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今回のメインイベント慈照寺銀閣へ。やはり外国のお客様が多いですが日本人の学生みたいな若い子グループもたくさんいて、嬉しかったです😊わたしが最初に出会った日野富子は小学生の時に読んだ永井路子さんの銀の館。子ども心にも、孤独を乗り越える女性の強さは胸が熱くなりました。孤軍奮闘、賢く強い、政治も経済も最善策を見抜く、圧倒的女帝。夫義政は美意識高くて文化教養意匠建築立ち居振る舞いそちら方面では最強なのに時々「オトコのコケン」がムクムク湧き上がってきて富子に負けたくないのか余計
応仁の乱の経緯については、昔言われていたものから、最近はだいぶ違っています。「最初は西軍=義尚、東軍=義視だったのが、乱の途中で何故か大将が入れ替わった」という話を、私も昔は得々と書いたものですが、これは今では否定されています。取り敢えず、いま応仁の乱を語るなら、1.日野富子が乱を起こした張本人、というのは大嘘。2.そもそも乱の原因は将軍継承争いではない。という2点を確認しましょう。従来語られていたストーリーは、日野富子を悪女に仕立てて面白おかしく脚色されたもので、史実は全く違うんで
「応仁の乱の終了」藤井竜王の37手詰はいつからかみなさん、おはようございます将棋の藤井八冠竜王防衛おめでとうございました37手詰はお見事ですいつから読んでいたのでしょうかさあ、今日「11月12日」の國史を学びましょう「応仁の乱、終了」文明9年(1477年)応仁の乱は足利義政(8代)と日野富子に義尚(よしひさ、9代)が誕生したことから始まりました後継者として坊さんを辞めて義政の養子となっていた義視(よしみ、義政の弟)との争いです有力大名の
永井路子著「銀の館」全2巻を読み終えました。足利幕府8代将軍である足利義政の妻、日野富子の小説。足利義政は銀閣寺建立で有名ですね。目だった政策は伝わってませんが、銀閣寺を始めとする東山文化を興した人として名を残しております。その妻が日野富子。応仁の乱勃発に深く関与した悪女として日本史の授業なんかでは話が出ていたように思います。ただそれ以外のことはあまりよくわかりませんので、こういう歴史小説で知ろうと思いました。日野富子が16歳で足利義政に嫁ぐところからお話は始まります。気丈で頭の
2023.11.1(水)①いよいよ11月。普段は非公開の宝物や、場所が特別公開になる季節の到来である。それに合わせて、今日は、京都の、宝鏡寺、金閣寺、平野神社、北野天満宮を計画。宝鏡寺(ほうきょうじ)アクセス最寄りのJRの駅を8時過ぎに出発。8時27分、奈良着。8時39分、奈良発、9時41分、京都着。JR京都駅の中央口を出てバス乗り場へ向かう。京都市営バス、9号、バス乗り場はB1、真ん中のゾーンだ。下調べもバッチリ、迷うことなく到着。9時5
雲州蔵帳と呼ばれる「御茶器帳」を活字で再編した冊子に「宝物之部」として記載されている茶入に、唐物「残月」、唐物「日野肩付」がある。何となく聞き覚えもある銘なので色んな図録を見てみたが、なかなか見つからない。仕方なく「茶道美術鑑賞辞典」を引っ張りだして、探してみたらようやくありました。まず漢作唐物「残月」釉薬のかかり方が、丸い感じで、月が残ったように見えるような流れになっていて、この銘になったのかな。優雅な感じで、むしろ現代的な印象を受ける。これが不
応仁の乱とは畠山氏と斯波氏の関東管領の争いに加えて将軍の跡継ぎ問題が絡んだ11年戦争で、京都人がこのまえの戦争というとこれを示す。(太平洋戦争の空爆をアメリカが避けたため)親族を将軍にしたい日野富子が暗躍した。畠山・斯波氏の名は年がたつと、山名宗全(西)と細川勝元(東)の争いになる。山名宗全が西の代表で陣を構えたところから「西陣」と命名された。(碑もある)この戦いで右京区が寂びれた。山名宗全は下御領神社を陣地とした。この乱はややこしくこれだけで1冊になり、それが売れたくらいだか
