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骨折する前から予定してた秋旅…主治医の許可もおりて出かけることに今回の秋旅では…前腕支持クラッチを使用お宿と観光地では事前手配しておいた車椅子を利用時間に余裕をもって行動以上のことを守って行ってきました新幹線『さくら』で新大阪から小倉へ車内ではお昼ごはんに駅弁…ひっぱりだこ飯を美味しくいただきました小倉駅からレンタカーで下関へいつかは泊まってみたいと思っていたお宿『春帆楼』さんへ直行しましたチェックイン前に敷地内の日清講和記念館へお宿のロ
赤間神宮のお隣にある日清講和記念館日清戦争では日本が優勢となり、清国は日本に対し講和の打診を行い、明治28年に、下関のこのち(料亭春帆楼)で日清講和会議が開催されました。このとき調印された下関条約で、清国は日本に朝鮮半島の独立承認・領土の割譲・賠償金の支払い等を約束しました。当時のこの地の様子講和会議には日本からは全権の伊藤博文をはじめ、陸奥宗光などが出席し、清国側は、全権の李鴻章など両国の代表11名が出席しました。
夫は初めての福岡なので、観光するなら中洲や太宰府❔とも考えたけど、小倉から博多ってまぁまぁな距離あって、京都大阪間より遠いし、それならと、父にすすめられた門司港を訪ねました🚃小倉駅から門司港駅までも、思ってたより長かった💨八幡西区に住んでいた祖母から聞いたことのある、門司港駅🚇️戦時中はこの駅が一番大きくて(※八幡には製鉄所あるのに黒崎や小倉より門司の方が立派やったそう😞ほんまなんか❔知らんけど)、とにかくここまで来てから電車に乗ったそうで、海軍にいてた祖父に会うために佐世保まで行
朱色に染まる竜宮城、舞い散る紅葉夢現…竜宮城で紅葉狩り、王子様death👑海底の竜宮城に憧れるが下関の竜宮城も捨て難い僕さcomeonkanmon下関tour。山口県下関は歴史も風情も感じることが出来る素敵な街でseasideなimageがあったが、実は赤間神宮では美しい紅葉も拝め朱色のまるで竜宮城な鮮やか建築と共にsymphonyを奏でていた。ちなみに此処は前身の阿弥陀寺の時に怪談昔話で有名な耳なし芳一の舞台でもあったみたいで面白い。隣には文明開花以降の大日本帝国の初陣であり初
日本三大潮流とは「鳴門の渦潮」で知られる鳴門海峡で有名な渦潮は直径20m~30mにも達する日本最大の潮流これに続くのが来島海峡そして一日に4回も潮流の向きが変わるという関門海峡この三ヵ所が日本三大潮流と言われいる。海流と潮流の違いとは海流は常に一定方向に流れる大きな流れ潮流は海の干満により周期的に流れの方向がほぼ180度変わる海水の流れ関門海峡は多くの船舶が往来する海上交通の要衝であり高炉が狭く屈曲しているうえ強潮流のため航路の難所としても知られています。は一
フォローさせて頂いてる方のお写真から、ふとインスピレーションを受けて。先日こんなところへ行って参りました。赤間神宮です。壇之浦を見下ろすが如く、小高い山を背に建てられています。左横の階段を上がるとこんな絵馬が。龍に乗っておられるのは・・!はい、もうおわかりですね。この赤間神宮に祀られているのは、わずかハ歳で海の藻屑と消えてしまった安徳天皇です。壇之浦は、ご存知「平家物語」にも描かれた源平最後の決戦の地。一時は藤原氏を凌ぐほどの栄華を誇った平家でしたが、源頼朝等の挙兵により一転朝
続いてバスで壇ノ浦古戦場へ長州砲源義経と平知盛バスで日清講和記念館へ明治27年に始まる日清戦争の講和条約がこの地で調印されました。中は講和会議場が再現されていました。バスで赤間神宮へ。壇ノ浦の合戦でわずか8歳で入水された安徳天皇を祀っています。続きます。
