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お忘れでしょうが九州の話。ひとつだけ書いてまた次は寄り道します。旅は4日目、10月12日。念願の都井岬で御崎馬を眺めたあと、日南市の「港の駅めいつ」に。日本一漁獲量の日南市の近海一本釣りカツオの炙り重やカツオ飯が目当てです。平日の11時20分到着で、中国語飛び交う脅威の40組待ち(˙◁˙)オーノー。やっぱり日本のお魚、大好きなのね。ホテルで充分美味しいカツオを食べられたので、ニッコリ笑顔で記念撮影だけして諦めました。同じく日南市の「サンメッセ日南」。イースター島の長老も
母は太陽、お袋、輝かしい存在。もっともっと輝いていい!おはようございます。みかさんです。わたしのプロフィールお産と子育て文化祭のことを書いています。『重陽の節句のよき日お産と子育てを考える』いろいろなご縁が繋がって繋がっての昨日おはようございます。みかさんです。わたしのプロフィール重陽の節句の良き日。『お産と子育て文化祭開催します』今日は満月🌕わ…ameblo.jp冒頭、自然分娩推進協会を立ち上げた荒堀医師よりお祝いメッセージが届きました。古代、女性を母を太陽と崇めた。という
延岡観光協会の前会長である、谷平興二さんがお亡くなりになりました。先日のまつりのべおかにも元気に参加されていただけに、突然の訃報に驚きました。谷平さんは、常々「俺は、”延岡には何もない”という言葉が大嫌いだ」と公言し、延岡の魅力発掘・創出・発信に全生涯を捧げられました。まつりのべおかに、精神的支柱としての「神輿」を組み込み、「出会い神輿」を創出しました。今でも多くの若衆が、神輿の魅力に取りつかれています。延岡に伝わる神話を明らかにし、「宮崎県北は日向神話の本舞台」として、「
ご訪問ありがとうございます。(ホホデミたちは)行って筑紫国の菟狹ウサに至った。菟狹は地名で宇佐と読む。邪馬台国宇佐説もあり、今は日本の「USA」だと言ってPRなさっている宇佐ですね❗時にそこには菟狹国造ウサノクニノミヤツコの祖、菟狹津ウサツ彦・菟狹津ウサツ媛と名のるものがいた。そして菟狹の川上に、一柱騰宮アシヒトツアガリノミヤを建てて(ホホデミ一行を)おもてなしした。この時、(ホホデミは)勅して菟狹津媛を、お供の家臣の天種子アマノタネ命に妻として賜った。天種子命は、中臣氏の遠祖である
ご訪問ありがとうございます。さて、神武天皇のところを読んでいきますね❗ちょっと原文をのせるのでびっくりしないで(^^;)飛ばしてくださいwww神日本磐余彦天皇神武天皇神日本磐余彦天皇、諱彦火火出見、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊第四子也。母曰玉依姫、海童之少女也。天皇生而明達、意礭如也、年十五立爲太子。長而娶日向国吾田邑吾平津媛、爲妃、生手硏耳命。漢文ですw奈良時代当時は、中国の文化がお手本ですから、正史は漢文で書かないと、外国の方に読んでいただけません。そういう意味では対外的とも言え
橿原神宮(Wikipediaより)ご訪問ありがとうございます。今回から歴史の話になるので、物語に合わせたお部屋が作れるかどうか(^^;)ということで、各天皇ゆかりの地の画像にしました( ̄▽ ̄;)💦さて、ここからリアルな歴史を探るということで、この神武天皇の時代はいつになるのか?ということをまず考えてみます。以下はWikipediaからです。神武天皇が即位したという辛酉の歳はそのまま西暦に換算すると紀元前660年であり、同時に弥生時代早期又は縄文時代末期に当たる。明治時代の歴史学者
ご訪問ありがとうございます。夭折の天才、青木繁の描く山幸彦です。この前の挿し絵にしたブロックアートは、この絵の構図を参考にしたのですがさすがにヌードは作れませんでした(^^;)わだつみのいろこの宮青木繁さて「日本書紀」の神代の巻(上下)もいよいよ最終章です。こうして彦火火出見尊は、海神の娘の豊玉姫を娶り、海の宮に留まり住んで、すでに三年経った。そこはまた安らかで楽しいところであったが、(ホホデミ尊には)なお故鄕を思う気持ちがあり、そのため時には大きなため息をつかれるときがあった。