名古屋のシンゾウです名古屋の朝は、どんより曇っています。昼から雨でしょうか。《覚えちゃお!》コーナーで掲載している内容は、データベースから、間違い易い項目を抜粋しています。しかし、この間違い易い項目が、私の「ザル記憶」に混迷を与えています。本来なら効率的に覚えられるはずなのですが......より、自分の記憶の脆弱性に気付かされます。解決策は、十分な勉強時間を取り、繰り返す、繰り返す、繰り返す、それしかないようです。さらなる努力が求められます。名古屋の朝、晴れ渡っています。
「日野富子」悪女みなさん、おはようございます予想通り、意味のわからないG7になってきました警備の皆さま、誠にお疲れ様ですさあ、今日「5月20日」の國史を学びましょう「日野富子、没」明応5年(1496年)日野富子(ひのとみこ)は、室町幕府8代将軍、足利義政の正室です正式名、藤原朝臣冨子北条政子、淀殿とともに、三大悪女と言われます義政との第1子がすぐに亡くなったため乳母の今参局(いままいりのつぼね)と義政の側室を島流しにします
おはようございます。1467年の今日、応仁の乱で山名持豊、畠山義就らが挙兵をした日です。よく語られることですが、「京都人にとっては先の戦争といえば、第一次でも第二次でもなく、応仁の乱のことを指す」という「応仁の乱」です。でも、わかっているようでわかっていない応仁の乱。何故この乱が起こったのか、当時の興福寺の僧侶・尋尊の書き記したところによれば「いくら頭をひねっても応仁・文明の大乱が起こった原因がわからない」と、言わしめた応仁の乱です。歴史の教科書では、室町時代末期,足利将軍
日野富子[1440~1496]室町幕府8代将軍足利義政の妻。実子義尚よしひさの将軍就任を企て義政の弟義視よしみと対立し、応仁の乱の端緒をつくった。京都諸口の関所の設置、そのほか幕政に深く関与した。上記内容のように語られることもあるが。「高利貸しで蓄財をすることに励み、応仁の乱を引き起こした悪女」との評判もある。私は思うんだけど。「仕事が出来る女性を嫉んだ男性たちが日野富子を悪女呼ばわりをしている」って思っている。出来る事なら。現在の内閣に入って
京都国立博物館で開催中の、親鸞生涯と名宝を観に行きました。親鸞聖人は、言わずと知れた浄土真宗の宗祖ではありますが、今回の展示で初めて知ったことが沢山ありました。父は日野有範、法界寺付近の生まれ、との表記があり、「法界寺」「日野」とくれば日野富子⁉もしや親鸞は日野一族の祖先?などと思い巡らせながら展示内を進んでいきましたら、家系図を遡ったところに、藤原鎌足→不比等→房前・・・と書かれているではありませんか。私の中で房前(ふささき)への感情は諸々あり、話すと長くなりますので
画像は室町幕府8代将軍、足利義政です。1441年、嘉吉の乱で将軍、足利義教が赤松満祐に殺される事件が発生。これ以降、勢力均衡が破れ、守護大名の発言力が強まる。またこれと同時に土一揆が発生し、山城国内の地侍が主導する数万人規模の一揆で、幕府もこの動きを抑えることが出来ず、ついに徳政令を出す。この流れで室町幕府の権威は急速に衰えてゆく。8代将軍、足利義政は遊び暮らし、政治は混乱する。義政の正室であった日野富子はとんでもない悪女で、賄賂によって
室町幕府第8代将軍足利義政の正室「日野富子」さんについて、取り上げます。どんなイメージですか。ちょっと古い人だと、応仁・文明の乱の原因、悪女、銭の亡者、というイメージでしょうか。もっとも昨今、すこーしイメージアップできてるのではないかと思ってます。「悪女」一辺倒ではない感じ。守銭奴イメージだって、足利義政の政治感覚のなさ、高度に発達した貨幣経済などが、彼女をそうさせた一面があったと。つまり、根っからの金の亡者だったわけではないということ。また、嫡子義尚を将軍にするための富
令和5年3月4日(土)今回は、午後から桃の節句の時期でもあり、人形寺で有名な旧百々御所の宝鏡寺で人形展が行われているので、拝観に行くことにした。宝鏡寺は旧百々御所の御所号をもつ臨済宗単立の尼門跡寺院で本尊は聖観世音菩薩である。宝鏡寺は人形寺としても広く知られている。京都や奈良の尼門跡寺院には、たくさんの人形が所蔵されているとのこと。これは、代々内親王ご入寺され、父君である天皇から季節ごとに、折りにふれ人形が贈られてきたことに由来し、宝鏡寺でも多くの人形が所蔵されているとのことである。
