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2023年12月10日(日)。天気晴れ。朝食はマクドナルドのテイクアウェイ。昨日は、京王線と井の頭線の乗換駅「明大前駅」に行き、京王線の連続立体交差事業(高架化)の様子も見ました。今日は、連続立体交差事業の工区(笹塚~仙川)の中で、最も工事が進捗していると思われる「千歳烏山駅」周辺に行ってみました。「千歳烏山駅」北口。地上を走る京王線の線路。今のところは、踏切が健在です。南口の踏切直ぐの所にあったお菓子屋さん「たちばな」は、既に立ち退いています。南口の改札口。「明大前駅」周辺と同じく
旧甲州街道は、神奈川県相模原市緑区にある底沢橋から国道20号線を西へ向かいます。すぐ右手に神奈川中央交通バスのバス停がありますが、相模湖駅行きなら毎時1本ほどあるものの、駅まで国道を歩いても2㎞ほどなので、到着時刻まで20分以上あれば待っている間に歩いてしまった方が早く着くと思われます。反対方向で便数の多い三ケ木(「みかげ」と読みます)行きは、乗り換えて橋本駅に出るのに時間がかかる(三ケ木バスターミナルまで12分ですが、乗り換えて橋本駅まで30分以上、実質合計1時間以上かかります)ので、容姿
11月9日車で数回走ったことはあるけどバイクでは無かったので旧甲州街道の笹子峠に行ってみた反対側のほうが少し手が込んでるそばにある説明版落葉多く来るの遅すぎた夕方だったから尚更怖い滑らないようゆっくり(;゚Д゚)落石もあるので要注意
11月4日(土)山梨県台ケ原の宿にて目覚める、朝からかなり寒いのですが、宿の方が言うには「今年は相当暖かい」との事、今年の夏は死ぬほど暑かったので、今年の冬は暖かい日が続くのかな?と勝手に期待してましたが、そういうものでもないらしい何て取りとめのない事を思いながらも本日の朝食朝からムッチャ豪華です「つるや旅館」さん、本当にありがとうございました昨日、宿に着いた時点では完全に日が暮れていたので、街並みがよく分からなかったのですが、なるほど、なかなか良い感じの街並みを走
旧甲州街道は、小仏峠への坂道を登り切ったところからです。テーブルとベンチがある稜線上の広場に着いて一息入れたら、左方向に数十メートルゆけば、かつての茶屋跡と「明治天皇小佛峠御休所址及御野立所」の石碑が立つ峠に到着です。この間山道はまっ平らなので、僅かな間ですがブロンプトンに乗って稜線上を移動できます。小仏峠は東京都八王子市と神奈川県相模原市にまたがる標高548mの峠で、東の多摩川水系と西の相模川水系の分水嶺になっています。つまり峠の東へ落ちた水は東京湾へ、西へ落ちた水は相模湾へ注ぐという
峠という場所は、大概は稜線のなかでもっとも低く、たわんでいる場所になります。なぜなら、越えるのに最も楽だから。小仏峠の南にある国道20号線の大垂水峠(おおたるみとうげ標高392m)も、山梨・長野県境にある車で登れる峠としてはもっとも標高の高い大弛峠(おおだるみとうげ標高2,360m)も、その名前の意味は山の稜線が大きくたるんでいる場所という意味ですし、山の言葉で「ダワ」「タワ」「タル」「キレット」「コル」というのは「鞍部」つまり、鞍のようにふたつのピークの間の凹んでいるところを指します。
京王バスの小仏バス停から小仏峠を目指して東坂をのぼります。バスが転回できる停留場のさきも、まだ舗装路が続きます。すぐ先に、「車両通行止公園・林業関係車両を除くこの先1100m」の標識が道路両側にたっています。つまり、ここから1.1㎞さきに舗装路の終点があるという意味なのですが、その先も未舗装の林道が続きます。じつはいま登っている道は都道で、正式名称は「東京都道・神奈川県道516号浅川相模湖線」といいます。都県境の小仏峠までが都道、その向こう側は県道です。つまり、お隣を並走する中央
