ブログ記事474件
皆さまこんばんは⭐️コーデリアです🌹ご覧いただきありがとうございます😊今月は月に2日、祝日があるんだなぁと何となく思っていましたが、カレンダーの2月11日のところに建国記念日と書いてあるのを見て、川島芳子の「今で言えば建国記念日かな」という台詞が浮かんできまして、「香蘭の日劇リサイタルの日だ」と思いました歌詞の中に「日本中大騒ぎ一目みたい日劇を7回り半取り囲む」とありますが、7回り半てどのくらい?と思って、検索したら2020年の文春オンラインの記事を見つけましたこちらの記事希代の
ショ−ケンとジュリ−カッコイイですね~🙆🙆🙆私がピンキーとキラ−ズの頃有楽町の日劇で3人でステ−ジを踏みました。当時の写真が無くて残念です😆ご存知のように二人とも爆発的な人気で私ピンキーにカミソリが送られてきたり、それはそれは大変でした🤣🤣🤣でも当時は私も超人気だったんですよ(笑)ショ−ケンは亡くなっちゃったし…ジュリ−は、かなり太ったみたいですが、未だにコンサートを満員にする根強い人気は流石ですね~🎤🎵🎸私はデビューが15歳と早かったので今でも年上の後輩が多くて複雑な心境です
日比谷図書文化館の特別展「THESHOWAMUSTGOONー「昭和」という舞台を観に行こうー」を観に行った。【展覧会のみどころ】劇場でたどる千代田区の昭和千代田区の特徴のひとつに、近代から現在に至るまで、数多くの劇場施設があることが挙げられます。実は、劇場は娯楽施設というだけではなく、その時代ごとの様相が色濃く反映されている場所です。今回の展示では、様々な劇場から千代田区の昭和をたどります。「昭和」という舞台と、そこに立った人たちを観る展示タイトルが掛けられている「Thes
「1981年1月22日~25日、東京・有楽町の日劇(日本劇場)の解体に伴い、ロカビリーやグループサウンズの面々が大挙して集まり、4日間合計8公演、「サヨナラ日劇・最後のウエスタンカーニバル」が行われた。その実況盤1/3(はじめは3本組ミュージックテープ(写真)のみで発売。のち1枚ずつCD化して再発売。さらにのちにCD3枚組として再再発売された。各発売年月は不明)。権利の関係からか、すべて渡辺プロダクション(系)の所属アーティストだけの収録に
ちようど60年前の昭和40(1965)年10月、有楽町の日劇5階にあった日劇ミュージックホールの11~12月公演ハローTOKYO!の新聞広告。日劇MHおなじみのダンサーだけでなく、女剣劇の浅香光代(当時37歳)や、喜劇人の泉和助、元プロレスラーでありレフェリー、大映専属の俳優として元鉄人騎士(by少年ジェット)でもある阿部脩、“魅惑のブルーボーイ”なるキャッチコピーのカルセル麻紀(カルーセル麻紀=当時22歳)ら多彩な面々が出演している。「トップヌードで世界
こんばんは今日は銀座、有楽町へ足を運んできました。銀座といえば銀座第一小学校(ありません)徳川龍之介の聖地来週の国際フォーラム会場のある聖地ラジオびんびん物語ニッポン放送もココ三越銀座店のジョアンのミニクロ購入しました。銀座の歩行者天国をブラブラしていました。今の銀座はオシャレとはいいがたい雰囲気です。外国人観光客ばかりTシャツ、短パンサンダルとかで銀座を普通に歩くのです。有楽町マリオンの時計
渡辺プロダクションタレント友の会会報「YOUNGヤング」1981年2月号の徹底追跡は小柳ルミ子さんでした。日劇新春公演の前日の舞台稽古に余念のない小柳ルミ子さんの一日を追った内容になっています。
本日のnoteです!よろしくお願いします🙇https://note.com/rekaji/n/n20f4c512f9d0有楽町の空20250820|rekaji多くの人が『マリオン』と呼ぶ「有楽町マリオン」。この名称は通称で、正式名称は「有楽町センタービルディング」。複数の店舗や施設から成る複合商業施設です。もともと「朝日新聞東京本社」や「日本劇場」(日劇)、「邦楽座」が軒を並べており、朝日新聞は1980年(昭和55年)に築地に完成した新社屋に移転、日劇は劇場としての歴史を「TOHO
岬マコが演歌の神髄を歌い華麗に踊る!――。昭和58(1983)年8月、日劇ミュージックホール8月公演『演歌inエロス女からおんなへ』の新聞広告。この時期の日劇ミュージックホールは、日劇の閉館(昭和56年2月)、解体や有楽町駅前の再開発に伴い、それまでの日劇5階から山手線の内側、日比谷の東京宝塚劇場5階へとシマを移して公演を続けていた時期。そして5か月後の昭和59年3月をもって解散している。広告にも姿が見える看板女優の一人、ジャンボ久世(なんと鍛えられた腹斜筋だ!)は
