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あかね古墳公園6(滋賀県東近江市)2024年7月25日久保田山の円墳を降りまして、東対角に鎮座しますあかねの方墳「天乞山古墳」へお邪魔します。こちらは緑の水田と山並みを背景に、久保田山と違って緑の芝に覆われた威風堂々台形の墳丘が迫ります。近づきますると西面には立派な突き出しと二段築盛の下段は葺石で覆われていて、久保田山より一回り大きいサイズ感がします。西側に入り口が二か所あり、巨大な造り出しが一段目のテラス西側に張り出して、西面にはテラスともども葺石が施されています。天乞山へ
BSで生き続けてる正平さん群馬県カルミア(川柳です)惜しむらくおととしお亡くなりになりましたがBSで朝ドラ放送の後などにこの番組ずっと再放送されていますこれでは成仏できないんじゃないのかな、って心配になってしまいますが『おはようございます。。』という彼の響きのある低音ボイス良いんですよね。。春分の日です🌸本日2月4日徹子の部屋のゲストは中井貴一さんなのです楽しみです適当に型紙を作り達人からもらっていた布を使い。。ふんわり春らしいちりめん
あかね古墳公園3(滋賀県東近江市)2024年7月25日円墳の久保田山古墳南正面には「悠久の丘蒲生あかね古墳公園」案内レリーフが設えられています。方墳の天乞山古墳の方に眼をやれば後方に名神高速の下り車線の流れが見え、そこを走っている時に古墳らしきが見えていた記憶があります。こんなことになっていたかと感慨にふけります。径50ⅿはある円墳には全面に葺石が張られ、中段と上段には円筒埴輪が並べられていて、間近で観ればなかなか壮観です。周囲には幅20mあまりの芝生が巡らされ周濠跡とみられ
方墳に足を踏み入れることが出来ないのでもう降りようかな下から見るとやはり大きい高さは7m程もあるのだからな
立木が強風によってなびいているのがよく判ると思うまたより一層前方後円墳に見えると言うのも理解できる丁度正面に我輩の車が見える(黒の軽)・・・関係ない車が数台停められている付近の住人だろうな・・・うーむ
墳頂にいるあの説明看板のある方向を見ているこうしてみると高いと言うのが判るその反対側だ向うは日本海である
この大型の円墳と小型の方墳が近接しているので一見すると大型の前方後円墳に見えるのは如何ともし難いのだが・・・調査の結果2基の古墳が並んでいるということであるそれにしても大きな円墳である径56mあるのだからな・・・うーむ
興味深いニュースを知ったRieruです【下松】「西日本では例のない貴重な事例」天王森古墳から出土の「靫(ゆぎ)型埴輪」復元新周南新聞社が収集した地域の最新ニュースをご紹介します。www.shinshunan.co.jpほほう、靫(ゆぎ)型埴輪ですって!西日本では例のない貴重な事例ですって!(完全な姿に復元された姿)群馬、埼玉、大阪、和歌山、奈良⋯(それ以上?)あっ、意外とたくさんありました。さて、堺市の続き〜『銅亀山古墳』です。これまで陪冢は円墳が多かったですが、数少ない方墳だ
野中古墳を見たあと、浄元寺山古墳に向かいました。浄元寺古墳も世界遺産です。柵があり、野中古墳よりは古墳っぽい感じがあります。そして野中古墳よりもかなり大きな方墳です。野中古墳も浄元寺山古墳も墓山古墳の陪塚(付属墳)です。陪塚|羽曳野市大型の古墳を主墳とし、それに付属する規模の小さい古墳。ふつうは一連の工事計画によって、主墳とほぼ時を同じくして築造されています。従属的(じゅうぞくてき)な人物の埋葬だけではなく、主墳の被葬者の権力を示すかのような、武具や農工具、石製
