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令和6年1月10日令和6年日野七福神めぐり、毘沙門天安養寺の次に川辺堀之内地区の延命寺を訪問致しました。寿老人(寿老尊)をお祀りしている真言宗の寺院です。延命寺の山門と言うか、入り口ですね。延命寺(えんめいじ)山号:有王山院号:地蔵院寺号:延命寺宗派:真言宗智山派ご本尊:地蔵菩薩座像札所:多摩八十八箇所霊場八十三番札所日野七福神:寿老人境内からまず目に付いたのが。立派な庫裡そして板碑--------------
武相卯歳観音霊場の続きです永泉寺→上柚木観音堂→永昌院→永林寺→玉泉寺→保井寺→宗印寺の次は真照寺へ〜宗印寺から平山城址公園駅迄歩き、京王線で百草園駅で下車、そこから徒歩6分真照寺の寺号標が見えて来ました寺号標と山門六地蔵赤い幟旗に導かれて…恵比寿堂お堂内にはえべっさん🐠日野七福神の恵比寿天です観音様お大師様本堂真言宗智山派寺院の真照寺は、清谷山蓮華院真照寺と号します真照寺は、法印弘意(長元9年1036年又は天寿元年1053年寂)が開基となり、長和年間(10
武相卯歳観音霊場の続きです保井寺の次は日野市平山の宗印寺に移動したいんだけど、歩くと40分掛かるバスもあるけど、待ち時間が40分以上…ちょっと疲れちゃったので、途中にある公園のベンチで休みながら、バス🚌を待つ事にしました😅平山城址公園駅行きのバスで最寄りバス停で降りて徒歩6分寺号標と山門が見えて来ました山門本堂曹洞宗寺院の宗印寺は、大澤山宗印寺と号します宗印寺は、慶長4年(1599年)中山助六郎照守が開基、一東天樹(寛永12年1635年寂)が開山となり、創建第3世大本恵立
金光山観泉寺の次は日野市に移動して平山にある大沢山宗印寺へ。山門。御本堂。地蔵堂。日野七福神の布袋さま。こちらの五輪塔は平山季重氏の墓地です。愛染明王。六地蔵さま。墓碑。お地蔵さま。境内奥の鳥居。鳥居前の可愛い牛と、平山天神。今回は時間に余裕が無く、鳥居の先には進みませんでした。御朱印。
前半からの続きです【安養寺(毘沙門天】安養寺の七福神は毘沙門天(びしゃもんてん)です毘沙門とは、多くの人々の願いを聞いてそれをかなえさせるという意味です本堂とは別のコンクリート造りの立派な建物に安置されていました普段は非公開です。撮影許可を頂きましたうさぎの七福神。かわいい一つをゲットしました。かわいい山門安養寺は、平安時代の武士団「武蔵七党」の西党を率いる日奉氏の末裔田村氏の居館跡に創建したといわれます【石田寺(福禄寿)】石田寺(しゃ
ふ2023年1月4日、『日野七福神巡り』に行きました日野市内の七つのお寺を巡ってお詣りをし、御朱印を頂くものです1月1日から1月8日に行われています七福神のうち五神は室外に小さい建物があって、そこに安置されています。普段も拝観可能です安養寺は大きなコンクリート建の建物に安置されていてこの期間、公開されます(普段本堂におられるかもしれません)高幡不動尊は小さい建物に安置されていますが、この期間に公開されます結構、多くの方がまわられていました歩いてまわる方が多かったです案内パンフ
大久山善生寺の次は有王山延命寺へ。この日の最後の参拝です。御本堂。御本堂前の弘法大師さま。日野七福神の寿老尊さま。お地蔵さま。子育水子地蔵さま。平和観音さま。日野市の史跡に指定されている板碑。石碑など。御朱印。
電車を利用してお参りするとなるとJR豊田駅、京王線南平駅のどちらかからということにありますが、どちらからも15分位は歩くことになります。高尾山から流れ、日野市付近で多摩川に合流する浅川に流れの河岸段丘にあります。1645年(正保2年)、豊田村の領主だった旗本の大久保勘三郎忠良が、前年に22歳で亡くした娘、善生院殿妙蓮の追善のため、大久保一族が信仰していた新潟県三条市の法華宗総本山本成寺の末寺として開創しました。寺域690坪余は当地の有力者、山口氏が建立の際、寄進したとされています。1