わだつみのいろこの宮ご訪問ありがとうございます。日本神話でもけっこう有名なお話、「海幸山幸」です。この物語で、主人公の山幸彦は海の中にある「わだつみのいろこの宮」、つまり海神の宮殿、竜宮城のようなところに行くわけですが、こういった神話がユーラシア大陸由来のものではなく、太平洋沖西岸を北上して伝わったものであるということは、容易に想像できます。それでは、まずは「日本書紀」本文から見てまいりましょう。兄の火闌降ホスソリ命には、生まれつき海の幸サチ(恵み)が備わり、弟の彦火火出見ヒコホホ
○前回、ブログ『神武東征と神功皇后』を書いて、神武東征と神功皇后の東進がそれ程離れた時代では無かったのではないかと言う話をした。日向国を探索する限り、神武天皇の出自は狗奴国だし、神功皇后の故郷が投馬国であることは間違いない。○そう考えると、どうしても、邪馬台国から出て行った男の話を見逃すことはできない。正確には追放されたと言うことになっている。それが建速須佐之男命になる。しかし、建速須佐之男命は天照大御神の弟で、地上神話ではなく、天上神話の話ではないかとおっしゃるかも知れない。○そこが日本神
○先日、ブログ『投馬国が諸県であること』を書いたが、字数制限で最後まで書くことができなかった。それで、今回、『住吉三神の故郷』と題して、その続きを書いておきたい。○鹿児島県曽於市末吉町二之方住吉に住吉山があって、住吉神社が鎮座まします。当古代文化研究所では、これまで、何度か参拝している。最近では、次のブログに書いている。・テーマ「投馬国はどんな国家だったか」:ブログ『住吉山:住吉神社』住吉山:住吉神社|古代文化研究所(ameblo.jp)○今でこそ、ほんの田舎の小さな村社だ
○フーテンの寅だって、こううそぶく。もののはじまりが一ならば、国のはじまりが大和の国、島のはじまりが淡路島、泥棒のはじまりが石川五右衛門なら、スケベエのはじまりがこのおじさん!っての。○フーテンの寅に従えば、国の始まりは大和の国だと言う。そのことは日本最古の史書とされる「古事記」や「日本書紀」が記録していることである。ただ、ここで話しているのは、国の始まりの前のことになる。それは日向神話と呼ばれる。随分と昔の話になる。○つまり、日本の地上神話の始まりが日向神話になる。日本は
延岡市の愛宕山は、延岡市民の生活の一部です♪^o^先日のブログで紹介させてもらったけど、★延岡市愛宕山にのこる神話★『★一家に一冊、日向神話の本舞台★』いきなりですが、延岡市民の皆さん??延岡市をご存知の皆さん??延岡市のシンボルトップス3といえば??どこ??何??旭化成の煙突。太平洋。お大師さん。etcいろ…ameblo.jpこの山はパワースポット♪延岡を愛する友達が作ってくれてるショートムービーみてください^o^★延岡市愛宕山にのこる神話★【延岡・神話】日本で最初の出逢いとプ
いきなりですが、延岡市民の皆さん??延岡市をご存知の皆さん??延岡市のシンボルトップス3といえば??どこ??何??旭化成の煙突。太平洋。お大師さん。etcいろいろ頭に浮かぶと思うけど、私は愛宕山かなーーー⤴︎⤴︎^o^私と同じく、「愛宕山」は多くの方の頭に浮かんだんじゃないかと思います♪私のiPhoneで撮った奇跡の1枚❤️延岡市民なら一度は登った事があると思うし、延岡のどこからでも愛宕山を眺める事ができますからーー♪そんな延岡市民に馴染みの山「愛宕山」は、江戸時代まで、笠沙
○前回のブログ『卑弥呼の鬼道』の最後に、こう書いた。・中国の正史、「三国志」に、仏教を卑弥呼の鬼道と記したのが陳壽である。仏教はインドから中国へ伝来した。紀元前後のこととされる。三世紀に、まだ中国でも十分に仏教は認知されていなかった。・陳壽の故郷は、四川省南充市である。比較的早期に仏教が入って来たところになる。その陳壽が「三国志」で、わざわざ『卑弥呼の鬼道』と記しているところが何とも興味深い。少なくとも、陳壽は仏教徒では無かったと思われる。○前々回のブログ『
○「三国志」魏書巻三十『烏丸鮮卑東夷伝』の中に、『倭人条』が存在する。その『倭人条』を日本では特に、「魏志倭人伝」と呼び称している。日本で、「魏志倭人伝」と言うと、何か一冊の書物のように思われている節がある。○しかし、「魏志倭人伝」は字数にして、わずか1986字しかない。原稿用紙にすれば五枚で足りる。とても書物と呼べる代物ではない。それでも、「魏志倭人伝」は、日本にとって、何者にも代えられない大事な歴史書(記録)なのである。○と言うのも、「魏志倭人伝」が書かれたのは、三世紀であって、頗る古い