下関の赤間神宮に、参拝しました。初詣の準備もされていますね。竜宮城のような水天門をくぐると、朱塗りの社殿がとても綺麗です。宮司さんも巫女さんも、新年を迎えるにあたり、忙しそうですね。境内から、水天門の向こうはすぐ海で、関門海峡を行き交う、コンテナ船などが見えます。十三重宝塔のそばには、赤間宮紅石山樹林と記されています。安徳天皇御陵があり、少し歩くと、平家一門の墓所、そしてそばに芳一堂があります。境内社の紅石稲荷神社へ行く参道には、古い壇ノ浦漁釣船がありました。大連神社と、紅石稲荷
こんにちはアースモータリングの花純です今年のGWは例年に比べ休みをたくさんいただきました☺️GW後半は山口へもう何年も前…小学生の頃に歴史の話をしながらなぁさんを連れて行った日清講和記念館下関条約の舞台となった春帆楼の敷地内にありますまた行きたい!とリクエストされていた場所伊藤博文や陸奥宗光、李鴻章など登場人物はとにかく凄い…伊藤博文だけはこの絵で指差せるw
2020年2月の「三都物語の旅」の思い出、第29回です。赤間神社にお詣りした後は・・・・お隣にあるこちらにやってきました。史跡「春帆楼」です。門柱には瓦斯灯が設置されていました。日清戦争後の下関条約交渉の場となったのが・・・料亭「春帆楼」です。当時使用した家具などが有志に払い下げられ下関市に寄付されたことにより日清講和記念館が設立されました。この建物も登録有形文化財になっています。
連日下関市のコロナ感染者がダントツで心配だったRieruです。・・・あ〜、自分が泊まるお宿が開いているか心配だったわけですか。イテテ(やな女)下関市のお宿・・・には一度も泊まった事がありませんが、以前から気になっていたお宿がありました。かつて『日清講和条約』(下関条約)が締結された場所です。最近では、昨年の晩秋に訪ねた場所でした。『シン【23】古地図を片手に赤馬関を歩こう!①』『古地図を片手にまちを歩こう赤間関編』に参加するため、下関駅から赤間神宮まで歩いたRieruです★AM
1泊2日関門・神戸一人旅初日火の山公園から赤間神宮に向かいました。壇ノ浦の戦いにおいて、わずか6歳(数え年で8歳)で入水し亡くなった安徳天皇を祀る赤間神宮。よく竜宮城みたいと言われるようですが、ホントに竜宮城みたい。※竜宮城のイラスト白と朱色が鮮やかで竜宮城のように見えるのは水天門水天門をくぐり振り返ると、関門海峡が見渡せます。一般的な神社とは一味違う雰囲気。神社ではなく別の建物にいるような感覚になりますね。
今日のお昼は50年続くカレー屋さんのカツカレー80代の店主が相変わらず蝶ネクタイで迎えてくれて何だかホッコリ食後に乃木浜総合公園を散歩子供が幼い頃、祖父母も一緒に親水広場で水遊びやピクニックをしたものですおじいちゃんは赤い水着の娘を一眼レフにおさめて楽しんでいたな〜野鳥観察所はボーイスカウトの活動でも訪れた思い出の場所陽気に誘われて赤間神宮へ…お茶しようかね?と立ち寄った春帆楼残念ながらロビーラウンジがコロナで利用不可との事でした😷敷地内にある「日清講和記念館」国
引接寺三門(昭和初期)三門の天井には左甚五郎作と伝えられる木彫の龍があり、この龍にまつわる伝承がある。(しものせきなつかしの写真集下関市史別巻より)現在も三門にのこる引接寺の龍江戸時代の終わりころの話。の辺りは外浜と呼ばれ、山陽道の起終点で九州へ渡る重要な所でもあり藩の船番所や旅宿などが軒を並べて賑わっていた。ある年のこと。夜中の11時ころ。引接寺の石段下で通りがかりの旅人が殺されるという事件が相次いだが、なかなか犯人が見つからなかった。そのうち大蛇のしわざとうわさされるようになった。あ
