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阿蘇神社千葉では先月末から地震が頻発していますスロースリップによるものと報道されていますが、千葉県民としては、日々不安な気持ちでニュースを見ています平成28年(2016年)4月、熊本地方を中心に最大震度7の地震が発生しましたその地震により阿蘇神社も被災し、楼門がぺちゃんこに倒壊してしまいました楼門は7年8ヶ月をかけて復旧し、2023年12月7日、無事に完成式典が行われました阿蘇神社の楼門は日本三大楼門のひとつ国の重要文化財であり、九州では最大規模です地震で倒
アンニョンハセヨマインのブログにお越しくださりいつもありがとうございます(*ˊᵕˋ*)⸝💕✨オトナ女子2人ドライブ旅の続きです数年前(コロナ禍前)に家族で伺った時はまだ阿蘇神社の楼門は建屋の中だったような…今はほぼ修復完了に近いように見えましたがまだ金属の支柱で支えられていることに気づきました日本三大楼門のひとつと言われる二階建て高さ21メートルの立派な楼門です2016年の地震でこんな痛々しいお姿になっていました↓↓↓(写真お借りしました)が(左手から
阿蘇続き久しぶりに寄ってみたら楼門が完成していてめちゃカンゲキでしたこれが元に戻るなんてとても思えないくらいひどい姿を見ていただけに思いもひとしおで、、、(ちょっと引きの画で!知らない人写り込んでるけどこの方が大きさ的なものが分かりやすいよね!)やっと出来たのねーってなんか感動してしまってしばし見入ってしまいました熊本地震で楼門と本殿が崩壊して以降阿蘇に行く度に復旧具合を見ながらの参拝🙏地震後最初に行ったのがまだ二カ月後くら
夏休み家族全員揃うお休みは今日が最後という事で、いつもより少し足を伸ばして鹿島神宮へ行ってきました。初めての茨城信号を右折して真っ直ぐ走って間もなく🚗正面に鳥居が見えてきました。常陸国一之宮鹿島神宮初めての鹿島神宮この鳥居は二の鳥居で一の鳥居は高速道路から明石海岸に赤い鳥居が立っているのが見えました。2011年の東日本大震災で倒壊2013年に再建されました。実際に鳥居の前に立ってみてこんなに大きな鳥居が倒壊したと思うと震災がどれだけ大変だったかを改めて感じました。
「鹿島神宮」スターシードの写真家小原里美です。いつもご覧いただきありがとうございます。前回までは香取神宮でした↓東国三社巡りで香取神宮の次に私が参拝したのは鹿島神宮です。鹿島神宮茨城県鹿嶋市宮中2306-1神武東征の時、神武天皇の窮地を武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)の韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)が救ったそうです。その感謝として天皇即位の年、皇紀元年(紀元前660)に武甕槌大神を祀る鹿島神宮が創建されました。只今、令和の大改修中です。楼門寛永
2023年5月11日・・・早朝、成田市内のホテルで震度3の地震で飛び起き。早めの朝食バイキング後、10年ぶりの鹿島神宮へ来てみました。10年前に来た時は最初で最後と思ってたのにまた来れるとは~!初参拝のオット君が行きたいと言ってくれて感謝です♪鹿島神宮参道のマンホールが鹿島アントラーズ柄♪10年前にカシスタで友人とGETしたしかおくんもにっこり♪鹿島神宮~~~♪鳥居の手前の鹿の像にしかお君もご挨拶♪再び鳥居とパシャリ♪
旦那サンとの1泊2日の茨城県旅行☆旅の最後の観光場所に向かう途中…ぁっ(゚д゚)!アレはなんだ?『カシマサッカースタジアム』でした(*^^*)大きいんですね〜♪大洗から1時間くらい来たのかな…『鹿島神宮』到着です☆https://kashimajingu.jp/鹿島神宮|常陸国一之宮鹿島神宮は、日本建国・武道の神様である「武甕槌大神」を御祭神とする、神武天皇元年創建の由緒ある神社です。kashimajingu.jp『楼門』いま知りましたが…こちら、日本三大楼門の1