(蛇滝口の道標)旧甲州街道の旅は蛇滝口バス停のある、蛇滝旅籠前から小仏峠へ向かって西へ向かいます。140mほど進むと圏央道の橋脚したに達します。高尾山にトンネルを掘る計画が湧いた時には、「水袋に針を刺すようなものだ」として反対運動が起きました。前回ご紹介した通り、高尾山の麓から中腹にかけては修験道の修行に用いられてきた滝があり、こうした水場や沢の水が涸れることを筆頭に、排気ガスや騒音による生態系への影響が懸念されました。高尾山天狗裁判と名付けられた裁判が、1審2回、控訴審1回の計3回開
JR高尾駅北口前の、高尾駅前交差点から国道20号線を830m西へ進んだ、西浅川交差点を右折して、旧甲州街道を小仏峠へと向かいます。両側に住宅の立ち並ぶ緩い登り坂をゆくと、西浅川駐在所を右に見て交差点から250m先の左側にあるのが、駒木野庭園です。ここは昭和の初めに建てられた邸宅兼医院で、お隣の駒木野病院の前身、小林医院がありました。平成21年に市に寄付され、現在は公開されています。(無料)いつも朝に小仏峠を越えているのですが、一度だけ公開時間内に見学したことがあります。夏でしたがとても
散歩日和🌤️少し秋らしく涼しくなってきました🍂高尾の散歩道🛣️風情のある建物が続く🏯歩く。歩く。高尾いいところ⛰️秋が来た🍂
国道20号線の高尾駅入口交差点から旧甲州街道の旅を続けます。左手50mには高尾山を意識しているのか、寺社風建築の北口駅舎がみえます。この駅舎はもともと大正天皇の大喪列車の始発駅として新宿御苑に設けられた仮駅舎を移築したもので、1927年に竣工しました。2番線ホームの支柱には、1945年7月8日に受けた、米軍艦載機P51による機銃掃射の弾痕跡が残っています。同日の攻撃では、品川区から疎開していた小学校4年生の男の子が撃たれて死亡し、母親は市内泉町にある相即寺の地蔵に形見のランドセルを背負わ
2023y.8.27日明日は長女が産まれて30年じゃのぉ〜♡可愛いかったのぉ〜❣️(●´ω`●)♪今も可愛い娘じゃ〜〜(๑˃̵ᴗ˂̵)!さて、夜半に少し降り申した様だけどぉー!免許証と¥500持って暫く振りにCBじぃさんで散歩道🚶♀️〜♪6:00青テンくんばかり乗っていたから、なんかしっくり来なくて、ギクシャク、とっ散らかって走りながら〜σ(^_^;)ひのっぱらから上野原、旧甲州街道至って、【深城ダム】鶴峠越えで棡原、西原、甲武ノンストップで崖の上〜♪9:00
旧甲州街道に大國魂神社前という交差点がある。北側には甲州街道が並行していて、寿町一丁目交差点から大國魂神社までの一方通行の道路はここで終わり三差路になっている。甲州街道からの南下は、信号機の指示通りに進めば交差点を通過することができる。祝祭日には途中で迂回させられる時間帯が設けられるが、誘導員が配置されるので指示に従えば大丈夫である。問題は旧甲州街道を西に向かって走行する場合である。信号の指示通りに進んでいると、突然、交差点内で停止してしまう羽目になる初見殺しの交差点に
京王線の高架をくぐって、遊歩道は下り始めます。40年前の訪問ですでに遊歩道になっていた箇所。実は線路はオブジェではなく、実際の踏切跡の埋め込みです。2023年。下河原線の由来も。旧甲州街道踏切跡。旧景。ほぼ同じ位置。さらに続きます。
旧甲州街道を西へ歩いています。中央道の高架下から坂道を上っていくと、高速道路と並走する高さになりました。輿瀬神社の跨線橋では空いていたのに、下り線が渋滞し始めています。この先に相模湖ICがあるので、出口渋滞でしょうか。避暑がてら、車で遊びに来ている人が多いのかもしれません。あぁこういうのは嬉しいですねぇ。歩いている道が間違いないことが確認できる。ちょうど道が分岐している所に立てられているので、そちらが横道なのでしょう。辿っていくと嘗ての一里塚跡があるようですが、今回はスルーし
