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3月3日、ひな祭りの日朝霞駐屯地に駐屯する第1師団の施設科部隊である第1施設大隊の記念行事が行われました0833広報センター前には大勢の列が出来上がっていました事前予約での申し込みですが、期間内に申し込めば誰でも入ることができたのだと思いますちなみに昨年は抽選で見事に当選しました0900開門りっくんランドの展示スペースを横切って駐屯地内への入場になりますここからは予約者限定エリア手荷物検査は女性専用があり、断然早いです男共は手荷物の中身をよ~く見られてやっと
前回の続き。ぬかるみで、行動不能になってしまったトレーラーを避けながら、観閲行動は行われ最後の車両が通過。そして、空にはUH-1ヘリコプター。ヘリコプターの登場はこれだけでした。ぬかるみで、行動不能になってしまったトレーラーは自力で脱出。当たり前といえば当たり前。ぬかるみ程度で行動不能になってしまっては、国や国民を守れません。動けなくなったしまっても、重レッカーもありますから心配はいらない。観閲行進の後は戦闘訓練展示ですが、どこの駐屯地でも例年とは異なります。見せる訓練展示から
職種訓練の履修前後期は同じく第317施設中隊が担当しました。助教もほぼ同じ。しかし前期のような理不尽な命令も指導も一切なし。かなりフレンドリーになっていて少々不気味ではありました(笑)。専門職種である施設の復習のようなものでした。期間も2週間くらいしかなかったのかな?こうして問題なく履修前は終わったので三軒屋駐屯地に帰隊しました。教育期間が8月の盆休みに被っていて教育中という事もあり休みは4日しかありませんでした。それが当時は嫌だったかなぁ・・・。そして第
数週間後・・・・今回部隊から2次試験に進んだのは4人。僕を含む同期が3人と2歳上の先輩が1人。1人ずつ呼ばれたと思う・・・たぶん。結果は不合格(>_<)先輩と1歳上の同期が合格しました。やりきったせいか、悔しさはありませんでした。むしろこれで2任期(4年)で退職だなって思いましたね。ただ・・・あの分隊教練だけがどこか引っかかってたんです。あの分隊員の行動が・・・・そしてもう1度だけ真面目に試験を受ける事にしました。次の試験は半年後で
後日、1次試験の結果が発表されました。紙に張り出される訳でもなく個別に呼ばれて合否を聞きました。結果、合格~♪2次試験に臨む事になりますが元々2任期(4年)で辞めようと思っていたので複雑でしたがこの時1次試験に合格したのは4人。同期が僕を入れて3人、3歳年上の先輩が1人でしたので4人とも合格する事はないだろうと思い辞退することなく臨む事に。試験内容は身体検査、体力検定、分隊教練(指揮)、そして面接です。身体検査と体力検定に関しては特に問題なかったです
晴れて大型免許と大型特殊免許を取りました。部隊に戻ると車付の変更があり大型車である3トン半ダンプの車付からドーザの車付に変更がありました。車付とはその車両の責任だと思ってもらえればいいと思います。ドーザはタイヤではなく履帯なので不整地しか走れません。まずは駐屯地内や日本原演習場の部内工事で腕を磨き、そして部外工事。岡山県邑久郡邑久町(当時)のグランド造成工事ではほぼ毎日乗らされましたねぇ。まだペーペーの陸士長なんで覚える事一杯です。ドーザ作業中は
第4施設団(以下4団)隷下の第324地区施設隊ですが4団では12月中旬に戦技競技会というものがありました。今もあると思います。戦技とは戦闘中に必要な技量を維持向上させるためにするもので3つあります。まず射撃です。2つ目は銃剣道。3つ目が武装走です。この写真は最近のものです。僕の時代は銃なし弾納なし、鉄棒なし(ライナー(ヘルメットの事)は被る)で最近と比べると軽装でしたね。1士の時からこの3つのうちどれかに入らないといけません。同期