季節が進むに連れ朝晩の冷え込みも強まってきました。風邪を引かない様気を付けましょうね。前記事「続く」って書いてからまた結構経ちました。いつものことですが。(^^ゞ11月3日(水曜日)の日帰りバスツアー続きを書いて終了します。日本のふぐ料理公許第一号の老舗ふぐ料理店春帆楼下関本店でふく会席をいただいたのち、敷地内にある日清講和記念館を見学しました。日清講和記念館日清講和記念館SHIMOHAKUWebSite下関の歴史遺産の
前回はこちら火の山ロープウェイで下山した後、御裳川バス停まで歩いて行き、そこからサンデン交通バスで唐戸バス停まで乗り、カモンワーフ1階のふくの関で、ふく天丼を食べました。その後、歩いて日清講和記念館に行きました。日清講和記念館です。日清講和記念館の入口です。日清講和記念館で、スマホのみで、僕の着物姿の自撮りをしました。ふくの碑です。伊藤博文像と陸奥宗光像です。伊藤博文像と陸奥宗光像の説明板です。明治天皇御駐輦紀念碑です。続きはこちら
2021.4.1やまぎん資料館の後も下関散策です。①=中国労働金庫下関支店(旧:不動貯金銀行下関支店)=竣工1934年(昭和9年)設計関根要太郎施工籠寅組様式トスカーナ式オーダー不動貯金銀行は1900年(明治33年)に設立された貯蓄銀行で、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)5月に9行の貯蓄銀行が合併して、日本貯蓄銀行となり、1948年(昭和23年)7月に普通銀行に転換し協和銀行となりました。協和銀行は1991年(平成3年)に埼玉銀行と合併してあさひ銀行、後に大
2021年4月に兄が行ってきた下関の旅の画像です。新大阪駅から小倉駅まで「のぞみ」に乗ったのですが、隣のホームに停まっていた500系新幹線車両を撮影しています。小倉駅から下関までは在来線を利用しました。これは下関駅で撮影したJR西日本の105系です。みもすそ川公園にある源義経と平知盛(碇知盛)の銅像です。馬関戦争のときの長州砲のレプリカです。地元の人からの耳寄り情報で、もうすぐ関門海峡を豪華客船の飛鳥IIが通過するということを教えてもらいました。そのために、順光で飛鳥
老舗ふぐ料理店「春帆桜(しんぱんろう)」でふぐ会席を堪能したあと、隣接した日清講和記念館に立ち寄りました。料亭春帆楼で、日清戦争後の休戦条約、講和条約(下関条約)が協議されました。春帆楼の玄関先には、「日清講和談判場」の記念碑がありました。春帆桜のお隣にある、日清講和記念館てす。入場無料でした。何と言っても目玉は、再現された講和会議場です。日清講和記念館のパンフレットです。講和談判図には伊藤博文、陸奥宗光ら、そして清国の李鴻章の名がありました。館内には、当時の写
広島から山口県下関ヘ。下関駅から唐戸ヘバス移動。フェリーで巌流島(船島)ヘ。巌流島宮本武蔵と佐々木小次郎その後、門司港ヘ移動。九州鉄道記念館関門海峡ミュージアム門司港発祥のバナナの叩き売り売り場下関・唐戸に戻り、赤間神宮ヘ赤間神宮日清講話記念館
春帆楼春帆楼は何といっても日清講和談判の会場になったことで有名である。はじめは中津の人で藤野健吉という眼科医が眼をよくするには、まずその環境をよくしなければといって、すばらしい場所にまた凝った建物を建てた。それが健吉の死後料亭になった。春帆楼聴潮閣この写真は大正元年である。藤野健吉は明治三年には生きていた。それからまもないころであろうか、伊藤博文がある時春帆楼にやって来た。今日はあいにく何もない。そこで女将がそれではと、打首を覚悟で出したのが河豚である。それからそんな馬鹿な話があるか
☆☆☆☆☆赤間神宮の拝殿右手の方から山側への道を行くと…年月を感じる舟・・・その先の右側の鳥居の方から上に紅久稲荷神社と読めるけど…地図には載っていない赤鳥居をくぐり階段を上るとまた違う空気!なんか凄かった空気感伝わるかな〜?ツノのある狛犬さんがいたよ写真は角度があって中々むずい…これが限度赤丸の