メスリ山古墳の前方部の北西に広がる住宅街の一角にコロコロ山古墳と呼ばれる古墳がある。昭和60年に周辺の区画整理事業に伴う発掘調査によって発見された古墳で、もともとはもう少しメスリ山古墳に近いところにあったのを、のちに現在の場所に移築されたものである。一見、古くからの姿そのままのように見えるなかなかの復元ぶりである。(笑)古墳の周囲をフェンスが張り巡らされているが、自分で扉を開けて中に入ることができる。コロコロ山古墳は、一辺30mの方墳で、埋葬施設は両袖式の横
今日はクリスマス・イブ!そんなクリスマスとは全く関係のないブログへの訪問、ありがとうございます12月16日に訪れた香川県の古墳、続きです。↑JR四国予讃線の讃岐府中駅前、この丘の上に新宮(しんぐう)古墳があります。↑墓地の奥にある新宮古墳、北西側から場所はこちら:34.290948,133.922646↑北側の様子↑墳丘北西側にある新宮古墳の解説板残存部直径17メートル、高さ2.1メートル、築造時は一辺約20メートルの方墳。解説板では
秋殿南古墳は、こうぜ1号墳から元の道に戻り、西へ向かい、桜井中学校の前を通り過ぎ、10分ほど歩いたのち、道路が広くなっている所の民家の間を抜けていく、途中民泊用の家などがあり、山すその道を歩いていくと、秋殿南古墳の説明板がある。という事は、この近くに古墳がある・・・。という事はなく、全くのフェイク。古墳はさらに5~6分は奥に進まないといけない。以前来たときは、この道から藪の中を入っていくと古墳があるという少し見つけにくい、いわばちょっとした難関古墳だったのだが、なんと、
(丘陵南側から撮影)☆陵神社古墳群丹後国熊野郡京都府京丹後市久美浜町海士小字別所(丘陵南側、陵神社の参道前に停め置きしています)久美浜町「橋爪」の丘陵頂に鎮座する陵神社。その丘陵上に築かれた古墳群。古墳群は資料によると久美浜町「海士小字別所」であるとのこと。詳細地に関しての資料は見当たらないものの、この丘陵地の大部分は「橋爪」に属するも、北東の一部が「海士」に属しています。またゴルフ練習場建設により12号墳・21号墳の2基が発掘調査後に消滅していますが、そのゴルフ練習場の約半分は「
私が動画製作をする時に良く使用する好きなミュージシャンが二人居て一人は姫神さんともう一人はカンナガラレコーズさんなんです。一番多く彼女達の物を使用させていただいています。理由は私が縄文時代の事を多く書いているので、それにぴったりのイメージは彼女達を置いて他に居ないからです。この二つを見ると特に良く分かるかなと思います。姫神「赤道」-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。you
☆赤坂天王山古墳群大和国十市郡奈良県桜井市倉橋字赤坂(墳前道路は広くいつも停め置きしています)赤坂天王山1号墳を中心に全15基が確認されている古墳群。「倉橋ため池」の近く。北西は「鳥見山」、北に、南には「多武峰(とうのみね)」と山あり谷ありの起伏に富んだ地に密集し築かれています。1号墳と3号墳のみ石室が開口しており見学可。ただし1号墳は土砂等の流入が著しく開口が狭まっているため、現状は小さな子供のみが潜られるといった状態。3号墳は羨道までならギリギリ潜られる程度。それ以外は藪中にあ
☆赤坂天王山古墳(赤坂天王山1号墳)大和国十市郡奈良県桜井市倉橋字赤坂(墳前道路は広くいつも停め置きしています)■形状方墳*三段築成*葺石有り■全長北辺約50.5m、南辺約43.2m、東辺約46.5m、西辺約47m、北から南にすぼまる■築造時期6世紀末頃■埋葬施設両袖式横穴式石室*玄室/全長15.3m以上、幅3~3.2m以上、高さ4.2m以上、羨道/長さ8.5m刳抜式家形石棺■出土品(無し)すべて盗掘済み■周辺の状況*「倉橋ため池」の近く。北西は「鳥見山