施設手という職名ですがやはり大型、大型特殊免許がないので何も器材乗れませんのでショベル、ツルハシ等で法面の仕上げ(ほぼ油圧ショベルがやっているんですが)とかあとは細々とした雑作業ですかねぇ~。そんなだから記憶にないんですよねぇ。あるのは現場から宿舎まで走って帰った事かなぁ~。僕ら新隊員は戦技競技会の射撃、銃剣道、武装走の3つのうち、どれかに入って練成しなくてはいけなく(12月に京都大久保駐屯地で大会がある)僕は新隊員の中で1番駆け足が早くて自然と武装走に入れられ
部外工事編を始める前に大型免許を取った時のO教官ですが教官が亡くなるまで年賀状のやり取りをやってました。30年以上かな。それだけ良い教官でした。さて・・・部外工事に初めて参加したのは1等陸士の時でした。確か9月から11月までだったと思います。場所は兵庫県城崎郡香住町でした。その前に部外工事とは・・・ですが自衛隊法にも記載されている自衛隊が行う業務の1つで訓練目的に適合する土木工事を行うとあります。嫌な言い方をすれば財政がない地方自治体が本来、民間業
今回は免許について書こうと思います。昭和60年1月1日に2等陸士から1等陸士に昇任(自動的)にしました。1士になったら前にも書きましたが年に1回、特別外出(特外)が取れました。2月の建国記念日あたりで取った記憶がありますね。それ1回でした。そして昭和61年1月1日に陸士長(士長)に昇任(自動的)し、1月の早い時期に自動車教習所(自教)に入所しました。その前の年に自教に行けと言われてたんですね。思えば自衛隊に入ったらすぐ免許が取れると自衛隊地方連絡部のオッサ
訓練について書こうと思います。施設科には部隊によって持っている装備等が違うんですね。こっちの部隊には〇〇はあるのにあっちの部隊は持ってないとか普通でした。例えばですが後期教育隊があった善通寺の第8施設群はボーク橋というアメリカ軍払下げの器材はありますが地区施設隊には無いといった感じです。地区施設隊が主に持っていた装備ですがドーザや油圧ショベルなどの重機、訓練用地雷や木橋(もっきょう)等々。(個人装備火器等はどの部隊にもあるので省略)そして部隊
これを読んで下さる数少ない皆さんはワクチン、打ったでしょうか?僕は昨日ようやく1回目を打ちました。夕方から打った部分が筋肉痛になってますがもう少ししたら治るでしょう♪さて、本題に戻ります。一般部隊である第324地区施設隊ですが僕ら5人が配属された際、半分がいなかったんですね。理由は部外工事。部外工事とは自治体から委託を受けてグランド等を作る民生工事の事をいいます。昔は部外工事が多かったんですね。ハッキリいうとお金に余裕のない自治体
施設科職種記章部隊配属してから先任がこの部隊がどういう部隊かを説明してくれました。京都府宇治市にある第4施設団隷下部隊である事、本部、作業班、整備班から成っている部隊である事等。本部は人事、保全、訓練、補給からなりデスクワークが主な仕事になります。英語で書くとHQ、ヘッドクォーターと言い要するに頭脳です。作業班は部隊の主なる任務をこなす実働部隊ですね。重機はもちろんですが後期教育隊でやった事も当然やる事になります。整備班は器材等の整備が主なる任
総合訓練も終わり、いよいよ部隊配属が迫ってきました。3ヶ月の後期教育も過ぎてしまえば短いものでした。この教育期間中に配属先の先任(隊付准尉)が面接に来てくれました。部隊に配属されるのは僕と前期教育から一緒のT田、後期から一緒の香川県坂出市出身のK松、2つ年上の岡山市出身のY西、岡山県玉野市出身のK崎、そして職種が違うのでここにいない広島市出身のK政の6人だという事でした。K政は衛生職種で衛生を隊に配属させるのは初めてだという事でした。9月上旬、修了式