鹿島神宮の御朱印奥宮の御朱印御祭神武甕槌大神神代の昔、天照大御神の命を受けて香取神宮の御祭神である経津主大神と共に出雲国に天降り、大国主命と話し合って国護りの交渉を成就し、日本の建国に挺身した。鹿島神宮の創建は初代神武天皇の御代と伝わります。神武天皇はその御東征の半ばにおいて思わぬ窮地に陥れられましたが、武甕槌大神の韴霊剣の神威により救われ、この神恩に感謝された天皇は御即位の年、皇紀元年に大神をこの地に勅祭されました。皇紀元年、すなわち紀元前660年の頃とい
8月17日(水)阿蘇神社へ向かう。平成28年4月16日未明に発生した熊本地震により、境内の社殿ほぼすべてが甚大な被害を受けた。阿蘇神社社記によれば、阿蘇神社の御創立は孝霊天皇9年(紀元前282年)と伝えられ、約2,300年の歴史を有しており、全国に約500社ある「阿蘇神社」の総本社である。阿蘇市一の宮町にあり、創建は神代に遡ると伝えられる古社で、一の宮町の町名も阿蘇神社が肥後国(ひごのくに)一之宮であることに由来。阿蘇神社は、神武天皇の孫神で阿蘇を開拓した
こんにちは✧ᴴᴱᴸᴸᴼ✧haruhi☆です(*^^*)3つ前の記事で、お盆最終日にお出かけしたと書きましたが、念願だった鹿島神宮⛩へ行って参りましたーー初めての鹿島神宮わくわく♡2日前に急遽行くことを決め(笑)いつもは、お出かけする時、結構調べてから行くタイプなのですが、今回は、なんとなくノーリサーチで行ってみよう⤴︎︎⤴︎と思い、ほぼ何も調べずに行きました🚗³₃←私にはかなり珍しいことです。ホントにでかいです鳥居が⛩✨️こんな感じで写真や動画を撮っていたら、
@202107阿蘇続き新阿蘇大橋とともに今回ここも絶対行かなきゃ!って思ってたところ6月に拝殿が完成したばかりの出来たてホヤホヤこれだけを見てもまさかあの阿蘇神社だなんて思えずここどこ?ってなっちゃうくらい新しく前のを知っているだけに余計に正直なんだかまだしっくりこなかったけどこの5年間ずーっと頑張って工事されていてその様子を行く度に見ていたので出来上がったことにただただ感激少し引いてみると前のままの古い部分と新しい部分(継ぎ目が分かるよね?)が一目瞭
今日、行ってきました。途中、道の駅「すごう」に寄って、スマホチェックはしていましたが、念のため、熊本NOの車を物色。いました。なので、その方に「どちらから来られたんですか」とお聞きしました。その男性は「阿蘇からです」と。ラッキーでした。そこで「坂梨の坂はどうでしたか、雪は残ってませんか」とたずねたら「何も心配ありませんよ。雪もありませんし」と。で、一路、阿蘇神社へ。やっぱり今年も、来て良かったです、数年来の愛しの場所、パワー頂ける神社でした。境内に入って、まず目にしたのは、日本三大楼門
おはようございます~今朝は予約投稿しています週末は予約投稿になることが多いのですが今日は夫と寒さ対策していると思います。先週もしたのですが窓の隙間風対策で二重扉にするべく作業してると思います結露問題は換気扇を回せば解決しそうなので後は寒さ対策この冬は寒そうだし家は隙間風が凄いので対策ですブログは先日出かけた東国三社参りのことです今日から少しづつUPしていきます~割と近い場所にあるのに行ったことが少ない東国三社毎年遠く離れた伊勢神宮参りを12月にしていました
2020年7月19日(日)鹿島神宮へ行って来ました。コロナ禍の中、他県へ移動は控えていましたが出来るだけ人との接触を避けるよう心がけてお出かけです。首都高から東関道潮来インターへ。早朝に出発したので空いていました。先ずは北浦神宮橋の側の一之鳥居(西)。比べる物がないとわかりませんが水上鳥居では国内最大級だとか❗パンフレットを見るとこの他にも鹿島神宮を囲むように東、北、南(息栖神社の鳥居が兼ねる)一之鳥居が存在していますがこれらは改めてと云うことで。駐車場に停めてニの鳥居から鹿島神
