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輪廻転生(第3回)私は輪廻転生して今に至るが、過去4回の輪廻先を覚知している。1回目は約300年前だ。当時はニジニノブゴロドで中継ぎ貿易に従事していた。ところがそのころ、ピョートル大帝がスウェーデン北方戦争に勝利した。バルト海に面した土地を入手して、そこに都市を作ると宣言した。これは商機だと思いすぐに移住したが、そこはまだ湖沼地帯だった。沼を埋めるために、石を運んで来いという。仕方ないので市民権を得るために、埋め立て事業に協力した。そこは今、サンクト・ペテルブルクと言う大都市に
こんばんは。テツジンです。ブログをご覧いただき、ありがとうございます。昨日、紹介した原正市さんは、点と点――北海道と黒竜江省――の交流を結び、やがて面と面――日本と中国――の交流まで築いた立役者の一人であることは、誰も疑わないだろう。米(稲作)という食文化を通して、日中間における点と点の交流を、面と面の交流まで、発展させた原正市さんの功績に匹敵する方は、もう一人います。その方は、稲作技術者の藤原長作(フジワラチョウサク)さんです。私が藤原長作さんのお名前を知ったのは、日本ではなく、黒竜
またまた間が空いてすみません。Yちゃんとの続きです。<2013年11月半ば~>QQのID乗っ取り事件を乗り越え、再びYちゃんとQQの文字チャットで連絡を取り合っていました。最初のころは、Yちゃんも「早くあなたに会いたい・・・」「今度会うときは、方正だとブローカーに見つかるとまずいので、ハルビンにしましょう。」などと言ってくれていたので、また次のハルビン行きの計画を練っていました。12月は仕事が忙しくて行けないので、行けるのは早くて1月です。それから半月後、12月に
あけましておめでとうございます。いつも当ブログを読んでいただきありがとうございます。不定期な更新になりますが、今後ともよろしくお願いいたします。さて、Yちゃんとの続きです。<2013年11月14日~>「別れたふり作戦」は成功し、何とかハルビンから無事帰国しました。その後、YちゃんとはQQを通して連絡を取っていましたが、帰国から2日後、ちょっとした事件が起こります。いつものようにQQのチャットで挨拶しても反応なし。忙しいのかなと半日そのままにしていたので
<2013年11月13日>この日は帰国日。方正県からハルビン市内までは200kmくらいあり、朝早いフライトなので、本来なら帰国前日にハルビン市内に移動しておかなければならないのに、最終バスを逃して絶体絶命のピンチ。当時は鉄道もないので、他に移動手段がありません。あとはブローカーAが言った「朝俺が送ってやる」という言葉に望みを託すしかありません。朝3時半。仲人ばあちゃんが僕の部屋に迎えに来てくれました。しかしブローカー達は起きてくる気配がありません。ドアをノックしても反
<2013年11月11日夜>ホテルの僕の部屋でYちゃんと二人っきりにしてもらい話した結果、Yちゃんも「別れたふり作戦」を了解してくれました。破談にする理由としては、Yちゃんに子供がいたこと。しかし、Yちゃんが自ら子供のいることをバラしたとなると、Yちゃんにペナルティが課せられる可能性もあります。とりあえず、その場は何事もなかったかのように部屋を出て、Yちゃんは帰宅。僕は仲人ばあちゃんの部屋へ行きました。仲人ばあちゃんと世間話をしつつ、それとなくYちゃんのことを聞いてみ
<2013年11月11日>Yちゃんやブローカー達とのお祝いの食事&カラオケから帰ってきたあと、「ちょっと二人で話したい。」と言って、僕の部屋で、やっとYちゃんと二人っきりにしてもらいました。実はちょっと引っかかることがあって、Yちゃんにちゃんと確かめておきたかったのです。前々回、Yちゃんの簡単なプロフィールを紹介したところでは書き漏らしましたが、Yちゃんは一度結婚したことがあります。で、最初にそれを聞いた僕は、すぐに「お子さんはいるの?」と尋ねたの
