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昔,きょーじは臨終に際して,あー,死にたくない。で逝きたいと言っていた。今も同じ思いだろうか。ちなみに,今の僕が死ぬとしたら,死にたくない。とは思わないだろうなぁ。まぁいっか。って感じで死を受け入れそう笑。(いや,笑い事ではない)と言うわけで,今回は歴史上の人物の臨終の言葉でも紹介しよう。有名なのは,ドイツの文豪ゲーテの光を,もっと光を!ってヤツ。後年,信奉者たちがこの絶望的な世の中に,もっと光を…。みたいな解釈をしたらしいが,ソ
4月20日(月)今回のツアーは、旅順観光が組み込まれてました。旅順は大連から列車やバスで行けなくもないけど、初見では難易度高い。葉さんも行ってたけど、現地ツアーを利用したほうが効率がいい。何より、歴史的なことを説明してもらえるってことが重要です。8時半にロビーで葉さんと待ち合わせ。運転手さんは薫さん(男性)。物腰の柔らかい紳士です。50分ほどかけて一路旅順に向かいます。阪急交通社の旅程表では、①東鶏冠山(とうけいかんざん)②203高地③水師宮(すいしーいん)の下車観光、旅順軍港、星
いつもエコノミライ研究所のブログをご覧下さり、ありがとうございます。今年は午(うま)年何事もスムーズに駆け抜けることができるならば、素晴らしいことです。ウィキペディアはじめ、様々な文献や記録に残っている、近代国家として歩み始めた「日の本(ひのもと)」が、地球上の人類社会でトップグループを維持するために必要とされた「投資」物件である、戦艦をはじめとする、海上艦艇の歴史を紐解くシリーズを始めさせて戴いています。1945年8月14日をもって無力化されたとはいえ、21世紀に
元記事沖縄タイムス、辺野古の転覆事故で不適切な投稿記事掲載…「亡くなった方の意思を断定する表現」として謝罪-ライブドアニュース沖縄タイムス社(那覇市)は3日付の朝刊で、沖縄県名護市辺野古沖で女子高校生ら2人が死亡した小型船転覆事故に関する読者投稿記事について、不適切な表現があったとしておわびを掲載した。投稿記事は「辺野古news.livedoor.com「投稿記事は「辺野古事故デマは許されず」との見出しで1日付に掲載された。末尾に「天国から二人の声が聞こえてくる。『誹謗(ひぼ
『ポーランドはウクライナ復興の重要拠点』「高市早苗総理は4月15日、訪日中のポーランドのトゥスク首相と首脳会談を行いました。同志国との連携がかつてなく重要という観点から、両国関係を「包括的・戦略的パートナー」に格上げしました。安全保障面では、情報保護の枠組み策定のための議論を含め、当局間協力を確認。経済やインフラ、人工知能(AI)等の先端技術といった幅広い分野での戦略的な協力推進で一致しました。両国間では企業や駐在員が二重に年金制度加入を義務付けられている課題を踏まえて、両国での保
父の兄が横須賀にいるので、GWの前半を使って初めて行ってきました岡山から車で約8時間。途中で宝塚・岡崎・駿河湾のSAで休憩しながら…かなりの長旅。それでも12時過ぎに横須賀へ着いたので、午後から充分時間がある。そこで初日はYOKOSUKA軍港めぐりに行き、実際に停泊している軍艦にも乗船戦艦陸奥の主砲と主砲弾・汐入桟橋を歩いたりなど、軍艦以外も色々あった天候が悪くて軍艦の最上部へは上がれなかったが、現役時代の活躍を見聞きして楽しかった実際に日露戦争の配備を模型で再現したものがあ
紹介『近現代日本史と歴史学』成田龍一著(中公新書)「ワーカーズ」2015/12/15この本は、明治維新から戦後までの近現代日本史を単に叙述したものではない。近現代日本史の叙述の仕方が、どのように変遷してきたかをたどる「学説史」でもあり「論争史」でもある。と言うと、この本を読む前に、あらかじめ日本の近現代史を勉強しておかなければならないと思われるかもしれないが、その心配はない。というのは、この本では、各々の歴史的時期について、まず簡単に教科書レベルの内容を紹介し、続いてその歴史事
