。すると、明治頃の地図によると有松町に入ります。続いて、有松
小田原で宿泊予定のホテルを家人に示すと、「ここ、前にも泊まったよね」という。ホテルの受付の人にも、「2回目ですね」と言われる。すっかり忘れていたのだけど、13年前の「箱根峠を歩いて越える旅行」の時に泊まった同じホテルに、また予約を入れていたらしい。徒歩旅行の夕食は、たいてい地元の居酒屋に行く。あてずっぽうで選んだ店は、私も聴きに行ったことがある落語家さんの家族がやっている店だった。
2日目は今回の目的、足柄古道に入る。御殿場線の足利駅から、神奈川県側へ向かって歩き始めた。大雑把ですがココ↑を歩いてきました。予想はしていたが、やはり金太郎関連の逸話や名所が多い。金太郎(坂田金時)が源頼光と出会った場所とか、金太郎富士見ラインとか。顔ハメもあった。ハメてみた。足柄峠を境に神奈川県に入るのだけど、ここから急に古道の整備具合が良くなる。旧道を歩いていて、市や県を越えると急に案内板が増えたり減ったりす
御殿場線沿いを歩いている途中に、風穴があるというので見ていくことにする。風穴とは、富士山が噴火したときに流れ出た溶岩が冷えて固まり、外側だけを残して中味が崩れた洞窟みたいなもの。それが住宅地の真ん中にあった。自由に入っていいのか!?家人が入ってみたら、中は暖かかったそうだ。そのあと、やや観光化された天然記念物の風穴というのがあって、300円で入れた。多少観光化されているとはいえ、立派な鍾乳洞みたいなものを期待して
年末年始の休みを利用して、静岡と神奈川に行ってきた。目的は足柄古道を歩くこと。足柄古道とは、箱根街道ができる前の旧街道で、県境に足柄峠がある。初日は足慣らしのために、静岡県の御殿場線にそって数駅分の距離を歩いた。どうしたって富士山が目に入る。雪をかぶった富士山はすんごくキレイだった。テンション上がる。つい何度も写真を撮ってしまう。どこからでも見えてしまう富士山。しつこいけど富士山。
2日目11月27日塩尻のホテルを出発して、洗馬宿、本山宿を歩き、JR贄川駅まで歩く。11月27日2日目の歩行ルート朝、食事してる時、外を見ると小雪が舞っている。出発するときも止まづ、小雪が降る中、8時15分頃にホテルをスタートする。昨日歩き終えた交差点から中山道に入ります。8:27中央本線の高架下を歩き、ほぼ直線の街道を歩きます。しばらく歩いて行くと、両塚が残る平出一里塚59里目に出ます。8:42右塚左塚振り返って見ると、両塚を見ることが出来
11月26日、27日に、1泊2日で中山道を歩いて来ました。1日目第15回に続きJR下諏訪駅をスタートして、塩尻峠を越え塩尻宿を通り、塩尻駅前の1日目ホテルまで歩く。2日目ホテルをスタートして、洗馬宿、本山宿と通りJR贄川駅まで歩く。1日目の歩行ルートJR名古屋駅を7時に出発する中央本線特急「しなの1号」に乗車し、塩尻駅で乗換て下諏訪駅に向かう。長野県木曽郡上松町付近の車窓JR下諏訪駅に定刻通り9時15分頃に到着する。準備等終えて、9時25分頃にスタート
10月23日男女倉口(おめぐらぐち)バス停まで民宿のご主人に送ってもらい、いよいよ和田10月23日峠越えです。峠を越えて下諏訪宿まで歩き、JR下諏訪駅から帰途に着きます。今日の歩行ルート朝出発する時に、民宿の前で記念写真を撮ります。7:14この後、昨日歩き終えた男女倉口バス停まで送ってもらいます。7:34国道を少し歩くと、和田峠登り口に着きます。いよいよ難関の峠越えです。7:39登り始めてすぐ、避難小屋のような建物の先右側に石仏が並んでいます。「三十三観音
10月22日芦田宿・金丸土屋旅館をスタートして、笠取峠を越え長久保宿、和田宿と歩き、10月22日和田峠の登り口まで歩く。本日のランチ場所までルート旅館の前で記念写真を撮り、8時頃にスタートする。旅館の前の街道風景。十数分歩くと国道142号芦田宿入口交差点に合流し、その側に「石打場公園」がある。笠取峠2.3kmと案内板が出ている。笠取峠の松並木に入る左側に、「母娘の道祖神」があります。この後、道端にこのような道祖神、石碑等たくさん見ることができる。8:2
