ブログ記事27件
昼飯後は、稚内駅周辺をブラブラしていたら稚内の有形文化財があるらしく、近いので行ってきました旧瀬戸邸初めて聞きましたが、瀬戸常蔵さんの家で瀬戸さんとは漁師の親方的存在の方だったようです。入館料200円払い入館。パンフレットと絵はがきを頂きました自分の他には入館者はおらず、係員の方がこの広い家の一つ一つの部屋ごとに案内して説明してくれました。吉永小百合主演の映画のロケ地になりましたサインも飾られてます大横綱大鵬もかつて訪れ、お休みになっていたそう。宴会部屋奥様の部屋茶の
▲北防波堤ドーム北海道稚内市開運1稚内港の防波堤としての役割および桟橋から駅までの乗り換え通路を兼用するために五年の歳月をかけ造られました古代ギリシア建築を彷彿とさせる70本のエンタシス状の柱列群斬新な建築物は設計者した土谷実が当時北海道帝国大学を卒業して3年の26歳の若き北海道庁の技師だったからと言われています頭の硬いおじさんでは出来なかったと言うことです▲泊まったサフィールホテル稚内がすぐそばです▲大鵬幸喜上陸の地記念碑巨人・大鵬・玉子焼きの大
過去の栄華を静かに語る、回廊で北を想って…DOMEでDOMO、王子様death👑どうも昔からドームに憧れている僕さfeat.ひろぴ。そうや宗谷行こう稚内tour。北防波堤ドーム、稚内が誇る古代ローマ建築の様な円柱回廊の美しいアーチ式の北海道遺産の此処も憧れの場所だったので念願の制覇。戦前には防波堤ながら鉄道の終着駅であり其処から航路で直接サハリンまでいけたと言う歴史や当時の賑わい栄華を想いながら歩く回廊は感慨深い、戦後航路は途絶え今は美しいままの姿で静かにドームが佇んでいる。こちら
こんにちはー。2月に参加した稚内バスツアーで・・・他人様のお宅訪問をさせていただきました大勢で押しかけましたー。稚内の漁業の歴史を伝える登録有形文化財旧瀬戸邸の見学です。昭和27年に建てられた底曳船🚢の親方の邸宅です。一般公開をされている邸宅は昭和カラーの外観、赤い屋根の頂部の飾りと赤い細くて長い煙突がとても印象的👀北海道の日本海沿岸はニシン漁が栄えていました。底曳漁業が戦後の日本の食卓を支えたと言われ、活気に溢れた
今日はこれから観光スポットで登録有形文化財の旧瀬戸邸から生中継を1Fには見事な五月人形が
サンゴ礁見たことある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう海の中で見たことはありません。地上のお土産屋さんなどでモドキを見たり、水槽グッズ、ディスプレイ用などの珊瑚だけです。🌿🌿🐠🌿🐠🌿🐠🌿🌿先月、タロジロサブロー号で行く稚内バスツアーで日本最北ノシャップ寒流水族館わっかりうむに行きました🚌北方系の生き物が中心です。幻の魚イトウなどが飼育されている水量90tの回遊水槽はダイナミックでした。🐧小さな水槽がライトアップされ、カラフ
さてクイズです。これはなんでしょう???↓↓↓↓魔よけのほうき??答えは「珊瑚」赤くないけど、「深海松」しんかいまつというとてもとても高価な珊瑚です。赤い珊瑚より高いんですって。最初の写真のもので数十年前に300万くらいらしく今は珊瑚が取れないのでもっともっと高価になっているそう。漁師さんが網に引っかかって取れるらしく引き上げたときは大抵は折れてしまう。でも、最初の写真のものは細かい
こんばんは。ようやく仕事も休み!嬉しい週末、しかも3連休!ブログを書く頻度がいつにもまして多いので、ちょっとつらくなってきました(笑)これで帰省ネタは終わりにします。ノシャップ水族館とノシャップ岬をうろついた夕暮れ時。せっかく豊富温泉で温まった体が冷えてしまったレンタカーの時間、もうちょっと残ってたんで稚内温泉「童夢」へ~ばあちゃんが生きてた頃は一緒に行ったよな~温泉はしごなんて贅沢だわぁ。レンタカー返したあとは、同級生と居酒屋へ。北海道で食べるホッケ美味しいわぁ!一人で全部食べた
