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前回「旅するチーバくん」ショップで購入したネット限定のマルーン色のマフラーがめちゃくちゃ気に入ってヘビロテしまくりでして。『わ〜い♪届いた♪届いた〜♪』ネット限定販売のチーバくんあたたかマフラー〜♪千葉県民が愛してやまない公式キャラクターのチーバくんのさりげないワッペン付き!12月1日発売開始で私がポチっとし…ameblo.jpこれは今年一年でヨレっとなってしまうのでは?と心配していたところに、なんと期間限定20%OFFのお知らせ!しかも大好きなチーバくんのクリアファイルプレゼント付き!
ネット限定販売のチーバくんあたたかマフラー〜♪千葉県民が愛してやまない公式キャラクターのチーバくんのさりげないワッペン付き!12月1日発売開始で私がポチっとした2日には、このお色はもう残り1個でした。(^^;買えて良かったわ♪このお色ホントに良い〜❤︎明日からも引き続き寒いようなので、さっそく使いたいと思います!\(^^)/
旅のチカラ×プロジェクトのなぎです暑い!洗濯物があっという間に乾き(ありがたいけど)喉が渇く~~~なんでも10月に入ってもこの高温傾向は続くらしい↓10月も高温傾向台風の動向に注意(ウェザーニュース)-Yahoo!ニュースしまいかけた夏服が今だ活躍~~まだサンダルもいけたかも??長袖はとてもじゃないけど暑くて着てられずこの時も日差しが強くて汗びっしょりで着替えたからね
旅のチカラ×プロジェクトのなぎですそろそろ今年もやってきました!Tシャツの季節先月で無事に1周年を迎えたくさんの方に購入いただき本当に感謝です1年間、モノを売るという初めての体験自分なりにもっとああすれば良かったこうすれば良かったと失敗も含めて学ばせていただきましたで、今後の商品づくりの参考に今回Tシャツのモニターさんを募集致します※おかげさまで定員に達しましたショップの概要欄に
ホームページ┃ネットショップ┃インスタグラムcaferin手づくり絵本展(後半)2月17日〜28日(22、23日定休日)よみうりカルチャー荻窪梵字作品展2月22日〜3月8日MeemeeCafe手描きマスクイベント3月20日猫の日記念手描きねこマスクプレゼント2月24日までねこのび屋ネットショップこんばんは。暮らしの中にアートを描き込むペン1本ねこアーティスト、池田美佳です。なぎさんこと草彅美名子さんから素敵便が届きました♪千葉の可愛いマスコットキャラ、チーバ
旅のチカラ×プロジェクトのなぎです私が旅のチカラ×プロジェクトというお気に入りの屋号をつけたのはかれこれ7年前の2013年※ロゴは娘に作ってもらったのだ付けたというか初めて参加したブランディングスクールで講師の方と一緒に考えた屋号と言ってもこの頃は開業届も出していないから勝手に屋号だったけどただこの屋号って名前の検索が難しい誰かに紹介するときに「旅のチカラ×プロジェクトで検索してください」そう言っても
旅のチカラ×プロジェクトのなぎですなんとなく5/1がキリがいいかな~と思ってお知らせです昨日の記事に書きましたが何となくやりたいなぁって願ってたことが8か月経ってカタチになりました自分が「モノを売る」立場に立つとは8か月前は思っていませんでした思い起こしてみると4年前に事務職から初めて販売業に転職し人間関係や環境にも恵まれてモノを売る楽しさが少しずつ芽生えてきたのだと思いますマスコットキャラクターにももともとは興
どーもどーも。6月24日(月)黒瀧寺を打ち終わりまして今度は東へ進みます。太龍寺ロープウェイ乗り場の前を走る195号をてくてくてく。「わしょく」じゃないですよ。「わじき」です。「鷲敷(わじき)」という表記も見られますが、元々「和食」という自然発生した地名、町村があり1889年に町村制の施行により他の町村と合併し「鷲敷村」になりました。その後1908年に「鷲敷町」になり、2005年にさらに周辺の町村と合併し現在は「那賀町」の一部となりました。しばらく歩いて道の駅わじきで休憩。グミ
