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久しぶりの鉄分投稿。といってもウォーキングも兼ねて。久しぶりに名鉄ハイキングに参加してきました。豊川市の八幡駅からてくてくと歩き、ぎょぎょランド周辺で折り返し、豊川海軍工廠平和公園をめぐり、豊川稲荷へ至るコースです。ランチにちょうどよさそうな店が見つからなかったため、豊川海軍工廠平和公園でスーパーで買ってきたおにぎりを食すw。で、途中の立ち寄り場所、日本車両夢広場に到着。ここは日本車両製造メモリアル車両広場駅(?)。先ほど食事休憩した駅(?)は、豊川海軍工廠平和
こんにちは。社会保険労務士の横山勝です。この前の土曜日、今年2回目のウォーキング(ハイキング)に参加しました。今回は名鉄が主催のハイキングです。場所は愛知県豊川市。一昨年も豊川を歩いたのですが、コースが若干違っているみたいだったので、参加してみました。それとコース中に見たい場所があったので、これが一番の参加理由ですね。では、さっそく振り返ってみます。スタート地点は、名鉄豊川線の「八幡駅」です。自宅の最寄り駅「二十軒駅」から、おおよそ2時間弱かかり
台風15号が接近している朝です。豪雨です。さて、令和5年5月10日に投稿した記事「明治45年4月21日尾張電気軌道愈々開通」の中に、わが「尾張電気軌道」の車両(2軸単車)を製造した企業名が出てきます。それが「名古屋電車製作所」と推測されます。ずっと気になって資料を探してきました。以前投稿した新聞記事を再掲しますと、<新愛知新聞明治45年1月25日号>■尾張電鉄の近況○尾張電気軌道株式会社工事の近況を聞くに、千種町瓦前より八事八勝館東に至るべき約四哩(※マイル)の土工は、高倉組の
当日、福井市内で花火大会が開催され、多客対応で昼過ぎから200形が運用に就きました。200形は、いわゆる「日車ロマンスカー」と称する日本車輌が地方私鉄向けに製造した車両で、地方私鉄が元気だった昭和30時代を象徴する電車でした。(2013.8.2福井鉄道三十八社〜泰澄の里)折しも、前年に「日車ロマンスカー」の一員だった長野電鉄の2000系が運用を終え、福鉄の200形も終焉が近づいた頃でした。それにしても8月の週末、さぞかし大勢の愛好者が沿線に集うと思いきや、カメラを向けていたのは私と現
こんばんはhatahataです。今回は日本車両製造豊川事業所からの名鉄甲種輸送を撮影に行ってまいりました。私も日車からの甲種は初めての訪問なのですが先ずは専用線から行ってみました。撮影地の近くまで来ると先客さんが構えておられたのでポイントは分かりました。端の方になりましたが入る事が出来準備を行います。そろそろかなというタイミングで遠くの方から汽笛が聞こえてきました。先ずは動画からです。途中で画像が乱れていますが気にしないでください(笑)(周りに同業者がいれば色々な
◆昨年末、雪景色の農家モジュールの製作を報告したときこんな写真を掲載しました。これは本物の鉄道車両に取付ける車輌製作会社の銘板です。それを、なんと接着した物を乾かす際の重しに使っていました。本物です。◆鉄道グッズのお店で購入したレア物?レプリカ?いやいや、これ、本物の未使用品です。写真がひっくり返っているので、こちらをご覧ください。えいっ!<上>日本車輌製造の昭和64年製造車輌に取付けるメーカー銘板<下>日本国有鉄道の銘板どちらも未使用の本物銘
12月13日深夜にN700SJ49編成の陸送がありました。今回は、日本車両までお迎えに行ってきました。陸送関係者の皆さん、連日の陸送お疲れ様でした。
日本車輌製造からの株主優待です。2023/12/1到着(ゆうパケット)※こちらは2023年の優待です。ブログの更新が1年ほど遅れてます。ごめんなさい以前は大きいカレンダーと、ポスタータイプのをいただけたのですが、この年から二つ折りタイプが1冊のみとなりました。まぁ、カレンダーの制作もお金がかかりますし、郵便代も高いですからね。でも、正直なところ、ショボくなった感が…せっかくのかっこいい写真なのに、小さくて残念。
こんにちは。お客様からのご依頼で日本車輌:杭打機[DHJ658]用ヒーターコアの作業を行いました。お預かりしたヒーターコアと接続パイプコアー側面が朽ちてボロボロになっています。ちょっとした振動で朽ちた破片が落脱します。コアーの交換を行ったヒーターコアパイプやタンクは洗浄・清掃して再使用しています。・今回の作業‥‥コアーの交換大型の杭打機に備えられているヒーターコアを