日清講和条約が結ばれた部屋が、そのまま残っています。入場無料で、年中無休、9~17時の間だったら、誰でも入れます。
9月19日、赤間神宮の帰り道日清講和記念館の前を通って〜そこには、日清講和会議において日本側の全権を務めた伊藤博文及び陸奥宗光の胸像がありました当時、伊藤博文は内閣総理大臣、陸奥宗光は外務大臣の要職にあったそうですふぐの碑もありましたよ李鴻章道を歩いてバス停へ日清戦争終結のための講和会議のとき、清国全権大使「李鴻章」が危難を避ける為、宿舎(引接寺)と会場(春帆楼)の往復にこの道を使用したことから、李鴻章道(りこうしょうどう)と呼ばれるようになったそうですこの後、バスで一旦ホテルへ
続きじゃい😃旧下関英国領事館,今回は中に入らず☕唐戸市場と周辺のザビエルとフグ🐡床屋発祥の地と亀山八幡宮💈🐢皆さんお気付きだろうか…亀山の山に野球ボールが挟まってる事を😈昭和33年から⚾本陣伊藤邸址と春帆楼前の日清講話記念館,春帆楼には行けんわ💸
今週末は稲垣潤一さんのコンセプトライブに行って来ました。場所は下関。羽田空港から小さい飛行機で。毎度お世話になっている、JALのマイレージで、一路宇部空港まで。ライブはもちろん良かったのですが、先に下関の歴史に感動してしまい、そちらを先に書かせていただきます。(以下は自身のFBに記載した記事)ここ5年くらい幕末期の歴史に魅了されている。百田尚樹の『日本国紀』も思いの他良かった。(彼の政治的思想には同意しない)。短時間だったが観たいものは駆け足で見られた。僅か160年前にこの小さな海峡に欧米
今朝の散歩道である、相変わらず冷たい散歩道である、気温は4℃で風は静穏だ、今朝もジョギングを散歩に取り入れて歩く👟...10m〜15mという距離を歩くような速さでジョギングをする、そして歩く🚶♂️.....またジョギング👟、歩く🚶♂️、またジョギングである👟....そんな健康散歩である!〝ジョギング〟とは、私的なのだが、息が上がらない程度に、心臓の鼓動が早くならない程度で良い、距離は短くする、こんな法則で散歩の中に加えているのである、私流のやり方なのだが、結構力がついて来ている気がして
門司港から下関までフェリーで渡りました。その間に巌流島があります。過去に何回か行っているのですが、今回も立ち寄りました。巌流島奉行からの御触書がありました。巌流島の面白いところは・・・ここからは、三菱造船所のドックが見えるところです。普段は、中々見られないような船が停泊しているときがあります。今回は・・・ちなみに、前回来た時にいたタヌキがいませんでした。(T_T)下関に到着後は、近くの亀山神社に行きました。
ゴールデンウィークは、門司、下関の旅に決定!レトロな雰囲気の門司港、関門トンネルは歩いて通過、壇ノ浦の戦い関連、日清講和記念館なでなどそして、何といっても「ふぐ料理」❣️ふぐ刺しも好きですが、フグの唐揚げは最高です!!いつも私が旅行の行程を決めると、一部ブーイングがだいたいでるので、旦那と子供達にも相談します👆未だに、香川県、瀬戸内海に浮かぶ本島のサイクリングは、過酷だった〜と子供達の強烈クレームしかし、そのおかげで瀬戸内海のカラッと晴れた気候は忘れられないみたいです今日も
2018年3月4日・・・八幡製鉄所→下関でふくランチ→巌流島→亀山八幡宮→本陣伊藤邸跡の、すぐ隣。日清講和記念館デス!もともと日清講和条約は、春帆楼という料亭でなされたそう。今も現役のお宿があるのですが、ちょうど結婚式なお写真中でして、料亭の建物のお写真が撮れませんでした~。日清講和記念館の中は、当時の看板!歴史の授業で見た資料集にでてきそうな写真。講和会議のイメージを中央に資料集で絶対みてる資料がぎっしりでした~~~♪ずいぶ