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追悼・和泉雅子さん和泉雅子(いずみまさこ)さんは、日本の女優、歌手、冒険家で愛称マコ、マー坊として親しまれました。青春映画に多数出演し、吉永小百合さん、松原智恵子さんと合わせて「日活三人娘」と呼ばれ活躍していましたが、1971年に日活が成人映画に路線を転換したことにより、その後はテレビへ本格的に活動の場を移していました。1989年5月10日、海氷上からでは日本人女性として、初めて北極点到達を果たしました。歌手としては、1966年にザ・ベンチャーズの楽曲『Ginza
日本人女性として初めて北極点到達を達成した冒険家で、女優の和泉雅子さんが7月9日午後1時3分、原発不明がんのため都内の自宅で死去したと18日、所属する「和泉雅子事務局」が発表しました。享年77。所属事務所によると、和泉さんは今年5月に自宅で倒れて都内の病院に入院。その後退院して自宅療養をしていましたが、亡くなった当日に体調が急変し帰らぬ人となったということです。和泉さんは東京・銀座生まれ。10歳から子役として芸能活動を始め、石原裕次郎さんを見いだした名プロデューサー・水の江滝子さん
参議院選挙結果で自民公明党が過半数を割りました。これで衆議院も参議院も与党の過半数割れ・・・・・与党の推進する法律が通過しにくくなりました。どんな党派がタッグを組むか知りませんが、是々非々で取り組んでも貰いたいものです。躍進著しい参政党の実態が判ることでしょうが、国民の期待を裏切らないで欲しい。さて、今朝は我家の一人息子の竜馬の誕生日です。竜馬とはこのブログを始めるきっかけになった愛猫です。足の骨折を診せに行ったとき獣医の話では「生後三
和泉雅子さんの訃報にビックリしました7月18日に9日に原発不明がんの為に自宅で亡くなってたと和泉雅子事務局が発表しました1958年〜青春スターで吉永小百合に次いで雑誌やプロマイドも2位を5年以上キープした映画出演本数80本以上テレビドラマは記事や情報源により異なり正確な数は数えられない1970年代はドラマでありがとう・肝っ玉母さんシリーズでも主役を張ってましたありがとう第1シリーズ婦人警官篇制服姿の和泉雅子さんスリ専門の私服警察官になりましたね水前寺清子・沢田雅美は生活課婦人
吉永小百合、「日活三人娘」の和泉雅子さんを追悼「今は銀河鉄道の彼方に…」7/18(金)14:18スポーツ報知配信より吉永小百合、「日活三人娘」の和泉雅子さんを追悼「今は銀河鉄道の彼方に…」(スポーツ報知)-Yahoo!ニュース配信より和泉雅子さんを追悼した吉永小百合女優の吉永小百合が18日、今月9日に原発不明がんのため77歳で亡くなっていたことが明らかになった、日本人女性として初めて北極点到達を達成した冒険家で女優の和泉雅子(いずみ・まさこ、本名同じ)さんの訃報
るそんべえです。1962年の第4回レコード大賞は、橋幸夫と吉永小百合の「いつでも夢を」でした。翌年、この同名映画が、橋幸夫と吉永小百合主演で、上映されています。歌が先で、それを映画化したという流れだったようです。1960年に”潮来笠”でデビューした橋幸夫は、この年まだ19歳でした。吉永小百合はまだ17歳でした。今でも、お美しいですが、このころは本当に可愛い女の子ですね。吉永小百合は、小学6年生でラジオドラマの”赤胴鈴之助”が、デビューだったそうです。この美貌ですから、テレビからと
昨年の誕生日に、中央区役所からアンケートが届いた。あと1年で後期高齢者になるので、と、事細かな質問表だった。それまで年齢なんて考えたことがなかったので、飛び上がるほど驚いた。私は、銀座の三原橋の袂でおギャーと生まれて、いまだにそこに居る。生まれた頃は、三原橋の下に三十間堀川が流れていた。銀座は昔から火事が多く、江戸城を守るためにぐるりと川や堀で銀座を囲み、火事が広がらないようにしていた。子供の頃は本当に火事が多かったなあ。そのつど物干し台に水を運び、飛んでくる火の粉に水を掛けていた。三十
