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2021年5月のブログです*先日、テレビを観ていたら、英国の旅行家イザベラ・バードさんの特集番組の再放送をやっていました。とても面白かったので、本も読もうと思い、本棚を探したところ、じーじにはめずらしく、すぐに見つかったので(?)、久しぶりに読みました。バードさんの『日本奥地紀行』(高梨健吉訳・1973・平凡社)。1878年(明治11年)にバードさんが通訳と2人で東日本を旅した時の紀行文で、横浜から関東、東北、北海道の日高地方まで旅した記録です。まだ道路がまった
仙台暮らし『力うどんずんだあんみつ…と夢二#今日の飯テロアーカイブは我が家の「アケビの肉詰め」』『豹ベルトと黒デニム藍デニム#今日のコーデはアーカイブは「野口英世」』仙台のお着物不良です😎昨日と入れ替えて😅🍀昨日今日は藍デニム着物…ameblo.jp力うどん&あんみつを食べて所用済ませて帰宅着替えて軽食を済ませて部屋を片付けていたしかし21時頃に飲み会(二次会無し)が終わった夫から仙石駅に呼び😲又、お出掛け~
ブロ友さんのご紹介でイザベラバードと伊東鶴吉の本が発売されていると知り植松三十里さんだし一刻も早く読みたくて図書館を待っていられず急いで本屋さんに行って購入しました二人を描いた作品としては『イトウの恋』や<ふしぎの国のバード>というコミックを既に読んでいますが本書ではまた違った二人の姿をみることが出来ました。文化的に西洋より遅れている日本を恥ずかしく思い劣等感を持つ鶴吉は少しでも文明が開化しつつある日本の様子をバードにみてもらい世界中に立派な日本になっ
こんにちは!11月前半は、インフルエンザで休んだ分をとにかく補うために働いてました(;;)気がついたら冬の気温になってます。寒い!最近食べた美味しいもの〜実は結構色々本読んでいるのに、感想も書けぬままに時間だけが過ぎてしまいます。ここに感想書くと、自分の中での消化が良くて、本への理解が深まる気がするので、ただいまちょっと消化不良かも笑。感想書きたいリストイサク・ディネセン『ピサへの道』ジョイス他『妖精・幽霊小説短篇集』ジェイン・オースティン『説得』←10回目くらいアフ
「ふしぎの国のバード」10巻まで一気に読んでしまって少し寂しさもあるのでこんな本を読んで思い返してみました。イザベラ・バードの日本奥地紀行(平凡社ライブラリー)Amazon(アマゾン)205〜5,910円著者の宮本常一さんは民俗学者で本書は昭和49年秋~54年春まで行われた講読会の様子を本にまとめたものなのでまるで実際に著者のお話を聞いているように楽しめました。馬車が発達し始めたのは明治に入ってからだし東京という名称が外国人に浸透してきたのは日清戦争以降だった
図書館に行った時別の本を探しながら棚を巡っていた時に今一番興味があるイザベラバードのこの本を見つけました↓イザベラ・バード『日本奥地紀行』を歩く(楽学ブックス―文学歴史)Amazon(アマゾン)474〜4,554円パラパラとめくってみるとバードが訪れた場所の古写真と共に現代写真も多く載っておりこれは楽しそうではないですか~明治11年(1878年)イザベラバードを乗せイギリスを出港したシティー・オブ・トウキョウは5月20日に東京湾に到着。そこから横浜のヘボンや
先月読んだイザベラバードの『日本奥地紀行』が面白過ぎて漫画本が出ているとのことで図書館を検索してみたけどかなりの順番待ち・・こういうのはもう買うしかないのよ!とりあえず1巻目だけ購入横浜で通訳ガイドをしていた伊藤鶴吉と共に北に向かって江戸から日光、新潟、青森を経て蝦夷ケ島まで日本という未知の国を旅することになった冒険家イザベラバード。江戸時代が終わって明治になり江戸、横浜などの都会はすっかり文明開化へと動いていて考え方、生活、文化など消えゆく文明を記録に残す
