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新たに見つけた記事です舟木一夫さんに会える場所。そんな感覚を持たれているかも知れない、浅草公会堂前の「スターの広場」の舟木さんの手型。映画の街ハリウッドには、「ハリウッドスターの手形」や「星型」があると聞きますが、日本では、浅草にまつわる大衆芸能の方々の「スターの手型」が1979年(昭和54年)から設置されるようになりました。舟木さんの手型は、2004年に設置されました。浅草に行けば、いつでもご覧いただけますので、浅草見物の折りにも行かれても良いですね。この
2013年3月の銀座シネパトスでのトークショーは、浜田光夫さんでした。そして応援に駆け付けたのが、シネパトスの隣のビルが実家の和泉雅子さん、そして日活から川地民夫さん、西尾三枝子さん、西恵子さんと、豪華な俳優陣が集合しました。銀座シネパトスでのトークショーが終わって、西恵子さんの経営する喫茶店に集合して、懐かしい話をされている日活の俳優さん達でしたが、さすらいを含め仲間たちは、別の席に座ってそれぞれ懐かしい映画の話をしていたものです。日活映画ファンが集まっての話は、実に面白
日活の俳優さん達も、一番若い和泉雅子さんが亡くなって、なんだか残った方達も少なくなってきました。浜田光夫さん松原智恵子さん西尾三枝子さん、それぞれの日活時代の話を懐かしくされています。そして和泉雅子さんもインタビューも出てきます。この三人が共演した作品と言うのは、思いつきません。浜田さんと松原さんは、舟木さんも出演した「仲間たち」で共演しています。浜田さんと西尾さんは、三田明さんの歌謡映画と言える「美しい十代」で共演しています。松原さんと西尾さんは、実は「学園広場」には同時に出演し
写真下から左から沢本忠雄芦川いづみ宍戸錠田代みどり浅丘ルリ子松原智恵子山内賢進千賀子宮下順子不明二人写真上左から斉藤武市川地民夫渡哲也伊藤るり子井上梅次舛田利雄鈴木清順片桐夕子寺島まゆみ*太字は監督2007年に京王プラザホテルで行われた日活「旧友会」「俳優俱楽部」の合同パーティーです。既に20年近くが経ち、確実に歳をとられたばかりではなく、ご存命の方の方が少なくなられたしまいました。監督では石原裕次郎作品を多く撮られ、テレビドラマ
舟木一夫好きな歌は?|投票(アンケート)舟木一夫ファンの皆様すべての楽曲は載せられませんでしたので、セレクトした49曲からのランキングですがお選びください。blog.with2.net舟木一夫好きな曲は!№2追加49曲|投票(アンケート)既に「舟木一夫好きな曲は!」スタートしていますが、前回の49曲では足りないので、更に49曲追加しました。票数をなるべく近づけるため、選曲は5曲まででお願いします。№1のアンケートのまだな方は、両方のアンケートに投票ください。blo
浜田光夫1943年10月1日生まれ82歳日活入社1960年松原智恵子1945年1月6日生まれ81歳日活入社1960年高橋英樹1944年2月10日生まれ82歳日活入社1961年日活の俳優さんたちは、こぞって日活撮影所は学校みたいなところで、同級生の様だった。そんな事を話す俳優さんは多い。吉永小百合、山内賢、和田浩治、和泉雅子、渡哲也、藤竜也など、多少の学年の違いはあるけれど、同世代の俳優さんが多かった映画会社でした。日活専属ではないけれど、舟木さんも西
昨日のテレビ朝日「じゅん散歩」は、調布で、日活撮影所の中に高田純次さんが入りました。事前に知っていれば、お知らせが出来て、舟木さんや小百合ちゃん雅子ちゃんや裕次郎さんや旭さんが活躍した日活撮影所の中をご覧いただけたのに残念です。そんな日活撮影所は、若い時から何度か訪れましたが、一番最初は中学生の頃で、自宅から自転車で向かったものでした。周りは畑ばかりで、車の数もまだ少なかった頃です。それからはエキストラで呼ばれていったり、スタジオでのカラオケ大会に出場したり、撮影現場を見に行