1315)戦争経済/戦費調達戦費調達のために、アヘンを密造販売した軍隊が過去にあった。戦争には金がかかる。先立つ物は金。★日本の相続税は、1905年(明治38年)に日露戦争の膨大な戦費を調達する財源として創設された。戦争前には無かった。★アヘン中毒は、ケシの乳液から作られる麻薬の常用により、心身が深刻に蝕まれた状態。強い精神的・身体的依存性により、薬物なしでは日常生活が送れなくなり、最終的には慢性的な健康被害や死に至りる。ーーーーーーーーーーーーー
陸上自衛隊善通寺駐屯地資料館通称?は乃木館旧日本陸軍第11師団(善通寺)の初代師団長乃木希典将軍、歴代師団長、第11師団関係の資料が展示されています。入り口はバリケードが有ります。守衛の隊員さんが開けて下さいますから受付を済ませて見学を開始します。旧陸軍第11師団司令部跡の建物です。現在も陸上自衛隊の施設として実際に使用されています。玄関ホール資料館は2階にあります。係の人の案内で順路に従って行きます。突き当りの師団長の部屋。
4月29日の天皇誕生日からみどりの日から昭和の日という変遷に関しては、どうして祭日であることを止めなかったのかと思います。昭和天皇が死んで12月に新しい天皇誕生日が出来たのだから、天皇誕生日の祭日はなくすべきでした。それをみどりの日などという無難な名称にして祭日であることを続けて、時間が経って昭和天皇に対する嫌悪感が薄まってきたところを狙って昭和の日にしてしまう、なんとも狡くて汚いやり方です。4月に祭日が1日減っても12月に増えているのだから休日の総数としては同じである、4月を残して1
我が国は、過去、中国をはじめ様々な国の人々の貢献を受けてきた。その方々について、調べてみる。老人の歴史の自主研究です。小泉八雲、ベアーテ・シロタ・ゴードンに続いてダグラス・マッカーサーの続き陸軍入隊後のキャリア士官学校を卒業したマッカーサーはエリート部署とされていた工兵隊に所属し、フィリピンに赴任。また1905年には父アーサーが駐日アメリカ大使館付け武官となり、これに同行して日本へも訪れ
映画「残されたヘッドライン」を観た。https://headline-movie.com/編集の仕方や音楽の使い方はともかく、全体として貴重な映像を見せてもらったと思う。戦争の映像がかなりの割合を占めていたが、それはつまり、20世紀の日本は戦争ばかりだったということだ。日清戦争と日露戦争を戦って、たまたま勝利したことが、愚かな国家主義者たちを増長させて、一路軍国主義へと突き進んでしまった。たくさん人を殺したろくでなしを英雄と祭り上げ、意に反して死んでいった者たちを英霊と呼んで崇め
2019年7月15日発信。週刊新潮「変見自在」に掲載された高山正之の論考を通じて、日露戦争後の米国の対日政策、セオドア・ルーズベルト、ウッドロー・ウィルソン、ハーディング、フーバー、フランクリン・ルーズベルトの対日工作を検証する。満洲国、日英同盟破棄、国際連盟脱退、真珠湾攻撃への道を、米国という鏡を通して読み解く。2019-07-15長城の内側が領土だが、フーバーは「満洲もチベットも支那の領土」と嘘を捏ね、満洲国を非合法化し、日本を国際連盟からも追い出した。以下は週刊新潮今週号「変見自在
江口鎮白という人物の知られざる人生(ロシア203高地の戦場へ鎮白は大砲を持ち進む)明治37年(1904年)。中国・旅順の丘に、砲声が鳴り響いていました。203高地——日露戦争最大の激戦地です。「大砲を敵地へ運ぶ。必ずやり遂げる」そう言って丘へ向かった若き軍人がいました。江口鎮白、当時33歳。倒れていく仲間たちの横を、大砲を押しながら進んでいく。戦場では、人の命がいとも簡単に消えていく。どんなに強くても、どんなに若くても。鎮白はその光景を、目に焼き付けながら生