やっぱり地雷訓練を書いてなかったんでさらっと書いておきます。僕が訓練を受けている時は対人地雷と対戦車地雷の2種類がありました。対人地雷は2種類ありました。63式と80式だったかな。戦車地雷は1種類。72式だったか。63式は殺傷能力は50%だったと記憶しています。つまり2人に1人が死亡するという事です。これは突起を踏むと足を離すと地雷が飛び上がり空中で爆発するというものです。しかもわな線を張って突起を踏まなくてもわな線に脚が掛かるだけで起爆するという
訓練も佳境、いよいよ総合訓練に入ります。とはいえ、前期のように戦闘訓練がある訳ではありません。今までやってきた結び綱を使った十字結び、爆破訓練、漕舟訓練、軽門橋訓練、重材料運搬、土工訓練、植工訓練、地雷訓練等を1つずつやっていくのです。十字結びは時間制限があります。軽門橋もあります。(地雷訓練については書いてませんかね?)今回はメインの十字結びについて書きます。十字結びは2人ペアでやります。まずは足場を作ります。最初から立っている直柱があるん
後期教育も半ばを過ぎ8月に入りました。あと1ヶ月で後期教育も終わりです。自衛隊も盆休暇があります。夏季休暇というんですがこれが4日間ありました。僕の実家は福山市なので当時福山~多度津フェリーがありましたのでこれに乗って帰りました。行き返りで2日なんで実質、2日間だけゆっくり出来るかなと思ってたらうちの家族が四国へ旅行を計画していて3日目から香川県に逆戻り。あんまり覚えてないけど高松市辺りを観光したと思います。栗林公園だけは何故か覚えています。何処に泊まった
7月、後期教育隊がある善通寺市では善通寺まつりというのがあります。後期に来た時は全く聞かされてなかったんですが後から教育隊は強制参加だと・・・踊りに参加するので練習が課業後や16時過ぎからありました。なんでも毎年施設の後期教育隊や同じ駐屯地内の普通科教育隊などが参加してるそうです。祭りの約1ヶ月前から少しずつ練習していったかなぁ・・・夏の暑い時期だったので汗が!振り付けを覚えたら法被を着て練習したっけ。そして本番当日。あんまり覚えてないけど土日だったか
前期教育に引き続き行軍はあります。8月の夏季休暇前だったと思います、たぶん。今回は昼まではなく夜間歩きます。装備はいつもの背のう20kg、銃、銃剣と思いきや、銃は無しになったんですね。これ、あんまり覚えてないんですが日本に誰か要人が来たからじゃあなかったかなぁ・・・。坂出市の国分台演習場という場所から善通寺駐屯地までの約25キロです。国分台演習場は山の上にありますからはまず下りになります。近くには崇徳天皇陵があります。道路は狭くグネグ
軽門橋訓練について。軽門橋は前述の渡河ボートとアルミ導板を組み合わせて車両を乗せ、橋が無い河川等の対岸へ渡す事を目的として作られました。通常、渡河ボート3舟、アルミ導板4を使用します。3舟4導板と言います。軽門橋の号令は3舟4導板軽門橋1を構築する、です。5舟5導板というのも出来ます。要は舟の数が増えれば載せられる車の大きさも代わってくるという事ですね。これがアルミ導板👆これを人力で組み立てます。アルミ導板を上げてそこへ渡河ボー
またもや番外編です。今回は教育隊のある同期について書いてみたいと思います。前期教育隊では約60名、後期教育隊は約40名くらいいたんですがこれだけの数がいると中には橇の合わない者もいるんですよね。前期でもいました。後期に入ってからすぐの時にまだ同期の顔と名前がハッキリ覚えていない時の事です。夜の点呼が終わった時だったか、これから消灯まで自由時間という時に同じ営内班の同期のDという者に声をかけられました。Dは175センチくらいでガタイの良い元ヤンキーのようなやつでし
