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今月の鉄道ピクトリアルの特集「東急電車旧3000系」を読んで、高校時代を振り返りました。ただ当時、東急旧型車を纏めて3000系と称した記憶は無いのですが・・私が通学した都立高校への最寄り駅が東急線でした。毎日、蒲田駅から旧型電車に乗車し、戦前型の3450形・3500形や、運輸省規格型の3700形など、種々雑多な車両を楽しみました。毎朝の乗車位置は先頭車両の最前部、いわゆる「かぶりつき」で、顎紐を掛けた運転士の確認喚呼の動作、自動空気ブレーキの操作を眺めました。たまに走った3Mのオール
神出鬼没だった850系「なまず」、何しろ晩年は1編成のみで、しかも運用範囲が幅広いため、数回しか見たことがありません。1988年に850系が全廃、当時は大阪に住んでいたので、何度か名鉄行脚しましたが、あまりにも相性が悪くて数カットを収めただけで・・一方、3400系「いもむし」の1編成は「動態保存車両」として2001年まで生き延び、晩年は広見線・小牧線など犬山エリアで限定運用され、比較的狙いやすかったです。1994年、まさかの冷房改造には驚きました。車体更新が施されたとはいえ、戦前型電車に
お気に入りの小物ある?▼本日限定!ブログスタンプ相変わらず、鉄道模型を買い集めています。今回は、珍しく新品。TOMIXのクモハ40です。つい最近まで2両がイベント列車用として在籍していました。それぞれ全面の形状が違い、今回模型化されたタイプは大宮の鉄道博物館で、もう片方の正面が平面的なタイプは青梅鉄道公園で展示されています。かつて国分寺駅から府中市内の多摩川の土手の辺りまで、下河原線という路線がありました。廃線跡は下河原緑道として整備されており、何度か訪れています。多摩川で採取
東武金崎駅から歩くこと30分で思川橋梁に到着。上り臨時快速は「たびじ」のヘッドマーク付きの5700系でした。当然ながら、ゴーナナは「撮れば乗れず」「乗れば撮れず」のジレンマでしたが、高速での吊りかけサウンドも捨て難く、結構な割合で乗車を選んでいます。他客期なので乗車率は8割ほどで、明らかにレールファンと見られる方々も乗車していました。
中学生の頃、広田尚敬さん撮影の山渓カラーガイド「日本の私鉄1」の表紙を飾った、本銚子駅近くの跨線歩道橋から撮ったデハ201が記憶に残っています。(2009.8.1銚子電鉄本銚子駅付近)広田さんが撮った頃には低かった木々が成長し、鬱蒼と茂る森林に様変わり・・もちろん、車両も随分と変わってしまいました。(2009.8.1銚子電鉄本銚子駅付近)1ヶ月後、性懲りも無く再びやって来ました。ラッピングに包まれたデハ1001も正面から撮ると、なかなか良い感じ!(2009.9.19銚子
鉄道コムへTetsudo.com(鉄道コム)鉄道ファンのための“みんなで作る”鉄道情報サイト。鉄道に関するイベント情報、未来ニュース、車両トピックスを掲載。インターネット上の公式リリース、ブログ、動画、つぶやきなどを集めたリンク集や、参加型ゲーム「駅つなゲー」も提供。rd.tetsudo.com今回も、東急世田谷線三軒茶屋駅近くの旧型電車の写真をご紹介します。下の写真は、引退を前に玉電復刻カラーになったデハ80形です。旧型電車が全て引退してしまったのは残念でした。下の写真はデハ150形
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今日は二枚上越線水上駅構内1977.01.02撮影クハ76049白黒ですが~俗称「新潟色」と言われた塗分けで豪雪地域においても目視認識しやすい色として全体が赤2号、窓まわりが黄色5号でしたおしまい
今日は二枚クモハ52001、他列番無記録上り普通列車飯田線豊川駅1975.12.26おしまい
2025.12.12地元の天気はイマイチ、年末を控え部屋の大掃除でも11月ネタで始まったこのシリーズですが、12月にずれ込み漸く最終回となりました1982.11.06のスケジュールは本当に多忙極め、やっと最後琴平電鉄の撮影です。まあ、高松での連絡船の待ち時間を利用しての短時間での撮影です。その頃の小生は、国鉄がメインで地方鉄道は全く無知と言う今から思うと残念至極後輩達に、進められてついでと言う軽い気持ちで撮っていました。反省1982.11.06琴平電鉄と言