『ゴールデンカムイ』の実写版映画をWOWOWでやっていたので録画しておいた。アニメは見ていた。冒頭は日露戦争のニ百三高地である。1904年のこの戦い、13万の日本兵が投入され死傷者は60,000人、ロシア側の死傷者は46,000人。地獄の戦場を生き抜いた兵の話。熊との決闘。アシリパさん、頬がふっくらしていてかわいい。最初の町は小樽。小熊がかわいい。実写版はアニメにひじょうに忠実である。見応えがあった。キャストもよい。ゴールデンカムイ:熱量満点の金塊争奪戦#映画-寝
靖国神社内苑入り口、ちょうど青銅の鳥居の手前に大燈籠が2基、足を止める人はほとんどおりません。ふと目を留めると見事なレリーフが、台座が八角形なので8枚。当時のものなのだろうか、気になって1枚1枚丹念に見てきました。どうやら右の燈籠が海軍、左が陸軍のよう、今日の写真は海軍から書いてある文字はよく読めません、明治二十七年とあるから日清戦争の海戦かな第二回旅順・・・明治三十七年とあるから日露戦争の一幕か日本海海戦大正六年地中海遠征昭和七年上海事変上海事
今夜から暫くの間、ロシアの作曲家のシンフォニーの系譜を辿っていきます。(残念ながらこのところのウクライナへのロシアの侵略問題で、世界が揺れ動いていますが、過去の芸術作品の素晴らしさは不変です。)----------------------------------------------------日露戦争の頃、つまり帝政ロシアの末期の頃のロシアには多彩な才能に溢れた作曲家が割拠していたように思われます。19世紀前半に活躍したミハイル・グリンカ(1804-1857)、そして19世紀後
司馬遼太郎氏の「昭和」という国家を読んだ。氏の昭和についてのNHK教育テレビでの語りを書籍にした本である。氏は、日本に初めて出来た明治憲法に内在された統帥権なる権力が、昭和に独り歩きし、統帥権は大元帥たる天皇の専権事項を盾に軍部が独走した。挙句、国内に、参謀本部を常設し(本来、参謀本部は戦時のみ存在し終戦と同時に解散される)国会内閣も超絶し、昭和初期にには参謀本部が、国家を事実上運営するという異常事態を引き起こした。その挙句、朝鮮、中国を侵略し、太平洋戦争を引き起こし、無条件降伏の形で国家
令和8年4月17日(金)12日からの、5日間の旅の画像の整理。今日の掲載は12日と13日の高崎散策。日露戦争の捕虜の墓がある龍廣寺、頼政神社他高崎公園、市役所の21階展望室迄のスナップ。おまけ4月11日のとっくんおまけ2-22018年4月8日のラグ↓高崎、前橋、伊勢崎、古河の順に掲載予定。明日も高崎。
私自身が体験した日本の大激変は1945年の「敗戦」だけれど、もっと大変だったのは時代そのものが大きく変わった「明治維新」だと思う。NHKの朝ドラが、たまたま小泉八雲夫妻をモデルにした「ばけばけ」に続いて日本で最初のtrainednurseを扱った「風薫る」で、共に江戸幕府が崩壊して武士がいっせいに失業してしまった頃の話。申し合わせたように前者はヒロインの祖父が藩の家老だったし、後者はまさに家老の娘がヒロイン。いきなり裕福な暮らしから食うや食わずとなり、服装や髪型まで変わってしまったの
軍都豊橋⏬️✨️豊橋公園歩兵十八聯隊営門跡✨️⏬️第十五師団の誘致日露戦争が日本の勝利に終わろうとするなかで講和条約に対する国民の不満は大きかった豊橋でも講和反対の動きがあったけれども市民の平和への願いは強くいつのまにか立ち消えとなってしまった歩兵第十八聯隊の凱旋やがて日露の講和が成立し郷土部隊である歩兵第十八聯隊の凱旋を迎えようとしていた歩兵第十八聯隊は明治十七年六月二十五日名古屋に新設され旧吉田城内の兵舎が完成した明治二十年五月八日豊橋に移動し