毎朝の通勤途中で何気なく目をやればなんと👀💡故郷からのトラックナンバー【熊本】サイドを見た瞬間に思わず合掌🙏とある駐車場の奥の白いトラックのサイドの絵👀👆超慌ててシャメカシャ📱✨ガーンブレブレ画像ですが、、、懐かしき故郷の便り⛩️阿蘇神社の絵思わず込み上げた哀愁でした(´_`🍀)゙。。。。。⛩️阿蘇神社について阿蘇神社は、神武天皇の孫神で阿蘇を開拓した健磐龍命たけいわたつのみことをはじめ家族神12神を祀り、2000年以上の歴史を有す
常陸国一之宮かしまじんぐう鹿島神宮2ヶ月チョイの自粛期間を経て巡りを再開する時はここ鹿島神宮からと決めていました↑わりと直前に決めたひさびさの神社巡りにわくわくしすぎて朝5時半に起きました←年寄りかー!?でも到着したのは8時チョイ前です※このブログはゆるく綴りますのでどうぞお気楽に本格的な神社ブログではありません(・д-)-☆大鳥居一の鳥居巡りをしたということはこの鳥居は二の鳥居ということになります大鳥居は東日本大震災で倒壊しました現在の大鳥居は境内から大杉
鹿島神宮(かしまじんぐう)②回目全国約600社ある鹿島神社の総本社常陸国一宮(ひたちのくに)東国三社の一社主祭神武甕槌大神(たけみかづちのおおのかみ)例大祭9月1日御船祭(みふねさい)12年に1度ホームページhttp://kashimajingu.jp/鹿島神宮御朱印①鹿島神宮奥宮御朱印①拝殿楼門を入ってから参道は真っ直ぐ東へと伸びるが、参道の途中で右(南)から接続する特殊な位置関係にある。このため社殿は北面するが、これは北方の蝦夷を意識した配置と
家庭内サークル「ごしゅいんレディース」(※会員は私と娘の2名・活動不定期)昨年12月末に令和元年のラストスパート!で鹿島神宮に参拝したまとめパート②です。※パート①はコチラ→★佐原駅から鹿島線に乗り替えて最寄駅に向かう途中、車窓から見えた利根川↓さすが関東の板東太郎、大きいな~!江戸時代には江戸まで水運が引かれた利根川。恵みの大きさを感じます。鹿島神宮最寄りの、JR鹿島神宮駅に到着↓時間はすでにPM2時半過ぎ。急げ~!鹿島神
こんにちは前回からのつづきです阿蘓火山を見てから阿蘓神社へ向かいますこちらの神社は『日本三大楼門』のひとつで縁結びでも有名です震災前はこのような立派な楼門↑今は復興に向けて工事中でしたまずは手を清め、よく見ると『神の泉』飲んでも美味しいらしいです(地元のおじさんが言ってた)参拝所も震災で壊れ、心が痛みます阿蘓神社をあとに次は大観峰へカルデラが何となく分かりますよね!↓駐車場から徒歩で展望台へ向かいます一面の藁がふかふかと風になびいて綺麗よ✨人間がちっぽけな存在に
茨城県鹿嶋市に鎮座しています鹿島神宮です。小雨あがりの曇り空、写真も暗くなっています。稲荷社です。江戸時代以前は稲荷社周辺の広場で、祭典の後直会をやっていました。御祭神保食神楼門前の摂社・末社へ。熊野社御祭神伊弉諾命、事解男命、速玉男命祝詞社御祭神太玉命津東西社御祭神高龗神・闇龗神須賀社御祭神素盞鳴尊坂戸社・沼尾社遥拝所です。鹿島神宮より離れた場所に鎮座しているので、ここが瑶拝所になって
いつもお越しいただきありがとうございます。明き清きまことの心で神さまにお仕えする桜ミコトです香取神宮にお参りさせていただいた後は鹿島神宮へ。高速を使うと25分くらいなので意外と近いです鹿島神宮西の一之鳥居案内板によると水底からの高さが18.5メートル、幅22.5メートルあり水上の鳥居としては厳島神社の高さ16メートルを超えるとありますね東の一之鳥居
