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新卒で働いた会社が有楽町にあったことから、1986年から暫くは有楽町で若き日々を送っておりました。マリオンを中心とした日劇、みゆき座、有楽シネマ、スバル座があり、会社の帰りに折に触れ観ておりました。当時通った店に関して思いつくままに書かせて頂くと、『珈琲時光』(監督:侯孝賢2004)に出てくる喫茶店「ももや」とその近くの「HOBSONS」。スバル座のビル地下にあった、みつ葉入り太麺の「ラーメン中本」、欧風カレーの「マーブル」(※1)、とスターバックスがある場所にあったゲームセンター、そ
有楽町のTOHOシネマズ日劇。昨日で85年の歴史に幕を閉じ閉館しました。日劇なくなっちゃうのは寂しいけど新しくできるTOHOシネマズ日比谷も楽しみだ!ちらどっ!
TOHOシネマズ日劇が閉館85年の歴史に幕|ORICONNEWShttps://www.oricon.co.jp/news/2105141/full/幼少期は家族揃って観に行ったし、中高時代は友達と高校生の時は文化鑑賞会というものを各学年ごとにやる行事があってその時に映画見るのでここに来たりしたものだったな。その後も何度もロードショー映画見るので来た思い出の映画館がまた一つ無くなってしまったな。シネコン中心となった今の時代と比べるのは酷だが、昔はここ日劇だったり新宿
今朝放送されたNHK「おはよう日本」の〝さよなら日劇〟特集コーナーに西条が、ホリプロ最高顧問の堀威夫氏、元・日劇ダンシングチームの真島茂樹氏と共にインタビュー出演を。主に、日劇演出家だった放送作家の塚田茂氏とドリフターズが日劇で作りあげた笑いがテレビで全国の大衆を魅了したという話をしました。
有楽町の映画館、日劇(左)が4日で閉館してしまいますね。広々とした天井で、LUMINEの8階のレストランから長〜いエスカレーターで映画館に向かうのが、映画の楽しみを高めてくれるみたいで好きでした。1933年から続く劇場で、ここ数日、年配の方も見かけましたね^^みんなこの映画館にいろんな思い出があるんだなと、ちょっと歴史を感じてしまいました。残念なニュースですが、今日まで素敵な作品の上映ありがとうございました。SEEYA!
【西条昇テレビ出演のお知らせ】明日2月3日(土)6:00~8:00にNHKで放送される「おはよう日本」の〝さよなら日劇〟特集コーナー(7:10前後からの予定)に西条がインタビュー出演いたします。2月4日のTOHOシネマズ日劇の閉館により、昭和8年に映画と実演の劇場として開場して以来、85年にわたって親しまれてきた「日劇」という劇場名が消えることについて、ショービジネスの檜舞台として日劇が果たした役割やテレビに与えた影響などを西条が語っています。(※なお、緊急のニュースにより放送予定変更も
手元にある、昭和56年(1981)1~2月の「サヨナラ日劇フェスティバルあゝ栄光の半世紀」の公演パンフ。歌手の日替りゲストは大御所揃いの超豪華メンバー。この中では、たのきんトリオが最若手だね。他に日替りゲストのコメディアン枠もあるのだが、泉ピン子、萩本欽一のお二人は歌手枠なのか?
