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初代シルビアがわずか555台の限定生産で終わり、その後シルビアというクルマは途絶えてしまいました。時は排ガス規制で国産車がもっとも暗黒だった1970年代半ば、世の中は牙を抜かれた様なクルマしか販売されず、スポーツカーにとってはまさに暗黒の時代でありました。そんな中シルビアとコスモが復活するというお話を聞いて当時中学生だった私もワクワクしたのですが、そのスタイルを見てガッカリしたのを覚えています。アメリカ市場を大きく意識したデザインだったのでしょうか?何ともアンバランスで腰高な印象。かつとて
◼️右足とエンジンがシンクロ、蹴り出されるような加速感を見せるFJ24!日産が放った限定200台のグループBホモロゲモデルモータースポーツ各カテゴリーのレギュレーションに合わせて生産された競技“ベース”車両は数多く存在する。国産車で言えば、スカイラインGTS-RやスープラターボA、ランサーエボリューション、インプレッサWRXSTI、さらにストーリア&ブーンX4などもそれに該当する。いずれもナンバー取得が可能な、いわゆる市販モデルだが、その点において240RSは極めて異質だった。なぜな
日産が「WRC」こと世界ラリー選手権への参戦を目的にベース車となるホモロゲーションモデルとして生産されたのが240RS。ベースはS110シルビアの2ドアハードトップ。外装からしてノーマルとの違いは歴然で、冷却効果を考慮したデザインのフロントバンパーや角型のオーバーフェンダー、放熱性を高めるルーバー入りのボンネットなど多くの専用パーツが装備されている。エンジンも240RS専用に開発された、車名の由来にもなっている2.4リッター・240馬力のFJ24を搭載。WRCには1983〜1986年に
日産240RSディテール集その4オールラストです。
日産240RSディテール集その3です。画像集はその4まであります。
日産240RSディテール集その2です。画像集はその4まであります。
日産240RSのディテール集その1です。画像集はその4まであります。
コロナウイルス感染拡大を防ぐため、必要な時以外には外出しないように心がけているが、おかげでプラモの製作もかなり進めることができた。天気がいい日に遠くへ行けないのは確かに不満ではあるが、モデラーは時間がいくらあっても足りないのだよ。240RSもデカールを貼り終え、十分乾燥させた上でクリアを吹き付けておいた。当初は塗り分けもデカールを貼れば簡単にできるとタカをくくっていたが意外に手こずってしまった。とはいえ完成のアウトラインが見えてくると気分も乗ってくるというもの。ラリーカーの鬼門、シートベルト
アオシマ(スカイネット)/BEEMAX新製品のご案内
昨日WRCでトヨタが18年ぶりの復帰戦を2位で飾ったことを書きましたが、その昔(私が中学の頃の30年も前)はラリーと言えば日産でした。ブルーバード、フェアレディZ、バイオレットと続き、PA10型バイオレットではサファリラリー4連覇、日本のメーカー初のWRC王者も見えていた時代があったのです。そのバイオレットに続く日産のWRCマシンが240RS(シルビアベース)。当時はグループBと呼ばれるカテゴリーの時代で200台生産すれば公認が取れました。その240RSを特集する「RALLYCARSNI
山下達郎のインターネット予約にアブレ、ふてくされてもう聴かないと決めた天気予報の「高気圧がある・・」までもが「♪高気圧ガ~ル」に聞こえるこの悔しさでしたが、ようやくチケットがGET出来てうれしい今日この頃でありますさぁ今年もフロムセブンに行ってきましたまだ暗い6時に出発メーターは真っ暗け、スピードも何キロ出ているのだかエンジン音だけが頼りゲートオープン8時に到着キャブ車の喜ぶシーズンですがドライバーはすっかり冷え切っております
2015年5月2日投稿2015年7月にはアオシマ/BEEMAXよりプラ模型でhttp://www.aoshima-bk.co.jp/product/4905083085790/1/24スケール日産240RSが発売されるので対カーモデラー用記念特集を組みました。行先は模型部門で整備手帳に貼り付けています。なお画像出典は私が過去に撮影した詳細画像です。◆関連外部リンク◆http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%94%A3%E3%83%BB24