▲北門神社鳥居北海道稚内市中央1丁目1番21号▲宮司が常駐している日本最北端の神社北門神社神明造の本殿▲子持ち狛犬▲蝦夷みくじいカニもいいみくじ300円▲えぞみくじいカニもいいみくじ▲大吉運気なまら上昇中道外の方に人気のなまらですが、元々は下品な人たち(どんな人?)達の使う言葉でしたが、道外の方、若い世代が好んで使います。無理に使う人が多く、私は好きではない。北海道人は殆ど使わない言葉です。▲北門神社の御朱印▲旧瀬戸邸北海道稚
旧瀬戸邸底引き網の親方のお屋敷。↑ノシャプ岬↑北防波堤ドーム↑自衛艦りしり↑たまたまお見かけしたバックパーカーさん本人の許可をもらい掲載しています。飛行機の窓から東京上空↑
取材と生中継のため旧瀬戸邸へこちらは底引網漁全盛の稚内で底引網漁業等を営み財を成した瀬戸常蔵の邸宅として昭和27年に建てられたもので現在、登録有形文化財に指定されています外観は木造モルタルですけど中はとても贅を凝らした造りなんです中の大広間には市民から寄贈された大正と昭和のひな人形が展示されてますが玄関には手作りの可愛いおひな様が飾られていました
昭和20〜40年代、稚内は底曳網漁の前線基地として大に賑わいました。そんな昭和の栄華を今に伝える建物が保存公開されています。◆旧瀬戸邸◆(国登録有形文化財)モルタルの壁にタイル張りの玄関、そして、煉瓦の煙突という和洋折衷スタイル。「旧瀬戸邸(旧瀬戸家住宅主屋)」は昭和27年(1952)、底曳網漁の親方の住宅として建てられたもので、稚内市初の国登録有形文化財。胸を踊らせながら邸内へ。*入館料¥200(開館時間10:00〜18:00)1階居間に再現された宴
つづきドーミーイン稚内をチェックアウトして稚内駅発の列車まで少し時間があるので駅周辺の観光スポットの旧瀬戸邸へ行ってみました。昭和27年築の旧瀬戸邸国の登録有形文化財として稚内の漁業の歴史を伝える史料館になっているようですがこの時期(11~3月)は冬期閉館中でした。旧瀬戸邸を外から眺めるだけで稚内駅に向かいます。稚内駅発は1日7本だけの時刻表。予定を立てる時にどの列車に乗るか迷いました。最初は特急サロベツに乗る気だったのですが
2018年11月24日(土)25日(日)クラブツーリズム駅・バス停・ポスト神社などいろんな本土最北端巡りもカニフルコースザ・稚内2日間(旧瀬戸邸)ふだんより風が少ないとはいえさすが稚内ですそしてここは宗谷岬すぐ前は海・オホーツク海です風はやっぱりあります雪は少ないのですが銀世界ですだからさすがに外にいる時間が長くなってくると寒くなってきます外はさみしい雰囲気ですお店は他にもあるのですが、開いているお店は一件だけでしたバスに乗って市内に戻ります空には
稚内で見学したいと考えていたのは旧瀬戸邸(写真)。にしんに替わり底曳き網漁業で活気づき始めたで昭和27年(1952)瀬戸常蔵という底曳き漁業の親方の住宅として建てられている。いかにも昭和時代の建物といった雰囲気もさることながら、住宅には、稚内が華やかな時代の産物が多く残されている。中に入ると、地元の方がガイドしてくれる。建材は主に秋田杉を使い、数多に職人のこだわりがみてとれる。明らかに高級な食器を使ったお膳が配置され、宴会の様子が再現されている(写真)が、これだけみても、勢いのあった時代を
旧瀬戸邸へ(この旧瀬戸邸は底曳きの親方の邸宅。戦後まもない昭和の建物がそのまま保存され稚内の漁業の歴史を伝える場所)こちらは映画「北の桜守」のロケ地としても使われたそうですそして昭和39年稚内巡業の時にこの瀬戸邸に父も訪れていたそうで写真をいただきました近っ笑笑当時巡業の時三役以上の関取はこの瀬戸邸に宿泊したそうですこちらは稚内駅についた時の様子
