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今日の散歩おじさん地域は、朝から昼前までは全天が雲に覆われましたが、朝のテレビの気象情報のコーナーで「昼から晴れます」と言っていた通り、12時を回った頃から雲が薄くなり、薄日が差したと思ったらその後はどんどん青空が広がりました!そして次第に風が強くなったのも「予報通り」でした(^^;さて記事の方は「旧水戸街道歩き」の3回目です!前回の記事の最後に載せました国道6号線との交差点を過ぎ、さらに旧道を進むと「旧道歩き」に風情を添えてくれるような門構えのお宅がありました(^.^)こちらのお宅は「
昨年12月9日に、旧東海道の中でもかつての宿場風情を色濃く残すことで有名な関宿から、前回シリーズの伊勢参宮道の津宿までを結ぶ伊勢別街道を歩いた記事のその6です。当日歩いたコースは↓。歩いた距離は寄り道含めて20kmちょっとくらい。その5では、椋本宿で小さな道標を見つけたり、東日でお参りした後、ようかん休憩を取ったところまでをご紹介しました(↓再掲)。東日寺から先は街道幅も防火のために広くなり、恐らく旅籠などが並んでいた名残か、立派な家並みが並び始めます。格子が見事ですね
草津宿本陣田中九蔵家址滋賀県草津市草津2丁目8−25草津宿とは江戸時代、近江国栗太郡にあった東海道五十三次の52番目の宿場町。古くから東海道、中山道が通る交通の要衝として栄えた。当時、本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠は約78軒あった。中山道は「守山宿」、東海道は「石部宿」、次は「大津宿」がある。
中山道太田宿をめぐります。宿場の長さは6町14間(約680m)あり、天保14年(1843)の記録によれば、家数108軒(うち本陣1軒・脇本陣1軒・旅籠20軒)人口505人だっだそうです。江戸時代『中山道道中記』などにの載る有名な旅籠であった「小松屋(吉田家)」です。現在の建物は江戸末期の建築です。明治中期に2階部分が改造され、大正時代に店先が改造され、戦前ごろまでは煙草の元売り等を行っていたそうです。今はおやすみ処となっております。当時の町家建築の姿を良く留めて
2024.02.18雲助ひとり(高槻市亀屋旅館)•五街道雲助「勘定板」「明鳥」〜仲入り〜「鰍澤」なんという事でしょう友達との何気ない会話から白酒師匠のお師匠様雲助師匠の落語会に急遽参加させていただく事になりました嬉しすぎます恥ずかしながら落語界の事はあまり詳しくはないのですが雲助師匠が昨年人間国宝になられた事はバッチリ存じ上げております道中お花畑をあははーうふふーいうてスキップするような気分でおりました友のおかげだよありがとうしば
草津宿本陣滋賀県草津市草津1丁目2−8草津宿とは江戸時代、近江国栗太郡にあった東海道五十三次の52番目の宿場町。古くから東海道、中山道が通る交通の要衝として栄えた。当時、本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠は約78軒あった。中山道は「守山宿」、東海道は「石部宿」、次は「大津宿」がある。
栃木県の三斗小屋温泉「大黒屋」は、峰の茶屋駐車場から歩いて2時間かかります。峰の小屋までのダラダラ道を登りきれば、後は降りるだけ。歩いただけの価値は充分にあります。大黒屋は、明治2年に再建された建物で、歴史的建物でもあります。部屋は渋い旅籠の一室、となりの部屋とは襖一つの場所もありますが、それも旅情の一つ。食事は各部屋に運んで来てくれます。この辺も旅籠の雰囲気。電気の無いところなので、塩漬けが基本ですが、ご飯が美味しく、デザートが出たのには驚き。江戸時代の旅籠の