どーもどーも。というわけで二十一番太龍寺の奥の院『黒瀧寺』を打ち戻ってくるのに4日かかりました。国道は普段人が歩くようなところではないので車との接触はヒヤヒヤしながら歩いてました。私を見かけたドライバーさんたちも驚いていたと思います。そんな道中に見かけたものあれこれをまとめてアップしていきます。『百姓一揆(ひゃくしょういっき)の供養塔』一揆とはお上(かみ)に対する反乱です。今でいえば過激なデモのようなものですが、今と違うのは「命懸け」だったということです。もしかしたら解ってくれる
【2018年9月5日】に、千葉県の実家から沖縄を目指して出発したのだった。初日で膝裏がぶっ壊れたのだった。たくさんの友人に会いながら、応援されながら、面白がられながら進んだのだった。ホントにいろいろあったなぁ。でも、ツラかった記憶はないんだよね。きっと、楽しいことが多くて忘れちゃうんだな。Mr.Children(ミスターチルドレン)の『くるみ』という歌の中に「希望の数だけ失望は増えるそれでも明日に胸は震える」「出会いの数だけ別れは増えるそれでも希望に胸は震える」という一節があ
どーもどーも。6月20日(木)太龍寺を打ち終えたあと、通常では次の二十二番札所の平等寺に向かって東へ山を下りていくところをほぼ真南に下りてロープウェイ乗り場の近くまで行きました。目的は太龍寺の奥の院『黒瀧寺』へ行くためです。太龍寺の奥の院は南舎心ヶ嶽だけではありません。また「ここが奥の院かどうか」意見が別れることもない明確な奥の院です。一つ問題があるのは、ここが長距離の打戻りだということです。車のマークがあるところがロープウェイ乗り場の麓なのですが、国道をひたすら西に進み最後は約6
どーもどーも。6月18日(火)今日は慈眼寺打戻りの疲れによりお休みします。次の二十番鶴林寺と二十一番太龍寺は2つの山越えであるため体力が必要なのも理由です。が、その山の手前に鶴林寺の前札所があるのでそちらをお参りしてみましょう。道の駅から鶴林寺へは案内の目印がたくさんあります。方向としてまずはそれに従って進みます。すると『東林庵』なるものが現れました。これは前札所ではありません。読めん『東林庵○○薬師如来』とありますが○○の部分が読めません(-_-;)ここもお大師様と関
どーもどーも。6月17日(月)昨晩、道路端で寝る準備をしていたら一台の車が停まり女性が降りてきました。そして買い物袋の中からパンと飲み物をくれました。ありがとうございます(*^^*)今日はこの少し先にある『坂本大師堂』からお参りです。ある雪の降る夜、お大師様が岩影で通夜を試みるも寒さに耐え兼ね、地元の一人の老婆に宿を頼み込む。老婆は火を焚(た)くために機織り(はたおり)を壊してまで薪(まき)にしてお大師様に暖を取らせてくれた。感激したお大師様は老婆に望みを聞くと「この土地は水が少
どーもどーも。6月16日(日)昨日は嵐のような一日だったため道の駅に滞在。一夜開けて快晴の空模様。その暇だった昨日にいろいろ星の岩屋を調べていたところ、なんと大師堂の裏手に「さらに上」へ行く道があることが判明。その先には驚くべきものが鎮座していた。これは地元の案内板にはどこにも記されていない。星の岩屋と道が繋がっているとはいえ霊場とは関係ないものだからなのか。とにかく他の方のブログで見た「それ」を自分の目でも見たく、また仏陀石に関してももう一度ちゃんと見たいと思っていたので好都合
45日目の後半です。星の岩屋から仏陀石へ向かう遍路道に、中津峰(なかつみね)山頂への分岐があります。山頂まで2.1km。山頂を越えた先に番外霊場の如意輪寺(にょいりんじ)があり、地図では往復4時間と書いてあります。現在時刻は12時を回ったところ。お寺を見て回るのに1時間としてこの分岐まで戻ってくるのに5時間。さらに麓まで下りるのに1時間かかるとして合計6時間。日が沈みきる前には目的の道の駅までたどり着けそうです。当初の予定では今日はこのまま仏陀石だけを見て山を下り、翌日に再度山を
