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『逆日本史・2』-樋口清之●札差は、なぜ幕府とともに滅ぶ運命にあったか✪長崎貿易は、また、日本経済に大きな影響を与えた。貿易自体は幕府の独占事業であり、輸入量もわずかだったが、長崎という窓が一ヵ所開いていたために、日本の貨幣経済は窒息状態におちいらず、たしかな安定成長の歩みを続け、鎖国が解かれると、世界情勢にただちに対応して大きく飛躍することができたのである。江戸時代のもっとも重要な相場は、米相場と、金・銀・胴の三相場だった。この米相場で非常に儲けたのが、札差(ふださし)などの米商人で
2024年--------------------------------------------その役目、果たしていますか。果たすために何ができるか、考えます。2023年--------------------------------------------旗本・・・大将の近くにあってこれを護衛する家臣団旗本なのに、遠くにいっちゃぁ、、、ダメダメ。愛蔵版戦国名将一日一言Amazon(アマゾン)2,826〜3,410円
牛姫の嫁入り【電子書籍】[大山淳子]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}表紙のまん丸お姫様。どんなお話かと思ったら、愛の溢れるお話でした。伝説の美女と噂の深窓の姫様。実はムシャムシャ食べることにだけ執着して恥ずかしくて外に出せない状態になっていただけのまん丸お姫様。噂話から嫁にもらうことを画策した旗本が雇った忍びが姫様の誘拐を画策しますが、まん丸お姫様は担いで連れ出すのは難しい…。そこでダイエット作戦!任務に忠実な忍びと、お姫様の不思議な交流
徳川史観の無謬性を暴く旗本八万騎の嘘映画や小説ではよく「旗本八万騎」と謂う。しかしそんなに沢山の旗本が居たなら幕府崩壊の幕末期、薩長にあんな無様な負け方はしなかったろう。豊臣秀吉の旗本というべき「馬廻り武者」といえども二千人弱だったことからも、この数は誇大化されたことが解る。なにしろ旗本も御家人も、官軍が江戸に迫ると荷物を纏めさっさと疎開する者が多かったぐらいで、勝海舟などは形勢不利となればさっさつ敵側に寝返っている要領のよさである。そして「三河以来の由緒ある家柄・・・・・」と冠句を
ブログ主です。当ブログへの訪問ありがとうございます。先週、自動車免許の更新に行って参りました。自分はゴールド免許の為、地元の警察署でOK!夜勤の週だった為、午後起きて地元警察署に!平日午後の雨の日だった為、免許更新者もチラホラ居る位で空いていました。五年ぶりの為、視力検査がどうか心配だったので免許の更新できる日から数日後に早速更新にお出かけ。視力検査に落ちたら速攻で眼鏡を造り直さねばと思い視力検査に挑む!結果はなんとか合格できました。視力検査を通過すれば、もう安心!
旗本?【物議】「なぜ女がこの部署にいる?」「君たちは旗本だ!俺を守れ!」福岡・宮若市の塩川秀敏市長に対する不信任決議案が提出!“ハラスメント市長”に議会が出した決断は?(読売テレビ)-Yahoo!ニュース福岡・宮若市の塩川秀敏市長(75)は、高校教諭や福岡県議会議員を経て2022年3月に市長に就任しましたが、2023年12月に実施された市の職員へのアンケート調査で約6割が「市長のハラスメントを見聞news.yahoo.co.jp50年前の味わい深い試合。イタリア対西ドイツ。
木挽町のあだ討ちAmazon(アマゾン)木挽町のあだ討ち[永井紗耶子]楽天市場【内容】amazon疑う隙なんぞありはしないあれは立派な仇討ちでしたよ語り草となった大事件、その真相は―直木三十五賞・山本周五郎賞受賞作【雑感】人生は一度きりやり直しはきかない自身、あの時、あの選択をしていなかったら、今頃どうなっていただろうと思ったことは