先週の土曜日8月9日辺りから、ほっとしたから6日間は、少し楽でした充電できたかな?と思っている昨日、超久しぶりに、有楽町まで出かけてきたご飯だけ食べて、すぐに帰ってきたんだけど有楽町駅前の電気ビルに囲いが出来て、いよいよ、取り壊しでしょう有楽町駅前の”ビッグカメラ”も取り壊しの予定らしいあそこは、昔、”そごう”それを知っている人も少なくなってしまうだろう日比谷シャンテは残っているけど古さで有名だった三信ビルなど、消えてしまって今の”ミッドタウン日比谷”も
渡辺プロダクションタレント友の会会報「YOUNGヤング」1981年3月号の表紙は3月5日に「ヨシオちゃん」でデビューした若杉ひと美さんでした。表紙の裏にデビュー曲「ヨシオちゃん」の広告が掲載されています。若杉ひと美さんは現在、宮崎県都城市にアトリエを構え本名の徳留ひと美でフィンランドの伝統装飾、ヒンメリの作家として活躍されています。この号には日劇最後のウエスタンカーニバルで歌う沢田研二さんと萩原健一さん、1月24日と25日の日劇のステージで10年ぶりに復活したザ・タイガースさん、
太郎さんのブログです。はじめて日劇ウエスタンカーニバルに出演したときのことを書いてくださっています。当時、ウエスタンカーニバルはGSの登竜門でした。客席にはさまざまなグループのファンがいて、もともと別のグループを見に来ていた人たちにも存在を知ってもらえるチャンスだったのだと思います。日を追うごとに歓声が大きくなり、入り待ち、出待ちのファンが増えていくのを感じたそうです。そして、そのあとはN0.1バンドへの道をまっしぐらだったのですね。私がウエスタンカーニバルに初めて行ったのは
1997年の「ぴあ」に載ったマンガです。直接関係のあるマンガではないのですが、作者が「児雷也」情報を得よう発信した所、情報が集まったという話です。きっと舟木ファンの舟友さんが送ってあげたのでしょう。それにしても、こうした記事を保存して取って置いてくれた舟友さんも凄いですね。すでに30年も前の記事ですから・・・。この記事を頂いて保存していたさすらいも偉いでしょ(笑)舟木ファンは、どんな小さなことでも気になって保存されていますね。負けない様にいろいろ保存をしているさすらいですが、
写真ちっちゃくしたのはご存知の通りで大体的にできないからです。50年経つので良いかなとは思うますが…何か問題がありましたら、興味ある方はメッセージください。これは1975年、76年度の日劇(日本劇場)で年に一回行われたイベント「ウェスタンカーニバル」とフォーリーブス現役時代の終盤時代当時のジュニアたちとジョイントしたコンサートのパンフレットです。印刷技術が良くて50年経った今でもカラーは綺麗だし文字も綺麗に残っております。でも何人ものファンの方々の手に渡っていて汚れやすり減りがありカラー印
1972年8月梅田コマ劇場「BigFiveinKoma」ジュリー・布施明・小柳ルミ子・森進一・トワ・エ・モワなど渡辺プロのメンバーが行った歌謡ショー8月を5期間に分けて、各期間にそれぞれのショーを行った。雅美くんは8月15〜19日小柳ルミ子ショーに出演「瀬戸の花嫁」を題材にしたと思われる劇の相手役を務めた。第二部では雅美くんの歌唱コーナーもあり持ち歌7曲を披露以前書いた日本劇場「小柳ルミ子ショー瀬戸の花嫁」とは、ドラマの内容が違う。曲は1曲増え7曲に。「ふたりは奇跡の
6月1日日曜日〜その22時半、アユーラメディテーションバスtを使っての入浴。水分補給は、千代の甘酒。かっぱえびせんを摘みて、3枚組DVD−BOX『地上最強の美女たち!チャーリーズエンジェルコンプリート2ndシーズンset2』〜第16話「殺人スマッシュ!コートの妖精たち」を鑑賞。4時に休む。8時、目覚める。ねじめびわ茶、アイリスの炭酸水、のむヨーグルトプレーンで喉を潤す。『ビギン・ザ・ビギン−日本ショウビジネス楽屋口−』を読む。P270、日劇での第16回「ウエスタンカーニバル」への田辺
5月31日土曜日〜その7P269に、日劇「ウエスタンカーニバル」第6回に森山加代子さんが登場と記し有る。(写真)菊水丸コレクションの森山加代子さんの宣材。11時半より13時10分まで三度寝。そして、14時20分まで四度寝。首のストレッチ。四股10回。体重68・3キロ。飲料は、大内山カルシウム元気牛乳、KAGOMEつぶより野菜、くらしモアオレンジ100、復刻缶〜Since1969〜UCCコーヒーミルク入り。雑事に勤しむ。