哀愁の夜若草物語四つの恋の物語男の紋章若い港東京ナイト日活三人娘「自伝和泉雅子」も終盤を迎え、明日から4回にわたり舟木さんの話が登場します。お歳を考えるとおばあちゃんとなりますが、未だに元気ハツラツの若い雅子ちゃんです。日活映画やテレビを通じて長いお付き合いになりますね。彼女の映画は何回見た事でしょう。常に小百合ちゃんの妹分の様に見ていた気がします。それだけ小百合ちゃんとの共演も多かったですし、印象的に残っているのです。中学3年の
先日から描いていた似顔絵が完成しました。日活の専属女優をしていた頃の和泉雅子さんです。映画「北国の街」のシーンから静止画像を取りました。1965年3月公開の映画です。公開当時、雅子さんはまだ17歳でした。私自身、20歳を超えてからの雅子さんを、テレビで見た記憶はありますが、20歳前となると、YouTubeの動画でしか見たことがありません。したがって、静止画にした雅子さんは、どうも私のイメージの中の雅子さんと若干違うのです。しかしながら、顔の作りは美少女だと思います。二十歳過ぎの
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和泉雅子さんの自伝掲載が、舟木一夫「青春賛歌」を書かれた大倉明さんが書かれ、夕刊フジに掲載されたのは2013年の事で、今回それを連載で掲載していくことにする。雅子さんと言うよりも、やはり歳をとっても雅子ちゃんになってしまうのは仕方がない。(笑)日活三人娘と言われ、吉永小百合さん、松原智恵子さんと共に、日活映画ファンのさすらいは、何本も雅子ちゃんの映画は見た。勿論一番の印象は舟木さん主演の映画で、特に好きなのは「高原のお嬢さん」かな。山内賢さんとの共演の「二人の銀座」や「東京ナ
松原智恵子さんの昔の写真言わずと知れず60年代の日活三人娘のお一人ですね。可愛いと綺麗の両方をお持ちですね。何時ものようにカラー写真に加工してみましょう
和泉雅子さんの昔の写真60年代に青春映画に多数出演されて吉永小百合さんと松原智恵子さんと合わせて「日活三人娘」と呼ばれて絶大な人気を誇った方ですね。当時の様子をイメージしてカラー化してみました。
「あなたのお名前、なんてぇの!」日活映画「学園広場」の中にアベック歌合戦が登場する。ラジオ番組からスタートした歌合戦は、ちょうどトニー谷の息子の誘拐事件があり、人気者だったトニー谷は、偽りの過去が暴かれて人気は凋落する。実はこの当時の公開録音を私は見に行っている。父の会社がスポンサーで、番組のお目付け役という事で父が毎回行っていたようだが、スポンサーの父の会社の悪口を言った事からスポンサーを降りたと聞く。改めてトニー谷を調べてみると、まぁ暴言の数々、セクハラ、パワハラなど良い事が
日活三人娘と呼ばれた吉永小百合、松原智恵子、和泉雅子の三人の女優さん。良くお世話になったというのはおかしいが、この三人が出演した映画を合わせて全部で何本見たことだろう。100本はくだらないと思う。ただ3人が共演したという映画の記憶は少ない。「戦争と人間」は日活オールキャストの3部作だったから、からみは無くとも3人が出演しているし、「君は恋人」は浜田光夫さんの復帰映画で、3人は出演してる。吉永、和泉の二人の共演は、姉妹とか雅子ちゃんが妹分というような役で、何となく沢山あった気がするが、そ
松原智恵子さん「1960年代を代表する名古屋美人の1人」と評され、吉永小百合・和泉雅子と合わせて「日活三人娘」と呼ばれた方だそうです。確かにお美しいですね。テレビや映画でちょこちょこ拝見した時も50歳か、60歳くらいの時だったと思いますが、綺麗な方だな~と思って見ていましたね!カラーの状態をイメージして色付け加工してみましょう。