10月21日2019年(R元年)5月28日に御代田から佐久平駅(12日目)まで歩いて以来の10月21日中山道歩きです。昨年は、コロナ禍で歩けず今回は2泊3日の予定で三人で佐10月21日久平駅をスタートして、前回歩き終えた所から街道を歩き始め、下諏訪宿(下10月21日諏訪駅)まで歩きます。1日目は塩名田宿・八幡宿・望月宿・芦田宿(泊)まで歩10月21日く。2日目は芦田宿から和田宿と歩いて男女倉口(和田峠入口)まで歩き、民宿10月21日に迎えに来てもらい長和町にある民宿に泊
今から431年前の1590年4月6日、豊臣秀吉は北条家の菩提寺である箱根湯本の早雲寺に本陣を置き、北条氏政・氏直ら約60000人が籠城する小田原城を包囲開始するとともに、「一夜城」と言われた石垣山城の築城にも着手しました。小田原征伐(豊臣秀吉の小田原城攻め)詳細年表-武将辞典豊臣秀吉の小田原征伐(小田原攻め、小田原城攻め)における詳しい年表です。1589年11月24日豊臣秀吉は北条氏政に宛てて、宣戦布告の書状を発送。senjp.com北条時代の小田原城と言えば、秀吉に屈服する
皆さんは和菓子の「ういろう」と聞くと、名古屋を真っ先に思い浮かべる人も多いのではないかと思いますが、、、実は600年前に朝廷に仕え、その後5代目の時に北条時代の小田原に来住した東海道沿いにある老舗薬店「外郎(ういろう)家」が発祥のようですよ!※要は、本業は「薬屋」さんだけど、元々は薬を買いに来たお客さんの接待用に作って、商談の間にお茶とともに無料で出していたお菓子が起源ということみたいです♪江戸時代における統制の間に、西日本で製法が広まり「類似品」が各地で販売されるようになりま
この辺では木々の葉っぱもなくなった11月下旬、キノコとりも兼ねて前から気になっていた場所へここまではよく来ていた。この先どうなっているのか興味深々で向かう。沢に下るなり丸太の橋が架かってまして、滑りそうなのでおっかなびっくり渡る。もちろん熊には大警戒🐻!鈴を3個も付けてジャランジャラン鳴らして登ります🔔🔔🔔茶屋跡?こんな山奥に昔、茶屋があったのか?しかし要所要所にこうした看板が建ててあり、おそらく保存会か何かの方が整備してくれているのだろうと思います。熊にかじられてズタズタですけど、
旧街道歩きの始まりは、「中山道」からです。以来「善光寺街道」「美濃路」「岐阜街道」「飛騨西街道」「郡上街道」「飛騨南街道」「飛騨街道」「越中街道」を歩いてきて、今は「東海道」を歩いています。それらの思い出を振り返ってみようと思います。旧中山道を歩いてみようと思い立ったのは、平成18年(2006)の秋のことでした。それは学生時代の友人と旧中山道木曽路、落合宿~馬籠宿~妻籠宿~三留野宿を歩いたことに始まります。その時は単にそれだけのことでしたが、住まいに近い旧中山道木曽路・美濃路の歴
お寺の前に貼ってある、講和のようなポスターに思わず目を留めてしまうことって、よくありませんか?・・・今回は千葉県浦安市(東京メトロ東西線「浦安駅前」)と、市川市の本八幡を結ぶ行徳街道(旧道)沿いにある古い由緒ありげなお寺の前からお散歩スタートです♪正源寺(千葉県市川市河原3-6)は、正源上人が文安元年(1444)創建、慶長年間に源長上人が一寺となしたといわれ、行徳・浦安観音霊場三十三ヵ所の7番札所になってる浄土宗の寺院です。この寺の並び(江戸川を越える行徳橋を背にして浦安・行徳方
↑下練馬宿江戸側から下宿・中宿・上宿の3宿で構成され、本陣、脇本陣、問屋場がそろった宿場。この街道を参勤交代で利用する大名は川越藩だけでしたが、鷹狩りに行く大名だけでなく、大山詣や秩父巡礼の旅人などで結構賑わっていたのだそうです。:街道沿いに建つマンションも、沿道景観に気を遣ったのでしょうか?まちかどミュージアムっぽい感じになっていました。(東京都練馬区北町2-21-10「イニシア練馬北町」前にて本ブログ管理者2020.3.21撮影)↑再掲【宿場町の構図】実質、川越藩が
本日もご近所散歩と午後から友人来訪。*******************************4月の散策記事長瀬川探訪ポタリング。その3200405長瀬川探訪ポタリング。その2200405長瀬川探訪ポタリング。その12004053月の参拝記事第213回天王寺区・四天王寺編(後篇)第213回天王寺区・四天王寺編(前篇)2月以前の参拝記事はコチラ。*********