歴史番組で明治にイギリス人のイザベラバードという女性が日本を旅した記録を残していると知ってからいつか読んでみたいな~とは思っていたけどすっかり忘れてしまっていたんですが少し前にNHKのあさイチでこの漫画本が紹介されていて是非読んでみたいと思ったものの図書館では既に何十人もの人の順番待ちが・・・ふしぎの国のバード1巻(HARTACOMIX)Amazon(アマゾン)614円もう、これ無理だわ・・・と思っていた処かなり分厚いもののこんな本があると知って借りてきまし
愛の軌跡102シーズン3‐32【日本奥地紀行(彼女からの手)】【日本奥地紀行㉒(彼女からの手紙)】眞二様先日は、イザベラ・バードさんの足跡を辿る旅に連れて行って頂き、ありがとうございました。長年、想っていた・・・「夢」が・・・こんなにも早く・・・・実現出来るなんて・・・本当に・・・感謝しています。そして、・・・いろは坂での・・・スポーツカーの運転・・・とっても・・・楽しかったわ・・・予定に
愛の軌跡101シーズン3‐31【日本奥地紀行(東照宮)】【日本奥地紀行⑲(日光東照宮)】イザベラ・バードさんの著書『日本奥地紀行』の足跡を辿る旅、日光と言えば・・・『日光東照宮』そして・・・三猿(見ざる聞かざる言わざる)五重の塔日光東照宮は、江戸幕府の初代将軍・徳川家康を、『東照大権現』として、神格化し祀るために建立された。「家康さんは、どうして・・・ここに祀られたの・・・かしら・・・」
愛の軌跡100シーズン3‐30【日本奥地紀行(中禅寺湖・金谷亭)】【日本奥地紀行⑯(中禅寺湖金谷ホテル)】イザベラ・バードさんの著書『日本奥地紀行』の足跡を辿る旅、明智平展望台で、・・・日光の紅葉を・・・満喫今日の宿泊は、・・・『中禅寺湖金谷ホテル』・・・イザベラさんは、中禅寺湖にも来たらしいが・・・宿泊地は不明、翌日、イザベラさんの旅のルートから外れ、・・・奥日光・・・戦場ヶ原と・・・湯の湖・・・この
愛の軌跡99シーズン3‐29【日本奥地紀行【日本奥地紀行(いろは坂)】【日本奥地紀行⑬(日光いろは坂)】イザベラ・バードさんの著書『日本奥地紀行』の足跡を辿る旅、ナビゲーターは、助手席のジュンさん東部日光駅で休憩、東照宮向かう橋の手前、左側に、『日光金谷亭』が、ある。そして・・・橋を渡ると・・・日光東照宮・・・その先・・・右手に・・・イザベラさんが宿泊した・・・「金谷カテッジイン」(金谷侍屋敷)
愛の軌跡98シーズン3‐28【日本奥地紀行(日光街道)】【日本奥地紀行⑩(国道4号線・昼食)】イザベラ・バードさんの著書『日本奥地紀行』の足跡を辿る旅、ナビゲーターは、助手席のジュンさん旧日光街道は、国道4号線として整備され、92年には、春日部古河バイパスが、新国道4号線となった。「16号線の橋を渡ったら、・・・直ぐに左折よ」「栃木までは、約50Km・・・ちょうどお昼ごろかしら・・・」「そうだね・・・、途
愛の軌跡97シーズン3‐27【日本奥地紀行(日光街道)】【日本奥地紀行⑦(東京~日光)】イザベラ・バードさんの著書『日本奥地紀行』の足跡を辿る旅、ナビゲーターは、助手席のジュンさん「次の信号、一宮の交差点を左折すると、・・・春日部の中心よ」「交差点から・・・約1Km・・・」「OK」「春日部は、江戸時代から日光街道の宿場町・・・だったのね」走行距離は、高輪から・・・45Kmを、・・・表示していた。「江戸城か
愛の軌跡96シーズン3‐26【日本奥地紀行(日光街道)】【日本奥地紀行⑥(東京~日光)】イザベラ・バードさんの著書『日本奥地紀行』の足跡を辿る旅、ナビゲーターは、助手席のジュンさん「出発の日は、東京を11時頃出たそうだから・・・」「実際の移動時間は、・・・3日で・・・25時間位・・・かしら・・・」「約150Kmを・・・25時間・・・平均時速は・・・約6Kmだね」「小走りに近い・・・速さ・・・」「今は、東武日光線で
