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6月になりました今月の護国寺からの行事案内です信行会25日(日)午後15時より今月のテーマ『写経』先月に引き続き、諸経の王と称される法華経を書き写して参ります方便品・自我偈・神力偈・観音偈・欲令衆その他にも、色々な要文をご用意しております誰でも無料でご参加できますので、心よりお待ち申し上げます\(^▽^)/詳細はコチラをご覧下さい・・・・・・・あと個人的なことですが、7月1日(土)に、本山本法寺で開催され
私は利用者様に対しては即スイッチが入るのでその場その場で役を演じられる上手い対応が出来るんだけど同僚とか上司は同等か上になるでしょ❓だけど精神的にも仕事的にも子供利用者様には気を使うというより心を使ってきた同僚や上司に気を使う余裕はないお世辞も言いたくないしパワーゲームにも参加したくない気を使わず心を使う本に書いてあったけれど日本の社会は心を使うと叩かれて気を使うと出世していくのだこんな社会でいくら頑張っても無駄だからブログに社会の毒も吐いてきた警察や
父がいたから私がいて、父が残してくれた実家だから、CanCanを存続できます。高いお家賃を払ってブリーダー業は至難の技です。自宅兼お店で良いスタッフに恵まれて頑張っています。今日はおばあちゃんのお部屋にみんなで集まってお食事をしました。賛美歌を歌うようなって気持ちでお願いと、、今日も法華経の方便品と自我けをみんなで唱えて貰いました。声を出す人も出さない人もいますが、、父の為に祈って貰いました。ここで自分のお願いをするのよーと言うと、、腹減ったと言う不届きものもいましたが、、無事に終え、、
釈尊一代50年の説法の中で、最高真実の教は法華経です。では、なぜ法華経が最高真実かといいますと、一年三千(いちねんさんぜん)の法門といって、老若男女・善人悪人を問わず、一切衆生をその身のままで成仏せしめる大法が説かれているからであります。法華経は一部八巻二十八品(品ほん、とは今日でいうところの章と理解してよいでしょう)から成り、これに、開経(かいきょう)(いわばプロローグ)の無量義経(むりょうぎきょう)一巻と、結教(けっきょう)(いわばエピローグ
はい、つづきなのですが。釈迦は数多くの教え、教本を残しておりますが、その中で、妙法蓮華経方便品第二とこの寿量品第十六が教えの要であってほかは枝葉である、というのは前に述べたとおりです。そして、その中で、釈迦自身生まれる以前の久遠の昔にすでに成仏して仏となっていたと述べました。つまり、仏法を説きましたが、それは私が見つけたのであって考え出したものではなく、法はもとよりそこにあって、その法の等体が南無妙法蓮華教如来と呼んだり、自受用報身如来(じじゅゆうほうしんにょ
はい、では以前いってた。妙法蓮華経如来寿量品第十六(みょうほうれんげきょうにょらいじゅりょうほんだいじゅうろく)の通釈、ぱーと1です。妙法蓮華経如来重寿品第十六弥勒菩薩(みろくぼさつ)が、一座の大衆を代表して質問を発し、釈尊の説法を請い願った、その時、お釈迦様は、たくさんの菩薩方やすべての人々(シャク門においては常に一切声聞と呼ばれたが、すでに二乗は教化せられて、今はただ菩薩を教化する段階となっているから声聞とは呼ばない)に向かって、「皆さん、あなた方は、仏様の真
ある程度の社会的常識が学べる、学校というところに行けるわが国や、先進国はとても恵まれてると思います・・。学校に通える諸国とそうでない国では価値観は多くズレがあるでしょう。学校がすべてではないし、いかなくても素敵な人格の人は中にはいますが・・。世界的にみると、行ける者と行けない者との差は出てしまうと思います。単純に考えて、・・・正しいことや正しくないことを考える力が付く者とそうでない者。さまざまな見通しが出来るようになる者とそうでない者。など。生きるために物をうばい、落ちてあ
ここでご紹介するのは、わかりやすくしたもので、経文じたいはとても硬く難しい言葉が羅列されています。経文をさらに翻訳して、訓読したもの・・これも古典のようにまた難しい。ので、またそれを訳して、通釈・・としたものです。現代の自分たちにわかりやすい言葉で書かれています。それでも、難しいですし。いうなれば、法華講員に対しての経文の説明ですし、一般の人にとっては・・なんじゃそら・・と思うかもしれませんが。世界観としては、へーそうなんだ・・と新感覚で面白く思うかも知れません。
しばらくは、ご観念文の話をしたいと思います。ご観念文とは、なにかというと、日蓮正宗が日々の勤行唱題のときに唱える、読む経本のことです。ここでアップするのは、小川只道御尊師の著の解説をもとにアップしてます。南無妙法蓮華経を唱えることも大事ですが、それは、仏の教えは数多くあり、経典も数多くありますが、だいたい8万4千とわれてますが、それらをこの妙法蓮華経を唱えることで一読した意味もある、など言われたり。日蓮大聖人が経典の中から、導き出した言葉でもあるし、文低に秘められたものを