あと3日後の2月4日でTOHOシネマズ日劇が閉館となり、85年にわたって親しまれてきた日劇という名前が消える。もともと日劇こと日本劇場は昭和8年(1933)年12月に映画と実演の劇場として開場し、実演は日劇ビル取り壊しによる昭和56年(1981)2月で幕を閉じていた。手元にある「サヨナラ日劇フェスティバルあゝ栄光の半世紀」の公演パンフを眺めていると、物心ついた頃から親に連れられて日劇に通って観た数々の舞台が蘇ってくる。
2月4日に閉館する日劇で、先週から『さよなら日劇ラストショウ』が行われていて、今日は『タイタニック』の上映があり観に行きました。先月、『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』を観に行き「これで日劇で観るのも最後か・・・」と寂しく思っていたのですが、また行くことができ良かったです。私が日劇で初めて観たのは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』です。上映後は拍手が鳴り響き、興奮したのを今でも鮮明に思い出します。他にも『トップガン』など思い出は尽きません。そして
手元にある、昭和10年2月の日劇(日本劇場)での「パンテージ・ショウ」の公演パンフ。前年の「マーカス・ショウ」の日劇公演の成功を受けて、アメリカのボードビル・ショウのチームを招聘した際のものである。
今年も月末は映画の話をしていきたいと思います(決めておかないとなかなか書けないので)。皆さん、映画好きなら映画始めは済ませたと思いますが、わたしは映画始めならぬ、映画館始めならぬ、フィルム始めというのをやっています。1年に一度くらいは映写機から投影された光を全身に浴びておこうと思ってのことなのですが、いや、別に都内に住んでいれば一度と言わず何度だってフィルムで映画を観ることはまだ可能なのですが、宇都宮に住んでいたりすると、意識しておかなければ1年間フィルムで映画をまったく見なかったというこ
いよいよ東京の有楽町にある日劇が、2月4日に閉館になります。閉館の日まで、日劇1〜3で「さよなら日劇ラストショウ」上映が行われています。日劇ラストショウ記念のパンフレットを購入してきました。1933年から2018年までの日劇で上映された映画タイトルが掲載されているなど、映画マニアにとってはありがたい一冊となっております。私は東京生まれではないので、日劇にそれほど思い出があるわけでないのですが、たった1度だけ日劇に行ったことがあります。それは1991年、私
本日の東京新聞朝刊の来月4日のTOHOシネマズ日劇の閉館にともなって85年にわたって親しまれた「日劇」という名称が消えることについての特集記事で、日本のショービジネス界で日劇の果たした役割について、西条のコメントが掲載されています。
穴八幡のお参りのあとは銀座まででて、「DESTNY鎌倉ものがたり」を観てきました。私は新宿で「オリエント急行~」が観たかったのですが、ダンナが日劇が閉館になっちゃうから、最後のロードショー作品をみたいとのリクエストにこたえ、銀座まで行ってきました。山崎監督の作品は観てるけど、今回妖怪とかあんまり興味なくて、アンテナが動かなかったけど、観てみたらおもしろかった。お正月ならではのほのぼのした夫婦のお話でした。見終えたあとも、あーだった、こうだったと話すことも多くて、夫婦仲
手元にある、昭和35年3月の日劇ミュージックホール「グラン・ヌー・フォーリーズ夜に戯れて」の公演パンフ。表紙は、若き日の小浜奈々子さんだ。数年前にして頂いたサインが入っている。可愛いね。当時は、恋人を作る時間がなく、ファンレターも丸尾長顕のところで止められて渡してもらえず、日劇ビル階上の楽屋の窓から数寄屋橋を二人で腕を組んで歩くカップルを眺めては、いつか誰かと腕を組んで銀座を歩きたいと思っていたとのこと。
手元にある、昭和24年3月の日劇小劇場(日劇ミュージックホールの前身)での空気座による「獄門島」の公演パンフ。表紙イラストが抜群のセンスだね。ちゃんと〈原作横溝正史〉のクレジットがあり、横溝自身も「獄門島について」という小文を寄せている。空気座は昭和22年8月初演の「肉体の門」の大ヒットで知られ、金田一耕助役は新宿ムーランに居た並木瓶太郎、同じくムーランに居た左卜全も出演している。
手元にある、昭和29年6月の日劇ミュージックホール「美女に化けたお馬」の公演パンフのパン猪狩こと世界一の写真。パン猪狩と言えば、日本の女子プロレスの生みの親と言えるボードビリアンであり、日本の女子プロレスラー第1号の猪狩定子や東京コミックショウのショパン猪狩のお兄さんでもある。この当時、スケールの大きな名前が良いと「世界一(せかいはじめ)」に改名したのだが、良く共演していたトニー谷の名前と並ぶと「トニー谷世界一」と、トニー谷は世界一だと称えているみたいだからということで、すぐにパン猪