年末の速報で発信しましたが、12/28に「青春18きっぷ」を使用して静岡県までの「日帰り弾丸お城巡りツアー」を敢行しました。「青春18きっぷ」3回目↓訪城先は、長年登城したかった「勝間田城」(静岡県牧之原市)だけでしたが、JR「大阪駅」7時3分に出て、「米原」「大垣」「豊橋」「浜松」の各駅で乗り継ぎ約5時間かけて12時9分にJR「金谷駅」に到着、そこから静電シャトルバスに乗って目的地の最寄りバス停「中島」へ向かいました。「浜松駅」までこの車両(クロスシート)↓「浜松駅」から「
【今川氏真(いまがわうじざね)】天文七年~慶長十九年(1538-1615)今川義元の長男として生まれ幼名は龍王丸、通称は彦五郎。母は武田信虎の娘・定惠院、つまり信玄の実姉であり、信玄とは叔父甥の仲☝️官位は従四位下上総介、刑部大輔、治部大輔。永禄三年(1560)五月十九日、尾張に侵攻した駿府の太守・今川義元が桶狭間合戦で織田信長に討たれ第12代今川家当主となる。翌四年室町幕府相伴衆の格式に列す(相伴衆→元来は三管領家に継ぐ家格もこの時代は有名無実?😥)。永禄五年(1562)、松平
宇喜多氏、徳川氏に仕えた武将の花房職秀(後に職之)には囲碁にまつわる逸話が残されている。職秀は、天文18年(1549)に宇喜多氏の家臣.花房職勝(職治)の子として生まれ、若い頃に囲碁の対局でいかさまをした相手に激怒し、碁盤で相手を殴り殺し出奔したと言われている。宇喜多氏家臣・明石景行に仕えた職秀は、戦いの中で頭角を現し、宇喜多直家に気に入られ仕官。足軽大将として各地を転戦し、天正5年(1570)には美作国に荒神山城を築城。天正5年(1577)からは赤松氏、浦上氏と交戦し、天正7年(15
江戸時代というと、身分社会として、能力があっても立身出世が望めないというイメージがあります。無能な藩主に翻弄された下級武士のエピソードは、時代小説や時代劇の題材になると共に、実際に多くあったと思われますが、身分を超えて立身した人物も中には居ます。大名にまで登り詰めた人物としては、まずは大岡越前で有名な大岡忠相が居ます。こちらは暴れん坊将軍徳川吉宗によって突然立身出世をして大名になった人物に思われがちですが、祖父の祖父は三方ヶ原の戦い、長篠の戦いに
ふたたび、くまくま神社をの後・・・今回は、川越街道を歩き東武東上線と埼京線の跨線橋を渡るとに広がる「JR東日本東京総合車両センター池袋派出所」この日は、山手線・埼京線・相鉄線の車両が、ひと休みさて上池袋地区の住宅街路地突き当り石鳥居、子安稲荷神社さんの一ノ鳥居朱色のニの鳥居が正面の木立に、社殿が見えてきたその前、社殿左側境内社の猿田彦神社社殿前に手水鉢石灯篭の陰に狛犬さん子安稲荷神社は、豊島区上池袋にある稲荷神社創建年代は不詳で
『歴史ドラマの大ウソ』ー大野敏明●果たし合いは旗本のお屋敷拝借-①✪時代劇といえばチャンバラである。桃太郎侍も暴れん坊将軍も、正義の刃を振りかざし、悪い奴らをばったばったと斬り倒す。日本刀というのは柄と刀身を目釘で支えているので、2、3人も斬れば目釘ががたついて、刀身がぐらぐらになり、物を斬ることはできなくなる。明治時代に作られた「月下の陣」という歌にも「刀の目釘つづくまで(略)花々しくぞ戦わん」とあり、目釘が続かなくなれば戦えなくなると認めているのである。物を斬らなくとも目釘はぐらつく