桜井茶臼山古墳から国道165号線を東に歩いた後、分岐点を右に国道166号線の方へ進む。鳥見山をぐるっと半周ぐらい回る感じだ。この道が特に何にもないのでちょっと退屈ではある。次に忍阪東の交差点を、今度は西に、桜井市の清掃工場のある方へ方向転換する。清掃工場を越えて、向かいの道路沿いに階段がある。この階段を登り、藪のトンネルを通っていくと、正面に舞谷2号墳の姿が見える。舞谷2号墳は、磚積式の横穴式石室を持つ、大和地方でも(特に桜井市から宇陀市に集中)10数例し
☆鴨都波1号墳(かもつば)大和国葛上郡奈良県御所市三室(済生会御所病院は有料Pのみ)■形状方墳■全長一辺19m×14m*幅4mの周濠有り*埋没古墳であった■築造時期古墳時代前期中葉(4世紀中葉)■埋葬施設主体部は粘土槨に刳抜式木棺を据えたもの*赤色顔料の塗布が確認できる■出土品◎棺内三角縁吾有好同三神三獣鏡杖状木製品硬玉製勾玉・碧玉製管玉・ガラス小玉碧玉製紡錘車形石製品鉄剣(漆塗り装具を伴う)◎棺外方形板革綴短甲漆塗り靫三角縁神獣鏡(波文
次は石舞台古墳ですチケットです受け付けを過ぎると右手に見えて来ますおおでっかい!うむここを登っ…待ってwww日本人どこにでも小銭置いちゃうw古墳てなにかご利益あるのだろうか…きましたよおおおでっかい隙間に石を詰めたんだな…記念写真ー!きらU^ェ^Uを探せ!ここでーすこっここっこ!ヽ(=´▽`=)ノ石室への入口です入れるのか!知らなかった!そしてこの石の階段は…これは現代のもの…?このムキムキお兄さんが全く動かないので古墳の更に奥に渡ってみました看板の奥に石
千葉県八街市にある「かわらめき古墳群」、続きです。↑こちらが「かわらめき古墳群」の解説板築造時期は4世紀後半から5世紀。以前から1基の古墳があることは知られていたが、平成23年の調査の結果、もう2基の古墳が確認されたとのこと。↑昨日もアップした解説板奥の様子うーん、草こぎしないと厳しい状態かな?↑まずは、かわらめき古墳群3号墳、南側から古墳周辺は、あまり草はなかったのですが、プレートがないと気がつかない3号墳。一辺約11メートル、高さ約0.4メートル、
自律神経がいかれてるので、バスケを見ないことにした。で、静かに古代について調べてました。土器の焼き方について、始めは野焼き、次に炉ができると・・・鉄器を作るのはカマド。その形を見るとなんだか、古墳の形に似てるなあ~って思った。野焼きは円墳。炉は方墳。カマドは前方後円墳。石室まで竪穴式か横穴式かは炉やカマドの入り口。でも煙を逃がす穴もあるなあ~はい、自律神経いかれてて、妄想が重症化しました・・・たまたま古代の調理や土器作成の仕方が知りたかっただけなのに
つづき↑以外とロングコースなんだよな…まだ距離がありやがる。↑アプローチ失敗…。↑14番打ち出し↑結構な距離があるぞ↑コレを診てくれ↑ここに第4打で打つところがある。↑前方の方墳の向う側にカップはあるぞ。↑2球打ち出しまぁ、こんな所です。↑青球OBギリギリ黄球はベストだと思いますよね!↑登り坂で球筋を予測しないと方墳から落とすことになります。↑後ろの球止の丸太は気休めにもなりません。強くぶつけに行くとご愁傷さまが待ってます。↑方墳角からの
古墳(角川ソフィア文庫)[松木武彦]楽天市場フルカラーで古墳が紹介されています。が、地図がない。所在地が載ってはいますが、分布などについては参照となる地図がないのでイメージしがたく、個々の造形などについて見るだけとなっています。日本史における古墳と、世界史における古墳。日本独特のものかと思えば、実は似たようなものが外国にもあったりする。そういうことが近年わかってきたのか、体系的に捉えられるようになってきたから、切り口としてこういう紹介の仕方なのか。山腹の横