手元にある、昭和33年1月の日劇ミュージックホール「日本髪の恋愛選手!!」の公演パンフの渥美清の写真。渥美が浅草フランス座から日劇ミュージックホールに進出して間もない頃だ。フランス座時代の渥美は目を寄せて唇をひん曲げてみせる顔芸を得意としていたが、徐々に封印していった。
美輪(明宏)さんin日劇ミュージックホール。当時の芸名は丸山明宏だが…。手元にある、昭和32年1月の日劇ミュージックホール「春の天使はみんなウェット」公演パンフの美輪さんの写真。やはり独特の色気が出ているよねえ。
手元にある、日劇ミュージックホール運営委員だった丸尾長顕の昭和33年のスクラップブック。その中に貼ってある、〈人を食った奇抜さ〝小人トリオ〟ら初登場〉と題した新聞記事。空飛小助、清水勇、山口堅志の〝小人トリオ〟のうち、清水と山口はこの時の公演「これはカックン!ショックやわ」で日劇ミュージックホール初登場。小助は同ホールをホームグラウンドに長くコメディアンとして活躍した。また、この公演では〝シスターボーイ〟ならぬ〝ブラザーガール〟も舞台に登場したようだ。
手元にある、日劇ミュージックホール運営委員だった丸尾長顕の昭和33年のスクラップブック。その中に貼ってある、〈ヌードの学士トリオ〉の記事。写真左の小川久美は山脇短大卒、中央の松野由加は都内某大学文学部在学中、右の丘るり子は神戸女子短大卒。三人が学帽をかぶっての〈ヌードの学士トリオ〉推しも、〈インテリ・ヌード〉推しも、丸尾のアイディアだろう。
手元にある、日劇ミュージックホール運営委員だった丸尾長顕の昭和33年のスクラップブック。その中に貼ってある、八波むと志の記事。「新宿や浅草でもたもたしていたのが、一昨年二月に丸尾長顕さんに引っぱられて日劇ミュージックホールに出だしてから〝僕はついてる〟です」と丸尾の名前を挙げている。同年4月に脱線トリオ結成。翌年には三木のり平の誘いで東宝ミュージカルに出演。フランス座から日劇ミュージックホールへという戦後のコメディアンの出世コースを作ったのは八波であり、数年遅れて渥美清が続き、フランス座文
手元にある、昭和32年2月の日劇での第3回東京喜劇まつり「寄らば斬るぞ!」の公演パンフ。表紙イラストは、第1回と第2回の公演でも主演した戦前からの人気者のエノケン・ロッパ・金語楼の三人と共に、新たに戦後派のトニー谷が一緒に描かれている。いかに当時のトニー谷に勢いがあったかということだろう。他の出演者は、八波むと志、由利徹、南利明の脱線トリオに、ボードビリアンのパン猪狩ら。
美輪(明宏)さんin日劇ミュージックホール。当時の芸名は丸山明宏だが…。手元にある、日劇ミュージックホール運営委員だった丸尾長顕の昭和33年のスクラップブック。その中に貼ってある、美輪さんが同年に日劇ミュージックホール「春の天使はみんなウェット」に出演した際の新聞の劇評記事。どちらも写真は伊吹まり代と丸山明宏のツーショットである。〈バラエティーに富んだ目新しさ〉〈色気があるセミ・ヌード〉と、どちらの劇評も好評と言える。
手元にある、日劇ミュージックホール運営委員だった丸尾長顕の昭和33年のスクラップブック。その中に貼ってある、〈ヌード・ロカビリー〉と題した同年5月9日の内外タイムスの記事。第1回の日劇ウエスタンカーニバルが開催されたのは同年2月のことで、ロカビリー・ブームにあやかってミュージックホールの「女は悪魔を飼っている」のステージに取り入れられたのだ。これも丸尾のアイディアだったのでは?
手元にある、日劇ミュージックホール運営委員だった丸尾長顕の昭和33年のスクラップブック。その中に貼ってある、〈どうぞよろしく美ヌード三人嬢〉と題した新聞記事。先に紹介した日劇ヌード・スター募集の最終審査に合格した三人のデビューを報じるもので、この中では島淳子がスターの一人として長く活躍した。
手元にある、丸尾長顕の昭和33年の日劇ミュージックホール関連のスクラップブック。その中に貼ってある、同年8月の日劇ヌード・スター募集の最終審査会の様子を伝える新聞や雑誌の記事。審査員は丸尾長顕ら日劇ミュージックホール運営委員の他、作家の舟橋聖一、村松梢風ら。こうしたマスコミへの話題作りの仕掛けは丸尾の得意とするところだ。
手元にある、日劇ミュージックホール運営委員だった丸尾長顕の昭和33年のスクラップブック。表紙には丸尾長顕の字で「日劇ミュージックホール一九五八年」と書かれている。
手元にある、昭和30年9月の日劇での第2回東京喜劇人まつり「アチャラカ誕生」の公演パンフ。主演はエノケン、ロッパ、金語楼。旅まわりの一座の女形役の三木のり平が劇中劇「最後の伝令」の村人ロバートをナヨナヨと演じて「メリーさん、大変だ大変だ」と何度も口にするのが大ウケにウケたという。映画で再現している場面はあるが、実際はもっと面白かったんだろうな。
手元にある、長く日劇ミュージックホールの運営委員や顧問を務めた丸尾長顕の昭和38年のスクラップブック。丸尾長顕自身が作ったもので、背表紙には丸尾の字で長顕関係と書かれている。