ちょうど結婚式を挙げたお二人が楼門日本三大楼門の一つに数えられる楼門は、高さ約13m、重要文化財に指定されています。寛永11年(1634)、水戸徳川初代藩主の頼房卿により奉納されました。『鹿嶋社楼門再興次第記』によれば、三代将軍家光公の病気平癒を頼房卿が大宮司則広に依頼し、家光公が快方に向かった為に奉納されたとあり、浅草の水戸藩下屋敷で130余人の大工が切組み、船筏で運んで組み立てました。昭和15年の大修理の際丹塗りとし、昭和40年代に檜皮葺の屋根を銅板葺にしました。
香椎宮の聖なる結界!香椎宮の休憩所前の三の鳥居を通って、石段を上ると楼門(ろうもん)です。香椎に住む我々にとっては、香椎宮の本殿、綾杉と同じようにシンボル的存在の建物です。桜が映える時期や節分祭の「お多福面」など親しみも感じています。しかし楼門は鳥居と同様に、一般領域と神域とに分ける結界(けっかい)としての大きな役割を持っていますので、本来は「親しみ」とかを感じてはいけないのかもしれません。
みんなの回答を見るおみくじその1Amebaおみくじおみくじその2今日、鹿島神宮で引きましたどちらも吉でしたと言うことは今年の私は吉なんだと納得しちゃった⛩⛩⛩夫と2人で鹿島神宮に初詣に行ってきました鹿島神宮は全国約600社ある鹿島神社の総本社で、関東最古の神社です詳しくはこちら鹿島神宮のあれこれだいぶ前からパワースポットとしてテレビなどで取り上げられています混んでいるかと思ったら、時間が早かったせいかそれほどではありませんでした手水舎で手と口を浄め楼門を潜ります
5年前の投稿です。鹿島神宮は、常陸国(茨城県)の一宮。祭神は武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)。鹿島・香取両神宮とも、古くより朝廷からの崇敬の深い神社です。その神威は、両宮が軍神として信仰されたことが背景にあります。鹿島神宮の社殿が北を向くことも、蝦夷を意識しての配置と言われています。この大鳥居(二之鳥居)は東日本大震災で倒れ、今年6月に木の大鳥居を建立しました。以前の大鳥居は「日本一の石の大鳥居」でした。約600社ある鹿島神社の総本社で、関東最古の神社です。創建は初代神武
なめがたファーマーズヴィレッジを出発して次の目的地に向かいます。琵琶湖に次ぐ日本第2位の湖霞ケ浦を通過してようやく到着。無料の駐車場は空いてました。鹿島アントラーズのサッカーボールの石碑があって次の目的地は鹿島神宮でした。鹿島神宮は神武天皇元年(紀元前660年)創建と伝わる古社。武神武甕槌大神を祭っています。古代から伊勢神宮の他に「神宮」と呼ばれたのは鹿島神宮と香取神宮だけです。鹿嶋神宮でも菊花展を開催していました。参道の両脇に菊が並べています。楼門が近づいてきましたよ
◇東国三社巡りの二番目は「鹿島神宮」、神武天皇元年創建で、日本の皇紀と同じ2678年の歴史を持つ。平安時代から、伊勢神宮のほかに神宮と呼ばれたのは、鹿島神宮と香取神宮だけと。この鳥居は実は「二の鳥居」、「東の一の鳥居」「西の一の鳥居」とあるが、このツアーには入っていない。本殿へ向かう参道ですが、とにかく広くて東京ドームが14・5個入る広さだと!!楼門は「日本三大楼門」の一つ、扁額の「鹿島神宮」は、東郷平八
久しぶり(2年ぶり位)に鹿島神宮まで車をすっ飛ばして行ってきました気持ちの良い秋晴れで、少し気温は高いですが、鹿島神宮は木陰が沢山ありますので、快適です1634年に徳川頼房が奉納したこの門は「日本三大楼門」の一つ。朱色に輝き、屋根の形がピュンと跳ね上がり宮大工さんの腕の見せどころ。本殿は神々しいパワーに包まれて厳粛な雰囲気日頃の感謝とお願いを聞いてもらい気持ちスッキリです。定期的に訪れて感謝と願いを聞いてもらうと神様に守られてるのだから、悪いようにはならない!って思えて