また間が空いてしまいすみません。前回は、お見合いで細身の美女Yちゃんとカップルになったところまで書きました。その続きです。<2013年11月11日>断られると思っていた美女YちゃんからまさかのOK返事をもらい、ちょっと動揺。なんでこんな美女が僕をOKしたのか・・・ちょっと怪しさはありますが、とりあえず見合い地獄を終わらせることができホッとしました。その後、カップル成立祝いということで、みんなで食事に行くことになりました。ホテル近くの中国料理のレストランで、円卓
<2013年11月11日>ハルビン到着早々2人とお見合いし、2人目の人が気に入ってOKしました。で、翌朝。仲人ばあちゃんとホテルの朝食へ行き、そこで聞いたお相手のお返事は・・・まさかのNG!昨晩ノートに、「あなたが選んでくれれば私はOKします・・・」みたいなことを書いてくれたのに、あれは一体何だったの・・・??仲人ばあちゃんに聞いても、理由はハッキリ言いませんでした。ただ、後日彼女が書いてくれたノートを見せたら、「え?これ、彼女が書いたの?!」みたいな感じ
<2012年10月30日>方正県の旅は最終日を迎えました。午後のバスでハルビンに戻りますが、午前中は暇だったので町を散歩しました。まずはバスのチケットを買うためにバスセンターらしきところへ。こちらは方正県の役場?みたいなところ。田舎町にしては結構立派ですね。町の中心部には地下街もありました。方正県の特徴は、店の看板に日本語表記があることです。なんでも、華僑が中心に進めたイメージアッププロジェクトの一環として、日本語表記が義務付けられたのだとか。http:/
<2012年10月29日>唐ちゃんの叔母さんの家にお世話になって2日目です。朝8時過ぎ、何だか部屋の外が騒がしい。リビングのステレオで音楽がガンガン鳴っています。あまりのうるささに目が覚めリビングに行くと、唐ちゃんは先に起きて、一人で朝食の準備をしてくれているところでした。叔母さんはどうしたのかと聞くと、まだ部屋にいるとのこと。じゃあ、ちょっとうるさすぎるから、ボリューム絞ったほうがいいんじゃないの?と言うと、含み笑いをしながら渋々ボリュームを下げました。少し
3回目のハルビン訪問の続きです。<2012年10月28日>ハルビンに一泊して、方正県へ向かいます。方正県には親戚(唐ちゃんのお父さんの妹)が住んでいるということで、今回はそこにお邪魔することになりました。「方正県」実はとっても気になっていた場所ではあります。最初にハルビンに来る前に、ハルビンの町やハルビン女性のことを調べていると、この方正県に関するいろんな話が出てきます。人口二十数万人、中国の人口規模からすれば田舎ですが、なぜかこの町からは日本人と結婚する女性が数多く出
<2012年10月>3度目のハルビン訪問が決定。今回からはブローカーとのシガラミが無くなって、晴れやかな気持ちで唐ちゃんと会うことができます。ですが、航空券のチケット購入で問題が発生。ネットで買う航空券の代金は、株みたいに日によって上下します。私の場合、まずはネットで大体の値段をチェックしておいてから、値段が高くない日を選んで会社に休みを申請し、あとでタイミングを見計らって購入していました。当初渡航日を決めた時には普段と同じ往復4万円前後だったのですが、様子を見て
<2012年9月>渡航まで一週間と迫っていましたが、泣く泣く渡航を中止することになりました。ホテルの予約はネットでキャンセルし、航空券のチケットは連絡せず放っておいたのですが、突然中国南方航空から電話が。「今回の渡航はどういう目的で?」え?今までそんなこと聞かれたことないのに何で??「今の日中関係はご存知だと思いますが・・・政府の方から今回どういった目的で渡航されるのか確認してほしいとの依頼がありまして・・・」「知り合いに会いに行く予定だったのですが、変更に