旅籠籠は竹+龍でそのままの象形の文字。竹で編んだ龍のように長い入れ物を表す「籠」(土竜から土を詰め込む入れ物の意も)元は旅路の馬の餌の入れ物を表す旅籠。馬から人の食事に変わり、その後旅で泊まる食事付の宿が江戸時代に定着。寒の戻りの2月も下旬、春旅に向け良い旅館やホテルを探し始める
関宿を歩いていると、一際目立つ建物。黄色い壁に、虫籠窓と千鳥破風が格式の高さを醸し出してますね。リーフレットで調べてみると、鶴屋脇本陣というらしく、関宿を代表する旅籠の1つだそうです。千鳥破風がカッコいいです。画像はネットでお借りしました。説明板もありました。脇本陣とは、本陣に準じた宿で、平素は一般庶民も泊まれたそうです。
2020年12月4日に小田原駅直結の「ミナカ小田原」内に開業した箱根湯本天成園の別館「天成園小田原駅別館」に宿泊してきました。こちらのホテルの動画での紹介は、こちら。-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be<楽天トラベルの紹介ページ>https://a.r10.to/hNKMru4.08<agoda(ゆっきーオススメのホテ
今日は、栃木県北部へ向かって走ります・・・・・。天気も良いので、サンルーフ全開!今の時季、空から降り注ぐ陽の光が、とても気持ち良いですね👍そして、着いたトコは、日光市にある「旅籠福田屋東照温泉」でございます!入湯料は、700円。それでは、いざ男湯へ!まずは、内湯です。源泉掛け流しの無色透明単純泉ですね。個性はありませんが、とても良く温まる温泉で、湯上り後も、かなりの時間、体のポカポカが持続します👍続いて、露天風
※2024年1月5日訪問※福島県福島市北町の【金沢屋跡】を訪れました▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼金沢屋は江戸時代、福島宿に有った旅籠で、幕末には新政府の奥羽鎮撫総督府下参謀の世良修蔵襲撃の場所となりました。世良修蔵は幕末の長州藩士、官軍の奥羽鎮撫総督府下参謀として会津藩討伐を強硬に主張したことから、会津の救済嘆願を反故にされた仙台藩士らの怒りを買っていました。福島城下の金沢屋に宿泊した世良が、当時新庄にいた下参謀・大山宛てに閏4月19日(6月9日)に記した密書に、「奥羽皆敵
関は古代から交通の要衝であり、古代三関のひとつ「鈴鹿関」が置かれていたところです。関の名もこの鈴鹿関に由来しています。江戸時代には、東海道53次の江戸から数えて47番目の宿場町として、参勤交代や伊勢参りの人々などでにぎわいました。(関宿イラスト案内図より)という関宿に行ってまいりました。10月の中旬です。さすが東海道の宿場見どころ満載で、ちょっと長くなっちゃいましたスタートは、西追分からではなく会津屋さんからになります。会津屋さんはお昼を食
中山道を西から東へ歩く旅11/25の碓氷峠越え前回の続きです『中山道を歩く軽井沢宿〜横川その5』中山道を西から東へ歩く旅碓氷峠の下り坂前回の続きです『中山道を歩く軽井沢宿〜横川その4』中山道を西から東へ歩く旅前回の続き『中山道を歩く軽井沢宿〜横川…ameblo.jp碓氷峠の下りが終わり、上野の国の最初の宿、坂本宿に入りますまっすぐな道路の坂本宿左側に京方の入り口、上木戸のモニュメントが見えます丸仁屋跡の石柱京から102里のところまで歩いてきました趣きのある建物かつ