○ここのところ、出雲地名の起源が鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島である話をして来た。硫黄島は、恐ろしい島である。速須佐之男命の、八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を和歌を考えた場合、速須佐之男命の故郷も硫黄島になるしかない。速須佐之男命は追放されて出雲国へと下って行ったことになっている。○「古事記」や「日本書紀」を読むと、様々な矛盾を感じる。例えば、出雲神話がそうである。速須佐之男命は、もともと天上神話の中の登場人物であって、地上に降り立った話は聞かない。それが出雲国に
○前回の最後に、こう書いている。・これも結論を述べるしかないのだが、大和三山を正式に眺めるのは、三輪山山頂が正しい。眺める者も、決まっている。それが大物主大神になる。それが大神神社が成立する所以になる。現在の大神神社は、そういう故事来歴を完全に見失っている。・もっとも、そういうことは、大和三山がどういう山であるかを理解しない限り、納得承知できない。本物の大和三山は、次の山々を指す。うねびやま=霧島山(1700m)かぐやま=桜島山(1111m
○前々回、ブログ『邪馬台国の風景:邪馬台国三山』で、真実の大和三山が次の山々であるとの話をした。うねびやま=霧島山(1700m)かぐやま=桜島山(1111m)みみなしやま=開聞岳(924m)○そうすると、邪馬台国が存在したのは、薩摩半島だったと言うことになる。邪馬台国から大和国が誕生したことは、誰が考えても判ることである。それなら、当然、神武天皇の故地も薩摩半島だと考えるのが自然だろう。○ところが、前回、ブログ『日向神話』で検証したように、真実の神代三山陵の所在地は、次のよ
○つい先日、・ブログ『(英彦山の)日の出及び時間』から、『英彦山と姫島』、『英彦山信仰』、『西国三十三所:観音巡礼』と、どんどん話は深みに入っている。と書いたばかりである。しかし、その後も、更に話は、『修験道』、『大和三山』、『邪馬台国の風景:邪馬台国三山』と、深みに入るばかりで、留まるところを知らない。○それもそのはずで、日本の仏教史や古代史は問題が山積していると言うか、問題ばかりである。もう現代では、そういうことを研究すること自体が時代遅れなのかも知れない。いまどき、古
○「三国志」を読むと、魏国が認識する倭国三十国は、次のように案内される。そのことについては、すでにブログ『邪馬台国』で案内している。【渡海三国】・狗邪韓国・対馬国・壱岐国【北九州四国】・末廬国・伊都国・奴国・不弥国【中九州二十国】・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)【南九州三国】
ご訪問ありがとうございます。今回は、弟橘媛のもっとも深い源流を探ろうと思います。さて弟橘媛が「古事記」「日本書紀」の編纂と同時に行われた「常陸国風土記」に独自伝承を残しているのは、決してそれが「古事記」「日本書紀」と歩調を合わせて作られた神話でないことを示しています。なぜ、弟橘媛は亡くなった東京湾からはるかに離れた常陸国で足跡を残しているのでしょう?今回はこの謎に結論を示したいと思います。千葉県富津市の弟橘媛像さて、最初にあげたコノハナサクヤビメは、バナナ型神話の登場人物であるのです
ご訪問ありがとうございます。さて、ニニギノミコトの妻となったコノハナサクヤビメは「一夜孕み」で妊娠します。古来の信仰では、神に近い存在の能力として「一夜孕み」というのがあって、聖婚の場合に多く見られるのが、ある程度時代が下るとそういう意味が忘れられて、だんだん下世話な話になるのですが(^^;)この場合も例に漏れず💧ニニギノミコトは「うっそお~そんないきなり妊娠する~?もしかして元カレの国津神の子じゃないの?」と疑います(・`д・´)ヒドイで、コノハナサクヤビメはブチ切れて((ヾ