宮城電気鉄道(仙石線の前身)の車両は琴電へ払い下げられた後も、随分と長い間現役で走っていました。ただ後年、買収国電時代の木造車両は車体更新されましたが・・それでも、67号(1965年剛体化)は木造車時代の寸法で更新したため、側窓に昔の面影が残っていました。230号(1957年剛体化)は、当時としては斬新なノーシル・ノーヘッダーのバス窓車両で、模型化したい好ましいスタイル。それにしても、古色蒼然とした67号の車体よりも、8年も早く車体更新をした230号の方が軽快なスタイルとは・・・琴電のや
新潟交通の燕駅は、駅舎は独立しながらもホームは国鉄と共用で、3番線を間借りしていました。昨今、3セク鉄道ですらJRと線路が途切れているのが当然の中、当時は国鉄線路としっかり繋がっていました。(1982.12.28新潟交通燕駅構内)10年後の1992年、燕〜月潟間の廃止間近に再び訪れました。新宿駅23時発の快速「ムーンライト」に乗車し、東三条経由で早朝の燕駅に到着。部分廃止により、小田急1400形の車体を流用したクハ45形は1両を残して廃車。この時点でも車体の痛みが目立っていました
昭和63(1988)年6月に初めて訪問した日立電鉄。茨城県中北部に立地する、どちらかといえば地味な地方電鉄でしたが、茨城県5大ローカル私鉄(筑波鉄道・鹿島鉄道・茨城交通(現在のひたちなか海浜鉄道)・関東鉄道・日立電鉄)の一角をなし、その中で唯一の電化鉄道でした。現在は廃線となってしまいましたが、日立電鉄も記憶と記録にぜひ残しておきたい路線のひとつ。昭和63年6月14日、早朝からの鹿島鉄道訪問(1回目)のあと、石岡から常磐線を北へ向かいました。乗っていたのは433M(上野8:4
(Wikipediaの写真を使用)このコーナーでは今まで乗車・撮影した列車・車両・塗色の中で、今では見られないモノを紹介いたします。第105回目は、名古屋鉄道(名鉄)の岐阜地区600V線区の岐阜市内線の主力車両として活躍していた、モ550形電車(2代目)です。1950年、北陸鉄道金沢市内線用のモハ2000形電車として10両が製造されましたが、1967年に金沢市内線が廃止されると、全10両が親会社の名鉄へと譲渡され、モ550形と形式名を変えて、岐阜市内線の主力車両として活躍
静鉄「クモハ100形」現存する最後の車両、46年ぶりの〝里帰り〟保存会が保管、復元へhttps://news.yahoo.co.jp/articles/472292a729998487a4b03f63a7ecbbfb87ad1249先日、静岡鉄道を引退後に日立電鉄に譲渡されるも2000形導入で引退となり、その後は約30年にわたって倉庫として使われていたというか放置されていた100形の静岡への帰還が実現しました。そのニュースを見たからなのか知りませんが、変な夢にうなされてしまいました。
今日は一枚1980年5月20日に撮った写真クル29000とクモル24000正直言うと、興味や関心が無かった車両でした今思うに、もっと撮っときゃ良かった~ですが...おしまい
今日は五枚共通データ飯田線、東郷~大海1983.06.07クモハユニ64000、他1226MED6213491ㇾクモニ83100代、他1227Mクモハ53008他1223MED6218465ㇾおしまい
南海高野線をオーバークロスする築堤上にある神ノ木停留場は、影が長くなる冬の時期に欠かせない撮影地です。(2023.3.11阪堺電車神ノ木停留場付近)やはり、皆考えることは同じで、冬の昼下がりになると同業者が集まり始め、三脚の脇からコンデジを伸ばして撮りました。1年後、再び訪れると今にも泣き出しそうな空模様・・・やはり天候が敬遠されたのか、貸切状態で撮影できました。(2024.3.2阪堺電車神ノ木停留場)(2022.12.16阪堺電車神ノ木停留場付近)
当時、神明駅折り返しの運用があり、日中は構内の側線に留置していましたが、この運用は代々古参車両が充当されるのが常でした。120形は僅か2両編成2本ながら、前後で異なる形態の編成を組んでおり、チグハグさがいかにも「福鉄」でした。武生寄りは、戦後に自社発注した車両で、正面非貫通・中央に運転台のローカル私鉄らしい前面でした。福井寄りは名鉄払下げの車体で、リベット打ちの無骨な顔つきでした。当時は車体の広告が目障りに映りましたが、今となると手書き文字から「昭和らしさ」が味わえます。
復刻旧塗装のデハ3450形もコンプリートして、もうすっかり東急電鉄(デハ3450形)を推しまくっていますwまぁ~昔から古い電車なら形振り構わず何でも好きですから至極当然な事なんですけどね。さて、さらにもうひと箱、残っている東急電鉄(デハ3450形)デハ3499+クハ3858があるのでこちらも新製しました。実は昔に十和田観光鉄道で見かけた事があるモハ3603(元東急:デハ3655)への改造を目論んでいたのですが・・・流用どころでは無く、あまりにも大幅な改造をしなければならないので諦めました