日車標準型つながりで松本電鉄も紹介します。後のアルピコ交通です。モハ10形。岳南鉄道と同型の、日本車輌製の標準型鋼体化車です。ウチにある松電のはこの1両だけです。車番は103。経歴はこちらをご覧下さい。松本電気鉄道モハ10形電車-Wikipediaja.m.wikipedia.orgある本に「特徴のないのが特徴」と書かれていました。本がありました。小田急ロマンスカーっぽいカラーリングは当時の流行りなのでしょうか。Wikipediaによれば、貫通扉が引戸だったそうです。マイクロ
富士急1000系に続いては…『【富士急】赤い1000系「マッターホルン号」』赤い富士急1000系「マッターホルン号」です。京急1000形に塗ってみたいカラーリングです。パッケージは「青」と同様です。付属ステッカー。車体に印刷されていた…ameblo.jp富士急3100形初期の鉄コレです。特徴的な側面。運転室直後のドアはデッキ付き、165系のようです。貸切運用や冬季の長時間停車を考慮していたそうです。ウチの富士急の中で唯一動力付きです。-YouTubeYouTubeでお気に入り
◎たまには鉄分を補給しないといけないと思い、仕事をサボって撮り鉄してきました。でもあいにくのお天気で、ちょっとダメでしたね💦今回もナビゲーターとしてねんどろいど鉄道むすめを(一部)合成しています。☆今日の聖句ガラテヤの信徒への手紙5:22-23新共同訳これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。キリストの十字架の贖いにより罪赦され救われた者は、もはや己の欲望のままに生きるのではなく、心の内にお
■2275田辺工業(1828)…株価(Yahoo!ファイナンス)化学プラントを主体とする中堅総合プラント工事会社プラントエンジニアリング、エレクトロニクス、メカトロニクスなど新潟県上越市■2276東海染工(3577)…株価70年以上磨き続けた、染色技術。安心・安全な染色加工と、お客様のニーズに対応した提案力。アセアン諸国との信頼関係に基づく、新たなマーケット開拓。染色加工、縫製品販売、子育て支援事業など名古屋市中村区■2277パイオラックス(5988)…株価P
小田急電鉄が2028年度(2029年3月)運行開始を目指している新型ロマンスカーの設計開発着手を発表しました。2027年に開業100周年を迎える小田急電鉄、歴代ロマンスカーの伝統を受け継ぎ、これまでのロマンスカーより一歩上質な空間を提供。通勤、レジャー、観光、ショッピングの足として昨年引退したロマンスカーVSEの上質さとエレガントさを受け継ぎ、ロマンスカーEXEの代替として誕生する新型ロマンスカー。株式会社COA1級建築士事務所が内外装デザインを担当、快適な空間で楽しく過ごせるワクワク感あ
5月25日おいでん祭の続きです。この会場の隣に陸上自衛隊豊川駐屯地があります。なんと、おいでん祭には、自衛隊の出店もありました。自衛隊の制服かっこいいですね。写真もありましたよ!自衛隊のバイクや・・・・車が展示されていました。更に別の所では、自衛隊の救急車もありました。担架4床または座席に8名収容できます。高機動車です。一般道路の高速走行性能に加え、高い最低地上高及びタイヤ空気圧調整装置により、優れた路外機動も有します。すごいですねぇ!
撮影日2022/12/29昭和14年日本車輌製造後方は内子線内子駅
中国の大連は、戦前の日本統治下でインフラ整備が行われ、路面電車が運行していました。戦後は大連市が軌道事業を継承し、私が訪問した1999年当時は3系統が残っていました。3系統のうち203路には日本製の3000形(1937年.日本車輌製)が走っており、日本人に人気の路線でした。当日、民主広場停留所で発着する電車を撮影。停留所にホームは無く、前後のドアから乗車し、中央の両開きドアから降りるスシテムです。車内はニス塗り・白熱灯とレトロな雰囲気!夕暮れ時に乗車を堪能しましたが、白熱灯の薄暗い車
3月7日午前3時と言うことでJR東海373系を載せます特急伊那路&ディスカバー飯田線号165系の老朽取替えを主目的として1995年8月から1996年1月にかけて3両編成14本(42両)が製造され、1995年10月ダイヤ改正から運用を開始されましたF14編成F13と14編成は日本車輌製造ではなく日立製作所笠戸事業所で作られています。
2024年2月3日(土)。天気晴れ。節分です。昼食は、京王線「千歳烏山駅」へ。前から気になっていた駅近くの「深大寺門前そば」。カウンターでいただいたので、写真は撮りませんでした。ここは小さな店ですが、ひっきりなしにお客さんが出入りしています。おいしかったです。そして、同じく前から気になっていたシリーズで、「板橋交通公園」に行くこととしました。最寄りは、東武東上線「大山駅」です。以前、板橋区内の「城北交通公園」に行きましたが、今回は「板橋交通公園」に向かいます。「大山駅」には大きなアーケ