ご訪問ありがとうございます。前回まで神社の分布で検証したところ、常陸、今の茨城県と下総シモフサ、上総カズサ、今の千葉県の県境付近はチバラキと呼ばれているようですが、弟橘媛はなぜかチバラキの海沿いにも信仰圏が広がっているようです。それは「古事記」「日本書紀」では大和から来て走水でなくなった彼女が、「常陸国風土記」で活躍することにつながっているように思えます。そこで念のため下野シモツケ国(栃木県)の神社で弟橘媛をググってみましたが、ヒットすることはありませんでした。上野コウヅケはちょっ
私は、日本神話が大好きで、13年前の29歳のときに神話の国・宮崎県へ一人旅をしています。そのときに、神話にまつわる神社へまわってきました。そのころ「日向」というニックネームで活動していたので、宮崎県にある「日向神話」が妙に気になったのです。青島神社にまつわる「海幸彦・山幸彦神話」は仲たがいした兄弟の物語だったり、鵜戸神宮にまつわる「出産と嫌悪と愛」の物語だったり、神話は私の心を揺さぶります。この宮崎県日向神話一人旅から1年後、伊勢神宮に参り、一緒に行った夫と結婚しました。・私は、3
日向神話の舞台を旅して見た神々しい3つの聖地天から神様が降りてくるのにふさわしい場所日向神話の舞台を旅して見た神々しい3つの聖地岩屋に閉じこもった太陽神を引き出すため、神々は祭りを行うことにする。それは最初の歌や舞をともなうものであり、そして最初の笑いをもたらすものだった。天の岩屋の神話は、はたして何を意味しているのだろうか…toyokeizai.net
○2022年2月3日、京都ぶらり旅で、上賀茂神社と下鴨神社へ参詣して来た。賀茂神がどういう神様であるかを検証するためである。下鴨神社については、ブログ『下鴨神社』から『新古今和歌集の賀茂の社』まで、18個のブログを書いて、詳細な検証を加えている。○特に、賀茂神については、次の二つのブログにまとめている。・テーマ「京都ぶらり旅」:ブログ『下鴨神社』下鴨神社|古代文化研究所(ameblo.jp)・テーマ「京都ぶらり旅」:ブログ『賀茂御祖神社』賀茂御祖神社|古代文化
○2022年2月3日、京都ぶらり旅で、下鴨神社へお参りした。下鴨神社は、正式には賀茂御祖神社と申し上げる。下鴨神社一の鳥居の先、左手に見えて来たのが河合神社である。下鴨神社で、最初にお参りしたのが河合神社だった。○その河合神社については、前々回、既に書いているが、河合神社境内には、河合神社の案内板を始め、気になる摂社や末社が存在した。そういうものを、ここでまとめて書いておきたい。まず、河合神社の鳥居横に存在した、河合神社の案内板から紹介したい。河合神社・ご祭神玉依
○昨日書いたように、昨年2020年10月6日に、都城市の金御岳から末吉町の住吉山や檍神社などへ参詣している。その後、2020年10月14日に、都城市の黒尾神社と神柱宮へも参拝をしている。○年が明けて、2021年1月8日に、薩摩川内市の新田神社へ参拝。帰り道に、霧島市溝辺町の高屋山陵へもお参りした。○その一週間後の正月16日に、今年の初登山として、肝属山地最高峰の甫与志岳(967m)に登って来た。それは当古代文化研究所が甫与志岳を可愛山陵だと判断するからである。併せて、その時、吾平山陵へも参詣
○ブログ『吉野山の正体』から話はどんどん邪馬台国方面へと進んで行って、とうとう『邪馬台国の風景』とか『桜島が香具山であること』にまで行ってしまった。取り敢えず、この話はこれでおしまいにして、本来の投馬国の話に戻したい。○写真の記録から確認すると、昨年2020年10月6日に、都城市の金御岳から末吉町の住吉山や檍神社などへ参詣している。その後、2020年10月14日に、都城市の黒尾神社と神柱宮へも参拝をしている。○さらに、年が明けて、2021年1月8日に、薩摩川内市の新田神社へお参りしている。
昨日、熊本の高森町へ行ってきました。「あか牛」で今年の慰労会!と、もう一つの目的が↓こちら(2021年10月に発行されました)宮崎県は「神話のふるさと」です高天原神話・出雲神話・日向神話諸説ありますがどれがどうという話ではありません宮崎県北に鎮座する神社の中から「日向神話」に登場する神々や神武天皇ゆかりの神社三十三社を巡る満願・神たびちょうど、1年前に書いた記事↓の、次なるプロジェクトが今回の「満願神たび」だったのですね〜日向神話に登場する市や町は↓県北の日向市