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今日は、姉夫婦が唱えたのだろうか?法華経方便品・自我偈なぜ方便品と寿量品を読むのですか?|祈り勤行・唱題|新会員の友のために法華経には28の品(=章)がありますが、その中から、なぜ方便品と寿量品を読むのかについてです。日蓮大聖人が「寿量品・方便品をよみ候へば自然に余品はよみ候はねども備はり候なり」(御書1202ページ)と仰せのように、法華経の「方便品第2」と「如来寿量品第16」の二つの品こそ、法華経の中でも、もっとも大事な法理が説かれていて、そのほかの品の意義も備わっ
母が守ってくれるからとでも?生きているのに死を迎えたときの服装?でわたしの左肩の後ろにいると教えてくれたのはあなただからわたしを守る霊?としていてくれたのだからきっとあなたも守ってくれるよと伝えたのだろういろいろ思い出したけど出棺?の時からの記憶が無い花を入れたのか?何をしたのか?わからない
本日は、月例座禅会と2年かけて「法華経」を読む会に参加する為、等覚院に行って参りました。月に一度、馴染みのお寺さんに行くのは、実にいいものです。私の場合は、祈りの修行地として上野・寛永寺清水観音堂と、座禅の修行地として等覚院さんに月一回お邪魔しております。回数を重ねてくれば、顔馴染みにもなりますし、親近感がわく(笑)...。人間関係が出来上がれば、やはり自分の中で【ホーム】が出来た様に思える物です。これは...田舎の菩提寺とはまた違った感覚です。菩提寺であれば、親戚やらご近所やら
梅雨が明けた地域、これからの地域、あると思いますが。災害のない梅雨はここ数年ないですね。心が痛みます。ボランティアに行こうにも、断られてしまいました。コロナ禍ですから仕方ありません。せめて寄付をと思っております。今日は「方便品:ほうべんぽん」というお経の一部に出てくる、「全てがわたしである」お話をしたいと思います。難しい言葉でいうと十如是(じゅうにょぜ)と言います。わたし自身、の全て=存在の全て①人相などの外面的特徴←顔の造作ではありませんよ。美人・不美人では
昨日7月6日、布教師会の定例輪講がありました今回は・・・~法華経のおはなし方便品第二~方便品に注目して学んでいきます講師は太秦・本瑞寺の藤井淳至上人方便品といえば日頃から自我偈と並んで必ず読誦しますねそれは何故から始まり、随自意、開三顕一、一念三千・・・・etcと講義は進みます改めて方便品の内容の深さに気づかせていただけましたw( ̄△ ̄;)wおおっ!私的には方便品の最後の経文心生大歓喜自知当作
今日は妙法蓮華経方便品第二全品の読み上げをしました日置智之
さて、特別展「きものKIMONO」を見た『東京国立博物館特別展「きものKIMONO(前期)」』千葉の国立歴史民俗博物館から、東京上野に向かいました。現在、東京国立博物館では特別展「きものKIMONO」の前期展示が開催中です(^o^)場所は、平成館。現…ameblo.jp後は、本館へ移動しました。トーハクくんとユリノキちゃんも、マスク着用でお迎えしてくれてます。東京国立博物館の広い本館では、私は2階の第1室から回るようにしています。現在、本館2階では、以下の国宝を展示中。
自分に都合のいい方便は、やはりマズイ.......(^^;◎悟りへ導かせるために使った「うそも方便」という諺(ことわざ)があります。本来、うそは悪いことではあるが、物事をうまく運ぶためには必要な場合もある。という意味です。ですから、方便とは、目的のために利用される一時的な手段とでもいうことになりましょうか。方便とは、もともと、サンスクリット語「ウパーヤ」の訳で、「近づく」「到達する」という意味です。ある目的を達成するために設けられた巧みな手だてのことで、仏