↑↑↑クレイジーキャッツがラスベガスのメインストリートを封鎖して、日本のエンターテイメント史上、燦然と輝く、踊って歌った伝説のシーン。今なら、CGでしょ?で、簡単に片付けられてしまいますが、当時は大変なことでございました。1ドル380円くらい?もっと?クレイジーキャッツで唯一ご存命だった犬塚弘がお亡くなりになったそうで。有名だったのが、代々旗本のおうちで、新橋の駅から浜離宮のほうまで、ずっと犬塚家の土地だったっていうんだから、すごいことですわね。昔、セレブの従姉達と第一ホテルで
直木賞作家の海老沢泰久氏の原作のTVドラマ化作品。9月に一挙放送があったので、初めて見ました。出演は、水谷豊、岸部一徳、檀れい、脇を固める俳優さんたちも、杉本哲太、田山涼成、榎木孝明、橋爪淳、市毛良枝、佐藤B作、中山忍、橋本マナミ・・・毎回のゲストも清水ミチコ、小川菜摘、濱田マリ、六平直政、本田博太郎、武田真治、でんでん、松金よね子、石田ひかり、段田康則、あめくみちこ、高嶋政伸・・・らの豪華な布陣。職を辞して無用庵と名付けた自宅に暮らす旗本の日向半兵衛(水谷豊)
...定期的に🆙😅明日9月18日(9月第3月曜日)は【敬老の日】今年2023年現在100歳超えの大先輩の皆様は全国に9万人以上いらっしゃるとか😳。それも、なお現役でお仕事してる方が400人以上いらっしゃるとか😃今の現役世代におんぶにだっこばかりの人だけじゃないのよ。移動祝日🎌となる前は、9月15日と定められていた。これは聖徳太子(現在は厩戸皇子って言うのかな?)が身寄りの無い老人や病人のために、福祉施設『悲田院』を建てたのが9月15日だったという説がある。現代と違い、江戸時代は「
明知城の麓にある、明知遠山氏ゆかりの地「八王子神社」をめぐります。「山門」は、明知城の大手門を移築したものとされます。向唐門形式銅板葺。江戸時代前期に建てられた格式高い門です。明智城廃城後移築されています。写真では樹木に隠れて見づらいですが、明知遠山氏の家紋が載っています。平安時代の天歴3年(949)、当地の土産神として創建された千年を越える歴史をもつ神社です。八王子とは天照大神の八人の王子(男神5柱・女神3柱)のことで、その八王子を祀っています。鎌倉時代に明
「明知城跡」をめぐります。慶長8年(1603)9月、遠山利景は東濃平定の戦功により、恵那・土岐郡内で6531石を与えられ、旗本(交代寄合)となり明知城に入りますが、元和元年(1615)幕府より一国一城令が出され、2代遠山方景は城を取り壊し城下大手門近くに「明知陣屋」を構えました。明知遠山氏は領内と江戸の間を参勤交代する交代寄合の旗本となりましたが、延宝6年(1678)以降は江戸定府となります。以降陣屋は明治初年まで代官村上氏によって管理されます。村上氏の屋敷のほか、明知詰
こちらも、初めての作家さん水野備後守元網は出世の入り口である奏者番に取り立てられた一度は失態を犯すも松平伊豆守に助けられ、以後伊豆守に服従するようになる四代家綱の治世となった折も折由井正雪の乱が起こる乱を機に旗本に取り立てられた者たちの奏者番を担当することになった備後守は裏にある驚くべき陰謀に巻き込まれていくことしもきょうも、皆さまとともに”いい日”でありますようにcorinpapa
小里城跡を訪ねています。「大手門跡」を登れば…㊟余湖くんのHPより「御殿場跡」があります。ここは少なくとも16世紀後半には造成され、17世紀初頭には大型の基礎建物(旗本小里氏陣屋)が建てられ、17世紀前半には廃絶しています。ここで「小里氏」について触れておきます。「小里氏」は、土岐源氏の庶流で、『尊卑分脈』によれば、土岐太郎国衛(号:尾里国定)から始まったとされます。正中元年(1324)の「正中
3ヶ月に一度の歯科検診は飯田橋へ江戸時代には旗本屋敷があったそうですこちらが入り口に置かれています案内によると「この場所は江戸城郭内の牛込門内にあり富永権左衛門という旗本が幕末まで変わることなく拝領していました〜中略〜石碑に刻まれた『下乗』の文字は道教の神を意味する言葉…富永邸長屋門は山形県に移築〜』この石碑がここに残されたと記されています検診が終了し神楽坂方面へテクテク神楽坂下辺りは花水木が満開神楽坂を上が日光金谷ホテルのベーカリーを見て今日(4月12日)は「パンの
