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今日は、翻訳家のお友達に教えていただき、これまで日本未公開だった『完璧の帝国L'EmpiredelaperfectiondeJulienFaraut』を観に日仏学院まで行って参りました。わたしは飯田橋界隈はしょっちゅういくのですが、日仏学院に足を運ぶのは何年振り、、、、それこそ昔はわたしはそりゃもうよく行った場所でした。大学生の頃は、日仏学院とアテネフランセと、週のうち何日行っていたことか。それから留学して戻ってきてからもわたしにとってのオアシスでした。久しぶりの日仏
吉祥寺のスモッキング&刺繍教室cerisier(スリズィエ)ですスモッキング刺繍と刺繍資格講座を少人数でご指導しています作品はInstagramに多く投稿しています下のリンクからご覧ください趣味でフランス語、ラジオフランス語会話で数年間独習していましたが昨夏から学校に通い始めました平日午後の「最初からゆっくり学ぶ」コース老若男女いろんなかたがいて楽しい😃と言っても本当に若い方はいない時間帯で主婦やリタイヤされたかた、時間の自由のきく自由業のかたなど。一年で一冊目の
もうすぐ桜が咲きそう🌸十色社さんがリフォーム中で仕事もなかなか忙しく💦ソーイング出来てない今日この頃じいじ(旦那)のお付き合いで日仏学院のイベントに🇫🇷フランス語圏の国のお祭りアフリカのお料理が色々🍛そこで買ってしまったよー久々のアフリカプリント180センチあります、何作ろう😕
1987年から1990年にかけて、私は、日仏現代音楽作曲コンクール特別賞受賞(1985年)とその副賞としての個展開催(1986年)の縁を契機として、<PHONOSPHEREMUSICALECONCERTSERIES>を、東京日仏学院ホールを拠点として、主催していました。その最後の第4回演奏会(1990年)で初演となったのが、この<フォノ>シリーズの第6作です。#######PHONOⅥforFlutesolo#######フォノ第6番~フルート独奏の為
指導教授はもう全員死んでしまったが、あまり良い思い出はない。師に恵まれなかったのは、しかし、私に原因がある。自分と似たような波動の人を引き寄せる、というのがスピリチュアリズムの経験則だ。ただ、4月、初対面のとき、ひとこと、「どんなにミクロな研究をしていても、全体から見た時の位置を考えろ」というのは素晴らしかったと思う。しかし、修士課程2年間で、これだけだ。まあ、重い、貴重なひと言ではある。博士課程では別の教官になったが、3年間で、特に印象に残ることばも行動もなかった。一方、指導教官で
作曲の世界で、自作品の発表演奏会や、ある作曲家の作品の特集演奏会を、”個展”と称します。私の場合は、幸運にも、まだ駆け出しの27歳の時に、第1回個展を開催することができました。1985年に開催された<第3回日仏現代音楽作曲コンクール>で、特別賞を受賞して、その特典として個展の機会を持つことができたのでした。このコンクールは、東京日仏学院を会場として、フランス大使館文化部と連携して、同学院と藤田現代音楽資料センターの共催で行われていたものでした。プリミエ・プリ(第1位)にはフラ
こんにちは。この秋こそは東京・水道橋のアテネフランセまで遠出したい…いや、実際のところはさして遠くないし、なんならあの辺り◯年前には毎日通勤していたのですが。小学生の子どもがいて勤めもなく近所でいろいろな用事が済んでしまう主婦にとっては毎週通う場所としては精神的な距離があと一歩遠いぞと思いまして……これまでもう少し近場でフランス語講座を受けたり、オンライン講座を続けたりしてきたのですが、この秋こそは(くどい)またあのとことん安くて質が高く、多様なニーズに応えるために細分化されたスクール形
吉祥寺のスモッキング&刺繍教室cerisier(スリズィエ)ですスモッキング刺繍と刺繍資格講座を少人数でご指導しています作品はInstagramに多く投稿しています下のリンクからご覧くださいねファゴッティングレースを習いに行きました二日間のワークショップでこちらのお花モチーフを作るレッスンですこのワークショップはInstagramで見つけました。申し込みもInstagramのDM(ダイレクトメッセージ)からとなっていましたのでInstagramを見ていなかったら出会えない
東京日仏学院のイベント「音楽の日」(Fêtedelamusique)に行きました。フランスにあまり触れていないうちの子達に少しでも「フランス」を経験させたくて。暑いので夕方から行ったのですが演奏は多目的ホールで行われていたので涼しかったです。工事が終わってから初めて日仏学院に行きました。なんと言っていいのか…建物は素敵でした。写真は撮り忘れクレープを食べたかったのですが長蛇の列。少し待ってたら売り切れてしまいました。残念。カナルカフェでピザを食べて帰ろうと思ってた
今春、コロナをまたがり長く続いた改修工事が終わった東京日仏学院。コルビュジエの弟子・坂倉準三が作ったもとの建造物を残す・壊すなど噂を耳にしたものの結局補強工事などを中心に行い、残されることになりました。改修工事って何をやったのか外から見るだけではわからないけれど、かなり時間をかけていたことは確か。塗り直しで若返ったけれど、元のフォルムはそのままです。ちょっと前までパブリックアートの展示があったので、ポップな絵面になっています。入口には坂倉の塔TourSak