房総の村に隣接して房総風土記の丘があります縄文時代の115基の古墳が散在しています龍角寺古墳群といわれていますその中の岩屋古墳は国指定遺跡になっていて日本最大級の方墳で80m□で高さは13mあります周囲には二重の堀があって一周することができます昔のお墓なので古墳に上ることは禁止されています
こんにちは酒々井町(しすいまち)は正式には印旛郡酒々井町で位置的には佐倉市と成田市の中間にあり、人口は約2万人ですしかし、町の中央部を東関東自動車道が縦断し酒々井パーキングエリアも東関東自動車道最大の大きさなら町内の商業施設「酒々井プレミアムアウトレット」も巨大で将来性を感じさせます酒々井町コミュニティプラザ内の墨古沢遺跡常設展示室に来ました墨古沢遺跡(すみふるさわいせき)は今から3万4000年前の後期旧石器時代の遺跡で国史跡ですホモ・サピエンスが初めて大陸から日本
こんにちは、スタルペスです。今年春に訪れた古墳をブログで紹介できていなかったので、遅ればせながらご紹介したいと思います。志免町平成の森公園の中にある古墳時代前期から後期にわたる古墳群です。九州では珍しく、方墳が連なるように月隈丘陵の東に築かれています。※松ノ尾古墳群(古墳群の先には志免南小学校があります)1号墳は古墳時代前期の方墳だそうです。被葬者を埋葬した主体部は2カ所あって、1号主体部(左)と2号主体部(右)と呼ばれています。1号主体部のほうが2
平成20年(2008)、吉備人出版が手掛ける「吉備考古学ライブラリィ」の一冊として『吉備の飛鳥古墳』を上梓しました。書名の「飛鳥古墳」は、このシリーズを企画された近藤義郎先生(岡山大学名誉教授)の提案によるもので、前方後円墳の廃止(6世紀末)を古墳時代の終焉とみる立場に基づいた新しい用語です。この本では「飛鳥古墳」を、山上や谷の斜面などに単独で立地し、方形や多角形の墳丘を持ち、切石を用いるなどした精美な石室を埋葬施設とする飛鳥時代(7世紀)の単葬墓で、わずかな品々を副葬する「飛鳥様式の古墳」と
与謝野町立古墳公園③続いて作山古墳群の見学をしました解説板地図作山1号墳◎作山1号墳・造出付円墳。円墳の径は30m。・2段築成。高さ4m。・古墳時代前期後葉。・葺石と埴輪列がある。・墳頂にに組合式石棺。他に15基の埋葬施設がある。墳頂の組合式石棺石棺の主室から、銅鏡・石釧・玉50個が出土。副室から、鉄剣12本など鉄製の武器が出土した。作山2号墳◎作山2号墳・直径28m、高さ3.5mの円墳。・古墳時代前期末〜中期初。・葺石はなし。埴輪列あり。
本日も岐阜県養老町にある象鼻山(ぞうびざん)古墳群の続きです。毎日、写真映えしない古墳ばかりでスイマセン昨日までは象鼻山の山頂付近にある古墳をアップしましたが、今日・明日は象鼻山の中腹あたりにある古墳を取り上げます↑象鼻山の麓、古墳群への入口。最初見た時、中に入れないかと思いましたよこちらも古墳群巡りあるあるですが、鹿やら猪が柵外に出ないためのものですね。↑こんな道を登って・・・・↑登って左手、最初に見えてきたマウンド。標柱はありませんが、おそらく
今日も岐阜県養老町にある象鼻山古墳群です。訪問日は3月5日。↑象鼻山20号墳、北側の様子調査時に見つかった土器片は392!墳丘全体から出土しているので、葬送時に使用した土器を粉砕して盛土に混ぜた可能性が大とのこと。土器の編年としては廻間Ⅰ式1段階になります。↑象鼻山20号墳、西側の様子北東南西間16.5メートル、北西南東間16.2メートル、高さ約3.5メートル、2世紀代築造の方墳。周溝はあるものの全周はせず。南東側には周溝の痕跡は見つかってません。↑象鼻山