TV番組の沸騰ワード10というのでカズレーザーが自衛隊、しかも施設科を紹介してました。見ましたか?茨城県ひたちなか市にある施設学校が出てました。僕が知ってる施設学校とはずいぶん様変わりしてましたねぇ。建物がかなり立派になってました。あれは施設科のほんの一部。いろんな訓練をしたなぁ・・・。さて、今回は重材量運搬です。名前の通り、重い物を人力で運搬する訓練です。使うものはボークという部材。ボーク橋という橋の部品です。写真を探しましたがあり
工兵は、陸軍における戦闘支援兵科の一種であり、歩兵、砲兵、騎兵に並ぶ四大兵科の一つである。陸上自衛隊においては施設科と呼ばれる。工兵の歌作詞:陸士五十二期生作曲:辻順二歌唱陸軍士官学校出身者有志一、聖戦進む大陸に膺懲の師の征く所峻険阻む「大別(だいべつ)」も怒濤逆巻く「白耶土(ヴァイアス)」も正義の戈に抗うなし我が襟の色自信あり二、剛胆機敏敵陣に身をもて開く突撃路轟然あがる爆音に突撃の機は熟したり進め!!義烈の我
工兵は、陸軍における戦闘支援兵科の一種であり、歩兵、砲兵、騎兵に並ぶ四大兵科の一つである。陸上自衛隊においては施設科と呼ばれる。工兵の歌作詞:陸士五十二期生作曲:辻順二歌唱陸軍士官学校出身者有志一、聖戦進む大陸に膺懲の師の征く所峻険阻む「大別(だいべつ)」も怒濤逆巻く「白耶土(ヴァイアス)」も正義の戈に抗うなし我が襟の色自信あり二、剛胆機敏敵陣に身をもて開く突撃路轟然あがる爆音に突撃の機は熟したり進め!!義烈の我が戦
工兵は、陸軍における戦闘支援兵科の一種であり、歩兵、砲兵、騎兵に並ぶ四大兵科の一つである。陸上自衛隊においては施設科と呼ばれる。戦闘においては実際に戦う歩兵・戦車・砲兵部隊だけでなく、土木・建築などの技術に特化した部隊が求められる。敵の防禦陣地や自然障礙の破壊、野戦築城や道路の建設、爆破工作、塹壕掘り、地雷原敷設などの能力を持つ。通常、各師団は、400人から1,000人程度で編成される工兵大隊または工兵連隊などの工兵部隊を保有している。旅団や連隊が各
爆破訓練最後は実際に実爆をしますが最初は本物ではなく偽物(笑)で訓練します。この訓練は危険が伴うので最初は偽物でやるんですね。訓練姿勢は胡坐をかいた状態でやります。まな板のような板の上に導爆線、専用の器具、雷管、TNT爆破薬(四角錘状の爆薬)が置いてあります。1番最初にやったのは確か導爆線(爆轟を伝えるために用いられるロープ状の火工品、水中でも使える)の加工かな。導爆線の先端に雷管(わずかな衝撃や熱でも発火する火薬を筒に詰めた火工品)
今回は土工(どこう)訓練を紹介します。まず土工ですがWikipediaにはこう書いてあります👇。土木とは土工事の工種の事である。土木工事で土を掘り、運び盛り固めるなどの基礎的な作業。もうそのまんまです。陸上自衛隊施設科は基本的に土が友達です。この職種を選んで定年までほとんど土と戯れる事になるんです。最初に使う道具はショベルです。スコップともいいますが自衛隊ではショベル、又はエンピといいます。このエンピって言い方は施設科だけかもしれません。今も使
最後にもやい結びを紹介します。この結び方は簡単でしかも結んだ後は引けば引くほど締まるのでほどける事が皆無です。主に船を桟橋に縛る時に使いますから海自も頻繁に使う結び方です。もやい取れとよく言うように海で使うのが主流ですが陸自でも習得します。まずは柱に綱を回します。👇(柱だと思ってください)左右どっちからでも良いんですが右利きなので右から回します。輪っかを作ります。👇綱の通りは下から上です👆。左に通した綱を下から上の要領で通
結び綱を使った訓練をもう2つ紹介します。今回はそのうちの一重継ぎ(ひとえつぎ)を。自衛隊ではへび口を使った一重継ぎを習いました。またまた家にあったロープを使います。左の輪っかがへび口です。右のロープと繋げると思って下さい。👆へび口にロープを通します。通し方に注目👆へび口の外側から折り返します。👆へび口の中から外へ出します👆この状態になったら締め上げます👆完成です👇逆方向から見る