国の登録有形文化財・旧瀬戸邸から生中継を稚内の漁業のかつての隆盛ぶりがわかる、底引き網漁の親方・瀬戸常蔵のお屋敷は中がとにかく広く部屋数も多くて、足を踏み入れるととても凝った造りにも驚かされます漆塗りのお膳が並んでいたり、厨房には竃があったり、昔の住宅の茶の間が再現されてたり、とにかく何を見ても興味深い
1年以上海外旅行もなし…札幌も諦め…それでもどこかないかと探していたらお、土日‼️そして安いおじさんにお伺いたてたらちびから戻ってきた借金返済金があるとのこと(笑)残り2名のとこ滑り込みまして行って参りました初稚内空港ザ!地方空港でした(笑)でも見渡し良いこれで飛行機ガンガン飛んで来たらいい写真撮れそう…だけど冬は羽田から1往復と、道内で2,3便だったか?!空いてる時間スタッフさんは何をしているのだろう…土日のツアーだけあってバス2台の大所帯あ、めちゃ寒
昨日の朝はバスに乗ってすぐ、添乗員さんに脅かされたんですよ~羽田空港もこっちの空港も飛行機を飛ばせるかかどうか検討中のはずだと。後で、私達が乗る予定の羽田からのANA便は条件付で離陸し飛行中だと…条件とは、強風で無理となったら羽田に引き返すか、千歳空港に着陸する、ということ。幸い強風と雪の予報はこれ以後午後にかけて本格的になるようだ、とのことでした。前日乗って来た571便が羽田に引き返す572便となり、それでツアー旅行から帰るとは24時間40分しか滞在しないってこと
吉永小百合さん主演映画「北の桜守」が公開され大ヒット中ということで私の周囲の方々からも感想メールが届きます出演しているわけでもない私が僭越ですが映画キャンペーンのMCをさせていただいた御縁もあり少しでも多くの方々に観ていただきたいと思っています吉永小百合さんの映画キャンペーンのMC前はいつも私は私なりに何か勉強できないかとロケ地を訪ねています前作の「母と暮らせば」では長崎、初めてお仕事させていただいた「時雨の記」では奈良、そして、今回の「北の桜守」では北海道へ行きま
現在地は稚内雪がもりもり降ってきて、外に出る気になりません。。気温はそこまで低くないんだけれど。いつ妊婦でなくなるんだろう。明日産まれるかもしれないんだなあ。とか、最近よく思う。いやーあたしって恵まれてるなって日々思うよ。やっぱりさ入院している人って大変さ。点滴打ちっぱなしだったり行動制限されていたり。特につわりとかもなく、元気でさ旅行行ってー飛行機乗ってーむしろ家にいるより絶好調でさ。お腹の大きい今も、その辺ウロウロしてさ。ホタテもあたしくらいしか妊婦に関わってないもんだ
登録有形文化財旧瀬戸邸へ生中継にここは底引漁業を営み財を成した瀬戸常蔵の住宅として建てられました中は実に贅を凝らした造りで往時の瀬戸の隆盛ぶりが伺えますけれども絢爛豪華な訳ではなくさりげなく様々な意匠が施されいて雰囲気は古き良き日本の家屋中に居るととても気持ちが落ち着きますここに無料で入れますそしてこんなささやかで楽しいディスプレイも
稚内旅行記はもう〆たんですけど、他にもいろいろと撮った写真がありまして、せっかくだからアップしま~す日本最北の町のスーパーマーケット、AIZAWAジャガイモとかサッポロクラシックなどを買いましたヾ( ̄∀ ̄*)日本最北の町の商店街店の名前がロシア語表記だったり、マトリョシカの看板があったりと、ロシアな雰囲気が味わえました北洋銀行のキャラクターがツボでしたカワイイ~旧瀬戸邸稚内初日の夜に食べた、タ