最寄りの京王線百草園駅からは徒歩5分。やや上り坂にはなりますが、駅からのアクセスは良好です。開基は弘意僧都で、1036年(長元9年)3月3日入寂との記録が残されているため、長和年間(1012年~1016年)あるいはそれ以前の創建と考えられています。お寺のある多摩川と浅川の合流地点下流の落川地区には、遺跡の状況などから、奈良時代から平安時代にかけて一大集落があったと想定されています。その後、安土桃山時代の天正年間(1573年~1592年)に法印善意により中興されました。本尊
京王線の平山城址公園駅が最寄。1599年(慶長4年)、平山の地頭だった中山照守が永林寺の傑秀禅師に頼んで、一庵を建てたことに始まるとされています。かつて"無量院"と呼ばれた寺が廃寺となり、その場所に聖観世音菩薩像が安置されていました。この観音像に祈れば、必ず願い事が叶ったと伝えられています。この観音像を本尊として、庵が創建されました。中山照守の父、中山家範は後北条氏に仕え、八王子城で侍大将として豊臣軍と奮戦し討死しました。戦後、徳川家康は家範の武勲と忠節を評価し、子の照守を召し抱えること
JR豊田駅と京王高幡駅の中間、京浅川の北沿岸都道18号線に面しています。古い記録は残されておらず、開基は不明。南北朝時代とも、新田義貞の鎌倉攻めで落武者の内藤一族が帰農し戦死者や先祖を弔うため堂宇を建立したとも伝えられています。本堂の前に保存されている板碑には、文明2年(1470年)の銘があり、それ以前からあったものと考えられています。当時の人々が自分たちの極楽往生を願って立てたもので、日野市の史跡に指定されています。延命寺真言宗智山派で本尊は運慶作の延命地蔵菩薩。本尊は秘仏として
多摩川と浅川の合流地点となる新選組副局長の土方歳三が生まれた石田村(いしだむら)にあります。南北朝時代の1361年(康安元年)、大雪のため多くの人が餓死し、当時の国司が天下泰平国家安穏を祈願するため、1364年(貞治3年)、開山堂を建てさせ、吉祥坊慶誉がこの堂守となりました。これが開基とされています。1377年(永和3年)頃からは衰え、一時は廃寺となります。それから百数十年を経た1544年(天文13年)7月9日、多摩川に大洪水が起こります。その際、一体の観音像が石田に流れ着きま
多摩モノレールの万願寺駅からのアクセスが便利です。創建年代は不明。平安時代の武士団「武蔵七党」の西党を率いる日奉氏の末裔である田村氏の居館跡に創建したと伝えられています。当時は"万願寺"という名称でした。その後、廃寺となり、当地の地名として"万願寺"の名称が残りました。安土桃山時代に、後北条氏の御典医である、田村氏の末裔、田村安栖により再興されました。その際に、"安養寺"という名称になっています。その後も、興廃を繰り返し、1645年(正保2年)に入寂した法印慶深が中興し、現在に至っ
14日の小雨パラつく日に、高幡不動尊に行って来ました。<由来>真言宗智山派寺院の金剛寺は、高幡山明王院と号し、高幡不動尊として著名な真言宗智山派の別格本山です。金剛寺は、平安時代の初期に慈覚大師(円仁)が清和天皇の勅願によって当地を東関鎮護の霊場と定め、山中に不動堂を建立して創建建武2年(1335)大風により大破したものの儀海上人が中興、徳川家康の関東入国に際して天正19年(1591)寺領30石の御朱印状を拝領したといいます。多摩八十八ヶ所霊場88番、関東三十六不動9番、関東百八地