6月14日(金)曇り空のスタートです。お遍路地図を見返すと、昨日『沼江(ぬえ)大師』を通りすぎていたことに気づきました。お遍路地図の解説編には掲載されていないのですが、地図には名前があり通り道なので寄ろうとは思っていました。幸いにもコンビニからそう離れていないので朝イチで戻ります。国道には面していません。児童施設のような敷地の奥に『胎蔵寺』の看板が見えますが、沼江大師は胎蔵寺の中にあります。それなら地図に『胎蔵寺(沼江大師)』とか書いてほしいですね。『玉瀧山瑠璃院胎蔵寺』山
6月13日(木)昨日は1日お休み。夜は大通りから少し奥にある川沿いの東屋で就寝。住宅に囲まれているわけではないので人通りもなく車も通らない。ベンチは幅も長さも十分で屋根が日除けにもなってくれる。快適すぎて10時間寝ました。Googleマップを見るとすぐ近くに高評価のラーメン屋さんを発見したので行ってみる。少し不安になる外観中華そば『木具屋』招き猫が出てると営業中の印肉入りでも安いいろいろ自由暖簾をくぐるなり「大盛りにしときますね!」と大将。わかってらっしゃる。肉入りで
6月11日(火)昨夜コンビニの前でおにいさんからコーヒーのお接待いただきました(-人-*)本日は曇り。でも雨降りそうです。コンビニから恩山寺はすぐ近くです。廃線の名残でしょうか。敷地主の趣味?寺の入口となる道にある民宿『ちば』。名前に親近感を覚えます。民家の脇に旧遍路道があります。右側は山ですがそちらにも道があります。丁石があり「四丁」とあります。昔は山を越えてこちらの道に出てきたのですね。旧遍路道は草が繁っていますが歩けないほどではありません。ぼろぼろの山門前に出ます。
ひっっっさしぶりのブログを更新です!これを書いている現在(19年7月8日)は金欠のため神奈川県まで戻りバイトをしています。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄6月10日(月)41日目前回は十七番の井戸寺まで打ってその後は一週間ほど徳島駅周辺に滞在。次の進路を意識して微妙に南下しつつ再スタート。まずは特大の徳島ラーメンで腹ごしらえ。今日は番外霊場の『お杖の水』を目指して歩きます。その途中、脇道に気になるお寺を見つけたので寄ってみます。『藤樹寺』「ふじきでら」?小さめ
『タタリ谷常厳寺』名前からしてヤバい。眉山の北側の麓はこんな道です墓だらけ上記2枚の写真の間に寺の入口はありますこんなに墓が雑然と敷き詰められている場所は見たことない。林の奥を見渡せばもっとある。ほとんどは欠けたり倒れていたり苔むしている。一言で「異様」だ。スタジオジブリ作品『天空の城ラピュタ』のロボット兵の墓みたいな雰囲気。寺の名前がわかるものが一切ない。山門もお堂も庵もない。縁起が書かれた看板もないから由来もわからない。ネットで調べてわかることも少ないが
どーもどーも。6月3日(月)34日目です。昨日は一日お休みしました。オフの日用の白Tシャツと海パン5月27日からコインランドリーに出会えずとうとう着替えが無くなってしまったのですが、おととい打ち終えた十六番周辺は久しぶりに賑やかな街だったのでコインランドリーを探してまとめて洗濯できました。今日は気持ちよく出発できます。十七番『瑠璃山真福院井戸寺』(るりざんしんぷくいんいどじ)大師様は杖だけで一晩で井戸を掘ります。雀大師ここから進路は徳島駅に向かいます。出発から1ヶ
どーもどーも。6月に入りました。6月1日(土)32日目です。今日は一旦戻ります。昨日建治寺を打ち終えて山を下りるときに遍路道を通らずにコンビニへの近道を進んだのですが、大事なお寺を見過ごしていました。それは『元』建治寺です。『瑠璃山常光院観正寺』(るりさんじょうこういんかんしょうじ)蔵王大権現小さな集落の中の小さなお寺ですが、その沿革略記にははっきりと書かれています。「蜂須賀家政(はちすかいえまさ)が建治寺を眉山に移し、その跡地に観正寺を建てた」これは建治寺の縁
