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(川上摩須の屋敷跡近くに建つ衆良神社)◆丹後の原像【67.「丹後史料叢書」~「丹後舊事記」12】「1日1記事」、「限定14日間」の13日目。車の故障という思わぬトラブルが発生し、一昨日は予定していた参拝等を中止。あと3日ほど延長することにします。古代丹後の大御所の列記が続きます。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~(朝廷別王を祀ると思われる参河国一ノ宮砥鹿神社)【読み下し文】一、朝廷別尊旦波道主命第五の男子母は川上摩須郎の女也比治眞名爲が原にありて御饌都神を
狭岡神社(狭穂姫の禊場伝承地)■表記紀…狭穂姫(狹穗姫)記…沙本毘売他に佐波遅比売■概要第11代垂仁天皇の最初の皇后。その垂仁天皇を暗殺しようとしたことでも知られる神。◎記の垂仁天皇の条に以下の記述があります。年代は記されていません(紀には類似内容が垂仁天皇四~五年にかけて記されます)。━━沙本毘売が垂仁天皇の皇后となった時、同母兄の沙本毘古王は妹の沙本毘売に、「夫(垂仁天皇)と私とどちらを愛しているか」と尋ねます。妹は「兄を愛しています」と。すると兄は「愛する二人で天下
(丹波道主命の居館跡に建つ船岡神社)◆丹後の現像【62.「丹後史料叢書」~「丹後舊事記」7】京丹後市がどうやら積極的に観光誘致を始めているようで。特に東京からの誘致に注力しているとか。ま…丹後全体が魅力溢れるだけにあまり知られ過ぎても困るな…と勝手なことを考えてますが(笑)愛して止まない丹後が荒らされないことを祈ります。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~丹後においての主要な神名とその解説が始まっています。今回は丹波道主命。【読み下し文】一、谿羽道主命四道将
(比沼麻奈爲神社)◆丹後の原像【37.「丹後史料叢書」~緒言2】「緒言」の続きです。今回もちょっと期間が開いてしまいました。一記事を上げるのに大変な負荷がありまして…と毎度の言い訳を。ところで…話は変わりますがそもそも何故に、遥々と大和から丹後まで足繁く通い…またこのような大仰な記事を作り続けるのか…それはただ一つの理由。「豊受大神を知悉する」こと。古代より連綿とこの神を恭しく祀り続ける丹後に、大変に魅せられたため。大和にいながらにして、時に丹後へ足を運び、同じよ
2021年1月13日奈良市山陵町御陵前山上八幡神社祭神:天照皇大、春日大明神、八幡大神佐紀盾列古墳群の日葉酢媛命陵(垂仁天皇の皇后)の南に鎮座。
☆成務天皇狹城盾列池後陵(佐紀石塚山古墳)(さきのたたなみのいけじりのみささぎ)大和国添下郡奈良市山陵町字御陵前(駐車は下部写真参照)第13代成務天皇の治定陵墓。「佐紀盾列古墳群」西端に位置し、日葉酢媛命治定陵墓の東隣にくっついて築かれています。また北に200~300mほど隔てて神功皇后陵(後ほど記事UPします)があります。全長218.5mの巨大前方後円墳。周濠を有しますが、特に日葉酢媛命治定陵墓がある東側が極端に狭く、重なり合うように築かれており、かなり近しい関係同士であ
☆垂仁天皇皇后日葉酢媛命狹木之寺間陵(佐紀陵山古墳)大和国添下郡奈良市山陵町(駐車は下部写真参照)「佐紀盾列古墳群」の西端、成務天皇陵と孝謙・称徳天皇陵が寄り添って築かれている場所にある古墳。全長207mの前方後円墳。日葉酢媛命御陵に治定されています。江戸時代までは神功皇后の御陵と考えられていたようです。大正時代に盗掘事件が発覚。全国の古墳を荒らし回っていたようですが、結局のところ当古墳からは盗掘していなかったとか。それでも修復工事がなされ、その際にいろいろなことが分かったよう
雲晴神社(くんばらじんじゃ)丹後国熊野郡京都府京丹後市久美浜町神崎998(社前にコンクリ敷き7~8台程度のP有)(アクセスは難しいので別途本文末に表記)■旧社格村社■祭神八千矛命丹後国熊野郡(現在の京丹後市久美浜町)の神奈備山、「甲山(兜山)」山頂に鎮座する式内社熊野神社を境外摂社とする本社。甲山の北東麓、「神崎」という地に鎮座します。◎熊野神社は丹波道主命が河上摩須麻郞女(カワカミマスノイラツメ)を娶り生まれた日葉酢媛が、垂仁天皇の後宮に入ったのを喜び、熊野の神を勧請し
衆良神社(すらじんじゃ)丹後国熊野郡京都府京丹後市久美浜町須田(P無し)■延喜式神名帳衆良神社の比定社■祭神川上摩須「天王谷」と呼ばれる地に鎮座。広域には「王家の谷」と呼ばれるらしく、これは丹波道主王を始め、そこに嫁いだ川上摩須神の娘川上摩須郎女、そのまた娘で垂仁天皇に嫁いだ日葉酢媛、そして川上摩須神らを含めてのことかと思います。近くには川上摩須の住居跡とされる史跡も(現地未確認)。周辺には古墳も多く、一族が居住していたのであろうかと。なお「天王谷」は牛頭天王(スサノオ神)の
大和西大寺駅からレンタサイクルを利用し、伝成務天皇陵を参拝しています(^_^)ところで、その拝所付近から後ろを振り返った場所です(~_~)これって、伝称徳天皇陵の前方部から後円部にかけての側面の外周部分に当たるのでしょうか(・・?)拝所での参拝を終え、一旦、東隣の伝日葉酢媛命陵(佐紀陵山古墳)に向かいます(^_^)/墳丘長207メートルの前方後円墳の前方部の姿が見えてきます(#^.^#)参道のようです(^^♪この先に拝所があるはずです(=^・^