「北国の旅情」日活撮影所セット撮影1967年12月、22歳の誕生日を迎えたばかりの舟木さんの撮影現場である日活撮影所での様子とインタビューの記事です。記憶に間違いがなければ、この記事はブログに初出しになる記事です。デビュー3年経ち、ますます忙しくなっている様子が伝わっtきますが、そこは3年間の経験で、忙しい仕事を乗り切っているのが良く分かります。少し記事が長いのですが、ゆっくりお読みください。
渡辺プロダクションタレント友の会会報「YOUNGヤング」1983年9月号に掲載された沢田研二さんの徹底追跡です。主演映画「ときめきに死す」撮影中の沢田研二さんの一日を追う内容で東京・調布市の「にっかつ撮影所」でのジュリーは髪を短くしてグッと精悍さも増し主人公になりきっていたと紹介されています。森田芳光監督との打ち合わせ風景、杉浦直樹さん、樋口可南子さんとの共演シーンの写真も載せられています。
金子修介の映画エッセイ「無能助監督日記」。80年代の映画界のようすが描かれている。もちろん主人公は自称「無能」な助監督・金子修介。80年代の映画人が次々と登場する。まだ若き映画人だった人々。これが、なかなかに興味深い。まず、学芸大学で同じ映研だったのが押井守。日活に入ってから兄のように慕うのが那須博之。のちに「ビーバップ・ハイスクール」シリーズを大ヒットさせる那須博之。彼の妻で脚本家の那須真知子。この夫婦と金子は唯一の休みがある年末年始に3人で海外旅行を楽しむ仲。でも、那須博之が監
おとなのデジタルTVナビ2025年8月号Amazon(アマゾン)1965年「高原のお嬢さん」に出演した舟木さんは、日活映画の出演が7作品目になりました。日活映画スターをずらりと揃えた、日活撮影所で宣材用に撮られた映像と写真は、当時の雑誌や日活の特報に使われています。舟木さんだけが、日活専属映画俳優ではありませんが、丁度この撮影時には、舟木さんも日活での撮影に入られていたタイミングなのでしょう。この貴重な写真の中に、更に貴重な舟木さんが入られているのは、本当に嬉
本日、撮休。動かないし、動けないし、そもそも気力がない。ロケに忙しく、ブログの更新も溜まってる。何とかしなきゃいけないのに、読みかけの本とか読んじゃうし…。「無能助監督日記」金子修介、読み終わる。元々、監督がSNS上にアップしている時に、読ませてもらっていたので、書籍化と聞き、購入して読ませてもらっていました。監督になるという野望を抱いた8ミリ学生時代が、日活の助監督募集に応募し、一癖も二癖もあるロマンポルノの世界へ飛び込み、活動屋の洗礼を浴び、揉まれて踏まれて、監督になるまでの当時
事前予約していたのが4/11に届いた。本の中身は監督が「note」で日記風に日活撮影所に助監督入ったころからの話を書いたもので、読んでいて面白く、同時代の映画撮影風景も(ここまで書いていいのか?)いろいろ詳しく書いてある。監督にはイベントであったときなど、本にしてください、絶対売れるからと言っていたのが、念願かないついに発売されたという思いかな。売れるといって、自分で買わないとサギだから買って読んだら、「note」で読み漏らした話も多いし、最後に監督の作品一覧が載っている。い
石原裕次郎、小林旭、高橋英樹、渡哲也、宍戸錠、葉山良二、二谷英明、浅丘ルリ子、芦川いずみ、吉永小百合、松原智恵子、笹森礼子、和泉雅子、浜田光夫、山内賢、川地民夫・・・・名前を上げたらまだまだ言い足りない日活映画のスターたちです。日活の俳優さんたちは、余り上下関係がなく、特に10代20代の俳優さんたちが多くいて、50年ほど前までは、若い俳優さんたちは一様に「日活学校の仲間のような関係だった」と言う様な事を聞きます。そうした我々とも歳の近い俳優さんたちがいる日活には、何か憧れ