先日、しれっと今年最後の手に入れた本です~とか書いてましたが、あはは、本日2冊、本を手に入れてしまいました。平安時代のものを紹介した著作『古典モノ語り』と永井路子さんの『歴史を騒がせた女たち』(一応、読んでまーす)から得た経験をもとに改めて書かれたという歴史エッセイ『歴史をこじらせた女たち』共に目次を見るだけでワクワク、ドキドキです『歴史をこじらせた女たち』での注目は持統天皇。女性の天皇は数あれどこの人はまさにサラブレッド!祖母・天皇、父・天皇、夫・天皇!そして
ここ最近、ドはまり中の日野富子。随分前に彼女を主人公にした大河ドラマがあったと知り観てない私はとても残念な気持ちになっています。オンデマンドで観ようかと思ったけどそちらでもやってないみたい・・・それでネット検索してみたらこんな雑誌が出ていたことを知って早速借りてきました。花の乱NHK大河ドラマ・ストーリーAmazon(アマゾン)303〜17,931円いや~、この本かなり面白かったけどだからこそなおさらドラマを観てないことが悔やまれる・・・まず日野富子の設
室町幕府足利将軍家へ代々嫁いできた日野家。本書は八代将軍義政に嫁いだ日野富子の生涯を描いています。天下を買った女Amazon(アマゾン)410〜6,220円この時代は自分の意思など無関係に結婚するのが当たり前とは言えこんなにも過酷な人生はある程度予想されていただろうかと思わずにはいられませんでした。そもそも最初から富子を良しとしない勢力の中でそれでも自分のやるべきことに専心してきた富子。彼女の貧民たちへの慈悲の想いに根付いた強さに対して夫の義政の将軍としての自覚の
『鎌倉殿の13人』~後追いコラムその153第45回八幡宮の階段今回は、北条政子は『尼将軍』と呼ばれていなかった!について(実朝が暗殺され悲嘆に暮れる政子)9年前に上梓した『鎌倉謎解き散歩』は、すでに鬼籍に入られてしまった恩師奥富敬之先生との共著という形を取らせてていただいた。先生は生前、「いつかは大野君と本を出したいね」とお会いするといつも口癖のようにおっしゃっていたからだ。そこで、先生が書き残された原稿をお借りし、私の拙文と共に掲載させていただいた。この本の中で、奥富先生
「日野富子」は悪女か救世主か。|千世(ちせ)|note北条政子、淀君と並んで三大悪女と言われている日野富子。彼女は本当に悪女だったのでしょうか?正直、私は彼女の生きた時代はまだまだ勉強不足で、本当のところの理解には及んでいないのかもしれません。特に「応仁の乱」の理由も、実に様々な要素が絡まっていて、文献を見直すたびに、新たな疑問が湧いてしまい、なかなか細かく事情をくみ取る事が出来ないでいるのです。…note.com
鎌倉殿の13人では小池栄子が演じる北条政子が、積極的に鎌倉&北条&朝廷との融和に努めています。『北条第一主義』の義時に対して『鎌倉第一主義』の政子、私が勉強した『日本三大悪女』とは全く違う北条政子が描かれ、新鮮さが溢れます。先日の放送の北条政子と菅原兼子の談判は、お見事でした。何度も再生して見ています。『三代悪女』といえば日野富子・北条政子・淀殿ですが、私にとって『悪女』といえば中島みゆきです。♪マリコの部屋に、電話をかけて〜♪
正観さんによると…。(旅じょうず入門…昭和57年)●旅行代理店なお、まだあまり旅慣れていないがどこかに旅をしてみたいと思う人は、旅行代理店へ行ってみよう。いろいろな会社が何百というパッケージツアーを出している。(今は、コロナでそれほどでもないかもしれませんが…)自分一人で行くより何割かは高いが、名所旧跡は回れるし、有名な食事どころで食べられるし、気楽は気楽。2人とか3人で参加する人も多いようだ。最近では「芋ほりツアー」とか「カヌーツアー」とか、かなり個性的なものがあり、旅慣れた人