5月31日土曜日〜その6P264、日劇のロカビリーの楽屋に出入りしていた加賀まりこさんのエピソードが書かれいる。(写真)地下資料室にある『秋山庄太郎・自選集1女の素顔』の加賀まりこさんのグラビアページです。
5月30日土曜日〜その3GALLTTEauBEURREを摘みながら『ビギン・ザ・ビギン−日本のショウビジネス楽屋口−』を読む。P230には日劇で撮影した、S25年宝映プロの映画作品「銀座の踊子」の八尋不二氏の脚本の出来栄えについて触れている。(写真)菊水丸コレクションに、S36年12月10日、京都ホテルで開催された『八尋不二シナリオ集出版記念会参会者芳名録』がございます。
5月28日水曜日〜その311時より12時35分まで三度寝。『ビギン・ザ・ビギン−日本ショウビジネス楽屋口−』を読む。P217では、S29年5月の日劇「ソングス・フォア・ユウ」への出演者には、朝丘雪路さんの名前が有る。(写真)大阪府八尾市北本町に存在した、クラブヒロミの永田宏光夫人に頂いた、朝丘雪路さんの色紙。S40年代初頭、八尾市に初めて誕生したクラブでした。
5月28日水曜日〜その22時45分、アユーラメディテーションバスtを使っての入浴。水分補給は、千代の甘酒。3枚組DVD−BOX『地上最強の美女たち!チャーリーズエンジェルコンプリート2ndset1』〜第12話「転落!呪われたスタジオ」を鑑賞。残りおかずを食べて、4時15分に休す。6時25分、目が開く。ねじめびわ茶、アイリスの炭酸水、くらしモアのむヨーグルトプレーンで喉を潤す。『ビギン・ザ・ビギン−日本ショウビジネス楽屋口−』を読み、7時15分から10時20分まで二度寝。『ビギン・ザ
5月27日火曜日〜その6『ビギン・ザ・ビギン−日本ショウビジネス楽屋口−』を読む。P194に、S34年の日劇『三波春夫ショウ』の構成・演出を手掛けたのが放送作家塚田茂氏。此の公演で田中一朗というペンネームを使った事情が書いて有る。(写真)三波春夫師匠の色紙。
5月27日火曜日〜その5『ビギン・ザ・ビギン−日本ショウビジネス楽屋口−』を読む。P187では、S29年の日劇「印度珍道中」の裏話が面白い。ペギー葉山さんが出ておられる。(写真)コレクションのペギー葉山さんの宣材。10時半より13時まで三度寝。
5月27日火曜日〜その3かっぱえびせん期間限定フレンチサラダ味を摘みて『ビギン・ザ・ビギン−日本ショウビジネス楽屋口−』を読む。P174には、S30年3月の日劇公演「銀座三代」の出演者の中に、並木一路さんの名前が有る。(写真)菊水丸コレクションの並木一路さんの色紙。
5月20日火曜日〜その47時から8時55分まで二度寝。『ビギン・ザ・ビギン−日本のショウビジネス楽屋口−』を読む。P27、日劇の最後の舞台「シャンソン・ド・パリ」という景に、鹿島とも子さんが出演する経緯が書かれている。(写真)菊水丸コレクションの鹿島とも子さんのポートレート。9時半より10時25分まで三度寝。首のストレッチ。四股10回。ヘルスメーターが故障中の為に体重は不明。飲料は、大内山カルシウム元気牛乳、KAGOMEつつぶより野菜、フルーツジュースオレンジ100%。HDDに録画した
昭和43(1968)年5月の夕刊の下のほう。映画の広告こそないが、左から木馬座の日本武道館(ケロヨンetc)、明治座(東京ぼん太)、新橋演舞場(新派)、日劇(ウエスタン・カーニバル)、芸術座(雑喉場)と各種公演がズラリと並ぶ。日劇にて開催のウエスタン・カーニバルは大人気の(田辺昭知と)ザ・スパイダース、ザ・タイガース、ザ・テンプターズを揃えるだけでなく、フラワー・トラベリン・バンドの前身となる内田裕也とザ・フラワーズ、まだレコードデビュー前のフォー・リーブスまで出演。さらに
昭和43年12月17〜26日に日劇で行なわれた晴乃チック・タック(現・高松しげお)がメインの公演『爆笑カレンダーチックタックボーン!?ボーン!?』のチラシ。タックが口にする「いいじゃなぁーい」や「どったの?」といったフレーズが大ウケして人気絶頂だった頃のことだ。出演は他に、兄弟漫才コンビの桂高丸・菊丸、浅草オペラ歌手の田谷力三、バラクーダー(岡本圭司・ベートーベン鈴木)の前身であるコミックバンド「岡本八とダスターポット」、野球コミックが売り物の永田キングのチームなど。当時4歳の僕