「高原のお嬢さん」の撮影当時、和泉雅子さんは別の作品、高橋英樹さん主演映画「刺青一代」の撮影にも入っていましたので、蓼科とロケ地の千葉を行ったり来たりと、忙しい日々を送っていました。舟木さんは数日後に浅草国際劇場の公演を控え、同じく蓼科と東京を行き来するような日々でした。山内賢さん西尾三枝子さんも、同じような状況だったようです。和泉雅子さんは1963年から始まった高橋英樹さん主演シリーズ「男の紋章」シリーズのレギュラーで、このシリーズ以外でも、高橋英樹主演任侠映画には欠かせ
舟木さんが日活映画スターの一員であるという写真は、雑誌でも紹介されましたが、その時の全体像を映した画像を探し出しました。そして当時の日活撮影所のスタジオに向かうメインストリートです。スタッフルームや控室、衣装部屋、ヘヤーメイク室、事務所などがあり、みんなが集う食堂もあります。正面奥がスタジオで、赤木圭一郎さんがゴーカートで激突した扉が見えます。手前側には、幾つものスタジオが並んでいました。そして日活撮影場の正門があり、入って右側には有名な「日活銀座」のオープンセットがありました。
1964年3月2日日記二日目は、公演を終えたから、日活撮影所へ映画「仲間たち」のアフレコをやる
1964年2月21日日記日活映画「仲間たち」の最後のセット。浜田さんが入院するセットで、ボクがお見舞いに行くシーン。他のセットがふさがっていて、今回は特撮用セットを利用する。同時録音が出来ないので、後日アフレコする事になった。しかし、ともかくアップになったのでホッ!とする。「仲間たち」の仲間たちお疲れ様でした。いろいろお世話様でした。新連載!舟木一夫出会いと別れの80年(連載開始)予約はこちらからおとなのデジタルTVナビ2025年4月号
吉永小百合さんと舟木さんは、映画での主役コンビでの作品はありませんでしたが、舟木さんがデビュー登場からは、人気者同士での雑誌での表紙や対談は、少なくはありませんでした。1963年に初めて舟木さんが小百合さんの家に訪問。対談と言う形で記事になっています。『舟木一夫・吉永小百合初対談(1963年)』1963年11月1日舟木一夫日記より10時からNHK「歌謡寄席」の音どり。金原亭馬之助さん、林家珍平さんらとの愉しい仕事だった。夜7時から、読売のインタビ…ameblo.jp今回は
1964年2月12日日記完全徹夜だったの午前中は日活撮影所で仮眠午後から再び「仲間たち」のセット終ってTBS「夢の青春コンビショー」
1964年2月11日日記日活「仲間たち」のセット入り。珍来軒の名コック?として、今日はギョウザ作りよりも本職?チャーハン作りに腕を振るう。というのは、ボクはキンピラ作りとチャーハン作りには自信がある。その腕前を誇ったので、浜田光夫さんから「そんなに得意なら、チャーハン試食させてくれ」という注文が出たのである。完全徹夜だったので特製チャーハンの売れ行きは良かった。
10月21日10:00締切日活映画の黄金期とも言える頃の日活スター達です。1960年の集合写真は、今でも日活撮影所入り口付近に、大きな看板として掲げられています。今では、写真だけ見ても名前が判らない方も多いと思うので、名前を追加しています。もう既に半分近くの方がお亡くなりになっています。同じ日に撮られた別写真も載せておきましょう。男性陣は、日活ダイヤモンドラインと呼ばれ、女性陣は日活パールラインと呼ばれました。一番早く亡くなられたのが、若干21歳だった赤
下段沢本忠雄芦川いづみ宍戸錠田代みどり浅丘ルリ子松原智恵子山内賢進千賀子宮下順子上段斉藤武市(監督)川地民夫渡哲也伊藤るり子井上梅次(監督)舛田利雄(監督)鈴木清順(監督)片桐夕子寺島まゆみ2007年に東京新宿・京王プラザホテルで行われた日活映画のOB会です。懐かしい顔ぶればかりですが、亡くなった方も多く、存命方達も、すでに70代後半になられています。俳優さんたちは勿論ですが、集まられた監督の作品はみな見ていますし、今でも日活映画を見るたびに、監督