輿瀬神社のあった権現山を下りて、旧甲州街道を西へ向かいます。車両通行止の看板に相模湖町の記載があるので、これはだいぶ古いものですね。相模湖町は2006年に相模原市に編入されています。車が来ないのは安心して歩けるのでウェルカムです。街道には石垣の家が並び、相模湖も良く見えて、風情のある光景です。週末には夏祭りがあるようです。花火(湖上祭)は1日に終わってしまいましたが、お盆明けに楽しみが待ってますね。第2回と書かれているので、まだ新しいお祭りみたいです。湖上祭と違って、地元の方
(産千代稲荷神社)八王子の市街地を東西に貫く国道20号線八幡宿交差点から、旧甲州街道の旅を続けます。八幡町交差点を北へ向かうと(国道16号線)、中央自動車道八王子インターチェンジを経て、多摩川を拝島橋で渡り、拝島駅をかすめて米軍横田基地方面へと通じます。逆に南へ行くと(都道506号線)、丘を越えて京王高尾線山田駅を跨いで北野街道と合流し、西へ向かって高尾駅の南、館町交差点へとつながります。じつはこの八王子市街とは丘陵を隔てて南の、北野街道、湯殿川の谷に名刹があるので、今回はそちらもご紹介
2023年07月14日(金)競馬場線の散歩の後は、本線沿いの散歩。東府中2号踏切。ここは旧甲州街道を京王線が斜めに横断。普通より長めの遮断棹が有ります。なのでこんなゴッツイ装置になっています。やって来たのは、緑のムササビ高尾。2日後にこの編成は事故に合っています。遮断器の閉まった踏切に突入して行った2人が死亡しました。(場所は別)事故後30分経過していましたが、管理人も帰宅の足に影響が有りました。私以外にも多くの人に影響が出たはずです。死に急ぐ年齢ではなかったはずです。
台ケ原宿から東へ進んでいくと、何にもない畑の中の一本道に、「旧甲州街道」が変わって行ってしまいました、、、しゃあないから、富士川を渡って、、、長坂駅へふと思うに、この「長坂」と言うのも、象徴的だなぁ~って、感じてしまいました。それは、小淵沢と言う高い台地から、甲州街道の走る「富士川沿い」に「長い坂」で、「中央線」が下ってくる印象が、駅名になったんだろうなぁ~って、感じながら、、、甲州街道「韮崎宿」へ今まで撮ってきた写真を「PhotoLibrary」にも掲載しています。良かったら、
(日野大坂にとりつきます)旧甲州街道が、日野駅のホーム下でJR中央本線をくぐった直後に左折するところから始めたいと思います。むかしの旧甲州街道は、日野駅東交差点を直進して前回ご紹介した寶泉寺前からそのまま登り坂にかかっていたようですが、鉄道敷設の際に道が失われています。ところで、旧甲州街道がJR中央本線と交差するのはこれで何回目でしょうか。1回目は東京駅の北口自由通路を八重洲北口から丸の内北口へと通り抜ける際、中央線1、2番ホームの下をくぐっています。2回目は四ツ谷駅の枡形(四ツ谷門)
大國魂神社の参道でもあるケヤキ並木を南へ旧甲州街道と交わる突き当りいよいよ大國魂神社の敷地へ大國魂神社の社号標そして、高さ10mの大鳥居だ鳥居脇に、稲荷神社と茶店神戸稲荷神社旧町内の神戸(ゴウド)の人々に崇敬されている神社だとかうっそうとした木々の参道をさらに進むと左手に宮乃咩神社(みやのめじんじゃ)ご祀神は、天鈿女命(あめのうづめのみこと)演芸の神、安産の神様として崇敬され建てられたのは大國魂神社と同時代といわれて源頼朝が妻、北条政子の安産を祈
(新選組といえば、このだんだら模様)都道149号立川日野線の立日橋南交差点から旧甲州街道の旅を続けます。多摩都市モノレールを左に分けてY字交差点を右に進み、スポーツ公園を右にみながら道なりに520m進むと、新奥多摩街道入口交差点で、都道256号八王子国立線に突き当たります。T字交差点の手前左側の石塀には、ここが日野宿の東口であった旨説明が掲示してあります。ここで右折して日野宿に入ります。日野という地名は、国府のあった府中から多摩川を挟んだ日野台地の上に、飛火野と呼ばれる烽火台があって、