昨夜は「シャンタル・アケルマンをめぐって」@東京日仏学院エスパス・イマージュにて、『ジャンヌ・ディエルマンをめぐって』を鑑賞。満席。すごい。AutourdeJeanneDielman監督・撮影:サミー・フレイ編集:シャンタル・アケルマン出演:デルフィーヌ・セイリグ、シャンタル・アケルマン…1975年製作(編集は2004年とかいうテロップが最後に流れる)/フランス/78分『ジャンヌ・ディエルマンブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』(1975年)
フランス語の学び直しを初めてから一か月ほどになる。目標は高く、いずれ通訳を出来るくらいになりたい。しかし残された時間は非常に少ないので、とにかく手当たり次第に詰め込んでいる、というのが現状。本業のロシア語が忙しくなってくるとなかなかフランス語の勉強には時間が割けないので、今がチャンスとばかりに参考書類を積み上げてすべてを同時進行でやっているのですが...。
平日に🐕と待ち合わせしてランチに亀戸ホルモン神楽坂店(飯田橋/ホルモン)★★★☆☆3.52■予算(夜):¥4,000~¥4,999tabelog.comミックスホルモン塩とタレ👩美味しかった。色々な部位が食べれて1200円は安いと思うけど、ホルモンは夜に酒と一緒に食べた方が美味しい🐕同感。しかも、昨日も焼きまるで焼肉だったよね。👩いい店だけど、今日のチョイスは失敗だったかもその後、神楽坂を散歩👩このお屋敷何?警察もいるけど🐕最高裁長官の公邸だよ。👩なんでそんな
30年以上まったくやっていなかったフランス語ですが、再開したくなり、ある学校のクラス分け面接を受けてきました。自己評価より、2段階ほど上のクラスを薦められたので必死に予習しないと...(;^ω^)
会津藩松平容保のドキュメントをTV録画で見た話の流れでもうひとつ。1796年建立の六角形をした会津さざえ堂(旧正宗寺三匝堂・重要文化財)には不思議な二重螺旋階段があります。てっぺんまで上ったあとに、回れ右することなく、そのまま下り階段となり、(行きの上り階段の上下に組み合わせる格好で下り階段を作っているため、)上る人と下る人が鉢合わせをしない仕組みです。不思議な・・・といってもシャンボール城の階段の話は聞いていたし、日仏学院でこれと同じ仕組みの螺旋階段を経験済みなの
若く血気盛んな頃に通っていた日仏学院その本屋欧明社は昨年秋に閉店そして先月末に飯田橋にある本店が閉店今このニュースを知ってがっくりフランス語書籍専門の老舗書店75年の歴史に幕東京千代田区|NHKニュース【NHK】川端康成などの著名人も訪れた東京千代田区のフランス語書籍専門の老舗書店が新型コロナウイルスの影響などで2月28日、75…www3.nhk.or.jp
変わり果てた民主主義国家。強制と監視、取り締まり、脅迫、嫌がらせ、国民を苛めで羽交い締め。名前だけ同じ、もう全くの異質の新しい主義の国が誕生したと捉えるのが妥当。
今年最後のオンラインお茶会。一緒に学生旅行でヨーロッパに行った親友とおしゃべりしながら思い出したこと。そういえばあの旅行で、パリのコンシェルジュリーに行っていなかったら、私の人生はまるで違ったものになっていたなぁと。卒業以降、これまで私がたどった人生の多くはコンシェルジュリーに負っている、いやコンシェルジュリーで受けた意地悪に負っている気がします。コンシェルジュリーはパリなる牢獄で、マリー・アントワネットが断頭台に消えるまでの短期間投獄されたことでも知られます。忘れ
2021年11月25日ある人のブログを見ていたら、マイ・フェイバリット・シングスのユーチュブが貼られていたので懐かしくなって聞いているうちに、就職で東京に出て来たばかりのことを思い出しました。大学院で物性理論を専攻していて大学に残る予定になっていたのですが、ある事件がキッカケで研究生活とは別の霞が関の公務員の仕事を選んでしまいました。仕事の関係で外国語3か国語の文献が読めないといけなかったので、大学では英語とドイツ語を選択していたから、フランス語を学ぶために仕事が終わった後週3回、1回2時
今朝、5時起きで公園で太極拳してきました。もう真っ暗だしすごく寒かったです。着込んで行って正解、今日もお訪ねくださってありがとうございます😊旅好き好奇心旺盛英語通訳案内士のTinaです🍀昨日、パティシエ志望青年とのフランス語レッスンの話しましたが、実は10年以上前にも同じことがあったんですよね。それは、フランス料理修行中の青年でした。昔、mixiに書いたなぁと思い出し、当時の日記を探し出しました。⬇️今日、朝から若い男の
2019年のブログで紹介したとおり、フランスでも活躍中の建築家・藤本壮介氏が日仏学院東京(現・アンスティチュートフランセ東京)の新校舎設計者に決定。コロナ禍で工事状況が危惧されたものの、この夏に無事完成しました。以前東京国立近代美術館の「窓展」で、中庭に展示されていた「窓の家」(穴ぼこのような窓があちこちにある家)の設計者でもある藤本氏。さすがに日仏の建物は穴ぼこだらけではなかったけれど、不思議な空間を散策するようなめちゃくちゃお洒落な建物が誕生していました。この場所はもとも
沢山の中から見て頂いて、ありがとうございます😊昨日、ジャムの仕上がりを見るのは一瞬でも鍋底に線が出来たらと書きましたが直ぐに消えてしまうけど、鍋底がこのように見えたら完成です。が、いつまでも線にならないので火を止めました。最初からだと1時間位かな?⬇️⬇️夜に、詰める瓶を鍋で煮沸消毒してからジャム鍋に未練たらしく線を引いたら冷めて固くなったので線ができました。👏それを詰めたらビン4個分になりました。何故小さい瓶か?と言うと、夫がね