先日は東急電鉄デハ3450形(復刻旧塗装)の3編成が揃って楽しみましたが・・・そこそこ余剰なパーツが残りました!これはもったいないですよね~。是非、これらをなんとか活用したいところです。出来れば同時期に活躍していた「海坊主」のデハ3500形あたりに改造したいところなんですが・・・残念ながら屋根板の形状がまったく違うんですよね。左右を切り落として整形してなんて考えましたが・・・・張上げ屋根の形状ではないのでサイドビューに違和感がある。・ベンチレータの配置も形状も全く異なるのでかなり
山手線はウグイス色が路線カラーで、103系からずっとこの塗色を纏っている。それ以前の旧型電車はチョコレート色に塗られていて、山手線命名100周年を記念して、明治チョコレートとタイアップしてこの色を再現した車両を期間限定で走らせた。カメラ機種名CanonEOS40D撮影日時2009/10/1110:19:03撮影モードストロボ発光禁止Tv(シャッター速度)1/320Av(絞り数値)11測光方式評価測光露出補正0ISO感度400レンズEF-S18-2
当時の志度・長尾線はオール釣り掛け車両の「旧型電車パラダイス」・・もちろん全車非冷房で、夏の日に窓から入る風が心地良かったです。志度線の沿線は開けた場所が少無なく、レトロな木造駅舎が背景となる琴電屋島駅は、好みの撮影スポットでした。この頃、全国のローカル私鉄のワンマン化が進む中、琴電全線が車掌乗務でした。当時、駅員・乗務員の横柄な態度への風当たりが強い時期でしたが、2001年の経営再建を機に、職員の接客が飛躍的に向上した印象を得ました。
さて、ようやく前回に続き東急電鉄デハ3450形復刻旧塗装(組立済み製品)を入手!手持ちにこちらもやっと入手した未組立の3両セットがあるのでこれで3編成全部揃いました。こちらは随所に「ますこっとれいん」のようなパーツ構成になっていて組立ながらとても楽しい製品でした。組立済みの製品は簡単なバリ取りで終了したので早々に未組立の3両セットを組立てました。いやぁ~実にいい「お顔」ですねぇ~惚れ惚れしちゃいますw行先表示もいろいろあって楽しいですね。さらに「雪が谷大塚」(池上線)は絶対にはずせ
(2000年、私が黒野駅にて撮影しました)このコーナーでは今まで乗車・撮影した列車・車両・塗色の中で、今では見られないモノを紹介いたします。第104回目は、名古屋鉄道(名鉄)の岐阜地区600V線区の岐阜市内線と揖斐線で活躍していた、モ510形電車です。1926年、前身の美濃電気軌道により、セミボ510形として単行が5両製造されました。美濃電気軌道は後に合併により名鉄となり、形式名もモ510形に変更されました。半鋼製車で、前面の半円筒形や5枚窓、戸袋の丸窓など当時として
2016年に発売されたプレミアムバンダイから発売されたBトレインショーティー。東急電鉄デバ3450形復刻旧塗装(組立済み製品)を入手しましたので早速、修繕させていただきました。修繕はバリ取りと色入れ・屋根のパーツ交換であっと言う間に完了です。いやぁ~・・やっぱり旧型な電車って魅力満載ですよね~完成した編成はコチラクハ3866+デハ3457+デハ3484ショーティーモデルならでわの可愛らしい側面が素晴らしい!さらに三者三葉のツラ構えが最高に魅力あります。・デハ3484型式:デハ
普段、5700系が走る時は日光線の奥地まで遠征するのですが、この日は天気が悪く近場で撮ることにしました。当時、姫宮駅を過ぎると宅地が消え一面の水田地帯で、一度は訪れたいと思っていました。この撮影から35年が経ちましたが、姫宮周辺で撮ったのはこの日だけ・・今でも、たまに車窓から沿線を眺めると、僅かに水田が残された場所でカメラを向ける人々を見かけます。
鉄道コムへTetsudo.com(鉄道コム)鉄道ファンのための“みんなで作る”鉄道情報サイト。鉄道に関するイベント情報、未来ニュース、車両トピックスを掲載。インターネット上の公式リリース、ブログ、動画、つぶやきなどを集めたリンク集や、参加型ゲーム「駅つなゲー」も提供。rd.tetsudo.com今回は、東急世田谷線世田谷駅旧型電車の写真をご紹介します。この頃はすでに、新形電車300形と旧型電車が半々ぐらいの割合で運行されていました。下の写真は世田谷駅に到着する下高井戸行きデハ150形です。