愛の軌跡95シーズン3‐25【イザベラ・バード(日本奥地紀行)】【日本奥地紀行③(ナビゲーター)】1992年10月8月軽井沢で約束した、イザベラ・バードさんの著書『日本奥地紀行』の足跡を辿る旅、ドライブルートは、旧日光街道を北上、走行距離は、約180Km、所要時間は、約7時間、当日の待ち合わせ場所は、高輪の『東禅寺』前、午前8時「おはよう!!」「おはようございます。」「今日は、私の『夢』に付き合って
愛の軌跡94シーズン3‐24【イザベラ・バード(日本奥地紀行)】彼女が尊敬をしていた、英国の旅行家、イザベラ・バードさん、『イザベラ・バード(IsabellaLucyBird)』芥川賞作家の加藤幸子さんは、イザベラ・バードさんを“翼を持った女”と表した。イザベラ・バードさんは、1831年に英国ヨークシャーの牧師の長女として生まれ、彼女は、カナダ、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、ハワイ、日本、朝鮮半島を旅行し、
イザベラ・バード・ビショップ(IsabellaBirdBishop)イザベラ・ルーシー・バード(IsabellaLucyBird,1831年(天保2年)10月15日-1904年(明治37年)10月7日)19世紀の大英帝国の旅行家、探検家、紀行作家、写真家、ナチュラリスト。ファニー・ジェーン・バトラー(英語版)と共同で、インドのジャンムー・カシミール州シュリーナガルにジョン・ビショップ記念病院を設立した。バードは女性として最初に英国地理学会
←裏庭のガクアジサイ。余程覗き込まないと見えない場所にひっそりと。来月、13回忌法要。腰痛を押して準備に大童。ギックリ腰の切っ掛けの障子紙も買った。固まる土10袋、スリッパ。墓地の下見、トイレ掃除、中元。家の掃除もしなくっちゃ。固まる土10袋の積み下ろしも大変だったが、昨夜、寝室の開かずの戸(押し入れ)を開けると、なかからリベルダージュのスタッフをしていた頃の衣装が出てきた。浅草サンバカーニバルにスタッフした名残。その他、数年前まで使っていた夏用の衣類が多数。懐かしいというべきか
羽州街道で次に歩く区間は、新庄から北上するルートとなるが、新庄市街を出てすぐにJR奥羽線と離れ、旧及位宿まで約30kmほど、奥羽線と離れた所を通っている。こういう所を歩く時は、路線バスのルートと時刻を事前にチェックし、ウォーク区間の区切りを検討しなければならない。開始・終了地点へは路線バス利用となる。調べたところほぼ中間地点に旧金山宿があり、その金山町中心部まで、新庄から山交バスの路線バスがあることがわかった。平日11往復あるので、むしろ奥羽本線より便利だろう。金山で区切る案が最適と思われるの
明治初頭に徒歩・馬・船etcで、横浜~東北の山地~北海道を踏破した英国婦人イザベラ・バードがのこした紀行「完訳日本奥地紀行」。当時の不自由な壮絶な旅に引き込まれました。ただ当時の英文(明らかな間違いも多数)を日本語に完璧に訳そうとしたので、かなり読みにくいで、ちょっと意訳してあるけど読みやすい版を改めて読破。その名の観光船を描いた風景印が、新潟で使用開始──東下条郵便局<風景印>奥阿賀の渓谷美と観光船「イザベラバード号」を描くこの渓谷は日本百景のひとつだそうです。バードは「ライ
イザベラ・バードの東北紀行(会津・置賜編)『日本奥地紀行』を歩く[赤坂憲雄]楽天市場1,980円明治11年に女性一人で(正確には通訳の男性を連れてたそうですが)、東北から北海道まで旅をして、その見聞を「日本奥地紀行」という本にしたためたイザベラ・バードの本です。特に山形県米沢市あたりを「東洋のアルカディア」と褒めちぎったことはよく知られています。ただ、それはあくまでその時の感想を切り取っただけであり、実際の道中では当時の日本人の身なりに非常に不快
だれにも邪魔されずに最も二人の偉大な将軍(家康、家光)が「栄光に眠る」山の荘厳な森を見渡していた。下方では大谷川の奔流が、夜の雨で水かさを増し、狭い谷間を雷のような音を立てて流れていた。その向こうには、巨大な石段がのびていて、杉の森のなかに消えてゆく。その上に日光山が聳えている。イザベラ・バード『日本奥地紀行』の日光での記述。卯月朔日、御山に詣排す。往昔、此御山を「二荒山」と書きしを、空海大師開基の時、「日光」と改め給ふ。千歳未来をさとりに給ふにや、今此御光一天にかゝやきて、恩沢八荒に