名古屋のシンゾウです今回の《過去問題(小論文)です》は、12回~14回の内容です。【31528】は盲点でしたね。読み飛ばしていました。【31554】国宝の歌論書「古来風躰抄」、【31558】押大臣は誰か、難問でしたね。私は得点できませんでした。ポツポツと難問が出題されますが、ある程度の割り切りを持ち、捨てることも大事です。【参考:私の得点結果】本日のブログを更新します。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆本日の問題(638)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆《過去問題(小
リブログ欄がありませんので、コピペさせて頂きました。福助さんメッセージを入れてありますので見て下さいね。扇屋福助さん有難うございました。<(__)>▽福助さんのブログより。矛盾を正論にすり替える|扇屋福助のブログ(ameblo.jp)応仁の乱(応仁元年・1467~文明9年・1477)の頃の日本人の心のありようを表現した言葉に『天下ハ破レバ破レヨ世間ハ滅ビバ滅ビヨ人ハトモアレ我身サエ富貴ナラバ』と言う日野富子の言葉が応仁記に記されています。
年4回の楽天スーパーSALE開催!9月4日~11日まで!「鎌倉殿の13人」を毎週見てますが、、裏切りと血の粛清とどんなに小栗旬が悩まし気に決断しても、大好きな小池栄子が政子役でも、辟易してしまう。歴史上の女傑(悪女)と言えばもう一人、足利八代将軍の正室日野富子。将軍のお墨付きで高利貸しをして巨万を得、政治に口出しして世の中をかく乱した女。図書館で目についたので読みました。将軍職跡目争いがきっかけで応仁の乱がおきたように思われていましたが、この時代小説によると少し違います。
銀閣の人[門井慶喜]楽天市場1,980円足利義満の造った「鹿苑寺金閣」と比較される「慈照寺銀閣」。金箔を貼る財力がなかったからとも言われますが、侘びの文化として愛されているように思います。義政の後継候補の義視にしても、父義教にしても、僧籍に在りながら還俗させられ俗世にまみれるハメになったけれど、その間に位置する義政は達観しているというか…。もうこの頃には将軍家の権威は存在せず、戦国時代へ突き進んでいく予兆があり、臣下であるはずの各大名家が台頭しています。そんな中、
伊東潤さんのこの本はたぶん最新刊だと思う。伊東潤さんの新刊は必ず読むようにしている。既刊で未読のものも順次読んで行きたい。日本史は面白い。特に鎌倉時代からの中世期は特に興味をそそる。この本が描くのは室町時代真っ只中の8代将軍足利義政の御台所日野富子の生涯だ。この時期は、応仁の乱と重なる。ひどい時代だ。畠山家の跡目争いから発して、それに介入する細川勝元と山名宗全の対立、秩序を正すべき将軍家である義政の優柔不断さが混乱に輪をかける。京の都は夜盗が跋扈し、掠奪が横行し、主な寺社、構築物は消失した
7月10日ね日付が駄目だな撮り方下手でだってねこの間それ以来行かなかったけど撮影禁止ですのでっていきなり背後から飛んで帰って来た**送ってよこしたんだろうね来るといいな何でも本物見なくては詰まんないよね此れは本物です紅色の紫陽花何?健次凄い題❕
日野富子に想う「悪女」と「才覚」週末の金曜日です金色に輝く金運のモーニングカレー日本国海軍を真似て食べるのもいいですね日野富子(ひのとみこ)、没明応5年(1496)5月20日室町幕府8代将軍「足利義政」の正室「三大悪女」の一人です第1子がすぐに亡くなり乳母の今参局(いままいりのつぼね)と側室を島流しにします義政の実弟「義視」を後継者に据えますが翌年「義尚」が生まれ有力守護大名の「山名宗全」を後見にします義視の後見は「細川勝元」
おはようございます。昨日は、福島と富山で真夏日になり、多くのところも夏日となりました。ずっと気温が低めだったので、いきなりの夏日は身体に堪えます。どうぞ、体調管理をしっかりとなさってください。さて、今日は1467年応仁の乱で山名持豊、畠山義就らが挙兵をした日です。よく語られることですが、「京都人にとっては先の戦争といえば、第一次でも第二次でもなく、応仁の乱のことを指す」という「応仁の乱」です。でも、わかっているようでわかっていない応仁の乱。何故この乱が起こったのか、当時の興福寺