【東洋哲学諸々】★日本仏教流れ『法華経NO.2』《方便品第二》ー究極の真理へ人々の知恵の眼を開かせる手段世尊は、あらゆる事物の成り立ちを語る。『真実において、事物は10の要素をもつ。それぞれに状態(相)と性質(性)と形態(体)をもち、その内なるエネルギー(力)が発動(作)するとき、原因(因)と条件(縁)があって現在(果)を生じ、また、他者および未来に影響(報)していく。それらは互いに関連しており、本質は等しい(本末究竟等)と説示した。』『私がこれまで声聞・縁覚・菩薩の3つの道を示して
日蓮遺文御義口伝方便品「唯以一大事因縁の事」
今年は心のゴミを断捨離した1年だった凄い量のゴミが溜まっていた悟って六本木ヒルズへ行く前にその会社を調べたのよここクリック社長の名前が違うじゃん(笑)社長の古家くんは来ないで部下の男の子が対応したんだけど私のビジョンを真剣に聴いてくれた恐らく古家くんが詐欺システムを考案したのだろう契約書の住所は江東区だし起業するって個人事業主だし社印が写メだった(笑)部下の男の子は夢を持っていた私のビジョンに本当に共感してくれた詐欺なのはわかっていたんだけど不軽菩薩を超える為に
『一大事』解決できない一大事はありません。大事件が起こると、ニュースで『一大事です』と告げることがあります。しかし本当の一大事は事件ではありません。『法華経』の方便品に『諸仏は一大事の因縁のゆえにこの世に現れる』とあります。その一大事とは、如来による衆生救済です。つまり、人々の苦しみを取り除き、楽を与えるために如来が出現したということが一大事なのです。仏教は、人々の苦しみを取り除き、楽を与えるための教えです。その為にお釈迦さまは教えを説きました。人生において、解
私たち地球人は耳根、すなわち「聞く力」が優れてるそうです。仏様は音(ことば)を道具に使って私たちの悪因悪縁を断ってくださるのです。「方とは秘なり。便とは妙なり。妙方に達す即ち是真秘なり」日蓮大聖人御書方便品八箇の大事
怠さMAX寿量品に気を取られていて方便品の訳をリンクしてなかったhttps://syoubou.wordpress.com/%E5%A6%99%E6%B3%95%E8%93%AE%E8%8F%AF%E7%B5%8C%E6%96%B9%E4%BE%BF%E5%93↑クリック怠すぎて読んでいませんが(笑)たぶん納得いく内容が書いてあるのかな?私は創価学会で習ったこと基本なので生命に刻まれてる感じするけど💦空の状態なので利用者様宅で家事をしても自分の家では大好きなお風呂に入るの
前回の記事で、なぜ十如是を三回繰り返して読むのかその理由について書かせて頂きました(。-人-。)今回は、その十如是には何が説かれているのかそれについて書いて参りたいと思います十如是の経文(原文)は、所謂諸法。如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等。これを直訳すると・・・その有様は、あらゆる存在がこのような相と、あらゆる存在の根底となる不変の本性と、このような本体と、このような潜在的な力と、こ
嘘ってどんなイメージですか?私の子供の頃からのイメージは絶対にダメなもの…悪、です子供の頃から嘘は絶対についてはいけないものそのように厳しく躾けられました(それが普通なのだとも思います)なので、どんな時も嘘は絶対にダメ自分自身に凄く強く取り締まっていましたなので嘘はつきたくなかったでも、人を傷付けない為にしぶしぶ善意でついた嘘も嘘をつくつもりはなかったのに結果的に嘘になってしまった時でも嘘に凄く罪悪感があったので凄く自己嫌悪に陥りましたそれを変えてくれたのも
法華経の前半で、とても大切なことが説かれているのが『方便品第二』日蓮宗では、自我偈と共に、法事や勤行で読誦することが多いお経ですとても長い方便品ですが、最初の『十如是(じゅうにょぜ)』が説かれてる部分までを普段はお読みします(原文)爾時世尊。従三昧安詳而起。告舎利弗諸仏智慧。甚深無量。其智慧門。難解難入。一切声聞。辟支仏。所不能知。所以者何。仏曾親近。百千万億。無数諸仏。尽行諸仏。無量道法。勇猛精進。名称普聞。成就甚深。未曾有法。随宜所説。意趣難解。舎利弗。吾従成仏已来
”やっぱりやめとこ、舎利弗(しゃりほつ)はん。わし、よう言わんわ。”「止舎利弗不須復説」「やみなん舎利弗すべからくまた説くべからず」(妙法蓮華経方便品第二)お釈迦様が瞑想から立ち上がり何を言い出すかと皆が注目している中、「私が悟った知恵ははてしなく深く、ここにいる皆が理解できそうもないから説法をやめよう。」と言いだすシーン。この後、弟子の舎利弗(しゃりほつ)が、「どうか説いてください」と三度にわたってお願いして、ようやく説法がはじまるという、お釈迦様のなかなかのもったい