稚内の中心部に国の登録有形文化財旧瀬戸邸があります外観ではあまりわからないかも知れないけれどこちらはかつて隆盛を極めた底引き網漁の親方が昭和27年に建てた家で内部は実に贅を凝らしておりとても活気付いていた稚内の往時を知る事の出来る建物です今は9時から16時までどなたでも無料で見学出来ます玄関にはこんなディスプレイが1階を奥に進むと見事な雛人形と打掛が展示されていますいずれもかなり以前の物で市民から寄贈されたものです今日の2度目の生中継で伺いました稚内に来た方
旧瀬戸邸を出て、北防波堤ドームとノシャップ岬へ。波の半端ない打ち付けを防ぐ為に昭和初期に造られた防潮堤です。ノシャップ岬(=野寒布岬)。吹雪いてて、何も見えんかったです。その後、宿泊地にチェックイン。稚内では随一のシティホテルだそうです。「最北の温泉:稚内温泉に入湯」ちゅうオプションもありましたが、これはやめてホテルで夕食までゆっくり、することに決めました。ローカル番組やってましたが大泉洋さんはすっかり全国区なんで、地方色はあまり感じられず。女子アナは嬉しいです
「その1」の日記で「機体」を「期待」と間違えて変換してたようですね。まあ、意味が通らなくもないんですが(汗)ほんでもって、飛行機はすんなり稚内空港に着陸。ついに僕は北海道初上陸となったわけです。「最果て」を感じさせる、こぢんまりとした空港でした。見渡す限りの雪化粧を眺めながら昼食会場に到着。嫁さんは案の定、生ジョッキを注文。僕はおしっこが近くなるので、夜まで我慢(←じじぃ)昼食はオプションだった為、宗谷黒牛のしゃぶしゃぶをオーダーしときました。これから、嫌と言う
行ってきました〜まずは稚内に降り立ち宗谷岬へと向かいました。やっぱり北海道は寒いですね日本の最北端に来てしまった〜雨の予報だったので心配してましたが、どんより曇ってはいるものの、観光中は雨に降られることはありませんでした感謝です。晴れ女パワー発揮こんな真っ白な珍しいカタツムリとも遭遇宗谷岬神社へいって手を合わせて来ましたその後、旧瀬戸邸へ。国の有形文化財で、底引き網漁の親方のかつての住居だそうです。飛行機を降りてからは、バスで🚌いろいろまわりました。宿に到着
▲北防波堤ドーム▲稚内航路記念碑樺太航路の発着所でした。▲発着所に続く道路と線路に波しぶきが掛からないようにするために造られました。▲以前の利尻・礼文へのフェリー乗り場既に建物は無くなってます。▲いつも稚内で泊まるANAクラウンプラザホテル以前は目の前がフェリー乗り場でした。▲稚内公園からANAクラウンプラザホテル、北防波堤ドームを望む上ってくる道路のそばにも、その前の住宅街にも鹿が何頭もいました。▲氷雪の門太平洋戦争の時、日本領樺太で亡くなった日本人の為の慰霊碑です。▲
茶道習ってからか〜、その地区の昔のお金持ちの豪邸訪問が好きになってしまいました。次は豪商お宅拝見に行きます♪旧瀬戸邸、です。漁業の親方のおうち。入ると若い女の子、つきっきりで案内してくれました。宴会場。茶道やってると、こういうの興味出てくるー♪伊藤博文の書。写真撮り放題でした。釣り釜じゃないけど、漁師さんぽい。宝船だったかな。次は東郷さんの書。実際にお金持ちの家で使われていた食器♪輪島、有田など、見させて頂きました。配膳用の窓あり。サハリンの地図。案内してくれたお姉
開基百年記念塔の後、去年4月に新しくできた「旧瀬戸邸」にも行ってきました旧瀬戸邸は、機船底曳網漁業等を営んでいた瀬戸常蔵さんの邸宅として建てられました(稚内は昭和20~40年代、底曳網漁業が盛んだったそうな・・・)※底曳→「そこびき」と読みます一部ですが、館内はこんな感じです↑かまど(写真上)、足踏みミシン(写真下)全体的に「昭和」をすごく感じる、邸宅でしたちなみに、ここは今年の6月に国の登録有形文化財に登録されたそうです☆住所☆稚内市中