『日本奥地紀行』の著者として知られるイザベラ・バード。制約の多い中、彼女は日本滞在の7カ月で4500キロ以上を旅しました。その目的は当時の日本を記録すること、そしてキリスト教普及の可能性を探ることでした。関連動画https://youtu.be/GiapAAYCevEたおやかインターネット放送HP:http://taoyaka.at-ninja.jp/歴史交流会メンバー募集名古屋市在住又は、近郊にお住まいの方歴史好きの方を募集します。月に1回史跡巡り意見交換会を行います入会
イザベラ・バード:鋭い観察力で日本の実相を記録した希代の旅行家『日本奥地紀行』の著者として知られるイザベラ・バード。制約の多い中、彼女は日本滞在の7カ月で4500キロ以上を旅した。その目的は当時の日本を記録すること、そしてキリスト教普及の可能性を探ることであった。www.nippon.comNHKBSP2021/01/05放送された。私の心に残った言葉。日本人はどんなことに幸せを感じるのか。彼等は貧しくとも暮らしを楽しんでいる。むやみな高望みはせず、いつも通りの暮らしだ
12月28日、仕事納めの日のランチは魚辰さんに行きました。お刺身と焼魚が両方食べられる「お得ランチ」にしました。焼魚は鯖の一夜干し。お刺身は私が好きな混布締めやタコなどを出して下さいました。今年も週1ペースで魚辰さんにお世話になりました。来年も美味しいお魚を楽しみにしてます。話は変わり、今年も意識して本を読むようにしました。今年読んだ冊数は208冊でした。日平均:0.57冊週平均:3.99冊月平均:17.10冊読んだ本の傾向を見ると、小
南陽市にある「ハイジアパーク南陽」さんへ行きました。赤湯温泉の温泉街から少し離れたところにあります。浴室は2階にあります。浴室・脱衣所は撮影禁止なので、公式HPから写真をお借りします。大浴場は、天井が高く、窓も広いので開放感があります。大きな浴槽のほか、寝湯や打たせ湯、サウナもあります。泉質はアルカリ性単純温泉です。無色透明・無臭ですが、ヌルっとまとわりつく感じのお湯です。露天風呂は、眼下に広がる置賜平野を眺めながら浸かることができました。(写真の手前半
投げ銭ライブコロナの前はよくやっていました。その度に「日本にはあまり馴染まないんだろうな」と感じていました。「投げ銭はいくらがいいのかしら?」「他の人はいくら入れてるのかしら?」「チャージが決まっている方が気楽」そんな声も聞いています。そんな時ちょっと前にこんなお話を聞きました。明治時代イギリス人女性が一人で日本を訪れました。のちに「日本奥地紀行」を書いたイザベラ・バードです。その「日本奥地紀行」の中で彼女が宿の使用人や案内
『朝鮮雑記(1984年)』を読んだ後、イザベラバード(1831-1904)さんのことを教えてもらったので図書館で借りてきました。噂は聞いてたけど本を読んだのは初めて。『朝鮮奥地紀行1』イザベラ・バード朴尚得訳(平凡社)1993年『新訳日本奥地紀行』イザベラ・バード金坂清則訳(平凡社)2013年この二冊を借りました。イザベラ・バードさんの本(日本編)は、何冊も(複数の訳者の)翻訳本があるので注意が必要です。金坂清則氏の翻訳は『完訳日本奥地紀行1~4』『新訳
コロナのせいであんまり出掛けんし飲みに行かんし、ヒマで最近よく図書館で本を借りるようになりました。今回は明治時代初期の英国人女性による日本の田舎地方紀行ですな。完訳日本奥地紀行(全4巻)/平凡社イザベラ・バード(著)金坂清則(訳)明治11年、40才半ばの英国人女性、イザベラ・ルーシー・バードが横浜・東京から日光~東北~函館~平取(北海道)を旅した記録明治初期の田舎の自然・風俗・生活様式などは(車も列車もない時代に、敢えてしんどくて厳しい道をすすんでいって)興味深い。左2枚は