おはようございます、いつも沢山の人に来てもらい感謝していますこの前二人でテレビを観ていたら、松原智恵子さんの特集がありましたゼロ曰く若いころの松原さんはお人形みたいに綺麗な人だなぁ~と松原智恵子さんは現在75歳で、この映画は56年前の1964年公開だから19歳の時ですねまだ私はこの世に存在していません(*´艸`)クスクスこの動画は歌の散歩道からお借りしましたよボリュームに気を付けてね当時の予告編からお借りしましたゼロが早速DVDレン
吉永小百合さん、藤純子さんと共に日活三人娘と呼ばれた松原智恵子さん、プロマイドは吉永さんと藤さんを超える売上だったそうです。松原智恵子さんは杉並区にある高校をご卒業していますが、その後輩に天海祐希さんがいらっしゃって、現場であった時にものすごく嬉しそうだったというエピソードがあるそうです。そんな後輩のためにもまだまだ活躍していただきたいです。
先日から、昭和歌謡御三家の映画での共演者(ヒロイン)の似顔絵を描いてきました。日活で、松原智恵子さんと、和泉雅子さんを描いて、なんか物足りない。「日活三人娘」というのがありました。そう、吉永小百合さんも、この際だから描いておこうと思いました。「Youtube」で吉永小百合さんが出演するものを探したところ、「吉永小百合=寒い朝=和田弘&マヒナスターズ」というのが出てきました。画面も比較的鮮明ですし、何といっても、小百合さんがはつらつとしていて10代の頃のように思いました。松原智恵子さん
松原智恵子さんが日活で活躍した頃、若手の女優である吉永小百合さん、和泉雅子さん、松原智恵子さんの3人を合わせて「日活三人娘」と呼んでいたそうです。松原智恵子さんは、名古屋育ちです。近年はあまり聞きませんが、昔から「名古屋美人」という言葉があり、特に明治、大正、昭和初期の頃は盛んに使われたそうです。ようするに、名古屋は美人の産地として有名だったそうです。松原智恵子さんは、それよりは後の方ですが、名古屋美人の代表の1人ではないでしょうか。松原智恵子さんが演じたのは、どちらかというと普
私が今年の4月末に「脳内ケミストリーが起こり、うなされた果てにベビメタメイトにへんしーん」しちゃったことを、以前アップしましたが、1年前に同僚から存在を聞かされていたものの「こんなのメタルじゃねえ」ってヘイターしてた自分が今となっては懐かしく同時にこっ恥ずかしく思えますwww。それを180度方向転換させられたきっかけは、何気に検索してたどりついた、北米で4月5日にオンエアされた、CBS放送網のコルベアのレイトショーに出演した時のギミチョコの映像を目の当たりにしてしまったからですで、そのよ
にゃんたブログに、ようこそ~キミが来てくれてうれしいよヾ(´ー`)---------------------------------前に沖縄旅行で買った有名な「A1ソース」、トンカツや肉の焼いたやつに結構かけちゃうナ◎トンカツソースの色だけど、ビネガーみたいな風味のジビビっとしびれる感じで旨いよ(≧▽≦)モルトビネガー、スピリットビネガーと2種類の醸造酢が入ってるみたいリンク~2014.1.28にゃんたの沖縄旅行その7~----------------------------
ブログネタ:好きな芸能人参加中本文はここから前回ブログで秋山庄太郎の写真本のことを書いたら、昭和の美人列伝について書きたくなった。既に書いた相本久美子やキャンディーズに比べれば熱中した訳でもないのだけれど、私より一回り以上年上の世代にも好きな芸能人はいる。主に1960年代から70年代にかけて銀幕のスターだった方たちで、大学生の頃に通った名画座で特集が組まれていたような女優さん達が中心だ。私は三鷹駅南口にあった名画座(三鷹オスカー)に良く行ったものだが、今で言えばTSUTAYAで邦画DVDを