・院展というのは、昔の、「日本美術院」と関係があるのか?と思ったら、「ピンポン!」大当たりだった。「院展の名で親しまれている日本美術院は、明治31年(1898年)、岡倉天心の指導理念のもとに橋本雅邦、横山大観、下村観山、菱田春草など26名の正員によって谷中初音町(現台東区谷中)で開院式を挙げました。天心の理念は、日本文化の伝統を踏まえ、文化財を保護しかつ芸術を奨励して未来に繋げる道を示すものでした。一時、経営難から研究所を茨城県五浦に移しましたが、大正2年9月2日に天心が逝去すると、翌年の一周忌