09宿に庭を作って、木を植えたり、庭石や小物置いたり表の塀を建てようとしたあたりで…待てよ!この状態では、上から雪を降らせても地面まで届かない…で・植えたばかりの木を引っこ抜いて屋根や大きな木の「下になる部分/細く狭い部分」だけ先に雪を降らせます。ごく薄めにしたボンドを筆塗りし、ジオラマベースを縦にしたり/横にしたり傾けて、「細目スノーパウダー」を振り掛けます狙った所以外にまでパウダーが振り掛かるので、庭と塀まで終ったら、宿周辺全部に雪を降らせることにしました、旅籠の「大屋
名古屋で一泊して特急しなので中央線へ。特急の車窓からも一瞬だけ見える木曽谷の景勝地の寝覚の床。木曽福島駅で途中下車。ここの町はちゃんと歩いたことがなかったので。中仙道の宿場町の木曽福島。この通りも中仙道です。軒が張り出したこの造りも宿場町っぽいなあ。この橋を渡ると古い町並みエリア。こんな所に井戸。木曽福島の東側には標高2,000m超えの木曽駒ヶ岳があるのでいい水が湧いてそう。「上の段」と呼ばれるエリア。かつては中の段や下の段もあったのだろうか?良き小路なり。
今週末11/26(日)恵那&中津川栗きんとんツーリングのランチ☀️🍴席は、あと1名分になりました。10名分の席を仮確保していますが、仮押さえ可能期限の関係で、本日夕方17:00で一旦締め切らせて頂きます。ご了承のほど、何とぞ宜しくお願い申し上げますm(__)m💦https://ameblo.jp/bmx525type3/entry-12829396043.html『【企画告知】今週末11/26(日)恵那&中津川栗きんとんツーリング(^-^)/!』恵那&中津川栗きんとんツーリング
昨夜は「栃ノ木峠」越えの疲労感からか、ぐっすり休みました。朝食後宿の方に「この辺は食事をする所がない」からと「おにぎり」を持たせて頂きました。一寸した気遣ですが、嬉しかったです。さて、昨日終了地点から「少し遅め」の出発をして「今庄宿」を歩いて行きます。険しい「栃木峠」や「木ノ芽峠」越えを控え、休息をする昔からの宿場で、今でも当時の雰囲気を色濃く残し「重伝建地区」にも、指定されています。宿場の中心だった「問屋や本陣」等の跡地に標柱があり、判り易いです。今は「本陣・後藤家」は公園に
こちらも、初めての作家さん隅田川を望む旅籠<雪月花>には多くの客が訪れる両親の死であとを継いだ若女将・里緒のもてなしや料理で人気の出た雪月花を武蔵国府中の名主が訪れた金払いも良く上機嫌で宿を出たその名主が死体で見つかった・・・雪月花を訪れた南町奉行所定町廻り同心山川隼人とともに若女将の里緒が事件の真相を追う!料理と謎を堪能できる新シリーズ開幕わが家の菊芋にもお花が3m越え?2階のベランダから菊芋は、どうなって
6月18日日曜日〜奥さんリクエストで、グランフロント大阪へ〜慎吾ちゃんの個展最終日に訪問〜独特の世界観グッズも買って〜なんと同時期に阪急でジミーちゃんの個展もやってた〜けど、中には入らず〜で、打ち上げ〜旅籠さんへ〜乾杯ホタルイカ刺身イカ姿焼きししゃもあーでもないこーでもないと、色々感想言い合ってようさん飲みましたーほじゃまた
小田原城🏯甲冑姿?な気分江戸時代の旅籠❓かと思いきや…現代のコンビニ“LAWSON”でしたローソン🏪カッコいい
こんにちはしん★いちろーです。今日も病気の事関係なく、手ぬきテキトー投稿です。あまりに残暑厳しいので地元にある八木札の辻交流館で涼をとってきました。空調がなくても日本家屋は涼しいですね。ノスタルジックで幼少期の頃の夏を思いだしました。雰囲気が似てると思ったらここと伊勢本街道の「旧旅籠あぶらや」との関係も深いようでした。できることなら一泊してみたい。きっとエアコンなしでも行けるはず#八木札の辻交流館#伊勢本街道#旧旅籠あぶらや#日本の夏#ノスタルジック#日本