2022年1月10日今年の地元の七福神めぐり、最後の訪問寺院は、布袋尊を祀る曹洞宗宗印寺でございます。こちらと、高幡不動金剛寺は1月3日にお参り致しました。高幡不動駅から2駅高尾方面に戻り、平山城址公園駅で下車。北野街道に出て、すぐ徒歩で5分程度で到着できますね。宗印寺の寺号標です。宗印寺の山門です。宗印寺(そういんじ)山号:大澤山院号:----寺号:宗印寺宗派:曹洞宗ご本尊:聖観世音菩薩札所:武相卯歳四十八観音霊場
2022年1月9日昨日、東京のコロナウィルス感染者が1000人を超えました。いよいよ蔓延防止等重点措置が出そう...と言うか、一気に緊急事態宣言になるかも知れませんね。率直に、もう驚かないですね。日野市七福神めぐり、大黒天を祀る善生寺のレポート後半です。過去の日野七福神めぐりのブログを見ると、いつもこの善生寺だけ2回に分けてますね、それだけ境内にいろいろあるんでしょうね。後半は肝心な大黒天のお参りから...善生寺の大黒堂です。毎年、この時期は参拝客が多
2022年1月8日長い正月休みの後、3日間勤務後再び3連休でございます。明後日は成人の日ということで、新成人の方、晴れ着を楽しみになさっているのではないでしょうか。コロナウィルス感染の第6波だけが、このめでたい成人式に水を差しますね。更に天気予報によれば、成人の日の天気がマークがなくなり、もしや再びなのか....それもちょっと気になるところではあります。元日から積極的に動いた、今年の日野七福神めぐり、次にご紹介するのが実は私の自宅から最も近い、法華宗寺院善生寺で
2022年1月6日日野七福神めぐり、一旦高幡不動金剛寺を入れましたが再び、元日のお参りレポートに戻ります。安養寺のお参りと御朱印を拝受した後、は高幡橋という橋を通過いたします。下を流れているのが、多摩川の支流である浅川という河川、日野市のキャラクターが翡翠(カワセミ)なんですが、このカワセミをよく見かける川でもあります。高幡橋上から富士山をこの橋は撮影ポイントなんで私以外にも富士山を撮影している方いらっしゃいました。偶然、左上に白鷺が写っておりました
2022年1月5日今日から日常生活が再開されました、正月で乱れた生活リズムを元に戻すのに、私の場合はさほど時間はかかりません。ところで、毎年正月というと、芸能人はハワイが定番でしたけど、コロナ禍でそれもできなかったんでしょうね私はこの正月休み、本はけっこうなページ数のもの2冊読了まずまずの集中力だったと思いますよ。日野七福神めぐりは、少々レポートの順番が変わりまして高幡不動尊金剛寺の弁財天を先に報告致します。1月3日の午後3:00ごろに訪問したんですが、
湊川南側を東上して、多摩川との合流点付近にあるのが、清谷山蓮華院真照寺六地蔵恵比須様を参拝本堂ご本尊は大日如来聖観音像と弘法大師像観音堂御朱印頂きました。七福神色紙結願です。\(^o^)/東京都の七福神巡り34か所のうち30か所を制覇あと4年で完全制覇だ( ̄∇ ̄;)ハッハッハッ記念品は入浴剤府中駅に戻ります。最初に寄った大國魂神社まだ混んでました。分倍町でみつけた赤ちゃん4人衆どこかで見たことある。。。そう
高幡不動尊は以前小野神社の9社巡りをやった時に、参拝しているので、今回は御朱印をいただくだけに留めました。表参道からものすごい人混みで、とにかく御朱印授与所へ直行ここ数年の損を取り戻そうと露店も気合が張ってます。弁財天を参拝メチャ混みですが、御朱印入手できました。
湊川沿いに更に西に進み、川を渡って、南側の河岸段丘を上ったところに曹洞宗大沢山宗印禅寺があります。アシスト付き自転車なので坂道もらくちんでした( ̄∇ ̄;)ハッハッハッ本堂ご本尊は聖観世音菩薩様布袋尊を参拝です。城跡だったようで、いろいろあります。神仏混交の名残で天神様がありました。御朱印をいただきました。