いつもご覧いただき誠に有難うございます。前回に引き続き本日ラストランの小田急50000形VSEです。2005年に営業運転を開始したVSEですが、2010年とその翌年、新型のATS(自動列車停止装置)を設置するため、製造元の日本車両製造(愛知県豊川市)に里帰りしました。その甲種輸送を投稿します。列車は、神奈川県松田町の連絡線を経て小田急からJR御殿場線に入り、沼津から東海道本線を下って来た浜名湖バックのポイントで。西浜松からは、JR貨物のDE10の牽引です。豊橋からは飯田線に。
日本での職質ばかりの日常に嫌気の差した不審者、、そんな折りに、、『台湾いかね?前回駆け足だったし、、』とのお話が、、いいよねぇ~台湾!飯も旨い!鉄道も楽しい!ヒコーキも少しやりたいが、そこはついで!「いいですねぇ~行きましょう!年明けですか?」『11月!』「はぃ??(なぉこの時9月)」そんなわけで、前回の国外逃亡からまだ半年というのに、今年2回目の国外逃亡が決まったのでした。。2023年11月16日、、多摩の奧地の自宅をでた不審者は一先ず大都会新宿へ、、ここからは上野
鉄道コムへTetsudo.com(鉄道コム)鉄道ファンのための“みんなで作る”鉄道情報サイト。鉄道に関するイベント情報、未来ニュース、車両トピックスを掲載。インターネット上の公式リリース、ブログ、動画、つぶやきなどを集めたリンク集や、参加型ゲーム「駅つなゲー」も提供。rd.tetsudo.com2023年3月30日、那珂川清流鉄道保存会に行きました。今回は、線路幅1067mmのディーゼル機関車の写真をご紹介します。下の写真は、日車25t入換用ディーゼル機関車です。新東京国際空港公団専用線で
本日、日本車輌製造より新型タンク車タキ1300形が甲種輸送されました。タキ1300形、セメント専用の私有貨車で、太平洋セメントの所有となります。外観では、外板塗色がセメント専用貨車としてはセメントターミナル所有のタキ1900形以来のコーポレートカラーが採用されたほか、タキ12200形を思わせる配管の多さが特徴です。果たしていつ量産されるのかが注目されます。
皆さん,こんばんは。本日は小田急の通勤型電車「3000形」について書いていきたいと思います。3000形は2002年に就役した通勤型電車です。2000年代に旧4000形,旧5000形,2600形の置き換えとして多数製造され,一部編成は6両編成と8両編成に中間車を組み込んで10両編成に組成変更された編成もあります。10両編成は平成22(2010)年に登場しました。主な背景は,10両貫通編成による列車の需要が増えたことです。先述の通り,3000形の既存編成(6両編成・8両編成の一部)に中
高師駅手前に側線があり、車両区に収まらない車両が留置していました。公道から手軽に撮れる場所で、毎度立ち寄りましたが、今回は以前から撮りたかったモ1710形がいました。モ1710形は田口鉄道生え抜きの車両で、深い屋根とお椀型ベンチレーターから川造タイプと思い込んでいましたが、実は日本車輌製造だったとは・・増結用なので乗車の機会を逃し、撮影の翌年に運用を終えました。後ろの編成は1720系(旧.名鉄3800系)で前面を非貫通に改造したもので、真四角の窓が3つ並ぶ不細工顔が今となっては愛嬌です。
「おと休パス」で渡道のおり、旭川9時発の特急「宗谷」乗車のスキマ時間で東旭川駅に向かいました。東旭川駅から徒歩13分で東旭川公民館に到着、此処に旭川電軌の車両が保存されています。(2023.6.29東旭川公民館モハ1001)ネット等で「すこぶる良好な保存状態」とあるように、道央の過酷な気候環境で良くぞ維持管理しているものです。現車は1955年に日本車輌で製造されたもので、吊りかけ駆動ながら日車が富山地鉄、富士山麓、秩父などへ納入した高性能車と同じ流れを汲む洗練された車体ですね!車内
富士急行3100形は1956年製造、昭和30年代に日本車輌が地方私鉄向けに製造した、いわゆる「日車型ロマンスカー」の先鞭となった車両でした。1956年当時、国鉄電車は全て吊り掛け駆動でした。くわえて、大月駅で接続する中央線に至っては、2本の電車以外は全て客車列車でしたから、全金属製のカルダン車の投入に山麓電鉄の意気込みを感じます。そもそも3100形は2編成でしたが、1971年に第2編成(3103-3104)が踏切事故によるブレーキ破損で急勾配を暴走、後部に乗客が避難したところ、奇しくも後部
D編成@小布施対面した長野電鉄の御神体コレだけ来てるのに実は間近で見たのは今回が初めて…すいませんorz
赤ホキが日車から出場したと連絡があったので、雨に濡れない場所に向かいました待っている間に雨が止んだので小麦を入れることにしました今回もヨのサンドでDD200牽引の日車甲種は初めて撮影ですこれで撤収しました
辺りが暗いですが、豊川駅から北に数百メートルの地点に0キロポストがあります。車両の製造工場まで続く専用線の0キロポストです。