台風被害で今現在で死者70名以上を出してるそうです。行方不明者も10名以上になってるそうです。ご冥福をお祈りします。そして行方不明者が一刻も早く救助されることを重ねてお祈り申し上げます。また、生存者の方が突如として大切な方を奪われてしまった悲しみ、日常を失った苦しみ、慎んで如何許りかお察し申し上げます。合掌はい、暗澹たる気持ちでは御座いますが前回の投稿で何で「法華懺法」の後段で寿量品や神力品じゃなく何故に安楽行品なのか?について投稿した後、日頃ご教示いただいてる方から資料を送っていた
~その1から続く~さて、愛犬金太の話が出たところで、仏教寓話ジャータカ物語から犬のお話も少し。『聖人の皮をかぶったヤマイヌ』むかしむかしボーディサッタ(仏陀の前世)がネズミに生まれ変わったころがありました。大人になると大ネズミになり、何百というネズミの手下を従えて森の中に住んでいました。ある日、うろついていたヤマイヌがこのネズミたちを見て、何とかして食べてしまおうと考えます。そこでヤマイヌはネズミたちの住みかの近くに陣取り、お日さまに向かいフンフン風を吸い込みながら一本足で立って
三年前の信行道場を思い出します法要に向けて、、いろんなパートの練習をしていますとにかく回す、回す、長く回し続ける、、激しく跳ね回ってるのは何故か赤い紐の方です最近の朝活は、スクワットしながらお経は如来神力品の偈でしたじっと座って読むより体に染み込むからです法要で読むお経や経文の練習をするために、今朝から朝活メニューを一新朝活は歩きながら法要のお経をあげることそして通勤の車の中では運転しながらの道場偈、三宝礼、切散華、開経偈、方便品、壽量品、神力品、対揚、三帰、奉送となり、
2015年の9月19日の戦争法案(安保法制)強行採決を忘れないために、同年12月に、MotherGooseのWhokilledCockRobin?をパクってアップした記事を再掲載します。再掲載にあたっては、僅かの文字・誤字直しと、補注、ハッシュタグを加えました。来年は参院選ですね。誰が立憲主義を殺したか!誰が立憲主義を殺したか「俺だ」と首相が言いました法制局長の首をすげ替えて解釈改憲ごり押しし立憲主義を殺したぜ誰が議会制民主主義を殺したか「俺
永遠の生命を通じて私たちに呼びかけを続けるお釈迦様..............久遠の仏陀釈尊.............の声、それが「法華経」です。現代においてもこの経典の影響の大きさには計り知れないものがあります。そこで、法華経の教えから、大事と思われるところを取り上げてみたいと思います。この方便品は「法華経」28品の中でも重要な教えである。それは、世尊の説法の目的が明らかにされているからです。◎第二章方便品(ほうべんほん)から〇仏道を究めるには最高の教え
永遠の生命を通じて私たちに呼びかけを続けるお釈迦様..............久遠の仏陀釈尊.............の声、それが「法華経」です。現代においてもこの経典の影響の大きさには計り知れないものがあります。そこで、法華経の教えから、大事と思われるところを取り上げてみたいと思います。西方浄土の如来、阿弥陀様も法華経を学んで如来になられました。菩薩当時の名は法蔵菩薩です!◎第二章方便品(ほうべんほん)から〇法位に住する仏道を成じることができる衆生(人々
永遠の生命を通じて私たちに呼びかけを続けるお釈迦様..............久遠の仏陀釈尊.............の声、それが「法華経」です。現代においてもこの経典の影響の大きさには計り知れないものがあります。そこで、法華経の教えから、大事と思われるところを取り上げてみたいと思います。仏の願いは、一切衆生を佛と同じような悟りの世界にいれることだった◎第二章方便品(ほうべんほん)から〇仏の誓願(せいがん)とは‘‘舎利佛よ、汝等は当に一心に信解して、仏語を従
永遠の生命を通じて私たちに呼びかけを続けるお釈迦様..............久遠の仏陀釈尊.............の声、それが「法華経」です。現代においてもこの経典の影響の大きさには計り知れないものがあります。そこで、法華経の教えから、大事と思われるところを取り上げてみたいと思います。うぬぼれた人は法華経の教えを理解しようとしない◎第二章方便品(ほうべんほん)から〇一大事因縁(いちだいじいんねん)とは最高の教え「妙法」とは、仏だけが良くわかっているもので