今となってはとてつもなく以前のことですが、昨年の11月12日(土)に、善光寺街道(北国街道)3度目の歩き旅で、前回ゴールの屋代から街道のゴールの善光寺までを歩いた様子をお送りします。当日の歩行ルートと街道遺構などのマップは↓。歩いた距離は、寄り道と長野駅⇔善光寺間の往復分も含めて22㎞くらいかなと思います。朝早い新幹線で上野→上田まで移動し、上田からはしなの鉄道で屋代駅まで移動します。屋代駅前は都心近くより冷え込んでいることもあって、さっそくミルクと糖分たっぷりのコーヒーでカロリー
東海道屈指の宿場、関宿。賑わう宿場には名旅籠あり。"関で泊まるなら鶴屋か玉屋か"と謳われた名旅籠を見学します。◆旅籠玉屋◆(亀山市指定有形文化財)*入館料¥300(まちなみ資料館・関の山車会館共通券¥500)この迫力の出で立ち。屋号に因んだ宝珠の玉の虫籠窓も存在感大。店の間幾多もの旅人を受け入れてきた店の間。壁に掛けられた伊勢講の札。伊勢講公式旅籠の証です。帳場耳を澄ませば…時を超えて賑わいが聞こえてきそう。客室
時代劇を見ますか?私、時代劇が好きなんです。そこで、役者が旅籠、厠、下手人、茶坊主、太鼓持ち、提灯持ちと言っていました。しかし、時代劇よりも釣りが好きです。調べてみると、旅籠とは、食事付きの宿屋。今で言う旅館、ホテルですかね。厠とは、川の上に設けた川屋の意とも、家の外側に設けた側屋の意ともいうそうです。今では、トイレ、手洗い、化粧室、便所、洗面所ですかね。下手人とは、自ら手を下して犯罪などをおかしたもの。茶坊主とは、茶坊主とは、将軍や大名の周囲で茶の湯の手配や給仕、
講演会が終わってから3人で、長崎街道の内野宿へ。久しぶりです。てか、今日は暑い😵😵😵福岡探検倶楽部の隊員は、タフです。内野宿は、かなり当時の建物が残る街道です。昔の内野宿素晴らしい👍窓上の意匠が素敵💓シーボルトも休息した旅籠。JR筑前内野駅1日9本の電車が来ます。近日、YouTubeにアップ⤴️します。
群馬県の薬師温泉「旅籠」は、温泉と言うよりも、テーマパークと言うべきでしょう。外国人だけでなく、日本人にとってもめずらしい、驚きの世界です。そのテーマパークで宿泊ができます。もちろん日帰り温泉も出来、広い立派な茅葺屋根のお休み処で一日くつろげるし、一風呂だけではもったいない見るべき展示品もあります。温泉は滝のそばの露天風呂と別棟に薬湯があり、どちらも温泉ですが、当日、薬湯が清掃中のため、露天風呂のみの入浴でした。温泉は、やや褐色気味のほんのり塩味の、軟らかい温泉です。詳
「まんぷく旅籠朝日屋ぱりとろ秋の包み揚げ」を読む。まんぷく旅籠朝日屋ぱりとろ秋の包み揚げ(中公文庫)Amazon(アマゾン)732円最近とみに、料理系の時代小説が増殖中。多くは、料理と共に、人情噺込みなのだが。家も失い、天涯孤独となった主人公のちはるが、元火盗改めの同心、怜治(現在、旅籠・朝日屋の主)に拾われ、料理人として成長していく(きっと)物語。ちはるは元料理屋の娘で、両親と共に幸せに暮らしていた。だが、雇人に騙され、店を乗っ取られ、両親
中山道は阿木川(大井川)を渡って中山道「大井宿」に入ります。㊟大井橋上から上流を見たところです。この川にかかる橋が「大井橋」です。写真↓は振り返って見たところです。江戸時代の天保年間以前は、川の中央に切り石の島を置き、大橋と小橋で渡っていたという。昭和59年の架け替え時には、橋の欄干壁に「木曽街道69次」の浮世絵版画転写陶板がはめ込まれ、親柱には西行法師の五輪塔をかたどるなど、中山道のイメージを生かした設計がなされています。そんなことから
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