おはようございます。4月27日のブログをかかせていただきます。2日前に多摩川の生き物が知りたくて、調布市多摩川自然情報館に行ってきました。市が運営しているのですね。とても勉強になりました。調布市で暮らしていらっしゃる方には、”箱もの”と非難されそうではございますが、私は、多摩川の生態を知るうえで、足しげく通いたい場所でございます。当然、生き物も水槽の中で展示されています。写真は撮らせていただいたのですが、光回線の状況で写真が出来上がっておりません。なので、多摩
皆様おはようございますm(__)m最近テレビで賑やかなのはジャニーズ問題ですね。私達年代だとマッチ同様「今更でしょう?」と、思うのですが。ただ、現代はモラル重視芸能界といえど犯罪になってしまうとスポンサーも困りますよね?芸能界に限らず「見て見ぬ振り」「わかるでしょ?」それが罷り通る時代だったと思います。私の知り合いの興行主も色々な興行と抱き合わせて若いまだ売れない演歌歌手を呼び夜はスポンサーに世話していました。俗に言う「枕営業」と、言うので
夕方になれば、風はだいぶ涼しく、少しずつ秋になっているような気温も25℃ですが、湿度がまだまだ高い。台風がきたわりにはなかなか空気が入れ替わらないですね。今夜は川辺は涼しいというので多摩川へランニング。松原智恵子ロード。多摩川の調布市から狛江市の境界あたりの土手は、日活黄金期の映画で、主演していた松原智恵子さんがさまざな映画でよく撮影されていた場所だそうです。いまや、だいぶ縮小されましたがかつてはこのあたりは日活多摩川撮影所で日本映画黄金期支えていました。最
映画「花咲く乙女たち」日活撮影所オープンセット1964年12月、舟木さんの日活での4本目の作品「花咲く乙女たち」のスチール写真撮影の現場です。山内賢さんとは「学園広場」「あゝ青春の胸の血は」に続く3回目の共演です。西尾三枝子さんは、クレジットでは出てきませんが、新人の当初「学園広場」に女学生役で出演しています。西尾さんにとっては「美しい十代」に続く、ヒロイン役でした。日活のオープンセットは、本格的な街並みが作られたセットで、「日活銀座」と呼ばれていました。数々の日活作品で使われ
11月5日早朝、東京駅着。家にちょっと寄り、直ぐ日活のスタジオへ。今日のセットは・・・松原智恵子さんが通う学校で、男女交際が禁止になる。それを打破するために、ボクと一緒にテレビの公開番組に出演。教師の鼻をあかそうとする。その了解を松原さんの処へ求めに行く・・・と言うシーンなのだ。お昼ごろ終了。昨夜、夜汽車で立ち通しだったのでさすがに疲れる。家に帰り、床屋に行って、例の通りウトウトしながら頭を刈って貰う。風呂に行ってさっぱりする。11月6日9時から午後1時まで目黒
3つ前の当ブログで、6月16日にダニエル・エルズバーグさんが亡くなったこともあり、『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(2017スティーヴン・スピルバーグ監督)を取り上げました。この映画は、エルズバーグさんの告発を受け、権力の監視をするべき新聞社の役割、そこに働く人々の矜持を描いていました。新聞社を描く日本映画で思い出すのは、『黒い潮』(1954山村聰監督)です。俳優の山村聰さんの監督第2作で、第1作の『蟹工船』(1953山村聰監督)に続き社会派の題材に挑んで見ごたえがあります。
京都府京都市右京区。帷子ノ辻駅(嵐電嵐山本線)から大映通り商店街を歩いていると、三吉稲荷神社と云う小さな神社があります。三吉稲荷神社又の名を「映画神社」と云い、当時日活太秦撮影所と云う映画スタジオの所長だった池永浩久(1877〜1954)と、当時同所に所属していた俳優やスタッフ等によって、1930年5月に創建されました。池永浩久(1932年)新たに築かれた背景には、去る1928年に日活撮影所が大将軍一条町から太秦へ移動した事に伴う周辺の再開発がありました。竹藪等が生い茂っていた太秦の自然