どーもどーも。5月31日(金)31日目です。昨晩は旅館、の前の農協の敷地で寝させてもらいました。身支度をしていると一台の車が止まって中からおかあさんが声をかけてきた。「お遍路してるの?朝ごはん食べた?」私がまだだと言うと「ちょっと待ててね!」と言って車は来た道を戻っていった。しばらくしたらおかあさんが戻ってきて食料が詰まった袋を渡してくれた。これから出掛ける途中だったろうに、私を見かけてわざわざ家に戻りお接待をしてくれた。すんげー嬉しいっす!ありがとうございますm(__)
ではでは、前回のつづきです。山遊びを終えて川沿いを北上します。ルートのイメージとしては、焼山寺を打ち終えて山の中腹にある集落から東に進むところを、私は南に下って神山地区の番外霊場をお参りしました。なのでまた山に向かって北上するというわけです。火事などのときに緊急事態をしらせる半鐘(はんしょう)。まだ残っているんです実はわざわざ北上して山に入らなくても道はあるのですが、どうしても行きたいわけがあるのです。ですよね♡4つも社寺が密集してるなんて素敵やん。道路には新しい道しるべが。
どーもどーも。5月30日(木)30日目です。昨夜Googleマップを眺めていたらこんなものが。(*゚∀゚)ワクワクこんな道も示されぬ山奥に、これまた写真もクチコミもなく名前からも何も想像できない『かさぼとけ』とな!?そしてさいとう大好物の『行場』!『剣神社行場』なのに付近に『剣神社』は表示されない。こりゃあ探検だろ!!さらに麓の集落にはこんなお寺が。ここらに行けば地元の人に話を聞けるかもしれない。とりあえずここに行ってみよう。のどかな集落の奥にお寺、というか庵があった
28日の朝、柳水庵で身支度をしていると一人の外国人さんがやってきた。「おはようございます」と挨拶をすると相手も「おはようございます!」と返してくれた。その後、浄蓮庵で休憩していると後から追い付いてきた。雨宿りしながら話をした。彼の名前はジョナサンさん。アメリカ人で宗教学者、今はサウジアラビアの大学で教鞭を取る大学教授だ。昔に日本に住んでいたお陰で日本語は堪能だ。ジョークを交えながらよく喋る。彼は30年前にお遍路を経験したらしい。私が「古いお寺や山の中の景色が好きです」と言うと彼
どーもどーも。朝ですね。5月29日(水)29日目入山してから2日しても下山できず、昨晩は『杖杉庵(じょうしんあん)』で寝させていただきました。立派な杉昨夜も雨が降ったので大助かりここは「民間人お遍路の始まり」といわれる《衛門三郎(えもんさぶろう)伝説》の地であります。左が衛門三郎さん、右がお大師様「右」はいらないはず…その伝説がこちら。大雑把に説明しますと、愛媛の豪族の衛門三郎(お金持ちだが性悪)→ある日ぼろぼろの僧のしつこい「ご飯ください」にキレて僧の鉄鉢を地面に
5月28日(火)28日目朝から雨である。柳水庵(りゅうすいあん)の軒下で寝ていて良かった。しばらく動き出す気が起きなかったがもぞもぞと準備をして出発。その時に一人の外国人のお遍路さんがやってきた。「おはようございます」と挨拶すると流暢(りゅうちょう)に「おはようございます」と返してくれた。柳水庵の次に現れるのが浄蓮庵(じょうれんあん)である。雨で体が重いぜここは別名、一本杉庵。見上げるほどの立派な巨木と、これまた大きなだいし像が迎えてくれる。追い付いた外国人のお遍路さん。
どーもどーも。5月27日(月)前回十一番『藤井寺』を打ったのが14日、別格二番『童学寺』を打ったのが18日。久しぶりの歩き再開です!準備万端!今日は藤井寺の境内から山道に入り十二番『焼山寺(しょうざんじ)』を目指します。時刻は12時。洗濯などをして遅めのスタートだが17時までには着けるだろう。焼山寺は普通にお遍路を廻った場合の最初の難関です。山を上ったり下りたりを繰り返し、その内は急な坂もいくつもあります。このような場所は『遍路ころがし』と呼ばれ恐れられています。古来からの