永遠の生命を通じて私たちに呼びかけを続けるお釈迦様..............久遠の仏陀釈尊.............の声、それが「法華経」です。現代においてもこの経典の影響の大きさには計り知れないものがあります。そこで、法華経の教えから、大事と思われるところを取り上げてみたいと思います。仏が悟ったこの教え(法華経)は、難解難入の教えです。◎第二章方便品(ほうべんほん)から〇法華経は難解難入(なんげなんにゅう)の知見法華経28品の中で、古来から四要品といわれる四
仏教で刧とは想像不可能な長い時間の事ですが、釈尊の成仏はそれを五百千万億那由他倍した過去です。現代数字に直すと10の89乗年前だそうです。いずれにしても想像不可能ですね。今朝勤行をしていて、この刧の言葉の重みを頭の中心でズキズキ感じました。刧という経文は方便品では登場せず、如来寿量品に移動すると出てきます。経文の中で時間が経ってるような不可思議な体験でした。
『コトタマの法則』第6章言霊(コトタマ)の持つ力で「豊かな意識創造に変える」【本当のこと】本当とは、何かを考えて観た。辞書によれば、正しい姿とか本物であるとか本来の道筋とか偽りないとかの意味が含まれる。ではさらに本とは、何かを辞書で調べると、木の根っ子の意味から来ているらしく、根本とか中心とかの意味を持つ。音に返す基本のことたま(言霊)では、本=ほん≒ボーン=Bone=骨。本=ほん=品。お経などの経典は例えば「方便品(ほ
【境涯が変われば世界が変わる】①その大難の極限ともいうべき、佐渡流罪の日々にあって、大聖人は悠然と「流人なれども喜悦はかりなし」(御書一三六〇㌻)と叫ばれた。まさに宇宙大の御境涯から、一切を見下ろしておられた。牧口初代会長も、「大聖人の佐渡の御苦しみをしのぶと何でもありません」と、獄中生活を耐えぬかれた。さらに、「心一つで地獄にも楽しみがあります」とも手紙に書かれている。当時の検閲で、削除された言葉です。生命の大境涯。ここに人間の極致があります。たった一輪の花でも、すさんだ空気を
一周忌を迎えられる親愛なる同志(とも)とのことを思い返し、はじめて電話で会話したある日、私が彼女に「教学がさっぱりで、どう学んでいけばいいのか、変な話、教学のことよりも、どうやって学ぶかを学びたいくらい悩んでいます。それから、学会の活動のことも、いろいろとタイミングが悪く、何も知らないまま独りになっちゃったから、皆さんが、どう活動されているのか。私は、他の人と活動をしたことがほとんどないから手探りでやってきて、はたして、これでいいのかも自信が持てないし、分からないことだらけ」と言うと、彼女は
本日9月24日、護国寺で秋彼岸会が執り行われましたこの日に合わせて、玄題旗を新調いたしました奉納下さいました檀信徒の皆様、ありがとうございます(。-人-。)先月までの暑かった気候も嘘のように過ごしやすくなりましたね暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものです法要後は、常任布教師でもあり、京都の布教師会・会長でもある大西秀樹上人による法話がありました妙法蓮華経の五字と、南無妙法蓮華経の七字の違いは何ですかという話から始まり、
禅とか滝に打たれる修行もあるけどここが閉鎖される前は雨が降った後に崖から滝が出来るので波乗りを中段して滝に打たれた事がある半端じゃなく気持ちよかった誰も居なくてひとりきり「怖くないの❓」とよく聞かれるけどひとりが好きなんだもん自分のペースを崩されたくないひとりになれないのが依存祖母と母親の共依存は凄かったもしかして母親は私と同じ病気だったのかもね❓自律神経や心の病気滝に打たれたり禅って外に囚われず内観するんだろうけど自宅でゴロゴロして気持ち良く私はそれが出