(立日橋)旧甲州街道の旅は、都道149号線の立日(たっぴ)橋の北詰から多摩川を渡ります。立川と日野を結ぶからこの名前の橋は、鉄道併用のガーター(桁)橋で、全長は417m、1989年に道路部分が先行して架橋され、2000年にモノレール部分が開通しました。(「立日(たちび)」なら命日の意味です。日本語って難しい。)日本において、モノレールは1970年に開業した湘南モノレールまでは鉄道事業法、この橋を渡っている多摩都市モノレールも含む、それ以降に開業したモノレールは軌道法に基づいて設置されてい
(日野橋交差点)日野橋交差点から旧甲州街道の旅を続けます。旧甲州街道が立川駅にもっとも接近するのがこの日野橋交差点付近なのですが、それでも直線で500m離れています。むしろ南武線の矢川駅や西国立駅の方が近いのです。特別快速はもちろん、一部の特急も停車するターミナル駅の立川は、旧甲州街道とは無関係のような存在です。立川市役所に至っては、駅よりもっと北で3キロ以上離れています。中央線の国分寺駅は、府中に国府が置かれた時からある国分寺の門前町、つまり武蔵野国の文化の中心地としての歴史から
(新府中街道との本宿交番交差点)旧甲州街道(都道229号線)と現在の甲州街道(国道20号線)が合流する府中市の本宿町交差点から旅を続けたいと思います。ここから立川駅の南、渋滞の名所として有名な日野橋まで、4.6㎞の間ずっと国道だった計4車線の道路を西へ向かいます。両側の歩道は人同士がやっとすれ違える程度の幅で、車道も1車線あたりの幅が狭く、渋滞の列の脇を前に進もうとしても、オートバイはもちろん自転車でもすり抜けスペースはありません。さらに国道だった期間が長い(今は途中からバイパスが通じて
(下河原緑道)旧甲州街道の旅は、府中宿の西端、下河原緑道と交差する地点からはじめます。前回に少しだけ触れましたが、下河原緑道は旧国鉄下河原線の跡地に設けられています。最終的に1976年に廃線となった下河原線は、1910年(明治43年)多摩川の砂利を採取・運搬する目的で、東京砂利鉄道として開業しました。現在の西国分寺駅の東側で中央線と分岐し、現在の武蔵野線の北府中駅付近からこの緑道に沿って南下し、京王線をくぐり、南武線を跨いだ後、現在の中央自動車道の南、ユーミンの歌で有名なビールを醸造する
京王線の千歳烏山駅へ次は法華宗のお寺、妙寿寺です。斜め前の永隆寺も法華宗のお寺です。まだ寺町通りは続きます。妙佑寺は浄土真宗のお寺。遠くからでもひときわ目立つ建物です。寺町の先、旧甲州街道です。ゴールは京王線の千歳烏山駅でした。約6.5km、2時間5分のウォーキングでした。このコースは緑が多く、暑さを感じさせない気持ちの良い道でした。(撮影:2023.4.16)
武蔵国府中八幡宮参道前から旧甲州街道の旅をつづけます。既に旧甲州街道九番目の宿場にあたる、府中宿の中へ入ってきています。甲州街道は、ひとつ手前の布田五ヶ宿を機能的にひとつの宿場として考えてひとつとして数えるか、国領、下布田、上布田、下石原、上石原とそれぞれをひとつとして5つの宿場として数えるかによって、府中宿が5番目にも9番目にもなるのですが、そのような連続してひとつの機能という宿場はこの先も続くので、細かくひとつずつ数えることにします。ところで皆さんは「府中」と聞くと何を想像されるでしょ
山梨県上野原市横浜から自走厚木を過ぎたら、フラットはほとんどなくて登ったぶんをむだに下ってまた登るでも、旧甲州街道は、車も少なくていい道だったね天気も良かったdistance132km獲得標高1863mav20.09km/hmax59km/h7:30~15:00
こちらの神社、ジョギング途中にあり、いつも参拝しています東府中の旧甲州街道沿いに参道があります小さな公園が隣接しております奥まで歩くと本殿があります家族の健康を祈願しております