石田寺から湊川の北側を西に向かってサイクリングを続けてきました。湊川の北側では最後のお寺法華宗陣門流大久山善生寺既に匂ってます・・・・・コレクター住職の匂い( ̄∇ ̄;)ハッハッハッ(ノ・ω・)ノオオオォォォ-大仏あるじゃん今回は近くまでいきませんでした。( ̄∇ ̄;)ハッハッハッ入口にある石柱の上に立つのは、どう見ても金剛力士ではない。右は五鈷杵持ってるなあ、方位的には東だから持国天かな?左は西だから広目天の位置とは思うんだけど、どう見ても多聞天(毘沙門天
続いて、有王山地蔵院延命寺に到着寿老尊を参拝本殿ご本尊は地蔵大菩薩様です。寺務所にも寿老尊がいらっしゃいました。御朱印ゲットです。
次の安養寺に行く途中、日野バイパスを通るので、ここで昼食。久しぶりにファミレスに入りました。真言宗智山派田村山安養寺はお墓がバイパスに面していて、入口はそこから入ったところにあります。山門をくぐると弘法大師様とお地蔵様本堂ご本尊は阿弥陀如来様七福神の受付は薬師堂かっちょいい毘沙門天がいらっしゃいました。特に理由はないけど、売ってたので買いました。御朱印もゲットです。
東京の七福神巡りは、私が把握している範囲では34カ所。未踏破は5カ所を残すのみ。開催期間が一月第一週というものばかりなので、正月休みに一つクリアするのが精一杯です。もちろん元日から根性だして毎日回れば終了するんですが、そんな体力も気力もないので、毎年一つずつ完了させたいと思ってます。で、今回は日野七福神巡り最初は真言宗智山派石田寺です。「いしだじ」ではなく「せきでんじ」です。門にいきなり地蔵さんの石仏がありますね。六地蔵があると関東のお寺って感じがします。本
2022年1月4日眞照寺、石田寺と今年の地元七福神めぐりも、順調に進んでいます。自転車で次の安養寺へ行く途中、多摩川の支流、浅川の土手を走ると、手前の、ふれあい橋から富士山が良く見えておりました。家のベランダから見える富士山と同じような角度でございますね。この土手の遊歩道(片側が自転車道)を下りて、住宅街を進むと毘沙門天を祀る、真言宗安養寺があります。安養寺の寺門前にやってきました。安養寺(あんようじ)山号:田村山院号:極楽院寺号:安養寺宗派
2022年1月3日令和4年の日野七福神めぐり、眞照寺の次に訪れたのは新撰組副長土方歳三の墓所石田寺でございます。東京都立日野高校の裏と言ったらいいんでしょうか、京王線の高幡不動駅から徒歩で15分ぐらいですかね、1970年代は交通の便悪かったでしょうね。石田寺の山門前に到着致しました。あれ!!近所のおっさんか、肝心な時にフルコースディナーの最後のデザートに飛びこんだアブラムシの如く........なんて言ったらいけませんよねすぐ反省石田寺(せきで
2021年1月2日令和4年の御朱印めぐりのスタートは、例年の如く地元日野市の七福神めぐりでございます。今年は、回る順序を少し変え、自宅から遠いところから始めて見ました。自転車にて回るので、歩くよりは時間がかからないが、車で回ってる人がけっこういるんですよね、楽でいいな~と思いましたが...自転車でも良い運動になりました。まず、昨年は結願で最後に訪問した真言宗の眞照寺恵比寿神からお参り開始でございます。電車なら、京王線の百草園駅で下車、そこから徒歩で5分程
令和3年1月4日参拝今年の日野七福神めぐりで回ったんですがいよいよ最後恵比寿神を祀る真言宗眞照寺にやってきました。高幡不動尊から川崎街道、京王線の線路沿いに15分ぐらい走りました。しかしながら、電車で向かうなら最寄り駅は京王線百草園駅になりますね、ここから左方向2~3分歩くと札所の案内の刻まれた石柱がありその右へ入ります。お寺の山門が見えてまいりました。このお寺となりは大きい幼稚園ですね。多角経営なんですね。山門前の寺号標眞照寺(しんしょうじ)