旗本・・・大将の近くにあってこれを護衛する家臣団旗本なのに、遠くにいっちゃぁ、、、ダメダメ。愛蔵版戦国名将一日一言Amazon(アマゾン)2,826〜3,410円
2023年の大河ドラマは「どうする家康」という事でタイトルにも惹かれて購入しました(笑)なかなか参考になる内容でしたよ!徳川家康の人間関係学――最後に勝ち残る男の選択Amazon(アマゾン)1,584円オススメ度…★★★★響いた内容…・人生訓「人の一生は、重い荷を担いで遠い道を行くようなものだ。急いではならない」・「水はよく船を浮かべ、またよく覆す」船を家康、水を部下にたとえれば、意味ははっきりしている。それだけ部下は信用できないということ。・経営体が活性化さるためには
辻堂魁さんの「五分の魂風の市兵衛」を読む。五分の魂風の市兵衛(祥伝社文庫)Amazon(アマゾン)677円「風の市兵衛」シリーズの第八作目。市兵衛、鬼シブ、返弥陀ノ介など、お馴染みの面々の醸し出す雰囲気は、それだけで、物語の安定感、安心感を抱かせる。どんなに強い相手にもきっと、屈することなく、最後には倒し、大団円を迎える。時代小説のシリーズは、ドキドキ、ハラハラはしても、結局は、完全なる悪者を叩き潰してくれる。辿り着く結末は、決して暗いもの
この時代、江戸の町には。幕府公認の遊郭は、吉原だけ。準公認が、五大街道の最初の宿場となる、品川(東海道)宿・内藤(甲州街道)新宿・板橋(中山道)宿・千住(奥州街道)宿(・日光)。(街道)実際は、非公認の遊郭「岡場所(おかばしょ)」が、八百八町に隈(くま)なくあるのだ。その数、五十数ヶ所。吉原は、概して揚げ代が高い。それに、ややこしい(・・・・・)。四宿は、近くても二里(8㎞)と遠い。そこで、岡場所は吉原以上に連日大繁盛。町奉行所
今日はクリスマス・イヴ。宗教には縁がないぼくにも、「クリスマスの絵が見え音が聞こえます」といったら、「宗教じゃない文化だ!」といわれそう。ごもっとも。さてここは、年末の「純日本」の話。受売りの話です。文政5年(1822年)というからピッタリ200年前の今日12月24日(もしかしたら昨日12/23だったかも、まあ1日くらい誤差範囲ということで)、コトは江戸の本郷湯島天神の境内で発生。「一番札千両」の富くじに、井上なにがしという貧乏旗本が当たった。今の宝くじのナン億円というやつだ
『歴史のなかの邂逅ー2』ー司馬遼太郎●ああ新選組ー②✪もっとも、新選組にも、大坂の町人あがりの者が二、三はいた。谷町あがりとか、高麗橋の鍼灸屋の息子などがそれだ。この連中は、柄にもなく武士になりたがった。当時、新選組に入れば、将来お旗本に取り立てられるという風説があった。入隊には厳密な武術の試験があったから、それをパスしている所を見ると、左官も鍼灸屋も一応は強かったのだろう。特に鍼灸屋は香月流の棒術に長じていた。名を山崎丞(すすむ)といい、新選組のたいていの修羅場には顔を出している。早く
佐吉が送った密偵の手柄で,ようやく薬売りの身柄を捕り止めた.「それにしても旦那,ありゃあちょっとやそっとでは捕物にはなりませんぜ」「わかっている,だからお前に頼んだのだよ」頭から爪先まで泥と垢にまみれた清蔵は,脇の裏を掻きながら手配の籠に身を静め,旗本屋敷のある西町へ帰って行った.
✨猿若町発祥180年/平成中村座十月大歌舞記念舞台から見た客席正面町がお大尽席長松との別れとても切なかったですね。湯殿での場面で終演拍手が鳴り止まなかったです。第二部も何とか観たいと思っています。