今日は京都に来ています。京都府庁の旧本館にあるカフェ、salonde1904に行きました。カフェの前にある大きな木。お店の店名にもある1904年。この年にこの旧本館は建築されたとのこと。1904年の日本の様子はどんな感じだったのかと調べてみると、日露戦争をスタートした年で、1905年まで戦争が続いていました。当時の日本の行く末を見守ってきたであろうこの旧本館。122年後の今、こうして平和な事態であって、ゆっくりとお茶とお菓子を楽しみ、木々の緑と明るい陽射し、青空と白い雲のきれいな
『ドラえもんの大山のぶ代さん遺産は全額「国庫」へ』大山のぶ代さん(享年90)の遺産個人事務所の株主は本人のみで相続人もなし→全額国庫帰属の見通しこれ大山さんに限った話じゃないんよ2024年度に「相続人なし」で国庫に入った財産は『1292億円』10年前の約4倍過去最高…pic.twitter.com/GHJ4BTOxKU—B-2スピリット爆撃機🔸(@zetu_rrr)April14,2026中山美穂の遺産に続き大山のぶ代さんの遺産も国庫へそして私たち庶民も固
こんばんわ、私が送ったはずのコメントが届いてなかったことがありました。もしや皆様へのも・・・コメントを下さった方には絶対送っておりまする。。ちゃんと届けてね、インターネットさん。去年の5月の記事になります下から中山道をのんびりツーしてきました。のんびりなので、普段立ち寄らない小ネタをたくさん見てきました楽しかったーお暇でしたら、旅の参考になるかも・・みてくださいませ。静岡と愛知の県境の山奥にポツンとある凱旋紀念門(明治39年)登録有形文化財幅3.2m高
ビルマをはじめとする植民地の人々は、日露戦争に触発され「アジア人でも白人に勝てる」と信じて蜂起した。しかし現実は苛烈で、宗主国が資源を奪い尽くす構造の中、独立は容易に許されなかった。本稿は、サヤサン蜂起、ウ・ソー、そして英国植民地支配の実相を通して、「日本」になれなかったアジア諸国の悲劇を描く。2019-07-01「もしこうした植民地に独立の機会があるとすれば、それは一滴の石油も一粒のコメも取れなくなったとき」と英史家ルイス・アレンが評した言葉がある。「日本」になれなかった英国はこの
皆さまご訪問ありがとうございます再生30万回·リアクション382件|慎ちゃん維新、、、維新立ち上げって俺言ったよね?新撰組みたいな明治維新みたいな党の名前つけるって。だから、慎ちゃん新しいの。古くないの。右に傾いたのも、維新後?これも俺言ったの。ここで言う、原爆のは、日本が腑抜けなもんだから、原爆を繰り返させませんだろ!って言ってんの。日本の姿勢ね。この時代、俺もガンガン言ってた。芯を持って海外と面と向かって引かずに話ししろ!って。日露戦争で、インドネシアとか植民地にされてたとこが、
2019年6月3日に書かれた本稿は、昭和天皇が田中義一内閣総辞職以後、立憲君主制の原則に従って自らの発言を厳しく抑制するに至った経緯と、そのことが昭和史に及ぼした深い影響を論じた一篇である。明治憲法下の統治機構、元勲と天皇の関係、五・一五事件、そして二・二六事件における天皇の判断を通じて、日本の立憲体制の弱点と悲劇的帰結を鋭く照射している。2019-06-03軍隊が訓練以外で実弾を発砲できるのは平時編制から戦時編制に切り替えた時だけであり、その命令を出すのは天皇陛下だけだからだ。以下は前
今年こそはピーナッツソフトを食べたかった!木村ピーナッツ|千葉県産の落花生【公式サイト】https://share.google/5SHBOlY5IQJmpt9dq前日宣言していたのにすっかり忘れられている😓相方の運転で塩浦海岸からイオンへ直行!買い物した後車から見かけた鶴谷八幡宮https://share.google/1qEsYBuBdB9lx8KCcへ向かう!拝殿一番の見どころ百態の龍日露戦争記念碑が二つもあるのはなぜなんだろう?若宮八幡宮安房神社遥